第八話 炎凪ぐ
「うぅらぁぁい!」
繰り出される腕は、正しく人体を
「どぉあらぁぁ!」
打ちかまされる巨体は、真に人体を
「せぇがぁあああ!」
撃ち出される足は、
牛童子のそれらの技は、たしかに、
怒りに
「ッ──!」
巨体に見合わぬその
体捌きだけではない、まず第一に、牛童子は一刀斎にとってはじめての相手であることが理由であった。
力とは
師や自分を越える
ようするに、それより上の力には、押し負けてしまう。
「りゃあああああ!」
「ぐ……!」
牛童子の張り手が、一刀斎の肩を
「ふっ!」
サッと羽織を甕割で裂いた。牛童子が小指をブンと振るえば、羽織は
「く、ちょこまかと
「それはこちらの
見てくれに反して
故に気にかかった。その錬武に
昨日の者共はなにかの「
手足を切ろうが、牛童子は怯むことなく
ならば狙うは
「ぬん!」
「ぐっ!!」
牛童子の突進をギリギリでかわす。足を掛けて
「腕二本、足の二本。それぞれ武具か。まっこと
「そういう君の相手は楽だよ。剣にさえ注意してればいいんだから」
さきほどまでたるんでいた表情はどこへやら。目はキリと締められて、視線はしかと一刀斎を射抜いている。
だがしかし。
「ぼくは君をここで殺す。殺してやる。絶対に生かしてなんか、やらない」
その瞳を、心を燃やしている武の理想は、
武器を持つものを叩きのめし、捻り潰し、
牛童子の振るう手足に込められているのは、
なぜ、牛童子がそこまで武器を使う武芸者を殺したいのかは知らない。
この
そして、あの巨体と相対するのだ。
己を遥かに越える力を持つ、空拳の暴牛と。
(──思い起こせ)
今まで相対してきた者を思い起こせ。
体格で勝っていた己と相対してきた武芸者たちを。
彼らはどうやって、おれと戦っていたかを思い出せ。
「ふぅん!!!」
脳天への張り手、胸への突き打ち、腰への蹴り上げ。すべてを避けいなしながら、
それでいい。それで正しいのは間違いない。だがしかし、欠けている。
決定的ななにかが足りない。
(なんだ)
己らしさとは、なんだ。
己とは、なんだ。
己は、何が出来る────。
『何が出来るかは、知っていなきゃ出来ねえ』
「ッ!!」
『お前は感覚が鋭すぎんだなあ。お陰で理解が追い付いちゃあいねえ』
続け
相対したことはなかった。ただ
その男が語っていたのは、相対した蒼天の男。
剣の才能がなく、だが剣の才能がない故に、その
「ああ、これか──」
「……?」
一刀斎は飛び退いて、甕割を
その
「むぉおおおお!!」
枷が止められたのは、ほんの一瞬ばかりである。
握られた拳が、牛の角のような拳が、
牛童子は止まらない。腕、肘、肩、足、脛、膝。さらには頭突きや投げなどを交え
一刀斎はそれらの
だがしかし、目が見ていたのは牛童子ではない。
それらに
今は理屈など学んでいる暇はない。
感じ取るのが己の
今は目の前の男が長じる、「
「うげえ、始まってるよ爺ちゃん……!」
「みてえだな」
客を信じて待つのが渡しの仕事と。正禄は
だがしかし、あまりにも正十が不安だとごねるのである。
追い出されたからって
着いてみれば村の往来のど真ん中、あの
「大丈夫かな、だいぶ押し込まれてるぜ……!?」
「そう見えるのか」
一刀斎は、ひたすら牛童子の攻撃を避けているだけ。誰がどう見たって、一刀斎の方が
ただしかし正禄は、あの二人以外で、唯一戦いの息吹を知る正禄の肌は、二人の間に流れる空気を感じ取っていた。
「なんなんだ、君は──!」
牛童子が、
普段の一刀斎ならば、そんな
相手のもたらした
そう、一刀斎は今、機先を取られているという感覚がない。
──一刀斎は、己を見ていた。柳生新左衛門が二十年を懸けて
だがしかし、一刀斎の「感じ取る」力は、
だがもし、それだけに意識を向けたならば───新左衛門の二十年、その
そしてその掠めた感覚を、一刀斎は感じ取る。
「ああ!」
正十が声を上げる。
避けてる間に、家屋を背に仕込まれた。
「もうっ、
逃げ場はない。大きく引かれた拳が、
「なっ──」
頭が、消えた。
ギョロリと黒目を下へと向ければ。そこには
その瞳は、魂の炎を
「
膝を、斬る。それを皮切り立ち上がった一刀斎は、腹を、
まるで天へと火の手を伸ばす炎のように、伸ばした手でもって焼き払うように。
そして炎は、頂点に至り、
「断ァアアアアアアアアアアア!!」
真っ直ぐと、その剛刀を振り落とす────!
「……
……甕割の太刀は、牛童子の頭を割らなかった。
斬られた膝が、牛童子の重さに耐えられなかったから。
その巨体を支えていた心が、弱っていたから。
「く、う、うぅぅぅぅ!」
牛童子は、傷を受けた膝を引きながら、腕で地を
その姿はさながら
「や、野郎……!」
家屋へ逃げ込んでいた村人たちが、通りへ出てくる。
その手には桶やら
牛童子へ
だが寸前。
「それは止めておけ」
「なんでだよ! 俺たちはあいつに
「
一刀斎の言葉に男はたじろぎ、歯噛みしながら
これらの
一刀斎は弱った
いや、進み行く。この場は
行きたい場所は、まだ
「……まさか、ありゃあ……」
「どうしたんだよ爺ちゃん?」
正禄が、無くなったはずの腕を抑えている。その目は大きく見開かれ、こちらに来る一刀斎の姿をじっと見ている。
正禄たちを見つけた一刀斎は、
「正十、正禄殿。来ていたのか。すまない、待たせた」
「……いや、構わねえよ。さあ行こうや」
「なあ兄ちゃん、なんで
「なぜもなにもない。脳天に剣を振り下ろして、それでもあいつは死ななかった。それはおれの
「天命?」
首をかしげる正十。一刀斎は正十に目を向けることなく、真っ直ぐに東を
「人が死ぬのは、やるべきことが全部終わった時だ。奴が死ななかったということは、奴にもまだ――」
やるべき事があったのだろう。そう言い切る前に、正禄が足を止め一刀斎の方へ振り向いた。
その目は大きく見開かれ、深かった
「どうした、正禄殿」
「――お前さん、その言葉、いったいどこで」
どこで。と言われても。
「死んだ
それが何年前かは知らない。父が逝ったのは、数えることを
「おれは伊豆にある島の生まれでな。親父はそこに流れ着いた男だった。……して、それがどうかしたのか?」
一刀斎の
昨日今日と同じ、ぶっきらぼうながらどこか、
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