第十三話 撒いた種が実る前に

 宿を出て街に出てみれば、人々は数人かにまとまって世間話をしている。昨日のように往来おうらいせましとっていたのが嘘のようだ。

 個々ここ散々ちりぢりになっているものの、彼らが話しているのはただ一人について。

 影縫かげぬい。ここ最近この街に現れるという盗人ぬすっとの話だ。

 だがしかし、右の町人に耳をかたむければ。

「やられたのは古谷こだに屋敷やしきらしいぞ」

「ああ、あの金細工かなざいく屋の……」

「せこい商売しょうばいしてたからねえ」

 左の商売しょうばい人に目をやれば。

「職人にも逃げられたところにこれじゃあ泣きっ面にはちだね」

「その職人にもろくな報酬ほうしゅうやってなかったらしいし、当然とうぜんだろうさ」

「自分らはしっかり真面目に商売するかね。そうすりゃ影縫も来ないだろうし」

 みな影縫の肩を持つか、敬遠けいえんしてえりただすか。

 盗みに入られたという商家しょうかに対する同情どうじょうは薄いようだった。

 そういえば──。

「おや、一刀斎いっとうさいじゃあねえか。朝早いねえ」

 頭の中をろうとしたら、目の前から見覚えのある女顔おんながお千治せんじだ。

 昨日とはまた違う、派手な羽織はおりを着流している。内に着ているのも、昨日と同じく使い込まれた小袖こそでだった。

 その顔で、思い出した。

「昨日おれがつかまったのは、古谷こだに屋という店ではなかったか?」

「なんだよ藪から棒に。……ああ、影縫の話か。どこもかしこもその話で持ちきりだねえ」

 肩をすくめた千治は呆れ顔で辺りを見回す。昨日までは千治の周りには人が寄ってきたが、その人々ひとびとは今影縫に夢中で千治のことはお構いなしである。

 しかし、妙である。

「昨日の様子を見るに、お前も影縫のことを認めていたと思ったが」

 なにしろ、あの贔屓ひいきにしているらしい村、その長の娘、穂波ほなみに力強く影縫について語っていた。

 それに、よく人とまじわる千治である。話のたねとしては、影縫の話はかせないと思うのだが。

「うん? 認めてる、ってのはちょっとちげえさ。俺の家も商家だからよ、しっかりと情報じょうほうを入れておきたいんだわ。それでちょっぴり詳しいってだけの話だよ」

 まあ、と千治は一度言葉を区切くぎりつつ。

悪徳あくとく商売人しょうばいにんが痛い目見るのは胸がすくぜ。悪いことすっからいけねえのさ。人間にんげん真面目まじめが一番だよ」

「お前が言うと説得力せっとくりょくがある」

「おやなんだ。あんたの口、そんなつまんなそうにしてんのに洒落しゃれも言たのかい。こりゃまいった。で、今日はどうするんだい?」

「剣を振りに街の外れに出る。昨日村へ向かう途中、良い竹林たけばやしがあったからな。お前はどうする」

「俺はこのあと町衆まちしゅうの集まりに呼ばれてよ。どうやら若い男共おとこどもは影縫相手に夜回りをさせられそうだぜ。親父にこんなもん持たされたよ」

 邪魔で仕方ないと言いながら、千治が羽織をわずかに開けば、袴の帯に一尺いっしゃくばかりの十手じってしてあった。

 はて、と目を細めながら。

「持っていたとしても、使えるのか?」

「さてねえ、村ではたけ仕事しごと手伝てつだってっから力はあるとは思うが、肝心かんじん腕前うでまえはからきしだろうね」

「それがわかっているだけ充分じゅうぶんだ」

 力がある。得物えものがある。だがそれはあるだけで、使えるというわけではない。そこでおもちがいをしている者も少なくない。

 使えるかどうかは、つね日頃ひごろ鍛練たんれんと心持ち次第しだいである。

「教えてやろうか」、とは言えない。十手じって心得こころえは元からないし、人に教えるのうもない。

「では、おれは行くかな」

「じゃあ、俺は適当てきとうに時間を──」

「おやこれは、草間くさまさんの千治殿じゃあないですか!」

 一刀斎の背中越しに、千治を呼び掛ける声がした。

 はてだれだと気になって振り向いてみれば、そこにいたのは、異様いような男。

 今のではどこでも見ない、時代じだい遅れな狩衣かりぎぬを着て、顔の上半分うえはんぶんめんでもって隠している。その手と足は、そですそで隠されている。

 歩行ほこうが読めない。まるで浮いているようにからだれることもなく、ころもがたなびくこともない。いったいどう足を運べばそうなるのかと瞠目どうもくする。

 それだけではない。──一切の気配が、読めなかった。

 ふうじているのか、それとも元より持たないのか。一刀斎の短いながら濃密のうみつな人生において、「読めない」ということは一度も無かった。

