第六話 武昧の怪物

 二つの大川たいがに挟まれた、小さな村。それをさらに小さく見せるほどの巨躯きょくを、その男は誇っていた。

 その名は牛童子ぎゅうどうじ七尺ななしゃくはあろう上背うわぜいに、三十貫さんじゅっかんりえるえた胴体どうたい

 ぶとうでは、もはやまった木のみきのようであり、その大振りな手は、子どものあたま程度ていどなら容易たやすつかめる。──いま、まさにそうしているように。

「まだ、来ないねえ」

「……っ」

 ひたいに当たる中指が、力を増した。

 悲鳴を上げれば、潰される。少年は口の代わりに、まぶたを大きく開かせた。奥歯がガチガチと鳴るのを止めたい。止めようとして力をいれたら、余計に奥歯が音を鳴らした。

 牛童子は呑気のんきに「まだ」と言ったが、船屋に男を送ってまだ時間はたっていない。半刻はんこくをさらに四つに分けた程度ていどだ。

 村人たちは、ひたすらいのるだけ。

 あそこまでないがしろにしたのだから、来てくれるはずなどないと思いながら。

 ひろってくれたかもしれない神の手をわざわざてしまったのだといながら。

 だが、諦観ていかんする事は出来ない。都合つごうが良いと自分達でもわかっている。

 自分達のことは自分でなんとかすると、いくさ荒川あらかわまれてなお思っていながら、あの巨怪きょかいにはいどむこともせずに祈るばかり。

 それほどまでに牛童子は、おそろしい相手であった。

 どんなものだろうが乗り越えてやると団結だんけつしておきながら、結局けっきょくは誰かを待つしかない。それはなんと、情けないことか!

 しかし、あそこまで蔑ろにしたのだから、あの男は、牛童子が求めるあの武芸者は、決してここには──。

「童子と聞いていたが、なるほど、小僧こぞうではなく化身けしんか何かか。聞いたとおり異様いようにでかい」

 村人たちは、同時にそちらを振り向いた。

 東の川から戻ってきた、黒の羽織はおりあかぐろい肌。ひたいきず、鼻と頬に一文字の斬創きりきず

 間違まちがいない、昨日きのう、この村にやってきた男。昨夜ゆうべに武芸者たちを撫で斬りにして、蜘蛛の子のようにらしめた武芸者。

 逃げていった男たちが言っていた。確かその名は──

外他とだ一刀斎いっとうさい。呼ばれたから、来てやったぞ」


「おー、やっと来たか。良かったねえ、潰されずにすんだよ」

「ひぃ……!」

 牛童子がその手を離すと、自由じゆうになった少年は一目散いちもくさん人混ひとごみの中へと紛れて消えた。

 はば三丈さんじょうもない小さな村のおおどおり。一刀斎は牛童子と相対する。

 戦いの気配を感じた人々は、屋内おくない路地ろじに隠れていく。

「おれを見下ろす奴と相対するのは二度目だな」

 そしてその一人も、馬上ばじょうという事情があった。素の体格で越えられたことは、一刀斎にはない経験だ。

「上には上がいるんだってことが分かって良かったね。たぶん、今から会う閻魔えんま様はもっと大きいだろうから、よろしくね」

 顔の筋肉にくがたるみきり、ニコリと笑うその顔は、菩薩ぼさつかなにかのようですらある。だがしかしその笑みには、狂気きょうきしかない。

 平然と他者を踏み抜くような。ハエをはたくようにたたつぶしてしまえるような。菩薩にはある「いつくしみ」がまるでない。

 あの笑顔は元々の「顔」だ。一刀斎が日頃から仏頂面ぶっちょうづらのまま変わらぬようなもの。意味など、それにはない。

「ならばお前が行ってこい。もしも閻魔に勝ったなら、ましな地獄に行けるやもしれんぞ」

「武器なんかに頼る君なんかに、ぼくが負けるわけがないじゃあないか」

 はっはっはと、大笑おおえごえを上げながら。牛童子はゆるりと腰を落としてまえかがみになる。これから突貫とっかんしてくるというのが、容易よういに見て取れる。その構えはまるで、田畑たはたたたずむ牛である。

 彼我ひがの距離は三間さんけんあまり。一刀斎は甕割を抜いて下段に構えた。

 吸気きゅうきでもって気をって、呼気こきでもってととのえて。

 全身ぜんしん隅々すみずみまで意識をくばり、全身でもって牛童子の気のこりを探る。

 牛童子は武器を構える一刀斎に対して、なんの恐れも抱いていない。全ての意識を己の内にへ向けている。

 牛童子の肉体が、ミシリミシリと音を立てているのが分かる。全身を使って力をはっし、たくわえている。しょうじた力が牛童子の身体からだを、ふくれ上がらせているようにも見えた。

