第十一話 あちらとこちらの境界線

「へえ、お兄さん武芸者様なんだ。尾張おわりには仕官しかんしに?」

「東に向かう旅の途中だ」

「ぐぬぬ……」

 尾張の商都しょうとに辿り着いた一刀斎は、そこで出会った千治に連れられ、ある農村のうそんに来ていた。

 種の蒔かれた麦畑むぎばたけ視界しかいいっぱいに広がっていて、この村が十分じゅうぶんに豊かであることは容易よういに見てとれた。

 この通り、旅の者に昼飯ひるめしかゆをもてなせるほどだ。

「ただ、織田おだ尾張守おわりのかみとはえんもあるし、行くつもりは、あるが……」

「へえ、そいつあすごいな。知り合──」

「織田様と知り合いなの!?」

 千治の相槌あいづちを割り越えてきたのは、この村の庄屋しょうやの娘らしい。

 名は穂波と言うそうで、丸顔まるがおとゴマを散らしたようなそばかすが、おさなげな印象を与えてくる。

「知り合い……まあ、そんなところだ。京から出る時にさそわわれてな……」

「直接誘われるって、そりゃあ兄さんだいぶ……」

「すごく強いのね、まだ若いのにすごい!」

「ぐぬぬぬぬ……」

 気のせい……ではないだろう。一刀斎が穂波にほめられるたび、千治がくやしそうにみしている。

 はてさてこれは、とさっき女房にょうぼうが言っていたことを思い出しつつ、粥を口に運んだ瞬間、穂波が「そうだ!」と手を叩いた。

「お父さん、この人に用心棒を頼んだらどうかな。この村にも「影縫かげぬい」が来るかもしれないし」

「かげぬい?」

 聞き慣れぬ言葉に聞き返したが、いきなり名を呼ばれた高蔵こうぞうは粥でむせ、千治が目を見開いて、前のめりになりながら。

「この村に影縫!? ないない、それは絶対にないって穂波ちゃん!!」

「なんで千治さんが断言だんげんするのよ」

「あーえっとそれは……。とりあえず、こいつは俺のところで用心棒になってもらおうと……」

「もう草間屋さんにはいるんでしょう? それともなに、この村はどうでも良いってわけ?」

「そ、そういうわけじゃなくて……、あ、そうだ。親父おやじに相談して何人かこっちに回してもらおう!」

「私はこの人がいいんだけど」

「ぐぬぬぬぬぬぬ……!」

 しどろもどろになる千治を言い負かす穂波。しかし、意外であった。

 街ではあれほど人馴ひとなれして弁舌べんぜつも立ち、ネズミと称されるほど人に溶け込む千治が、ことのほか得意とくいだろうむすめ相手にこう後手ごてに回るのは。

 それはとかく。

「その、「影縫」というのは?」

「近頃街の方に出るという、盗人ぬすっとです」

 一刀斎のいに答えたのは、高蔵だった。

「影縫とは通り名でしてね、月明かりのない夜、夜影よかげに隠された屋敷やしきい歩きながら、中の金を盗み去っていくのです。現れたのはこの一月の間ですが、もう四軒よんけん商家しょうかが入られたとか……」

 目を泳がせながら、不安ふあんげに語る高蔵であったが、千治は面白くならそうに鼻を鳴らす。

「なに、盗みに入られたのは街でもあくどい商売しょうばいしてる連中ばっかだぜ、旦那。しかも盗まれた金ってのは、御上おかみおさめる分を誤魔化ごまかして、下人げにん職人しょくにんはらう金もせびって無理むりくり余らせた金だ。元々日陰ひかげにあっちゃいけねえ金を日向ひなたに出してるだけさ。俺からしたらザマア見ろって言いたいね!」

