第七話 理想の在処

「ふぅんっ!」

 皮のあつてのひらが、顔の横を突き抜ける。そのき風だけで、顔がれていかれそうになる。まるで掛矢かけやの如き重みである。

ェェイ!」

 横に転じ、脇に構えた甕割かめわりサッと振り上げる。だが、しかし。

「ぬぉん!」

「チッ……!」

「おっと危ないなあ!」

 一刀斎の腰めがけて、ぶとい足が払われた。たまらず一歩退きながら、手首をかえして足を切ろうとするも、さっと片足飛びで抜けられる。

 体軸たいじくが、やたらただしい。

 体の重心とはたまのようなもの。気を抜けばコロコロとうちで転がり、からださだまる事がない。

 だがしかときたえれば、しんとどめどのように動いても揺さぶられることはなく、肉体をはや動作うごかすことが出来るようになる。

 牛童子ぎゅうどうじの肉体は、その名のように牛の如くふくれている。だがしかし、操体そうたい技能ぎのうわたっていた。

 伊達だて空拳くうけんを得意としている訳ではないらしい。

「いやあ、ほんと鬱陶うっとうしいなあ刀は。いちいち避けなきゃならないなんて」

「その無駄むだにつけた肉で食い止めてみればいいだろう。うであしの一本、捨て置けば勝てるぞ」

剣客けんかくなんかに腕一本だってやってやらないよ」

 剣客なんか。そういうとおり、牛童子は得物えものを使う武芸者をかろんじている。

 だが、その理由も分かる。なにせ、無手むてであっても一刀斎と渡り合えているのである。

 一刀斎を越すほど恵まれた体格に体運びの技術わざそなわり、まるで手がつけられない。自尊じそんするのもうなずけた。

「なにせえがきく刀なんかと違って、ぼくの体に代わりはないから、ね!」

 牛童子が身を大きくしずめ、前に転がった重心に従うように突進を仕掛けてくる。はじき出された巨体は、さながらころがる大岩である。代わりがないといいながら、反撃はんげきを恐れることなく堂々どうどう仕掛しかけてくる。

 頑強がんきょうな足に踏みしめられた地面はひびき、家屋かおくがミシミシと悲鳴を上げる。まともに受ければ、文字通り体は潰されるだろう。

 だがしかし一刀斎は知っている。牛よりなおも恐ろしい、人馬一体の男の突撃を。

「とぉおう!」

 猛然もうぜんと迫り来る暴牛は、つのを打ち上げるように拳を突き出してくる。

 一刀斎は転じてかわし、張り手を斬りさばこうと甕割を斬り上げた。

「なぁんの!」

 牛童子は腕を引っ込めて甕割を避ければ、勢いそのまま上体じょうたいをぐるんとひねりもう片腕を一刀斎の頭目掛けて振るう。肉は厚いが、運動の邪魔じゃまはしていないらしい。そのだぶついた肉の内側には、鍛え抜かれた筋肉があるのだろう。

 だが。

フンッ!!!」

「ぐむ……!?」

 掌砲しょうほうよこつらを撃ち抜く前に、一刀斎はひたいを牛童子の鼻先に打ち当てる。鼻の回りに、肉は付けられない。

 白黒させている目のど真ん中に、甕割を突き出した。しかし奥歯を噛み締めて脳漿のうしょうの揺れを強引ごういんに止めた牛童子に、紙一重で避けられた。

 また、腕が飛んでくる。一刀斎はさっと牛童子の足を蹴り抜き、後方に飛んだ。

 だが。

「ぐ、ん、えええええい!」

「ん、に……!」

 離脱りだつする寸前、牛童子の小指の先が、袴のすそに引っ掛かる。

 するとあろうことか、牛童子は小指一本、第一関節の先のわずかな部分。そのむやみやたらとデカい巨体の内、一分いちぶにも満たないその指先で、一刀斎を投げ打ってみせる!

「くっ!」

 ほうり投げられた一刀斎は受け身を取り、地面を転がりながら重心を中心に戻してサッと立ち上がる。

 牛童子を見れば頭を揺すって、こちらにゆっくり向き直った。

 恐ろしい馬鹿ばかぢから──だが、それだけではないだろう。

 精緻せいちな力使いをする技倆ぎりょうがなければ、小指一本でああすることなど出来はしない。その相撲の技は間違いなく、厳しい鍛練たんれんすえ身に付けたものに違いない。

