第十二話 昏い夜には

「はあ、なんだ、せんちゃんのお友だちだったの~」

「ああ」

 胸を撫で下ろす女を尻目に、窓の外をぼんやりと見る。日が落ち始めていたが、まだ街に活気はあふれていた。

 千治せんじ紹介しょうかいされた宿で休もうとしていた一刀斎いっとうさいだが、突然、知らぬ女が部屋に現れた。女もなかにいたのが見知らぬ大男とは思ってなかったらしく、面食らっていた。

「いっつも千ちゃんがいる部屋に明かりが付いてたから、てっきりいるのかと思ったわ」

「千治じゃなくてすまんな」

 どうやら、この部屋はきのための部屋だったらしい。

 部屋のいわれを知って、「なんてところを紹介した」と居心地いごこちが悪くなる。

 だがしかし、自分にとって初めて「女」を知った場所を思い出し、頭の前が痛んだ。他人ひと屋敷やしきでやった自分も自分だ。いや、部屋を借りているだけ千治の方がマシかもしれなかった。

「……千治とは、長いのか?」

「そうねえ、二月ふたつきぐらいかしらねえ。遊び人に見えて千ちゃん、女の子にはなかなか手を出さないのよ?」

「それは意外だな」

 女によく愛想あいそうよく振る舞ってるから、あちらも手練てだれだと思っていたのだが。このような逢い引き部屋まで用意しているのだし。

「千ちゃんの家ってこの街でも指折りの商家なのよ? だからお金目当ての子じゃないかとか、美人局つつもたせじゃないかとか、ちゃーんと相手を見極めてるのよ彼」

「まあ自分も最初はお金目当てだったけど」と自嘲じちょう混じりに、女は肩をすくめて見せる。続いて。

「千ちゃん、ネズミって呼ばれてるでしょう? それも、あながち間違いじゃないと思うのよねえ。ほら、ネズミって危なかったらすぐどっかに逃げるでしょう? 本当に危ない相手には絶対に絡んだりしないもの、千ちゃんは」

「ふむ……」

 お気楽そうに見えたが、どうやら悩みは多いらしい。

 いや、悩みがあるからこそ、ああやって遊び、不安を晴らしているのかも知れなかった。

 ふと穂波ほなみのことを思い出す。彼女は千治のことを遊び人だといううわさを信じてうとんでいたが、この真実を聞けば多少たしょうおもいを改めるかも知れない。

 とはいえ、複数人の女とじょうをかわしているのは間違いなさそうだが。

「そうだお侍様、千ちゃんの代わりに、今晩相手してくれないかしら?」

「すまんな、俺も……そういう気分ではないからな」

「あらそ」

 千治と同じであったばかりの女とは寝ない、と言いかけたが。思い返せば出会って二刻にこくもしない相手と寝たのであったと咄嗟とっさに言い訳を変えた。

 だがあえなくそでにされても、女は無理に迫ることはない。どうやら気質はこざっぱりしているようだ。なるほど千治も遊ぶはず。恐らく別れ話になっても、この女は泣いてすがったり気を沈ませたりすることはないだろう。

 恐らく千治も、金目当てというだけでなく、あとくされない相手を選んでいるのが見て取れた。

「それじゃあ私は帰るわ。楽しかったわよ、お侍様と話すのは新鮮で」

「おれも千治のことが知れてよかったよ。さらばだ」

 女はさっさと、部屋を出ていった。一刀斎はその背を見送ることなく、軒越しに夜空を見やる。もう晦日に近い月は、今にも消え入りそうな姿を羞じるように、月の薄衣で身を眩ませていた。

 どうやら今夜は、月明かりの少ない夜になりそうだ──。


「ただいまーっと。千治が帰ったぜ~」

「あらら、お帰りなさい千治さん。本当に早いですね」

「はは、槍でも降らなきゃいいんがねえ」

 最近入った丁稚でっちや長いこといる手代てだいに「これは珍事だ」と好奇の目を向けられる。

 問屋といや、倉貸しをいとなみ、街でも有数の商家、草間くさま。生家で実家に帰った千治。日が暮れきる前に敷居しきいまたいだのは、ずいぶん久々のことであった。

 普段なら少なくともあと一刻は遊ぶのだが、一刀斎という新しい刺激を満喫まんきつしたことで、それ以上はもういらないと早めの帰宅をしたのだ。

「……うん?」

 屋敷に上がろうとした時、見慣れない草鞋わらじがあるのに気づく。

 普段からよく歩くのだろう。だいぶ使い込まれている。だがしかし、かたが妙である。

 履き物を見れば相手が誰かは大体分かるというのは父の教えだ。漁師のものは塩がき、農家のものは泥がつく。歩く者なら緒がなおされているし、呼び込みや立ち商売なら靴の底だけがり減っている。

