第八話 炎凪ぐ

「うぅらぁぁい!」

 繰り出される腕は、正しく人体をつのである。

「どぉあらぁぁ!」

 打ちかまされる巨体は、真に人体をつぶ体躯たいくである。

「せぇがぁあああ!」

 撃ち出される足は、数度すうど振るえば大木たいぼくだってたおすだろう。

 牛童子のそれらの技は、たしかに、じゅんわたったえがある。

 怒りにとらわれていてなおも、心は肉体に鍛えた技をるわせていた。

「ッ──!」

 巨体に見合わぬそのたいさばきのするどさとはやさは、一刀斎に剣を振るうひますら与えない。

 体捌きだけではない、まず第一に、牛童子は一刀斎にとってはじめての相手であることが理由であった。

 徒手としゅ空拳くうけんの技もさることながら、「己を越える巨体を持った人間」というものと、一刀斎は初めて相対した。

 以前いぜん戦った騎馬武者は数えられない。なにしろ騎馬だ。人体を相手にするのと大きくわる。

 力とは当然とうぜん、大きく方が強いものだ。

 師や自分を越える剣客けんかくから「長じている」とみとめられた、ちからさだめる心の強さ、正しさ。それはあくまで、「持ち得る力を十全じゅうぜんに振るわせるもの」にぎない。

 ようするに、

「りゃあああああ!」

「ぐ……!」

 牛童子の張り手が、一刀斎の肩をかすめた。それだけでも、ぎゃく指先ゆびさきまで衝撃しょうげきひびく。そして小指がわずかに、羽織はおりに掛かる。──まずい!

「ふっ!」

 サッと羽織を甕割で裂いた。牛童子が小指をブンと振るえば、羽織はやぶけて投げ飛ばされた。寸でのところで、助かった。

「く、ちょこまかとばやい奴め……!」

「それはこちらの台詞セリフなのだがな」

 見てくれに反して機敏きびんなのはそちらも同じである。精細せいさいにして精緻せいち。よほどの錬武れんぶを重ねてきたのだろう。

 故に気にかかった。その錬武に具足ぐそくけたのは誰なのか。

 昨日の者共はなにかの「たが」が外されていて、実力じつりょくともなわない力を発揮はっきしどんな傷にも怖じけなかった。

 牛童子ぎゅうどうじいたっては、技の冴えを取り戻してなおその力を纏ったままだ─そこは一つ反省はんせいしたい─。

 手足を切ろうが、牛童子は怯むことなく脳天のうてんに腕鉄砲をぶちかましてくるだろう。

 ならば狙うは一刀いっとう両断りょうだん一振いっしん絶命ぜつめいの剣。

「ぬん!」

「ぐっ!!」

 牛童子の突進をギリギリでかわす。足を掛けてころばせることも考えたが、心が足を動かさない。理解が遅れて心に追い付く。十中八九、逆に蹴折けおいられる。

「腕二本、足の二本。それぞれ武具か。まっこと厄介やっかいだな。意識を四つに散らさねばならない」

「そういう君の相手は楽だよ。剣にさえ注意してればいいんだから」

 さきほどまでたるんでいた表情はどこへやら。目はキリと締められて、視線はしかと一刀斎を射抜いている。

 炯々けいけいきらめく目は、まさに赤心せきしんを指し示している。

 だがしかし。

「ぼくは君をここで殺す。殺してやる。絶対に生かしてなんか、やらない」

 その瞳を、心を燃やしている武の理想は、激発げきはつとした苛炎かえんである。

 武器を持つものを叩きのめし、捻り潰し、蹂躙じゅうりんする。ゆがんでいるかもしれないが、それはまさしく、牛童子の本心から来るものだったのだろう。

 牛童子の振るう手足に込められているのは、まごうことなく殺意さついの念である。

 なぜ、牛童子がそこまで武器を使う武芸者を殺したいのかは知らない。

 このうらみよう。違う出会いをしても理由を聞けたか分からないし、こうぶつかり合うのは避けられないだろう。

 そして、あの巨体と相対するのだ。

 己を遥かに越える力を持つ、空拳の暴牛と。

(──思い起こせ)

 今まで相対してきた者を思い起こせ。

 体格で勝っていた己と相対してきた武芸者たちを。

 彼らはどうやって、おれと戦っていたかを思い出せ。

 金剛こんごう大鳥おおとりは。魔風まふう天狗てんぐは。泰然たいぜんとした蒼天そうてんは。いったいどのようにしておれと打ち合っていた。

「ふぅん!!!」

 脳天への張り手、胸への突き打ち、腰への蹴り上げ。すべてを避けいなしながら、脳裡のうりを探る。だが答えを探っても、「彼らは己を信じ、己らしく戦っていた」としか浮かばない。