 それゆえに、せなかった。

「大した腕前だな。相当な修行を積んだのだろう」

「当然だよ。君らみたいに武器を使う卑怯ひきょうものに勝ちたいんだからね。いいよね、君らはいいよね、ただ適当に剣を振るえば相手は死ぬんだからさ!」

 たける牛童子は、その分厚い肉体の内側に燃える、気炎きえんをわずかに吐き出した。

 だがしかし、感じ取れる感情は、不自然なまでにごく微少びしょう。火の粉に触れても熱くはないように、どういうものか読み取ることが出来なかった。

 目をいていた牛童子は、しかしあっという間に気を落ち着かせていた。

 不可思議なんだ怪奇これは。一刀斎は言い知れない違和感いわかんおそわれる。

 この牛童子には、「自」が感じ取れない。牛童子だけではない。思い起こせば、昨日の武芸者達もそうであった。あの狂気には、己をかえりみる意志が欠如けつじょしていた。

「だけどまあ、君は少しぐらいやるってのは認めてあげるよ。他の連中はまるで手応えがなかったし」

 一瞬見せた憤怒ふんどの相は消えせて、あのやたらゆるんだ、ゆったりとした相貌そうぼうに戻る牛童子。

「他の……?」

「ああ、ぼくに群がってた連中れんちゅう。「博士」からもらったけど全然使えないんだもの。せっかく博士に手を加えてもらったってのに、君一人にボロ負けしてさ、情けないから、少し撫でてやったんだよ」

 牛童子が、腕を振るう。巻き込まれた空気がうめくように、おもくるしい風音を立てた。その連中とは、もしや昨日逃げた奴儕やつばらか。

 確かに、あの男たちは弱かった。その巨腕きょわんであれば簡単にひねることが出来るだろう。

 だが、今はそれよりも。

「……博士?」

 気に掛かる言葉であった。手を加えてもらったとは、どういう意味だ。

「博士はスゴい御方おかただよ。博士のお陰でぼくは幸せだ。どんなものでも軽く握りれば潰せる力をくれた。どんな痛みも感じない強さをくれた。ぼくは、博士の式神しきがみなんだ!」

 諸手もろてを広げ、天をあおぐ牛童子。

 博士、シキガミ。もはや、人のげんとは思えない。

 なるほど。昨日の奴儕の実力に見合わぬ力と、並大抵の傷では動じないほど昂揚こうようした精神。それにはどうやら「博士」とやらが関係しているらしい。

 牛童子もまた、その「博士」に力を与えられたのだと。……見当けんとうが、ついた。

「つまらん男だ」

「えぇ……?」

 溜め息混じりに放った言葉に、牛童子が真っ黒い瞳をこちらにギョロリと向けた。

 一刀斎は甕割を正眼せいがんに構え、その真っ黒い瞳へと切っ先を付ける。

「シキガミだの力をくれただの。気付かないか。お前は力をっただけだ。おのれ駄賃だちんにして」

「君は、なにを」

「お前はなにを理想りそうに武を修めた」

 そのいに、牛童子は訝しいむように非対称ひたいしょうに眉をねじ曲げて、両の目蓋まぶたり合いにはんびらく。だが、それも一瞬であり。

「……なにをって……そりゃあ君たちみたいに武器を我が物顔で振るって、強い気になった武芸者たちをひねつぶすためだよ! 「無手なんて意味がない」ってさんざ偉ぶった奴らのうであしや頭を握り潰すのは、本っ当に気持ちいいんだ! その力を博士はくれたんだ、武器持ちなんかに動じない心と力を!」

「────っ」

 牛童子の肩が、ピクリと跳ねた。

「確かに人の身とは別に刀槍とうそうは存在する。刀は欠けるし槍は折れる。たようなものはごまんとあるし、いくらでも替えようがあるものだ。斬るのなら、なた包丁ほうちょうだって変わりゃしない」

 だがな、と一刀斎は言葉を続ける。

「武器に込めて振るうのは、唯一ゆいいつ無二むにの己の意志だ。武器を体に振るわせるのは、その者だけの己のこころだ。今の貴様の力の元は、誰かに借りた仮初かりそめのもの。──今の貴様は、武器持ちを懸命けんめいに越えようとした武芸者ではない。貴様自身が唾棄だきすべきと目の敵にした、に過ぎない」

「お、前…………!」

 ――活性かっせいした。覚醒かくせいした。牛童子のでっぷり越えた肉を、燃やすように。

 が人の身を外れた力を与える引き替えに、肉の内側、気が遠くなるほど奥底おくそこにおいやった炎が、けられた。

「……本当に! イヤな奴だなあ!! その減らず口、聞けないようにしてやる!!!」

 吐き出されたかい気炎きえんは、まさしく牛童子の持つ熱を伝えた。そのあふれんばかりの熱気に、遠巻きに戦いを見守っていた村人たちは当てられて、思わず腰を抜かす。

 だがしかし一刀斎は、このおもを心地よいとさえ感じていた。

 ねばりつくような不自然さはない。誰とも分からぬ糸引く手が消え去った。今目の前にいるのは、間違いなく牛童子その者である。

「なにを笑ってるんだよお!!」

 だがどうやら、当の本人は振り切ったことにも気付かぬようで。力を込めてその肉体を、より一層いっそうふくらませる。

 なにを笑っているのか? 当然、決まっている。

「戦いとは、こうではなくてはならないからだろうよ──!」

 戦いとは、熱と熱のぶつかり合いでなくてはならない。

 邪魔物を斬る作業染みた撃剣げっけんなど、自分は求めていないのだから──!!

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