 千治は商人、それも街でも名の有る問屋といやらしいが、商売人の肩を持とうとはしない。いや、きたなぜに勘定かんじょううとむのは、商家の生まれゆえだろうか。

「街をきずいた織田おだ弾正忠だんじょう様がお亡くなりになってもう十年じゅうねんなかば、しかもここらをおさめていた尾張守が京に上ってから御上がゴタゴタしだしてさ。そのすきを着いて金を誤魔化してる汚え商売人が増えたんだよ。いや、ボロを出したって言った方がいいのかね。どいつもこいつも金に目がくらんでむやみやたらとたくわえようとしてやがる。金なんて、使わなきゃただの塊なのにさ」

「千治……」

 どうやらただの遊び人のように見えて、その内には堅固けんごな意志が秘められているらしい。

 彼が街の人々に好かれるのは、単に話が上手く人好みする性格からくるものだけではないようだ。思えば他人の顔を覚え、他人に合わせて話を変えることができる者の根が真面目でないわけがなかったか。だがしかし、そんな熱意ねついを見せたとしても。

「だから、影縫がこの村に来ることは絶対にないから、安心しなって穂波ちゃん! 心配だってなら、今日は俺が泊まって──」

「え、やだ……」

 あえなく、バッサリ切り捨てられた。


「本当に、街の方に行くの? この村なら宿代やどだいは取らないよ?」

「む、そうか?」

「大丈夫だよ兄さん、宿は俺が紹介してやる。そこなら俺のツケがくからよ」

「そうか……なら頼もうか」

 千治とこの村。居心地が良いのはこの村だが、ここは千治の言葉に甘えることにする。

 穂波がじとりとした目で千治をめつけていたが、そこはあえて無視しして。一刀斎と千治は肩を並べ、日がかたむき始めた道を行く。

「はあ、なかなか上手くいかねえなあ……」

「穂波殿のことか?」

 浮かない顔で溜め息を吐いた千治の方をあえて見ず、前を真っ直ぐ見遣りながら訊いた。

 すると千治は「やっぱ気付いたか?」と苦笑する。

「穂波ちゃんとは子どもの頃から知り合いでさあ。気が強いところがあるけどそこが良いんだよなあ」

 微笑ほほえむ千治の足取りは、どこか重い。後ろ足が前に出るのが、行く道よりも幾分いくぶんか遅れている。

「穂波殿だけじゃないな……お前、街よりもあの村の方が好きだろう」

「わお、なんでもお見通しかい? やっぱり武芸者ってのはかんが良いんだなあ」

「気配を読むのは、昔からの得手えてでな」

 今朝けさ、街にいた時の千治も終始しゅうしにこやかとし、話しかけてくる街の人々とたのしげに会話を交わしていたし、自分からも声をかけていた。

 だがそれ以上に、村で種を蒔き、共に粟粥を食らいながら話をしていた時の方が気がやわらいでいた。

 街にいた時に生じていた感情が「享楽きょうらく」なら、村にいた時に発していたのは「安楽あんらく」だ。

 享楽は身を燃やすあつさがあるが、その分疲れがある。しかし安楽はそのぎゃくで、心地よい温かさに満たされ、疲れがえる。

 根が明るい奴は前者を選ぶのだが、どうやら、千治には気苦労きぐろうがあるらしい。

「……村には、打算ださんがないからよ。そのクセ無関心むかんしんでいてくれなくて、やたらと構ってくる。ちょっと行き過ぎるところもあっけどよ、俺を、しっかり見てくれるんだ」

 だけど、と千治は言葉を続ける。

「街は、確かに良いとこだ。仲間も良い奴も多い。だけどさ、打算ださんがある。仲良くしといた方がいいとか、心のどっかに土足どそくであがられんのを嫌ってるところがあんだよ。腹を割って話せねえ。まあ、商売人が多いから腹に一物いちもつ二物にもつかかえたって悪いとは言えねえけどさ、それがどっか、寂しいんだよなあ……」

 あちらこちら境界線きょうかいせん。そのどちら側も、千治は知っている。

 良点りょうてん悪点あってん。二つが持つそれぞれを見計みはかって、その間で揺れているのだ。今は、そのはかりいささか村に向いているようだが。その第一の理由は恐らく。

「村が良いのは、結局は穂波殿がいるからじゃあないか? 惚れているだろう」

「ああ」

 一刀斎の訊いに間も置かず、ハッキリと答えて見せた千治。街で見た、女相手にささやく姿はどこへやら。その瞳は道を見ているが、その中にはしっかり、あの無愛想ぶあいそう地味じみながら、どこか愛らしさを感じる娘の姿があった。