 それでいい。それで正しいのは間違いない。だがしかし、欠けている。

 決定的なが足りない。

(なんだ)

 己らしさとは、なんだ。

 己とは、なんだ。

 己は、何が出来る────。

『何が出来るかは、知っていなきゃ出来ねえ』

「ッ!!」

 ひじちをかわした瞬間、暗雲にせた雷鳴らいめいが頭に響く。

『お前は感覚が鋭すぎんだなあ。お陰で理解が追い付いちゃあいねえ』

 続けざまに来たのは、一閃いっせんほとばしる鋭い雷光らいこう

 相対したことはなかった。ただ何度なんどか肩を並べて戦っただけの男の言葉だ。

 その男が語っていたのは、相対した蒼天の男。

 剣の才能がなく、だが剣の才能がない故に、その術理じゅつり理合りあい理屈りくつをひたすら学び、今世こんせい無双むそうへと上り詰めた最強の剣豪けんごう。まるで歯が立たなかった、錬武れんぶ頂点ちょうてん

「ああ、これか──」

「……?」

 一刀斎は飛び退いて、甕割を穏剣おんけんに構える。その瞳は細められ、ゆるりと牛童子に向けられていた。

 その無理むり無駄むだのない自然しぜんの立ち姿に、牛童子の心は一瞬、「止まれ」と肉体にかせをかける。だが。

「むぉおおおお!!」

 枷が止められたのは、ほんの一瞬ばかりである。

 握られた拳が、牛の角のような拳が、猛然もうぜんと一刀斎の顔へと迫った。しかしその拳を、一刀斎はひょいと避ける。

 牛童子は止まらない。腕、肘、肩、足、脛、膝。さらには頭突きや投げなどを交え怒濤どとうの攻めを仕掛けてきた。

 一刀斎はそれらの打突だとつ投撃とうげきを、しかとさばく。

 だがしかし、が見ていたのは牛童子ではない。

 それらにおうじる、己の体の動きを見ていた。耳をそばだてて、肉と骨とがれ合う音を聞きながら。「心が体をどう動かしているのか」を、ひたすらに感じ取っていた。

 今は理屈など学んでいる暇はない。

 感じ取るのが己のちょうというならば、生じる理屈を感じとれ。

 今は目の前の男が長じる、「操体そうたいすべ」を会得えとくしろ──!


「うげえ、始まってるよ爺ちゃん……!」

「みてえだな」

 客を信じて待つのが渡しの仕事と。正禄はがんとして動かなかった。

 だがしかし、あまりにも正十が不安だとごねるのである。

 追い出されたからって晩秋ばんしゅう初冬しょとうの野っ原で寝ようとする抜けた男である。武芸者としても抜けていたらどうするのか。やたらさわいでかなわないので、仕方なく村へつられて来たのである。

 着いてみれば村の往来のど真ん中、あの黒衣くろごろもの剣客と膨れた巨体の牛が武をきそっていた。村人たちの大半は、家屋や路地へと逃げたようだが、頭を出してその様子をうかがっている。

「大丈夫かな、だいぶ押し込まれてるぜ……!?」

「そう見えるのか」

 一刀斎は、ひたすら牛童子の攻撃を避けているだけ。誰がどう見たって、一刀斎の方がが悪い。

 ただしかし正禄は、あの二人以外で、正禄の肌は、二人の間に流れる空気を感じ取っていた。


「なんなんだ、君は──!」

 牛童子が、れている。技を振るう心にはやりが生じている。不安、疑念、恐れ、戸惑い、どれかが、あるいは全てが、精緻な動作をさまたげている。

 普段の一刀斎ならば、そんなすきなど迷わず撃つ。だが一刀斎は、敢えて手を出していない。

 相手のもたらしたに無理に拍子を合わせなくてよい。己の拍子でてばいい。

 そう、一刀斎は今、という感覚がない。

 怒風どふうに見舞われながらなお、一刀斎の心はいでいる。

 ──一刀斎は、己を見ていた。柳生新左衛門が二十年を懸けてつちかった剣の理合。その領域りょういきに、感性かんせいでもって追いすがっていた。

 まったく遠い。その年月を圧縮あっしゅくするなど、とうてい出来ようもないだろう。

 だがしかし、一刀斎の「感じ取る」力は、切欠きっかけさえあれば加速かそくする。

 常時じょうじであれば七日を一日に、一月を七日に、半年を半月に。そして一年を一月に。

 だがもし、それだけに意識を向けたならば───新左衛門の二十年、その一端いったんぐらいには、指をかすめることが出来よう。

 そしてその掠めた感覚を、一刀斎は感じ取る。

「ああ!」

 正十が声を上げる。

 避けてる間に、家屋を背に仕込まれた。

「もうっ、つぶれろよぉおおおお!」

 逃げ場はない。大きく引かれた拳が、うねりをあげながら突き出される。潰れた──!

