第十話 裏側

「はあ、はあ……!」

 からがら、村から逃げ去った牛童子ぎゅうどうじは、根城ねじろにしていたふるどうに入る。

 昨夜ゆうべに潰してそのままにしていた男達は、そのままぐったりと倒れている。季節はもう冬、たかる虫はいなかった。

 人の気配はなかった。だが、しかし――――。

「おやあ?」

「え、は……」

 堂の真ん中には、ポツンと一人の陰があった。

 薄汚い、埃と染みだらけの堂内で、その男には一切のけがれがない。手先足先てさきあしさきさえ隠す狩衣かりぎぬは、不自然なまでに汚れがなかった。

 その男を、牛童子は知っている。先程さきほどまで焦燥しょうそうに揺れていた目は定まって、まるで月天げってんおがむかのように這い寄った。

博士はかせ!!」

 博士――旅の陰陽師おんみょうじを名乗る、顔の上半分を仮面で隠した男。そして牛童子やこの場に倒れる男達に、を与えた存在だ。

「おやこれは牛童子……どうしたんですか、この惨状さんじょうは? あなたに与えた無頼ぶらい……いえ、武芸者だったと思うのですが」

「そ、それは……そいつらみんな、敵から逃げて……」

「あなたのように?」

 ビュン、と、堂内に風が吹いた。隙間風すきまかぜにしては、強い。そして確かな指向性をもったそれは、牛童子の傷ついた腕をしてきた。

「誰に、やられたのです?」

「ぐ、うう……外他とだ一刀斎いっとうさいとかいう、剣客けんかくに…………!」

 顔をしかめた牛童子は、握り拳で床を打つ。堂全体が揺れて、はりから埃やネズミの死骸しがいが牛童子に落ちてくる。

「博士! ぼくはアイツが許せない! だから、だからもっとぼくに力を!」

「…………ええ、ええ、少し手を加えましょうか」

 その博士の頬笑みに、牛童子は涙を流して礼を言う。――その頬笑みが、やたらゆがんでいたことに、一切気付かずに。

「さあ、牛童子、わたくしを見なさい……そう、じっと見て……意識は暗く、暗く、私だけを見て」

「博、士……?」

 博士の言葉は、止まることなく耳孔じこうに流れ、頭の深くに突き刺さる。

 そうだ、こうして己は強くしてもらった。今ここでより力を貰い、あの剣客に一泡ひとあわ――――

「呼吸は浅く、浅く、浅く」

「浅、く……?」

「浅く、浅く、浅く……あなたは、私しか、見えない――――」

 眼前に、博士の袖が伸びてくる。牛童子の呼気は激しいが、吸気が一切追い付いていない。苦しい。息が出来ない。全身の水が汗になって体から出ていく。

 目の前が――くら

 パァアアアン!

 牛童子の巨体が、崩れ落ちた。ただ博士が柏手かしわでを打っただけで白目を剥き、泡を吹いて倒れてしまった。まるで、人技じんぎを越えた魔術まじゅつである。

「はあ……力は強くて脳天気だったから、扱いやすかったんだけどなあ……また、か」

 その名は覚えている。自分のもうけを横からさらっていった男の名前だ。

 その男に嫌がらせをするつもりで、武芸者崩れを集めたこの堂に来たのだが、どうやらまたもや邪魔された。

「…………これはどうやら、私も本腰を入れて追うべきですねえ」

 牛童子を倒すほどの相手だ。この武芸者達も使えなかっただろう。

 ならば直接、まみえるしかない――。

 


「街から離れたら、ずいぶんのどかなのだな」

 千治せんじに連れられまちを出てみれば、そこはいまだ、竹林ちくりんやだだっ広いぱらが広がっている。

 ただ、道はしっかりと整えられており歩みは苦にならない。これも街と街を繋ぐための交易こうえきなのだろう。

 かたわらを見てみればまばらに田畑たはたがあり、進むにつれその数は増えていく。

尾張おわりあきないの国とはいえ、年貢米ねんぐまいるからよ。それに、はたけ仕事しごと大事だいじだ。なにせ、農民のうみんがいなきゃめしにも困るからよ」

 そういう千治は、あの派手な羽織はおりを脱いでいた。街を出る前に千治を遠目とおめに見てこそこそ話していた娘たちに、キザったらしく脱いで投げ付けた。

 他の娘たちもむらがって、あれではもう着れないくらい破けただろうなと想像がつく。上等じょうとうだったのに勿体もったいない。

 内に着てていたのは、意外にも粗末なあさ小袖こそで。しかし、やたらとさまになっている。どうやら顔がよければ、何を着ていても似合うらしい。

「お、見えてきたな。あそこだよ。あの村」

「む?」

 千治があごで指したのは、一際ひときわ大きな村であった。よほどの庄屋しょうやおさめているのだろう。村の入り口にはしっかりとした門構えがあり、ほりまでられていた。やや古びた門の下には暇そうにしている男がいたが、千治が「おーい」と緩く手を振るとこちらに気付き、ニッカリ笑って手を振り返す。

