第三話 織田弾正信秀

大丈夫だいじょうぶかいにいさん。だいぶまいてってる様子ようすだが……」

問題もんだいない」

 心配しんぱいする船頭せんどうりつつ、りくがった一刀斎いっとうさい

 ふねっていたときとはってわり、みずうおのように生気せいきもどしていた─状況じょうきょう真逆まぎゃくではあるが─。

 さっきふねっていた姿すがたとまるでちがさまに、船頭せんどうほかきゃくもしげしげと横目よこめに見られていた。

 しかしとう本人ほんにんはさしてにする様子ようすもなく、じっと東側ひがしがわていた。

尾張おわりは東に行けば良いのか?」

「ん? ああ、もう一本いっぽんかわえたら、すぐに尾張だよ」

 休憩きゅうけいちゅう船頭せんどうたちたずねると、一人ひとりあご方向ひがしした。

 目前もくぜんにはちいさなむらがある。かわはその村の向こうにあるのだろう。

 すると、ほかの船頭がつづいて。

へだててるのはかわ一本いっぽんだってのに、あっちだいぶいいまちでなあ。あれもこれも、先代せんだい織田おだ殿どの辣腕らつわんのおかげってもんだ」

先代せんだい?」

 織田おだ尾張守おわりのかみというおとこっている。

 将軍しょうぐんほうじて、きょうった大名だいみょうだ。そのいきおいはまさに燎原りょうげんごとく。そしてそのかい進撃しんげき相応ふさわしく、極大きょくだいほのおまと魔人まじんであった。

 一刀斎にとってはろくまないかとさそわれた相手あいてでもある。

 ここに来たのも、織田尾張守がかつていたという目指めざ道中どうちゅうである。

 しかし、先代とやらについては、よくらない。

「その先代とは、いったいどのようなおとこなんだ?」

「俺らもくわしくは知らねえが、西にし尾張おわりをよくそだてた名君めいくんらしいぜ。先代の話なら……あっちのかわちかくにんでるじいさんならってるかねえ。たしか尾張生まれだしよ」

「ああ、せいろくじいさんか。あの人ならちがいねえな」

「ふむ、正禄……分かった。そちらにおもむいてみよう。感謝かんしゃする」

 手短てみじかに、船頭達にれいを言うと足早あしばやに東を目指めざしていった。

 その決断けつだんはやさをて、船頭達はあわてて「おいちな!」と声をかけるがもうおそい。こえなかったかこえぬりをしたかはともかく、一刀斎はさっさとってしまった。

「あーあ、行っちまったなあ……大丈夫だいじょうぶかねえ?」

「どうだろうなあ。なんせあの村は……」

 心配しんぱいそうに、一刀斎の大きな背中せなかおくりながら。

武芸者ぶげいしゃのこと、きらってる連中れんちゅうおおいからなあ……」


 いつ以来いらいか。これほどじっとりとした気配けはいかんじたのは。

 まるでしまにいたときとおなじようだ。むら全体ぜんたいから、一刀斎にたいしてつよ負念ふねんおくられている。

かえれ』『るな』『ていけ』

 やたらと歓迎かんげいされていないというのがかんれる。

 村人達はこちらをきもせず、ときたまこちらにけられる視線しせんには拒絶きょぜつ意思いしがはっきりめられていた。

 ここまでうとんじられるのは久々ひさびさだ。というより、あのしまからてこうきらわれたことはかったようにおもえる。いていうなら、あのきょうでの生活せいかつおのれうらむ武芸者はいくらかいるだろうが。

 なんとも居心地いごこちわるい。だが。

「そこの、正禄せいろくというわたしはどこにいるか」

 自分じぶんとくなにかしたわけでなし。あからさまな嫌気いやけであるが、たずねればそう無下むげにすることはあるまいとみちおとここえをかける。

 しかし男は足をめることもなく、かたちばかりに頭を下げて何事なにごともなかったかのようにそそくさと去っていってしまった。

 ……どうやら、本当に自分は招からざるきゃくらしい。こうまで住民じゅうみんすべてに徹底てっていされているとなると、かなりの大事だいじであるのはたしかだが、一刀斎がこの村に来たのは初めてだ。思い当たるふしもない。

 一体いったい全体ぜんたい、この村はどうなっているのだろうか?

