第二十二話 シキガミ

 式神しきがみしゅが、小袖こそではかまいて、内の肉体にくたいを切り裂いた。

 一部は肉さえも引き裂いて、一つ二つは、二の腕とももに直撃した。

 鈍い痛みが腕と腿に残り、くさびくいでも打たれたかのようにおもくるしい。

「――」

 音を立てず呼吸をととのえ、地面に落ちた人形ひとがたを模した紙を目にやる。込められたしゅを放ったからか、はらから破れて散っている。

式神しきがみとは、使い捨てか? ずいぶんと無駄にしたな」

「ふふふ、形代かたしろ所詮しょせん、鬼神の力を乗せる依代よりしろに過ぎません。鬼神達はわたくしの元に戻る。たまれは期待しないことですよ」

 ニタリと笑う博士はかせは、袖から形代を何枚か取り出してみせた。なるほど、用意ようい周到しゅうとうと言うわけだ。

 一刀斎いっとうさいは左手で晴眼せいがんを保ちながら、右手で穿うがたれた左腕ひだりうでに触る。

 腕の中に残る違和感。正体不明の異物いぶつが、腕の肉をむしばんでいる。

 腕を、揉む。揉む度に異物が握る右手から逃れるようにうごめいた。その度に肉を削いで、痛みが走る。

「…………む」

「もう少し、粘ってほしいものでしたがね…………」

 博士が一枚の形代を選び取る。その白紙はくし依代よりしろには、他と違って朱墨しゅずみひとみが書かれている。

 どうやら、特別製のものらしい。

「それではこれで終わりといたしましょう!!」

 追い風に乗った朱墨の形代は、一直線に一刀斎の元へと向かう。その目と、一刀斎の目が合った。博士の式神は、一刀斎の眉間を見据えている――――!

急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう!!」

 博士が式神へとめいじたその刹那せつな、式神ははじけて一刀斎へと呪を飛ばす。宣言通り、脳天のうてんつらぬきこれでしまい。と博士は口の端をゆがませた。

 ――が。


 キィィィン!


「…………っ!」

「――これが呪か。ありふれているな。路傍そこらに余るほどころがっている」

 虚空こくうへと、甕割かめわりを振るい上げた一刀斎。

 その足元に転がったのは、二つにたれたちいさなつぶて。黒く塗られたなまりたま

 固まる博士を尻目に、腕の傷口きずぐちを指でまさぐりを取り出す。それは鉛弾ではなく、一刀斎の言の通り、どこにでもある小石であった。

「その手元を隠すほど長い袖。そこに石を溜めていたか。そしてこれを、お前ははじき出した。式神とやらは、くらましか」

 式神に目を奪わせ、自身から意識をらせる。そして弾き出す瞬間を誤魔化ごまかしていた。

 腕に感じた違和感に、身に覚えがあった。

 それはかつて甲賀こうかに迷い込んだとき相対した、印地いんじによる礫ちを行っていた三郎坊さぶろうぼうという男。

 もしやと思い式神だけでなく、視野しやを広く、博士本人にも注視ちゅうしした。

 その時見えたのだ。今まで揺れることがなかったたもとが、わずかに動いた瞬間を。

「弾いたのは、指でか?」

 う形となる。一刀斎と博士の距離はおよそ五間ごけん。決して近いとは言えない距離きょりだ。

 そこから人の身をき、穿うがつ礫を打てるものなのか。印地ならまだしも、それらしきものを振った様子などない。

 果たして指で、可能なのか――。

「ええ、指ですよ?」

「っ」

 明かすべきでないだろうに事も無げに。あっけらかんと言いはなつ。

 思わずきょを突かれたが、即座に刀を返した。先と違ってカコンと低い音が鳴り、地面に落ちたのは丸く小さな石っころ。

「種を明かされたなら拘泥こうでいすることもないでしょう。陰陽術おんみょうじゅつとはすなわ鬼道きどう。目に見えぬ鬼を浮かび上がらせ使役するもの。そして鬼を形作るのは人の心――ええつまり、陰陽術とは人の心を操り、怪力乱神かいりょくらんしんを生み出す詭道きどうですから」

 堂々どうどうと、おのれが学んできたであろう道の秘術ひじゅつを語る博士。

 その素振りに、己がちちかった技に対して矜持きょうじはなく。

 積み重ねた年月に思う感慨かんがい欠片かけらもない。

 やはり異質いしつ。今まで相対してきた者達は、実力じつりょく程度ていどさえあれ、みな一様いちように己の技に誇っていた。

 過信かしんした者は切って捨てたが、そくした技倆ぎりょうを持つ者は、驚懼きょうく疑惑ぎわく死病しびょうを寄せない。

 だというのにあの博士と言う男は、たやすく明かす。

 手の内を明かすという程度ではない。もはや「手の内から捨てる」と言っても良い。

「不思議そうですね? ですがじゅつなど所詮手段、道具でしょう。使えるから使う。それだけのこと。道具を誇ってどうするのですか。修めるために年を重ねた? だからなんです。実を結べなければ意味が無い。竜をほふる技を編み出そうとも、今世こんせいにもはや竜はいない。……求めるべきはじつであり、それらに関わらぬものに執着しゅうちゃくすると、足元をすくわれる」

「とはいえ」と博士は言葉を続ける。

「――種を知られたからには、生かしておくわけにもいきませんがね!」

「っ!」

 博士の袖がわずかに揺れ、同時に放たれた五つの礫。

 屈んで避けつつ当たりそうな弾は剣ではじくが、礫の指弾は止まることなく浴びせられる。

 両の手の内に忍ばせておき、補充ほじゅうの間に片手ずつ撃てばすきはない。

 しかし一刀斎は一つ一つを切り落としながら、一歩一歩着実に迫る

 いずれたまも尽きるはず――!