「おやおや、草間くさま道楽どうらく息子むすこがまーた遊びに来やがったか?」

「大事な商売相手の様子を見に来ただけだって。ついでに、麦の種まきの手伝いによ」

「そいつぁありがたいこって。で、そっちのは新しい友達かい? 武芸者らしいが」

「ああ、タチの悪い金細工かなざいくや屋に捕まってたのをちょっとな。名前は……あれ、俺兄さんの名前聞いたっけか?」

「……外他とだ一刀斎いっとうさいという」

「はあ、一刀斎。なんとも洒落しゃれた名前じゃあねえか!」

 そういえば、まだ名乗っていなかった。というか、当の千治も他人が呼んでいて名が分かったようなものなので、お互い自己紹介じこしょうかいなどしていない。

 二人して今さらそれに気付き、一刀斎はわずかに口のを上げて名乗り、千治は高笑いをあげる。

 そんな二人の様子を見て。

「はあ、千治は相変わらずネズミだねえ。気付かぬ間に入り込んで」

「ここまでその渾名あだなが広まっているのか」

「まあ、この村にゃガキの頃からしょっちゅう来てるからよ。さて、じゃあ入れてもらうぜ旦那」

 堂々と門をくぐる千治を、見張りの男は止める事もしない。「あいよー」と一刀斎ともどもこころよく受け入れる。

 どうやらよほど馴染みがあるらしい。

「あ、千治兄ちゃん!」

「あらまあ、千ちゃんじゃあないの。来てくれたんだねえ」

 村に入っても、千治の人気はかなりのものだった。子どもたちは千治を見つけると手を振って、赤子を背負しょってあやす女房にょうぼうも、穏やかな笑顔で会釈えしゃくしてくる。

「どうも奥さん。稲毛いなげ旦那だんな男衆おとこしゅうは……奥の大畑おおはたかい?」

「ええ、麦の種まきにね。私は子守りでのこりだけどさ。……穂波ほなみちゃんも、そっちよ?」

「そいつぁいいことを聞いた!」

 女房にささやかれた千治は満面の笑みになって、一刀斎を置いていかねないほどのすばしっこさで村の奥へと言ってしまう。ポカン、と見送る一刀斎だったが、同じくその背を見つめた女房が、苦笑交じりにつぶやいた。

「はあ、千ちゃんたら、本当に穂波ちゃんのこと好きなのねえ」

「好き……? だが千治の奴は、街の娘たちとも親しいようだったぞ」

 それを聞いた女房は、一刀斎を見て「まだまだ若いわねえ」と肩をすくめ、大袈裟おおげさに首まで振った。背負われた赤ん坊でさえ、ポカンと一刀斎を見ていた。

「ま、千ちゃんが遊び人でいろんな女の子と仲が良いのは知ってるけどさ、それでも特別な相手ってのはいるもんなのさ。行って、見てみれば分かるよ」

 行ってみればわかる。ならばとさっさと千治のあとを追おうとしたが……。

「うわあ、にっちゃんでっけえ……」

「にいちゃん、天狗てんぐなの!?」

 村の子供たちが、好奇こうきで目を輝かせながら寄ってきた。なんとも懐かしい流れである。伊豆いず伊東いとうにいたときもこうやって村の子どもたちにかこまれた。

 しかも天狗とまで言われ、なんとも言いがたい郷愁きょうしゅうが心を過ぎった……のだが。

「おお、すげえ、全然びくともしねえ!」

「うぬうう、ぐぬぬぬぬぬ……!」

 右足に張り手をかまされ、左足をぐいと押される。巨木きょぼくわりに相撲すもうの相手をされるのもなつかしい。なにもかも同じでわびしい気持ちはどこへやら。あの頃の常日つねびとなんらかわらぬ状況に、そのままうれいは過ぎ去ってあきれすら顔を出してきた。

