第五話 牛童子

「そりゃあ、牛童子ぎゅうどうじだな」

「牛童子?」

 村人たちがまとうう負の気配けはいからだっし、船屋ふなやへともどった一刀斎いっとうさい

 村人たちが最後にはなっていたのはかじかむほどの冷たさ、底のない泥濘ぬかるみに足をわれ、冷えた泥に熱を奪われていくような感覚かんかくすなわち、「怖れ」だ。

 その理由を知らぬかと、正禄せいろくたずねた次第である。

「この前、村にいきなり現れた大男だよ。武芸者の首魁しゅかいだ」

「どのような奴だ」

 武芸者の首魁。そう聞いた瞬間一刀斎の目がギラリと光る。まるで炎光えんこうに当てられた刀身とうしんように。

 しかし正禄は燃えたひとみどうじることもおくすることもなく、平然と受け止めてみせた。一刀斎ももとから威圧いあつしているという意識いしきもないために、正禄のその豪胆ごうたんさに気付きかない。

「俺も遠目とおめに見たぐれえだ。背丈せたけはアンタと並ぶか越えるぐらい。だが、体格はアンタとまったく違う。牛童子はその名前なまえんとおり、牛が二本のあしで立ってるような巨漢きょかんだよ。でっぷりえて小袖こそでが前まで回らねえ。腕はガキでも皮の下にいれてんのかってぐらい、太くてでっけえ。胸を小突かれただけで、大の大人が五間ごけん六間ろっけんは吹き飛んだ。胸の骨は、バキバキに砕かれたってよ」

小突こづく……相撲すもうか?」

 武器を持たない武芸者とは、今まで戦ったことはない。相撲は神社にいた頃村の子どもたちが遊びで組み付いてきたのを素直すなおに受けてやった程度で、相対あいたいした経験けいけんはなかった。

 徒手としゅ空拳くうけんの技とは実利じつりとぼしいものである。。だが、しかし。

「空拳でありながら、武芸者の首魁か」

 実力があまりにも伴わ《とも》なかったとはいえ、あの武芸者崩れたちは武器を使っていた。いくら不得手ふえてものだとしても、武具のというものは当然ある。そもあの数で一人を取り囲めば容易たやすることはできるはず。

 しかしそんなことにはあいならず、その牛童子が上に立っていたということは余程よほどの力の持ち主か、とくそなえているからかしか考えられない。

 だがあの武芸者崩れの行動を見れば、そのかしらに徳などないのは容易よういに想像がつく。

 つまりはいくら不自然だろうとも、「素手でも武装した人間を打ちのめすことができる」と考えるのが自然だろう。あの武芸者崩れにも息巻きこうした村人たちが怯えるほどだ。まず、間違いない。

「……よほどの達者、なのだな」

「技だけじゃねえよ。あれは」

 正禄の目が座る。頭一つ抜けた胆力を持っていた正禄でさえ、その牛童子を脳裡のうりに浮かべれば身の毛がよだつほどらしい。

「……あれは、化生けしょうだ。人を人とも思わねえ。頭がどっかイカれてやがる。アンタも、あの武芸者どもを見ただろう?」

 正禄の言わんとしていることは、察することができる。

 あの村をおそっていた武芸者崩れたちは、どこか異様いようであった。

 技倆ぎりょう平凡へいぼんとしか言えないものだったが、持つ臂力ひりょく、振るった武具の放つ威力いりょく一際ひときわきたえた者でなければ身に付くようなものではなく、どのような傷を受けてもひるむことなく、致命ちめい絶命ぜつめいの一撃でようやく止まる。

 そしてその気質を表す瞳には、理知りちというものが浮かんでいなかった。

 戦いの中、血に逆上のぼせて気がたかぶることはあるだろう。だがしかし、それが「つね」であるかのような振る舞いであった。

「……アンタもひとかどの武芸者だってんならわかるはずだ。人ってのはよ、平時は落ち着き払えるもんだ。痛え時は痛えし、怒りってもんをいだいても引っ込めることが出来る。そう出来てる。になれば、脳みそが切り替わって心の臓が高鳴たかなる。発せなかった力が出せて、どんな痛みも乗り越えられる。そう出来てる。……だが、アイツらは脳みそのそういう機能きのうが、ぶっ壊れてるみたいに暴れてやがる」

 一刀斎にも身に覚えがある。戦いに入る瞬間の、心臓がはげしく脈動みゃくどうし、燃え立つような血を全身に押し流す感覚だ。

 戦い間は多少たしょうの傷は気にならなくなるし、体の深部しんぶ心髄しんずいから力を発することも可能になり、相手の息遣いきづかいにも敏感になる。

 しかしそれは戦闘のただ中の話であり、常からそうだということはない─気配を感じやすいのは常からだが─。

「……牛童子も、そうだというのか」

「あの馬鹿力は、そうだろうな。なんせ、家一つ潰せるほどだ。ここら一帯いったいかわ氾濫はんらんやら戦やらでやたらと家が壊れるから、簡単にぶっ壊せるようになってるがよ。それでも人一人がぶっ壊せるようなもんじゃあねえのは確かだぜ」

