第九話 ネズミの千治

 思い出したのは、つい先日せんじつ秋霖しゅうりんである。

 人々の声は降り止まぬ雨の如く、間隙かんげきなくらされていて、しかし激しい熱気ねっきまとっていた。

 川を渡ってから一里いちりあまりしか歩いていないにも関わらず、一刀斎は大きな街へと行き着いた。

 季節はもう初冬しょとうと言っていい。だがう人々は寒さに負けてふるえることなく、赤々と血色けっしょくの良い表情を見せていた。

 思い出すのは京の街。商人しょうにんちからつよかった三条さんじょうの町並みにも似通にかよっている。ただ、活気かっき近江おうみ堅田かたたちかい。

「これが織田の力か……」

 織田おだ尾張守おわりのかみの父、織田おだ弾正忠だんじょう信秀のぶひでは、尾張西部を転々てんてんわたあるき、その度に城下を整え商都しょうときずいたのだという。

 その結果がこの賑わいなのだろう。川を渡ったぐらいでここまで違うとは思わなかったと、街に入ってからずっとその目を見開みひらいていた。

「お兄さん、お兄さん!」

「……うん? おれか?」

 不意に、店の軒下のきしたから声をかけられる。ふとそちらを見れば金細工かなざいく屋のようで、店先みせさきにはつば目貫めぬきなども並べてあった。

 一刀斎を呼び止めたのは老年に差し掛かった男である。どうやら店主てんしゅ本人ほんにんみずから呼び込みをしているらしい。

「そうそう、そこのお兄さん。見たところ武芸者とお見受けします。鞘を見ればわかります、立派な差料さしりょうをお持ちですねえ!」

 ふと腰の甕割に目をやった。もう三年、四年ほど使い続けている鞘は年季ねんきが入って、ところどころ傷がありうるしも剥げたところがあるが、それが逆におもむきがある。……のだろうか?

「たしかに、自慢の刀ではあるが……」

「そういうことなら、この鐔なんてめてみてはどうでしょうかね!? 目貫も凝ったのがありますよ!」

 ずいと見せてきたのは、かしの入ったくもがたの鐔や勝虫かちむしの目貫。鬼面きめんられたハバキなどもある。どれもよく細工が施されたものだが……。

「確かに、よく出来ている」

「でしょう!?」

「だが、鐔は厚い方が好みだ」

「それでしたらこういうのもありますよ!」

 そういって商人が次に見せてきたのは、分厚ぶあつい鐔。たわらがたであり、なかなか勇ましい印象いんしょうを与える。しかし。

「形がかん」

「ならこちらの三つ巴のものは!」

対称たいしょうのものがいいのだが」

「でしたらこの円形えんけいの……」

「丸いと転がる」

「ではこの四角いのは……」

細工さいく派手はでだ」

 次から次に出される品を、ひたすら「らぬ」と答える一刀斎。しかし商人も商人である。ただで見せてはいられない。侍相手は珍しいのか、是が非でも買って貰わねばと躍起やっきになっているらしい。

「では、今度は目貫でも……」

「そこまでにしときなよ、古谷こだに旦那だんな

 続いて目貫を見せようとした商人と、そろそろきてきた一刀斎の間に入り込んだのは、顔の小さい男だった。小さい顔に乗る目鼻めはなはやたらとととのっており、唇もこのかわ季節きせつでありながらヒビ一つない。

 女物おんなものの青い羽織で見事に着飾きかざっていたが、袖から出る細い腕はわずかに日に焼けている。

 低い声でかろうじて男だろうというのが分かるものの、みょうに透き通っていて女と言われてもあり得るものであった。ただ、背は五尺ごしゃく五寸ごすんえていて、羽織に隠れた肉体はしっかりとしている。

 その男を見た瞬間に、商人の顔が苦味が走る。

「げえ、千治せんじじゃねえか」

「げえってなんだげえって。相変わらずどっかで拾ったモンを高く売りさばいてんのかい? ホント、えげつない商売しょうばいしてるなあ?」

「拾っただけじゃねえ、細工はこっちでしたもんだ! 技術ぎじゅつりょうだよ、技術料!」

「なあにが細工さいくだ。端銭はしたぜにで雇ってた職人しょくにんに逃げられたのは知ってんだよ。これ、アンタが自分でやったんだろう? しかもただ傷をごまかすためにちょちょいといじってるだけだ。あのな兄さん、この古谷屋な、拾ったハバキの傷のところに鬼を彫って「鬼を討つハバキだよ!」なぁんて文句もんくつけてたんだぜ? 傷のあとから鬼が生えてどうすんだってんだなあ!」

 千治と呼ばれた青年のたかごえは、女のもののように高かった。まさか、本当は女なのかとうたがってしまうほどだ。しかしながらその豪壮ごうそうな笑い方は男のものであり、いまいちよく分からない。