「なっ──」

 頭が、消えた。

 ギョロリと黒目を下へと向ければ。そこにはいた、一刀斎。

 その瞳は、魂の炎をうつしていた。

ェエエエエエエエエエエイ!」

 膝を、斬る。それを皮切り立ち上がった一刀斎は、腹を、かいなを順に斬り裂いた。

 まるで天へと火の手を伸ばす炎のように、伸ばした手でもって焼き払うように。

 そして炎は、頂点に至り、

「断ァアアアアアアアアアアア!!」

 真っ直ぐと、その剛刀を振り落とす────!

「……くじけたか」

 ……甕割の太刀は、牛童子の頭を割らなかった。

 斬られた膝が、牛童子の重さに耐えられなかったから。

 その巨体を支えていた心が、弱っていたから。


「く、う、うぅぅぅぅ!」

 牛童子は、傷を受けた膝を引きながら、腕で地をい、片腕かたうで片足かたあしでのしりのしりと逃げていく。

 その姿はさながら手負ておいの老牛ろうぎゅうのようである。だがしかし、体力はだいぶ残っているようだ。腹を切ったはずなのだが、肉が厚くて急所には届かなかったのだろう。

「や、野郎……!」

 家屋へ逃げ込んでいた村人たちが、通りへ出てくる。

 その手には桶やら火箸ひばしやら、石やらなにやら。逃げ去っていく牛童子に投げ付けられた。

 牛童子へめていた不安と恐れ、怯え、それを吐き出すように、積もり積もった恨みに変えて牛童子へとぶつけていた。

 せ、とめる理由は己にはないと、一刀斎は村人たちを尻目にきびすを返す。

 だが寸前。

「それは止めておけ」

 漁具ぎょぐをもって直接打とうとしにいった男を引き留める。今朝方一刀斎を呼びに来た、昨日たまさか助けた男。

「なんでだよ! 俺たちはあいつにせがれを……!」

昨夜ゆうべ雑兵ぞうひょうどもを忘れたか。手傷を負おうが力はおとろえない。寄らば叩き潰されるぞ」

 一刀斎の言葉に男はたじろぎ、歯噛みしながらもりを地面に叩きつける。

 これらの投擲とうてきとて、牛童子は意にも介していないだろう。

 いびつな四足よつあしに慣れた牛童子は速さを増していく。あっという間にその巨体は村の外へと消えていった。

 一刀斎は弱った怪牛かいぎゅうを見送り、村を背にして戻っていく。

 いや、進み行く。この場は所詮しょせん、道すがらの一戦でしかない。

 行きたい場所は、まだ彼方かなた──。


「……まさか、ありゃあ……」

「どうしたんだよ爺ちゃん?」

 正禄が、無くなったはずの腕を抑えている。その目は大きく見開かれ、こちらに来る一刀斎の姿をじっと見ている。

 正禄たちを見つけた一刀斎は、足早あしばやに寄ってきた。

「正十、正禄殿。来ていたのか。すまない、待たせた」

「……いや、構わねえよ。さあ行こうや」

 言葉ことばすくなに、顎でもって東を指す正禄。さっさと行ってしまう正禄の背中を、一刀斎と正十は追う。

「なあ兄ちゃん、なんでとどめ、刺さなかったんだ? あいつ、ひでえ奴だろ?」

「なぜもなにもない。脳天に剣を振り下ろして、それでもあいつは死ななかった。それはおれの未熟みじゅく、そして奴の天命てんめいだ」

「天命?」

 首をかしげる正十。一刀斎は正十に目を向けることなく、真っ直ぐに東を見据みすえて。

「人が死ぬのは、やるべきことが全部終わった時だ。奴が死ななかったということは、奴にもまだ――」

 やるべき事があったのだろう。そう言い切る前に、正禄が足を止め一刀斎の方へ振り向いた。

 その目は大きく見開かれ、深かったシワから影が消えた。

「どうした、正禄殿」

「――お前さん、その言葉、いったいどこで」

 どこで。と言われても。

「死んだ親父おやじから伝えられた言葉だ。もう声も忘れたが、その言葉だけがみょうに頭に残っている」

 それが何年前かは知らない。父が逝ったのは、数えることをおぼえる前だった。

「おれは伊豆にある島の生まれでな。親父はそこに流れ着いた男だった。……して、それがどうかしたのか?」

 一刀斎のいに、正禄は目をほそめる。長く、弱い秋風あきかぜが野の草をで終え、ようやく正禄は「いや、何でもねえ」と答えた。

 昨日今日と同じ、ぶっきらぼうながらどこか、ぬくみのある声音こわねで。

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