「……昔は仲がよかったんだけどなあ。街で女の子達と遊んでるのがバレててさ……穂波ちゃん、真面目まじめだから」

自業自得じごうじとくだと思うぞ。思い人がいるなら遊ばなければよいものを……」

「バレて避けられるようになってからなんだよー! 穂波ちゃんのこと気になり始めたのは!」

「失ってから気付くこともあるものだぞ」

 ふと思い出したのは、京の外れで出逢であった童女どうじょだ。目が見えず、しかし懸命けんめいに生きていた少女。泥中でいちゅうに咲く赤いはすのように、かがやかしい命を持っていた少女。

 再会さいかいは叶わなかったが、彼女の存在は、強く一刀斎に刻み付けられている。

「……兄さん、もしかして意外とり手なのか?」

「女を知らぬ訳ではない」

 三度となく女と情を交わしたこともある。全て同じ相手ではあるが。

 そういえば彼女とわかれてもう一月近く経つが、不思議と恋しいと思った夜はない。思い出せば、胸に風呂にもぬく熱気ねっきが満ちる。

「まあ、兄さんも言葉ことばすくななとこはあっけど、見てくれは良い男だしな。話してて分かるが中身なかみも悪かねえ。旅なんかしねえでひとつの場所に止まったら、やたらモテたんじゃあねえか?」

「どうかな……女が寄り付いた覚えはないが」

 伊東いとうに一年、堅田かたたに半年、そしてきょうに二年近くいたが、鍛錬たんれん仕合しあいの毎日であり女が寄ってきた覚えはそんなにない。

 その目が武術ばかりの方を向いて、近づいた女に目もくれていなかったところもあるのだが。

「──恋は、いいぜ」

 ふと、千治が口を開く。

「女遊びとは、違うんだよ。一人思う女がいるってのは。あっちが俺を見てなくてもさ、俺だけのものでもいい。恋してるだけで、十分心地良い。……いや、本当は見てほしいんだけどよお」

 女にも見えるやわらかい顔に、言い様のない力強さが宿っていた。その言葉にのせられていたのは、間違いなく、千治の誠心であった。

 日は徐々に、赤みを帯びる。しかし空は、まだ青い。


「この宿でいいか? 俺がいっつも使ってるとこだ」

 なんでこの街に住んでいるのに宿なんか使っているのか。と気になったがあえて聞かず。

 寝られればどこでも良かったし千治のツケとのことなので二つ返事で承諾しょうだくした。

 千治が一言ひとこと二言ふたこと言うだけで、番頭ばんとうは頷いてまだ十前後だろう出仕しゅっしに一刀斎を案内させた。

 連れられた部屋は八畳はちじょうもある一人部屋。一刀斎にとっては贅沢ぜいたくも贅沢であり、慮外りょがいの幸運に思わず、心の中で千治に手を合わせた。

「ふう……」

 畳にゴロリと寝転べば、眠気ねむけが一刀斎と床とを縫い付けた。それも当然とうぜん一仕合ひとしあいしてふねわたり、その後はずっと歩き通しだった。

 外を見ればまだ日は残っているが、もう空は茜色である。

 寝てしまおうか──。

 そう思ったなら最後、一刀斎の頭と体は全力で眠りに行く。一度決めればそのまま進む素直さは、一刀斎の内側にすら向けられている。

 ……のだが。

「……む……」

 部屋の外に、人の気配を感じとる。

 さすがの一刀斎。いくら眠りについたとしても自身に近づく気配にはさとい。

 腰から抜いた甕割かめわりを取り、じっとその戸を見つめる。

 すると、戸がするりと開き──

「……あなた、誰?」

「……それは、こちらの言葉だが?」

 見知らぬ女が、入ってきた。

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