第十四話 閉ざされた鍵。開かれた門

 竹林たけばやしから、空を見上げた。

 ここらは雨に恵まれたのか。太い竹は青々あおあおとして、空に迫る高さを誇り、日をさえぎって影を落としている。

 竹の葉の散った地面は踏んで心地いい。はだざむいものの悪い場所ではない。

 ……ただ、少々しょうしょうせまかった。

「む……」

 バサリと、竹が倒れ込んだ。うっかり斬り倒してしまったらしい。これで四本目である。

 竹の断面だんめんを見れば刃筋は問題なく立っている証左しょうさにもなるもの、据物切すえものぎりをするつもりはない。

 いっそのことすべて斬り倒すかと思ったとき、ふとつい先日に、牛童子ぎゅうどうじ壁際かべぎわまで押し込まれた時のことを思い出した。

 あの時は問題なく対処できたが……。

「ふむ……」

 柄を握る手をつばに詰める。せっかくだ。閉塞へいそくした空間で剣を振るう鍛錬でもしてみようと思い至った。

 一刀斎は優れた体躯たいくを持つが、その為迫られるのは苦手である。

 頭に浮かべるのは新当流の達者であるあの男。あの三尺さんしゃくの間合いで悠々ゆうゆうと剣を振るっていた松軒の剣技。

 自分が教わった剣技とは術理じゅつり理合りあいこそ異なるものの、その冴え渡る剣には学ぶところがあった。

「フッッ!」

 剣にではなく、己の体に意識いしきを据えて。

 自身の周囲三尺さんしゃくなかばだけに意をめぐらせ、甕割かめわりを振るう。背中は丸めず、芯を真っ直ぐに。短く、速く、力強くを心がけて。

 しょうじる力がうつろう流れを、しかと見ながら。昨日よりたしかに、強くなるため。


「よお、古谷こだに屋の旦那だんな、代わりないかい?」

「おおう……?」

 一方千治せんじは、いつも通り街をぶらぶらうろついていた。この街であるなら細路地ほそろじの一本、ネコの通り道すら把握している千治である。まさに神出鬼没しんしゅつきぼつと言っていい。

 いきなり路地の影からぬるりと姿を表した千治に、古谷屋は目を見開いた。

 変わり無いか。それはもちろん皮肉である。影縫かげぬいに盗みに入られてさぞ悔しい顔をしているだろうと思ってのことである。

 だが──。

「ああ、千治じゃあないか! なんだ、昨日きのう客をとったびでもしにきたか? だったらあの侍の代わりになんか買っていきな」

「……うん?」

 盗みに入られたというのに、当の本人は昨日となんら変わった様子はなく。というよりむしろ、機嫌きげんが良さそうにさえ見えた。

 それになんと言えばよいのだろうか。千治を見る目には、やたらと好感こうかんが宿っている。昨日まであれほどまでにうとんでいる様子だったというのに。

「ああ……なんてこった、旦那、あんたとうとう気が触れちまったのか……。職人に逃げられてまでせびって貯めた銭を盗まれて……まあ自業自得だけどよ」

「はっはっは、構いやしないよあんな金は。影縫といったか? あんなコソ泥にしてやられてたまるかってんだよ! いやあ、草間くさま屋さんには感謝だよ」

「はあ?」

 わざわざ貯めていた金を盗まれて、構わないとのたまうとは。本当に気でも触れたのだろうか? それに、なぜ家の名前が出てくるんだと、千治はよりいぶかしんだ。

 その様子に、今度は古谷屋が首をかしげた。だがすぐに、見当がついたかのように「ああ」とうなずいて。

 いやらしい目で、千治を見つめてきた。

「……おう、なにか言いたいんなら言えよ?」

「いやいや、草間屋の旦那様も気苦労きぐるいが多いだろうと思ってな。信頼されていないのも仕方ない。なにしろお前のような放蕩ほうとう息子だ」

「俺が道楽者どうらくものだってのは、否定しねえな」

 しかし、面と向かって言われるのは腹が立つ。

 しかもその面が、腹立たしいほどに厭らしい顔つきならなおのこと。

「まあ、いずれお前にも言われるだろう。そうだ、十手じってを配られたんだろう。つばでもやろうか? なあに、草間屋への礼だ。金はとらんよ」

「俺と草間屋を同じに見るんじゃねえぞ。そもそも感謝かんしゃだのれいだの、なんの話だってんだ」

「なんだ、本当に知らないのか?」

 もしかしたら千治に継がせないつもりじゃなかろうか、いやそれもありえるな。そんなことをぶつくさと呟く古谷屋。思わず十手を使いたくなったが──。

「なら、教えてやろう。千治、お前の親父さんは────」

 古谷屋がつぶやいた一言は、秋霖しゅうりんごと喧騒けんそうには届かない。

 ただ千治の耳を通して、心の臓を、叩きつけた。


「ぬ」

 刃の先が、また竹に触れた。ふしに当たってもとどこおることなく、断ち割られた竹は断面だんめんすべり、先の重さに負けてそのまま倒れる。

 相変わらず、やたらと切れ味のいい刀である。師である自斎が、「これではざんを覚えられない」と封印ふういんした理由がよく分かる。斬り方、心法しんぽうおさめていなければ、剣士ではなく剣に使われるなにかになっていただろう。