「ふむ……」

 ひょい、とよこあしはこぶ。すると一刀斎がちょうどいたところに、ぴちゃりとフンちてきた。

 上を見れば一羽いちわのカラス。どうやら鳥にすらきらわれているらしい。カラスははずしたことがわびしいのか。きながら西日にしびへとかえっていく。

 あきひるみじかい。正禄探しはさておいてさっさと宿やどつけてしまおう。

 ──と、おもったのだが。

「すまないが、あんたがはいれる部屋へやはないね」

「ふむ、そうか……」

 むら唯一ゆいいつらしい旅籠はたごつけたが、このとお門前もんぜんばらい。尾張おわり伊勢いせつなかわに挟まれているからか。やはりひと往来おうらいし、宿泊しゅくはくするものおおいのだろう。

 仕方しかたないと宿やどると、いれちがいにたび装束しょうぞくをした商人しょうにんふうおとこはいっていく。もう部屋へやはないようだぞ、と止めようとしたが

「おやおやこれは旦那だんな! いつもひいきにしてもらって。ささ、いつもの部屋へやいてますんで!」

 ……どうやら、自分に空ける部屋だけがないらしい。

 今夜こんや野宿のじゅくになりそうだ。


 川音かわおとちかこえてくる。気付けばむらはずれまでてしまった。

 そらはすっかりむらさきいろまっていて、西にしを見ればはわずかにのこともすだけで完全かんぜん姿すがたしていた。

 ここならば邪魔じゃまないだろうと、一刀斎はごろんとのままよこになる。

 そういえば、結局けっきょく正禄せいろくとやらとはえなかったなとおもっていたら自然しぜん目蓋まぶたりてきた。元々もともと草枝くさえだんだいおり軒下のきしたていた一刀斎である。というか、そのほうながい。

 いつのにか屋根やねしたたたみうえることがたりまえになっていたが、結局けっきょくのところ「どちらでもられるようになった」ということにしかならなかったようだ。

 かぜつめたい。なにしろもうふゆだ。さすがにかわいた寒気かんきにはこたえるが、だがてしまえばもう関係かんけいない。

 一刀斎は、そのままねむりに──

「おいおい! なにやってんだよう兄ちゃん、こんなさむなか外で寝たら死んじまうぞ!?」

「む……」

 せっかく休めると思ったのだが、たたこされた。

 むくりと体を起こしてみれば、年のころはじゅう前後ぜんごだろうか。こし魚籠びくをつけた少年しょうねんだった。

 おさなさは残るがかおつきはたくましく、うでにはしっかりとした筋肉きんにくがついていた。

「なんでこんなとこで寝てたんだよ」

「宿がとれなかったのでな。野宿のじゅくするつもりだった」

「宿が取れないって……あ」

 少年はいぶかしげに一刀斎の体をじっと見る。そこで、こししてあった甕割かたなに気づいた。すると「あっちゃあ」と、自分の額を手で押さえる。

むら連中れんちゅう最近さいきん武芸者ぶげいしゃきびしくてさ……ごめんな兄ちゃん」

かまわない。うとまれるのもぱらるのもれているしな。では」

「いやではじゃねえよ」

 ふたたころがろうとする一刀斎を少年はめる。なんともお節介せっかいな子どもである。ともあれ、村の者々ものものとはなにやら毛色けいろちがうらしい。こんな時間じかんにここにいるということは、ちかくにんでいることにちがいはなさそうだが。

「じゃあ、うちに来なよ兄ちゃん。うちは今日はオイラと爺ちゃんだけで、他の連中は尾張のほうだしさ」

「尾張の方?」

 その言葉で、一刀斎は「まさか」とさっした。

「おまえとその祖父そふは」

「オイラは正十せいじゅう。爺ちゃんは正禄だ」

 どうやら運は向いているらしい。目当めあての人間に、辿たどけた。

「……夜風よかぜしのげるなら、それにしたことはない。言葉ことばあまえるとするか」

「ああ、それがいいぜ」

 ニッカリ笑った正十は、立ち上がった一刀斎の前を行く。魚籠はおもたげにれていて、何匹か魚がいるのが見てとれた。

 正十のあとを着いていくと、間もない内にそれが見えた。

 大きめの舟屋ふなやであり、おそらく昼間ひるま何本なんぼんも船をしているにちがいない。六層ろくそうはいるだろう。

「帰ったぞー爺ちゃんー。村の連中れんちゅうから追い出された武芸者ひろってきたー」

 拾ってきたとはずいぶんな物言いだが、間違いではないので否定ひていはしない。

 階段かいだんがってみれば、二十にじゅうにん雑魚ざこできるだろう空間くうかんひろがっており、そのどなか囲炉裏いろりのそばでは、むずかしそうな老人がじっと火をいていた。