「おれは千治を追うから、また後でな小僧こぞうども」

「逃がさないぞー! 捕まえろー!」

「おー!」

 足に組み着かれ、腕に絡まれ、背中に乗られ。それでも構わず歩調ほちょうが緩むこともなく、子ども達ごとずいずい進んでいく一刀斎。

 子ども達は止めるどころか、その力強さにワイワイキャッキャッと楽しみ始める始末であった。

 そんな後ろ姿を見ながら、女房は、「はあ、見掛けによらず子どもをあやすのが上手だねえ」と感心してしまうがハッとして。

「こらこらこらアンタ達! 人様に迷惑掛けるんじゃあないの! 畑に行くなら大人達の邪魔はしちゃダメだからねー!?」


「旦那、穂波ちゃん、こんちは!」

「おや、草間のっちゃん」

「千治さん……また来たの?」

 一方その頃、一刀斎を差し置いて千治は、村の奥の畑まで来ていた。

 一面広がる畑には、男女が手分けして、麦の種をいている。それを見守っているのは、穏やかそうな顔をしたこの村の庄屋しょうや稲毛いなげ高蔵こうぞうとその娘、穂波である。高蔵と千治の父は商売相手として長く付き合う仲であり、千治とはお互いよく見知った間柄あいだがらだ。

 穂波はふっくらとした丸顔まるがおで、鼻の頭には胡麻ごまをまぶしたようなそばかすが散っている。とても垢抜けているとは言えず、街の娘達と比べれば野暮やぼったさはあるものの、愛らしさがある。

 だがその愛らしさも、ねたような表情かおで台無しであり、いい年なのだが嫁の貰い手もいない。しかし。

「うん、穂波ちゃんに会いにね」

 そんな穂波に、千治はやたらと構うのである。街有数の問屋といやの息子で、女遊びの噂もここまでひびく千治である。当然、あまり良い印象はないのだが……。

「で、今日はこの畑にやんのかい?」

 千治は答えを聞く前に、小袖こそでたもとめくり、すそをあげる千治。だがそんな千治を見た高蔵はびっくり慌てて。

「ぼ、坊っちゃん! 畑仕事をしようだなんてそんな……もし怪我でもしたら草間の旦那になんと言ったら」

「はあ、稲毛の旦那。俺ぁガキの時分じぶんからこうやって手伝ってるだろう? 慣れたもんだよ」

 千治は畑に入ると種を蒔く老人ろうじんたちの元に行き、二、三話し込んですぐ、種を分けてもらっていた。

 相変わらず人のふところに入るのが上手いなと、高蔵は唸る。オマケに、十年手伝ってきた種蒔きもかなり上手い。正直商人しょうにんの跡継ぎにするのは大変惜しい男だった。

 千治が子どもの頃から見てきた高蔵は、彼がただの軽い男ではないというのは知っている。道楽息子と言われているが、人には誠実せいじつに付き合っていた。

「はあ……坊っちゃんがウチの息子であれば……」

「何をバカなこといってるの父さん。あれも結局遊びの一貫いっかんでしょ」

 穏やかに見守る父と違い、穂波はツンとして、笑いながら畑の土を返す千治を見遣みやった。

「こら穂波……確かに坊っちゃんは遊びが過ぎるくらいはあるが、しっかりとした誠心せいしんがあるのは知っているだろう?」

「誠実な男が女遊びなんてするもんですか。商人は商人らしくそろばんを弾いていればいいし、遊び人は遊び人らしく街の女をたぶらかしてればいいのよ。なのにしょっちゅう村に来てさ……」

 千治を疎む穂波を見て、思わず溜め息を吐く高蔵。昔は千治とも仲がよかったが、行商人ぎょうしょうにんづたいに村まで千治の遊び癖が伝わってきて以来いらい、こうである。

 元はしとやかだったのだが次第に気が強くなって、世を拗ねたような態度たいどを取るようになった。娘を育てるとは、なんともむずかしいものである。

「坊っちゃんはお前のことを憎からず思っているし、嫁がせるのよいかと思ったんだがなあ……」

「冗談きっついなあ……私は村で過ごすのがしょうにあってるの。街なんかに行きたくない。そもそも千治ってのが一番ダメ。ああ軽い男は信用ならないし腕も細いし。私はもっと大人しくてがっしりとした……」

結局けっきょくここまでくっついてきたな……」

「お、兄さんもやっとこさ来たか!」

 聞き慣れない声が、耳を打った。同時に、千治が顔と共に手をげる。

 珍しい、千治が遊び仲間でも連れてきたかと思いそちらを見れば。

「ぐぬー、全然倒れねえ……」

きたえ方が違うからな」

「食らえこのー!」

「顔を狙うなら頬を引っ張るでなく鼻か目を打つのがいいぞ。危ないから仲間内では絶対にやるなよ」

 千治とまるで違う、木訥ぼくとつとした仏頂面ぶっちょうづらの大男。手足と背中に子どもを引っ付け、されるがまま気にしてない姿はなんとも珍妙ちんみょうである。

 だがしかし、それを一目見て穂波は一言。

「……ああ、うん、ちょうど、あんな感じな人がいい」

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