 どうやらその牛童子というのは、よほどな存在らしい。

 確かにあの異常な力と傷を受けようとなんともしない耐久力に、武芸者としての技倆が合わさればと思うとゾッとする。

 それは、つまり。

「……どうやら、アンタも相当イカれてるらしいな」

「む、なぜだ」

 さすがにあの連中といっしょくたにされるのは我慢ならないと、批難ひなんがましく正禄を見やる一刀斎。

 だが正禄の瞳に映った一刀斎は、「超常を常とした怪物かいぶつ」に対する好奇が隠せていなかった。

「……そういえば」

「どうかしたかい?」

 一刀斎がふと思い出したのは、ここに来る前に訪れた旱天かんてんさいなまれた村のこと。

 そこは豊穣祈願の相撲の最中、やってきたらしい「力士」がその豊穣ほうじょうの神を投げ飛ばし勝ってしまったことで日照にうようになったという。

 神を投げ飛ばすほどの、力士。それは、もしや……

「……いや、なんでもない。では、今晩は厄介やっかいになる」

「おう、河の向こうに用があんだろう。朝一で届けてやる」

「……そう、か」

 どうやら、眠れぬ夜になりそうだ。

「しっかり寝とけ。さもなきゃうからよ」

「……分かった」

 それでも、なんとしても寝付かねばならないらしい。

 運の良いことに、秋の夜は長い。船に乗るまでの時間は、充分にある──。


 秋の夜は長い。船に乗るまでの時間は充分じゅうぶんにあった。

 だがしかし当然とうぜんながら、寝てしまえばあとは起きるまではあっという間であり。

「さて、朝の水運が終わり次第向かうぞ。準備はいいかい」

らされるとは思わなかったぞ」

 お陰で余計に不安があおられる。起きてすぐ乗船するという事態じたいは避けられたものの、昨日した覚悟がにぶるというものだ。

 顔をより一層険しくした一刀斎は、桟橋さんばしの手前で胡座あぐらをかいていた。

 やはり、船は苦手である。これはなんとも治しがたい。

「大丈夫だよ、爺ちゃんは片腕だけど腕はここら五町ごちょう五指ごしにはいるからさ」

「バカ言え正十せいじゅう十町じっちょう十指じっしだ」

 それはどちらも同じではないか。ともあれ、腕は良いらしい。信頼しんらいは出来る男だというのは確かなようだ。

 とは言え、他者に命を預けるというのはなんとも慣れないものである。

 意気を絞り出すように、甕割をしかと握り締める。十町ほど先の向こう岸では、いくつかの船が往来おうらいしていた。昨日の話では河の向こう、尾張おわり西側にしがわ織田おだ尾張守おわりのかみの先代の手によって商業しょうぎょうがいとして開発かいはつされているという。あの船たちもまた商業しょうぎょうにな一端いったんなのだろう。あちら側は川上から運ばれた品を集め、品を川下へと運ぶ水駅すいえきなのだろう。

 その船の数も次第しだいに落ち着いてくる。そろそろか。と覚悟を決めた正にその時。

「そ、そこの武芸者ぶげいしゃぁあー!」

「なんだぁ?」

「あれは……」

 あまりにが噛み合って、ふね用意よういに立ち上がったのに、呼ばれて反応はんのうしたようになってしまった。

 後ろに首を回してみれば、その男はつい昨日、偶然ぐうぜん助けた男である。

 あの村から走ってきたのだろう。顔を真っ赤にし、全力で駆けてきたのが一目見てわかる。

 はてさてなんの用かと待っていれば、その男は一刀斎の元まで来て。

「あ、あんた、村に来い! 来てくれ!」

尋常じんじょうでないな。何があった」

 男は一刀斎の襟に掴み掛かりぐいと引っ張る。

 その気迫きはくは並みならないものではあるが、それは怒りや嫌悪けんおから来るものではないのはすぐに分かった。

 昨日のあの泥のような不安が、よりどろりとねばりついているようだ。

「あいつが……あいつがあんたを呼んでるんだよ! 昨日来た武芸者を連れてこいって! 連れてこなきゃ村のむすめ小僧こぞうの一人づつを潰すって!! 牛童子がよお!」

 牛童子、それは昨日正禄が語っていた力士であり、武芸者崩れの親玉おやだまだ。

 おれいまいり、といったところか。だがしかし、子どもを人質ひとじちにとるとはやはり、ろくでもない性根しょうねをしているらしい。

「子を捕まえておどすとはな……」

「あんたに人の心があるってなら、村に……」

「ずいぶん調子がいいなあおっちゃん」

 焦る村人と一刀斎の間に入ったのは、正十だ。

「昨日は兄ちゃんのこと村から追い出したくせにさ。武芸者たち追っぱらってもらってもろくにれいも言わなかったんだろ。なのに手を貸してほしいってのはずいぶん都合つごうがいいじゃねえか」

 正十の言葉に、村人は口をつぐんでしまう。

 確かにその通り、村の人々は一刀斎を歓迎かんげいしなかった。当然とうぜん恩もないし、村の子どもたちがどうなろうと一刀斎にはなんの関係もない。一刀斎には、なんの利もない。──わけでは、ない。

「さて兄ちゃん、尾張に行くんだろ。村なんて放っておいて」

「川を渡るのはしばらく後だ。少し行ってくる」

「はあ!?」

 一刀斎の言葉に、正十と村人は目をいた。

「な、なんでさ兄ちゃん、村にはなんの義理ぎり恩義おんぎもねえだろう!?」

「ああ、全くないな」

 ならなんで、といういがかえされる前に。

「おれと戦いたいという武芸者がいる。なら、行かない理由はないだろうよ」

 武芸者にとって最も優先すべきは、己の武を振るうこと。

 求められているならば、挑まれているならば、そこにかずしてなにをするか。

「すまんな正禄殿、正十、すぐに終わらせてくる」

 相手は力士、空拳くうけん怪物かいぶつ豪腕ごうわん牛体ぎゅうたい巨怪きょかい。刀を扱う己に利はある。

 だがしかし、利がある程度で勝てるかどうか分からぬのが、仕合というものである──。

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