 一方笑われた商人は、ぐぬぬと歯噛みしながら千治を恨めしそうににらんでいる。

「全く、この歌舞伎者の道楽どうらく息子め……大旦那が草葉くさばの影で泣いてるぞ!?」

「ああ、草葉ってのは俺の実家な。草葉くさば問屋といやをやってんの。その大旦那の爺様じいさまはもういねえんだが、この古谷屋はそれにかけてるんだぜ?」

「んなわけないだろう身内の不幸を洒落しゃれにするな!? お前の実家は草間くさまだろう!?」

 飄々ひょうひょうとした千治の調子ちょうしにまんまと乗った古谷屋の叫び。だが当の本人は「おお、怖い怖い」とどこ吹く風だ。

「さ、行こうや兄さん。もっと良いとこを教えてやるからよ」

「む……」

 一刀斎の肩に手を回し、ひじ背中せなかを押してくる千治。

 どうやらここまでらしいと、一刀斎は古谷屋に軽く礼をし、うながされるまま連れていかれる。

 正直この男には助けられた。

 そもそも買う金なんぞ、持っていなかったから。


「あら、せんちゃんこんにちはぁ。今夜は来てくれるの?」

「おお登代とよちゃん。そういえば最近お邪魔してないね。近い内に行くとするよ」

「やだ千ちゃん、また他の女の名前。あたしは「ゆみ」よ?」

「あっちゃあごめんよゆみちゃーん」

「登代はこっちよもう! 私にこそ会いに来てよー!」

「ああ行く行く。もう一晩ひとばんで二人のとこに行くさー!」

 先程さきほどから、この調子である。

「話でもしようや」と茶店ちゃみせに入り、店先で団子だんごを頬張っていたのだが。

 道行みちゆく若い女に声をかけられ話すなどまるでない。ただ、キビの団子は美味うまいので特に言うことはない。

 千治は、爽やかに笑ってあやすように女にささやく。見てくれの通り、よほどの遊び人であるらしい。

 だが、それだけでなく。

「なんだ千治、またほっつき歩いてんのか?」

「こりゃあ、羽場はば屋の旦那! ウチの親父がまた将棋しょうぎでボロ負けしたんだって? いやあ、悪いねへったくそで人で」

「おお千治! 良い布入ったらよろしくな!」

「ああつつみの。また綺麗きれい羽織モンに仕上げてくれよ!」

「千治、今晩は一緒に遊ぼうやー!」

 話しかけてくるのは、女だけではない。隠居の身らしい老年の男や、職人らしい男、また、千治のように昼間から遊んでるらしい若者など、にこやかに千治に話しかけてきた。

 確かに千治は道楽者どうらくものであるらしいが、どうやら人にはしたしまれているらしい。

「顔が広いな」

「ま、なにしろ生まれはこの街で、ガキの頃から遊んでるからねえ。昔からいる連中は、大抵知り合いだよ、俺ぁ。……ん、なんだこの団子、かてえな!」

 それはお前がずっと喋って手をつけてなかったからだと言いかけたが、

「まあ美味いことにはかわんねえや」

 と、ひょいと一口で頬張った。けな男だが、細々こまごまとしたことにはこだわらない気風きふうをしているらしい。正直、好ましい相手ではある。

「で、兄さんは武芸者みたいだけど、廻国かいこく修行しゅぎょうでもしてんのか?」

「ああ。京から経って、東を目指している」

「へえ、京からねえ……生まれもそうなのか?」

「生まれは……伊豆いずだ。剣の修行しゅぎょうのために近江おうみ堅田かたたに行き、師から京で腕を磨くよう言われて数年止まった」

「ほう、堅田か。俺も名前は聞いたことあるぜ。近江おうみでも有名なあきなどころだな」

 もっちゃもっちゃと美味そうな音を立て団子を咀嚼そしゃくしながら、相槌を打つ千治。あまり行儀ぎょうぎがよろしいとは言えないものの、ここは作法さほうやかましく指摘してきするような場でもなし。

 もとより一刀斎も気にしない方である。

 団子を飲み込んだところで、今度は一刀斎が逆にたずねる。

「千治は、この街の生まれと言っていたな」

「おう、生まれてこのかたこの街から出てねえぜ。……ってのはさすがに冗談で、一つ二つ隣の街の知り合いにフラッと会いに行くこともあるけどよ」

「本当に顔が広いな」

「はは、そりゃそうだ! なんせ、の千治だからな!」

 店の中から、店主らしい親父おやじが笑いながら追加の団子を持ってきた。

「ネズミ?」

「おう、ガキの頃から街中ちょこまか動いてな? 大人だろうが爺婆じじばなだろうが、知らねえガキどもの集まりだろうが、おくれもしねえで紛れ込んで、いつのまにか居着いついてやがんだ。まるでネズミみたいだろう? だから、ネズミの千治だよ」

「なるほど……だが、なりにはあまり合わんな」

 いつの間にか紛れ込む、という性質せいしつは確かにネズミだ。しかし、派手な本人と違って、その見た目はいささか地味じみである。

「お、あんたもそう思うかい? 俺もだよ。なーんかコソコソしてる感じがしてならねえんだよなあネズミって。……今度の団子はやわらけえな?」

 それは出来立てだからだろうと言い掛けたが、そこは気にせず一緒になって団子を食う。歯切はぎれよいにもかかわらず、口の中にはねば食感しょっかんが甘味を口いっぱいに広げてきた。

「ま、使ってるキビが違うからな。そうだ兄ちゃん。どうせこの後、ひまなんだろう? ちょっと付き合ってくれよ」

 ペロリと団子を平らげた千治は、「金はツケで」と立ち上がる。店主は「またか」と苦笑くしょうしながらも、こころよく店の中に戻っていった。

「どこに行くんだ?」

「なに、遠くはねえ。街の外れの農村のうそん、ウチの、お得意さんだよ」

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