 隠れた村人たちが、つばを飲み込むのも忘れて一刀斎らに見入っている。

 さなか、誰かがようやく、口にまった固唾かたずんだ。──瞬間。

「むんっ!」

 牛童子が、蓄えた力を爆発ばくはつさせた。気の起こり、力の発散はっさん。一刀斎がそれを感じた時にはすでに。三間あったはずの距離を、縮めていた。

 その巨体に見合わぬ瞬発しゅんぱつせいは、肉自体が持つ強靭きょうじんさが必須ひっすであろう。

 でっぷり肥えているようでいて、牛童子は内に優れた筋肉にくを有していた。

ェェイ!」

 しかし一刀斎とておくれを取ることはない。反射はんしゃ反応はんのうを越えた、心のまま放たれる反撃はんげきの太刀。

 勢いを殺すため、前傾ぜんけい姿勢しせいたもつ牛童子の顔目掛けてきに行った斬撃。……だが。

「ぬうぅうん!」

「ッ!」

 牛童子は勢いを弱めることなどせず、よりいっそう屈むことで、その一太刀をくぐって見せた。

 一刀斎はとっさに転じて飛び退くが、すれ違った刹那せつなに感じたあつは、あの騎馬突撃にもおとらぬ重さを持っていた。

 あのまま直撃ちょくげきすれば、一刀斎の頑健がんけんな身であっても無事で済むかは分からない。

 なにより。

四尺よんしゃく五尺ごしゃくか、やっぱり刀は遠いなあ。もう少し踏み込めばよかった」

 あの牛童子は、刀を相手におくする様子がまるでない。

 刃を眼前めさきに飛ばされようが、それでも進む気概きがい豪胆ごうたんとは言い切れない。それは昨日の武芸者崩れたちが見せた、「狂気」に近い。

「大した思いきりだな」

「ぼくはこの体を信頼しているからねえ。刀なんか使う君には、分からないだろうけどね」

 牛童子はその笑顔のまま、再び腰を落とす。だが今度の笑顔には意味はあった。

 それは一刀斎を含む、「武具」をつかう者に対する、あざけりのそう。屈んでこちらを見上げる目は、いやらしく座っている。

「ずいぶんとまた、武器持ちをうとんでいるな」

「そりゃあそうさ。だって君らは弱いんだもの」

「……ほう?」

 弱い、その言葉に一刀斎の眉尻がピクリと跳ねた。

「だってそうだろう? 武器を使わなきゃ誰かを殺せないなんて弱い体じゃあないか。でもぼくは違う。ぼくは素手で人を殺せる。手で軽く握っただけで人は潰れる。叩いたぐらいで人は吹き飛ぶ。蹴ったぐらいで、口と肛門から血を吹き出す。武器を使ったら、「ぼく自身が強い」って証明しょうめいには、ならないじゃあないか!」

 牛童子が腕を広げて見せれば、それはまるで、巨大な角をこちらへ向ける怪牛かいぎゅうである。

 なるほど、あの腕が突き出されれば骨どころかすべての臓腑ぞうふが弾けるだろう。まさしく、その身自体が一つの武具だ。

「……そうか、それが貴様の「流儀りゅうぎ」か。素手でもって人を殺して、相手より優れていると知らしめるのが」

「……うん?」

 今度は、一刀斎の言葉で牛童子が小首こくびをかしげる。心底しんそこ不思議ふしぎがったように、いぶかしげに、一刀斎を見遣みやりながら。

 ──その仕草しぐさで、一刀斎は一人の男を思い出した。

 天下一を目指しながらも、しかばねを積み上げ高みに上がろうとした男を。天に昇るどころか、天狗てんぐ魔道まどうちた男を。

「なにをいっているんだ、君? それがもなにも、それが「武」だろう? 武術は結局、人を殺す技をおさめるものじゃあないか。相手を殺して自分が強いことを証明する。それが、武術だよ!」

 ──迷いがない。大野おおの陣三郎じんざぶろう将良しょうりょうと同じく、奴は己のほこる武に大して一切の迷いがない。だがしかしそれは、暗黒あんこくの中をただ進む頑迷がんめいさに他ならない。

おろか」

「……え?」

 バッサリと、切って捨てた。無知むち蒙昧もうまいだと吐き捨てた。

「別に貴様が、武をなんだと思おうが勝手だ。だが、貴様の尺度しゃくどでおれらをはかるな。貴様きさま程度ていど小物こものでは、とうてい足りぬ者がいる」

 一人は、自由気ままに飛び回る金剛こんごう大鳥おおとりであり。

 一人は、悠々ゆうゆうとたゆたういかずちせた大雲おおぐもであり。

 一人は、泰然たいぜんる、てしない彼方かなたへ手を広げる天空てんくうであり。

 いや足りぬ。今まで相対あいたいしてきた男たちだけでも足りぬ。

 今世こんせい天下てんがにごまんといる武芸者たち。彼らは各々おのおの、己の流儀りゅうぎ理想りそうを持つ。

「武は人殺しのためのものではない。己の流儀をつらぬくためのもの。剣も人殺しのためのものではない。理想への道を、ひたすら切り開くためのもの。武が人を殺すなど、蒙昧もうまいと言うほかあるまいよ」

 絶命ぜつめい必須ひっすが武の道なら、この世はすでしかばねくに黄泉よもつ比良坂ひらさかまでしずんでいる。

 武がやることは、たった一つだけで良い。

「武は、心身しんしんを鍛え練りあげるためのものだ。相手の生き死になどついでに過ぎん。断言しよう牛童子。貴様は武芸者じゃあない。ただの化生けしょうだ」

 人という言葉すら、あの牛童子には似つかわしくない。

「殺すことを目的とした時点じてんで、殺せることで満足まんぞくしている時点で貴様は武芸者などではない」

「……黙って聞いていれば、腹が立つなあ」

 今までゆるみきっていた顔の筋肉が、ようやく仕事をした。

 ほおまゆくちびるを、大きくふくらんだ鼻へと寄せる。

「もういいよ、説教は嫌いだ。今すぐ、き潰してやるからさ!」

「来い怪物かいぶつ、叩き斬ってやる」

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