「弾切れはありませんよ」

 同時に複数の弾を放って一刀斎の足を止めた瞬間、屈んで路傍の小石を拾い上げた。

 乾き固まった道、人の往来おうらいによって砕けたいしはそこらに転がる。

 ここでは不利――ならば。

「ちっ!」

 一刀斎は舌打ちを打って、竹林たけばやしの中へと駆け込んだ。

「なるほど、そうしますか!」

 竹林の地面は竹の葉が散らばる柔らかい大地。転がる石も大きく指で放つには大きい。

 そしてなにより、遮蔽物たけがあって狙いを定めるのが難しい。

「これは厄介やっかい」と言う博士は、しかしその表情を、崩さない。

 ゆるりと、一刀斎を追って竹林へと入り込む。

 不気味な面をかぶり、そですそも揺らさず悠々ゆうゆうと竹林へとおどる姿はまさしく、幽鬼ゆうき鬼神きしんそのものである。


「ぐ、うん……!」

 立て膝になって腿に食い込んだ礫をくり抜き、布でしばって止血しけつする。

 あの時ダメにした羽織を捨て置かず回収してよかった。裂けばこの通り、包帯代わりの手拭いにする事が出来る。

 懐から薬入れを取り出して、黒く角張った薬を噛み飲む。これをくれた月白つきしろ曰く、刀傷とうしょうくらしいが、他にも裂けたところがあるし構わないだろう。ついでに痛みが引けば良い。

 立ち上がって二度足踏みする。時折ときおり、脈打つように踵まで響く痛みがあるが、耐えられる程度だ。なまじ相手の腕がよかったのが幸いだった。下手にすじを分けずにすんなり入ったのだろう。

「さて――」

 ここはさえぎる竹が多い。先のような礫は撃てないだろうが――。

「いやはや、思ったよりも狭いですね? 確かにこれでは指弾は使えない」

 それでも博士には、特段とくだん悩む様子はない。

 一切の躊躇ちゅうちょなく、この暗い竹林に入り込んできた。

 ――まだなにか、隠している。一刀斎は予断よだん油断ゆだんを心からとし、博士の方へと向き直る。

 その距離三間さんけん。先と比べて近いが、その間にはまばらに生えた竹があり、かりくにも邪魔になる。

 しかし。

シッ!!」

 竹の合間を縫いながら身のたけ三倍さんばいの距離を一息に駆ける一刀斎。

 竹に阻まれながらもその速度は落ちることなく、蹴られた竹の葉は遅れて散り飛ぶほどの速度。

 その体躯たいくに見合わぬたいさばきと足運びに、博士は息を飲む。

 博士が気付いた瞬間には一間過ぎて五尺ごしゃく間合きょり

 甕割の刃圏はけんまで、残り数寸――!

「なるほどこれは恐ろしい!!」

「なっ……!」

 しかし刃を振るったその先に、博士はうにいない。一歩奥に、離れている。

 そして。

「足運びが自慢なのは、そちらだけではありませんよ?」

 ゆらゆらと竹を縫う博士の姿は幽鬼ゆうきのように、捉えどころ無く幻惑的ですらある。

 前後左右、そして斜め。自在に動く博士はしかし、足などないように気味が悪いぐらいになめらかに動く。そして、視界が開けた瞬間。

「くっ!」

 礫が飛んでくる。博士は右へ抜けたと思いきや左に戻っており、直進と思いきや左右どちらかにズレている。

 今まで、見たことがない運体うんたいである。一刀斎の脳漿のうしょうにため込み心髄しんずいに移してきた動き、どれとも符合ふごうしない。

 瞬く間に二間にけん離れた博士は、ケラケラと笑う。

「陰陽術には禹歩うほ返閇へんばいと言う運歩法うんぽほうがあります。……私はそれに少々しょうしょう手を加えておりまして、陰陽術本来のとは、大きく異なっていますが」

 博士が行ったそれは、不規則ふきそくではあるが不自然ふしぜんではない。確かな体系を元に構築されたものである。

 その根幹にあるのは、間違いなく戦いのためのもの。それも自分らの流儀りゅうぎから大きく外れたものだ。

 およそ戦いから遠く掛け離れているだろうはずの陰陽師そんざいが、それを駆使している。

「お前はいったい……なんだ?」

「なんだとわれても、それに対する答えを私は一つしか持ち得ませんねえ。私は」

 博士の姿が、再び揺れる。

 視野を広く取り、視界めのうちから逃がすものかと見えるもの全てを捉える一刀斎。いったい次はどう来るのかと、気を巡らせたその瞬間。

「ッ!!」

 心髄しんずいが叫びを上げ、無意識下むいしきかで力を破裂はれつさせる。一歩退しりぞき、甕割を袈裟に振り下ろした――が。

「――――陰陽師ですよ」

 完全に振り下ろしきる寸前に、一の腕の真っ芯を完全に抑え込まれる。ただ、てのひらを添えられただけで。

 一刀斎の目は、心髄の察知に遅れてその影を掴んだ。博士は既に、自分の懐へと潜り込んでいる。

 距離を取ろうとしたその刹那、博士は空いた手を、一刀斎の腹へと当てる。

ツッッッ!」

「ぐ、がはぁっ……!?」

 一刀斎の体が、まるで毬のように吹き飛ぶ。

 ただ、手を添えられただけで――――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る