 ふと、一刀斎は斬り倒した竹を拾った。

 おもい。だが─少なくとも一刀斎にとっては─持てないほどではない。

 節が二十はつらなった竹は、その先に行くにつれて項垂うなだれて、地面に枝葉えだはを着けていた。

 ためしに、ひょいと振り上げる。すると太く固いはずの竹は柔らかにしなり、先を揺らした。

「……ふむ」

 何を思ったのか。一刀斎は甕割でもって手に持った竹を切り分けた。

 およそ六尺ろくしゃく。身の丈に迫るその竹を、一刀斎は思いきり振る。

 当然とうぜん竹はその身を大きくたゆませる。帰ってくる力は先が上下じょうげするたびよわまっていき、最後にはピンと直線を描いた。

 そういえば、柳生やぎゅうさとで竹で出来た木刀を振った覚えがあった。あの時はたわむ刀身に、違和感があったが……。

「フッ!」

 今一度、竹を振る。節目ふしめさかいに、竹はその身を揺らした。

 節目が、力をこばむ壁になっていない。むしろ力を通す門となって、逃げ道になっていた。

「これは……」

 先ほどまで、自分の内に生じる力の流れを意識していたからだろうか。一刀斎の目には、力の流れが見えていた。

 力が、きている。竹は、節で力を生かしている。力を受け止めず、流している。己に生じた力を全て、飛ばしている。

 竹を置き、今一度いまいちど甕割を握る。

 体の中の節目を意識し、振り下ろす。

 しなる姿を思い起こして、体の中に節を作る。節ごとに力が生じるのを想像してもう一度剣を振り下ろした。

 体の中の節を増やす。肉体からだを、より細かく分ける。力が増していくのを思い描き、三度みたび剣を振り下ろす。

 うなった太刀風たちかぜは、鋭さを増す。

「なるほど……」

 体を「使う」とは、こういうことか。

 足腰あしこしを使うのとはまた違う感覚だ。肉は力の根底こんていだ。ならば、使う肉を増やすほど、当然力は増していく。

 ただ流すでなく、

 ならば。

 一刀斎は先ほどと同じように。細かく、最小の動きで剣を振るう。体内に力の経路けいろを作り出し、肉という肉から経路に力を流す。

 振るわれた甕割は、先程さきほどよりも勇ましい声を上げた。

 力の流れをより速く。流れる力をより強く。

 心の速度に、剣体けんたいを合わせる。そうして生まれるのが、意と一致いっちする剣技なのだ。

 松軒の見せた、攻め気を感じた瞬間に放たれる剣の正体がこれかは分からぬが、もし異なっていても問題はない。己で探し当てた、理合りあいなのだから。

 とは言え、理合だけを知れても意味がない。それを心髄しんずいに染み込ませ、ほうとしてととのえてこそ初めて扱える術理じゅつりと言える。

 そして、染み込ませる手段と言えば。

フン!」

 ──ひたすら、実践じっせんあるのみである。


親父おやじ!!」

 昼間ぴるまだというのに、実家じっかである草間屋へと駆け戻った千治は、草履ぞうりを脱ぎ散らかしながらドタドタと縁側えんがわを踏みならす。

 そして父が詰める部屋にいけば、父はちょうど仕事をしていた。仕入れる品と売る店をそれぞれ書いた帳簿ちょうぼ書き。

 何をいくら仕入れるか、どれにどれだけ注ぎ込むか。問屋といやとしての根幹こんかんであり、長くいる番頭ばんとうに任せきることもない。だが。

「なんだ。千治」

「もうひとつの仕事って、なんなんだよ!」

 ピタリと、筆を持つ手が止まった。

 どこで知ったとかたる目でこちらを見上げて来る様子を見れば、「あの話」が本当だと言うことに察しはついた。

「…………知ったなら、隠しておく必要もないな。ついてこい、千治」

 立ち上がった父は、千治を連れだって屋敷の側にあるくらへ向かう。

 仕入しいれた品をたくわえたり、くらがない店のために貸したりするためのものである。

 父が案内したのは、一番奥の倉。奥にあるというだけで、他の倉となんの変わりもない。してある錠前じょうまえだって、他の戸のものとなんら変わらなかった。

 しかし、中に入ってみれば。

 そこにはぬのもなく、作物さくもつもなく。ただ、丈夫じょうぶそうな箱が並んでいるだけだった。

「ついさっき、古谷屋に「返した」からひとつ減っている」

 返した。その一言で思わず千治は己の父に掴み掛かった。だが父は決して抵抗ていこうしない。

 それが当然と言わんばかりに受けきった。

「これ、全部そうか……」

 心の奥底で、ひそかにうやまっていた父を睨み付けながら。

 心の奥底から、絞り出した声で。

「これ全部、隠し金か! 悪徳商売人共が巻き上げた、汚い金か!」

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