第九話 ネズミの千治
思い出したのは、つい
人々の声は降り止まぬ雨の如く、
川を渡ってから
季節はもう
思い出すのは京の街。
「これが織田の力か……」
その結果がこの賑わいなのだろう。川を渡ったぐらいでここまで違うとは思わなかったと、街に入ってからずっとその目を
「お兄さん、お兄さん!」
「……うん? おれか?」
不意に、店の
一刀斎を呼び止めたのは老年に差し掛かった男である。どうやら
「そうそう、そこのお兄さん。見たところ武芸者とお見受けします。鞘を見ればわかります、立派な
ふと腰の甕割に目をやった。もう三年、四年ほど使い続けている鞘は
「たしかに、自慢の刀ではあるが……」
「そういうことなら、この鐔なんて
ずいと見せてきたのは、
「確かに、よく出来ている」
「でしょう!?」
「だが、鐔は厚い方が好みだ」
「それでしたらこういうのもありますよ!」
そういって商人が次に見せてきたのは、
「形が
「ならこちらの三つ巴のものは!」
「
「でしたらこの
「丸いと転がる」
「ではこの四角いのは……」
「
次から次に出される品を、ひたすら「
「では、今度は目貫でも……」
「そこまでにしときなよ、
続いて目貫を見せようとした商人と、そろそろ
低い声で
その男を見た瞬間に、商人の顔が苦味が走る。
「げえ、
「げえってなんだげえって。相変わらずどっかで拾った
「拾っただけじゃねえ、細工はこっちでしたもんだ!
「なあにが
千治と呼ばれた青年の
一方笑われた商人は、ぐぬぬと歯噛みしながら千治を恨めしそうに
「全く、この歌舞伎者の
「ああ、草葉ってのは俺の実家な。
「んなわけないだろう身内の不幸を
「さ、行こうや兄さん。もっと良いとこを教えてやるからよ」
「む……」
一刀斎の肩に手を回し、
どうやらここまでらしいと、一刀斎は古谷屋に軽く礼をし、
正直この男には助けられた。
そもそも買う金なんぞ、持っていなかったから。
「あら、
「おお
「やだ千ちゃん、また他の女の名前。あたしは「ゆみ」よ?」
「あっちゃあごめんよゆみちゃーん」
「登代はこっちよもう! 私にこそ会いに来てよー!」
「ああ行く行く。もう
「話でもしようや」と
千治は、爽やかに笑ってあやすように女にささやく。見てくれの通り、よほどの遊び人であるらしい。
だが、それだけでなく。
「なんだ千治、またほっつき歩いてんのか?」
「こりゃあ、
「おお千治! 良い布入ったらよろしくな!」
「ああ
「千治、今晩は一緒に遊ぼうやー!」
話しかけてくるのは、女だけではない。隠居の身らしい老年の男や、職人らしい男、また、千治のように昼間から遊んでるらしい若者など、にこやかに千治に話しかけてきた。
確かに千治は
「顔が広いな」
「ま、なにしろ生まれはこの街で、ガキの頃から遊んでるからねえ。昔からいる連中は、大抵知り合いだよ、俺ぁ。……ん、なんだこの団子、かてえな!」
それはお前がずっと喋って手をつけてなかったからだと言いかけたが、
「まあ美味いことにはかわんねえや」
と、ひょいと一口で頬張った。
「で、兄さんは武芸者みたいだけど、
「ああ。京から経って、東を目指している」
「へえ、京からねえ……生まれもそうなのか?」
「生まれは……
「ほう、堅田か。俺も名前は聞いたことあるぜ。
もっちゃもっちゃと美味そうな音を立て団子を
もとより一刀斎も気にしない方である。
団子を飲み込んだところで、今度は一刀斎が逆に
「千治は、この街の生まれと言っていたな」
「おう、生まれてこのかたこの街から出てねえぜ。……ってのはさすがに冗談で、一つ二つ隣の街の知り合いにフラッと会いに行くこともあるけどよ」
「本当に顔が広いな」
「はは、そりゃそうだ! なんせ、ネズミの千治だからな!」
店の中から、店主らしい
「ネズミ?」
「おう、ガキの頃から街中ちょこまか動いてな? 大人だろうが
「なるほど……だが、
いつの間にか紛れ込む、という
「お、あんたもそう思うかい? 俺もだよ。なーんかコソコソしてる感じがしてならねえんだよなあネズミって。……今度の団子は
それは出来立てだからだろうと言い掛けたが、そこは気にせず一緒になって団子を食う。
「ま、使ってるキビが違うからな。そうだ兄ちゃん。どうせこの後、
ペロリと団子を平らげた千治は、「金はツケで」と立ち上がる。店主は「またか」と
「どこに行くんだ?」
「なに、遠くはねえ。街の外れの
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