 とかく異質いしつ。ひたすらからはなれているのに、さも「自分はここにいて当然とうぜん」と言わんばかりに、堂々どうどう存在る。

 思わず、身構えかけた。だがしかし。

「なんだ、あんたかよ……」

 千治が、男に向けた気配。それは今まで彼がまとってきた、「楽」を求める遊び人のものとは掛け離れていた。

 退けるような「拒絶」の風、探りつつも踏み込ませんとする「警戒」の霧。

 そしてその気配の質は、やたらと純度じゅんどたかかった。

「おや、ご友人との会話を邪魔じゃましてしまいましたかな? それは失礼いたしました。私は──」

「聞くこたねえよ、ほら、行きな」

 狩衣の男の言葉をさえぎって、千治が一刀斎をうながした。

 千治の面立ちはなにやら不穏である。だがしかし男は、そんな千治の思いを知ってか知らずか、露にされた顔の下半分は、逆の弓月が張り付いていた。──顔の下まで、笑いを象った面でもつけているかのように。

「……ああ、ではな千治」

 なにやら因縁いんねんがあるらしいが、それに自分が割り入ることは望まれていないらしい。

 ならば千治の顔を立てるかと引くことにした。

 すれ違い様、狩衣の男の目がこちらを見たような気がしたが、一刀斎は反応こたえず、そのまま街の外を目指し歩いた。


「見たところ廻国かいこくの武芸者のようですねえ。旅の方とも親しくなるとは、さすが千治さんだ」

「この俺になんの用だよ」

「いえ? 用はありませんよ。ただお見かけしたので声を掛けた次第でして。迷惑めいわくでしたかな?」

「なんでおくれていたるんだよ、のろい頭で陰陽師おんみょうじなんかやってられんのか?」

 千治の悪態あくたいもなんのその、博士は一切いっさい気にしない。

 拒絶の風も受け流し、警戒の霧にもまどわない。

「ああ、そういえば昨夜ゆうべくだんの盗人が出たらしいですねえ。影縫、でしたかな?」

 またその話かと、うんざりした千治は答えもせずにきびすを返す。

 一刀斎の相手ならまだしも、この男と道端みちばたで話をするつもりはない。

「──お父様とうさまがたにとっても、喜ばしいことですなあ」

「なに?」

 お父様方。それは言葉通り、父親たち真面目まじめはたらく商家連中を指した言葉だろう。

 だがしかし、その言葉に付いた返しが脳みそに引っ掛かる。妙な頭痛ずつうさえ感じて、千治は片目かためゆがめて博士をにらんだ。

 しかし当の本人は、その視線を全く気にすることはなく。全く別の話さえ始める。

「そういえばさっきのあのご友人、お名前はなんというんでしょうかね?」

「は? 一刀斎のことか? ……っ」

 言った後で、しまったと奥歯おくばを噛む。ついうっかり、名を漏らしてしまった。

 一刀斎。その名を聞いた博士はめずらしく、何も言わない。だが、なにかが変わった様子もない。口もあの、不気味ぶきみにさえ見える笑みの形を崩さない。

 こうしてみると、もはや人丈ひとだけある人形にんぎょうにさえ見えた。

「──なるほど、一刀斎殿ですか。それは見事みごと武張ぶばったお名前。まさに武芸者、剣客けんかくと言わんばかりの名前ですなあ。さて、私もそろそろ行くといたしましょう。では、またいずれお会いいたしましょう千治さん。お父様にもよろしくお伝えください!」

 しかし人形に見えたのはわずかばかりで、普段ふだん通りのやけに大仰おおぎょうな態度に戻った。

 気づけば千治が去る前に、博士の方が立ち去っていた。

 その事実に気づいた千治は、思わずじりと地面を踏む足に力を込めた。

 自分がやけに、弱く思えた。まさにあの、響きの良くないあだ名のように。

「俺は所詮しょせん、ネズミかよ──」


 思ったよりも、早く追い付いた。

 自分がいた種のことごとくを刈り取って、産み出した式神こまを斬り捌いた鬱陶うっとうしい男の影に。

 あちらがこちらを知っている素振りはなかったが、しかし厄介であるのは間違いなかった。

「あれは、心が見えてるなあ……」

 まれにいるのだ、人の心が見える者や、気配を匂いとしてげる者、感覚かんかくとして触れられる者が。

 牛童子が負けるのもうなずけた。あれは強い。油断ならない男だ。だがしかし。

「……だからって、引くのもしゃくだなあ」

 少し、仕込みをしてみるか。種は既に芽吹き始めた。だがもう少し、手を加えてもよいだろう。ぜににはならない。だがしかし、実ったときの喜びは一入ひとしおだろう。

 仮面の奥のいびつな瞳が、めんの内であやしげな光を放つ──。

 

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