 だがこの草鞋は、どれでもない。しかし、見たことがないわけではなかった。

 千治はさっさと草履ぞうりを脱ぎ捨て、ドタドタと広縁ひろえんを踏み鳴らしながら客間きゃくまへと向かった。部屋には明かりと、人の気配、そして談笑する声が聞こえる。

 さっと障子しょうしを、開けてみれば。

「…………千治か。今日は早いな」

「おやおやこれは千治殿! 久しいですなあ! 一月ぶりですかな?」

 無表情でも頬に笑窪えくぼが染み付いた草間屋の主である父親の姿と、顔の上半分うえはんぶんを隠すように面をつけた、今時いまどき見ない狩衣かりぎぬ姿の男。「博士はくし」と名乗る、胡散うさん臭い自称じしょう陰陽師おんみょうじだ。

「あんた、なにしに来たんだ」

「千治」

 挨拶もなく不躾ぶしつけな千治の対応を、名を呼ぶだけで戒める父だが、博士はそれをさっと制止し。

「私も旅の身ですからねえ。各地の情報を縁ある旦那様にお伝えしていただけですよ。情報が大事なのはあきないも変わらないでしょう? 私はこの草間屋様がよりさかえることを願っているだけですとも!」

 この男は、独特どくとく抑揚よくようしゃべる。素直にとどこおりなく耳の穴を通るくせに、ジンと脳漿のうしょうまで染み込み、そして返しがついたように抜け落ちない。

「まあ、私もお伝えするつもりだったことははなし終え、お話などをしていただけなのですがね? いやはや、やはり旦那様は商いの達者でありますなあ。ついつい話し込んでしまいました」

「いや、博士もなかなかの聞き上手ですとも、一度話すとなにもかも喋ってしまいそうになる」

「ですがさすがの旦那様。大事なことは決して漏らさない! 商いをする相手であれば、旦那様はこの上ないお方でしょう」

 誉める、というよりもはやたたえるといっていいほど称賛しょうさんする博士だが、千治は一切、この男に気を許していない。

 脳ではない、心が言っているのだ。この男は信用できないと。

「しかし長く居すぎたのも事実です。私はそろそろお暇いたしましょう」

「おや、そうですか……では」

 千治の父に一礼すると、博士はすっと立ち上がる。妙に整った所作だ。広がったすそたもとが全く揺れず、不気味にすら見える。

 とっとと出ていけと言わんばかりに、あからさまに千治が動線どうせんを開け、あまつさえ顎で外すら示した。しかし博士は、一切気にする様子はなく。

今宵こよいは、夜影よかげに包まれるほど暗くなりそうですなあ」

 すれ違い様、千治だけに聞こえるような声で、呟いた。

「────」

「千治」

 博士が角を曲がり消えてなお、進んだ方をジッと睨み付ける千治だったが、父に名を呼ばれて気を取り戻す。

「親父、あれは信用ならねえ。次に来ても上げることはねえぞ」

「そういうな。俺も、信用しきってはいない。博士殿からはそういう「臭い」がする」

 その答えに、目を見開いて父親を見た。しかし驚くまでもないかと、さっと肩を竦めた。

 千治に「人の見方」を教えたのは何を隠そう父である。千治が感じている胡散臭さを、師である父が気づかぬはずがなかった。だからこそ、納得いかない。

「だったら。なんで近づけたんだよ」

「いいか千治。世の中は清濁せいだく合わせのむことも必要だ。俺たち商人は金を使う。金というものに善悪ぜんあくはないが、善行ぜんこうにも悪行あくぎょうにも使えるもの。悪意をもってもたらされたものだとしても使い手次第、良きようにも使える。大切なのは、行いを統べる「」だ。行いが清かろうが「意」が悪しければ悪果あっかに繋がる。行いが汚かろうが、「意」が正しければそれは善果ぜんがを生む。それを忘れるなよ」

 肩を叩き、自室へと戻っていく父を見送って。

 千治は空へと目を移す。とき薄暮はくぼ

 だというのに夕空ゆうぞらは、夜のように黒かった。

「汚い部分も大事、か……」

 千治もまた、自分の部屋へと戻っていく。

「わかってるよ、そんなことは──」

 しゃくではあるが、博士のいう通り今夜は影が街を支配しそうだ──。


「む……?」

 運ばれた食事─金は千治持ちらしい─を食い終え、この後のことを思案していた一刀斎は、外が騒がしいことに気づいた。

 はてなにかあったのかと思ったところに、ちょうどぜんを下げに小僧こぞうが来た。

「これは、なんの騒ぎだ?」

「ああ、これですか。出たのは久々でしたからねえ。天誅てんちゅうですよ、天誅」

「出た?」

 いったい何が、と聞く前に。子どもらしい満面まんめんの笑みで小僧は答えた。

影縫かげぬいですよ、知りませんかね、この街にでる、義の人ですよ!」

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