 おどろいたのは、その男には片腕かたうでがなかったことだ。船頭と聞いていたが、片腕でげるのだろうか。それとも、もう隠居いんきょの身なのだろうか。

 老人はこちらを見ることもなく、「魚は」と聞いてきた。かすれてはいるが不快ふかいではない。それが正しくとした上でのものであり、みみ心地ごこちのいいものだった。

「ああ、晩飯ばんめしの分はれたぜ」

客人きゃくじんの分はあんのかって聞いてんだ。んどいて持てなさねえってわけにゃいかねえだろうが」

 ……偏屈へんくつに見えて、どうやらふところはだいぶふかいらしい。


わるかったな。村の連中がよ」

かまわん、なにか理由ワケがあってのことなんだろう」

 晩飯ばんめしは食えぬと思ったが、かゆと魚にありつけた。爺に小僧に己。なんともはや、いつぞやの飯を思い出す。あの頃は毎日粥でいていたが、食えることはしあわせであるのは間違いなかった。

「……して、正禄殿、聞きたいことがある。」

「なんでえ、旅の」

 しょくやすみにと、一刀斎は正禄に話を聞くことにした。正十はじとりとした目で、窓をから村の方を見ていた。

 自分は尾張を目指しており、ここに来る前、正禄が尾張の事情じじょうくわしいといて、訪ねたことをつたえる。

 正禄は、その気難しい顔はくずさずに、「構わねえよ」とこころよく受けた。

 表情ひょうじょう言葉ことばが、なかなか一致いっちしない男である。

「尾張はな、上国じょうこくとは言われてたがれた野っ原だらけでよ……如何いかんせん美濃みの三河みかわおくれをってた。だが、その尾張をかせたのがいま織田おだ尾張守おわりのかみ先代せんだい織田おだ三郎さぶろう弾正だんじょう信秀のぶひでさまだ」

 信秀様。そう呼んだ正禄の声には、ふか敬服けいふくねんが込められている。まるで粥でた熱を、そっくりそのままめたような。感謝ねつふくまれた声音こわねだ。

弾正だんじょうさまなさけない主家しゅか一族いちぞくいて尾張国内こくない平定へいていすすめてな、ちいさな庶流しょりゅう織田おだまたた大名だいみょう一角いっかくげたのよ。その軍略ぐんりゃく政略せいりゃくは、今の織田尾張守にもがれている」

 そういえば、柳生やぎゅうさとだれかがっていた気がする。「織田の先代は賢人けんじんだった」と。

 受け継がれている。それは確かに聞き覚えがある話であった。

 領内りょうない領外りょうがいというがあるが、織田尾張守も電光でんこう石火せっかかい進撃しんげきでもって今や将軍しょうぐん右腕みぎうでである。

はかりごとだけじゃあねえ。あの御方おかたはな、しろ転々てんてんえたのよ。変えた先々さきざき城下じょうかととのえ、あきないの基礎きそととのえた。尾張の西側──つまり川の向こう側だがな、どこにもねえほどかねあふれる商いのまちになった。その金でもって弾正様は、へいそろえ、武具ぶぐそろえ、朝廷ちょうてい将軍しょうぐんさらには寺社じしゃみついで地位ちい確立かくりつさせたのさ。……今の織田尾張守の土台どだいは、間違いなくあの御方のものだ」

 きっと正禄は、その先代織田になにか大きなおんがあるのだろう。そうでなければ、ここまでねつっぽく語ることはない。

 それも、これは心酔しんすい盲信もうしんとは言えない。正真正銘しょうしんしょうめい、ありのままを語っていた。

「……一帯いったいは今も織田尾張守の一族いちぞくでもって支配しはいされててな、さすがに前こそのいきおいはないが、今だおとろえちゃあいねえ。良いとこだぜ、向こうは。武芸者だってさげすまれることもねえ」

「それも気になるな……やたらと武芸者にきびしいなあの村は。なにか理由が──」

「おい爺ちゃん、またみたいだぜ!」

 窓を見ていた正十が、唐突とうとつこえる。

「話の途中だろうが!」と正禄は怒鳴どなり付けるが、同時に「ちょうどいい」と一刀斎をまっすぐ見る。

「……そとな」

 うながされるまま、一刀斎は窓際まどぎわに行く。そこからは、あの村が見えた。高いところから見ると、小さな村である。だがなにやらさわがしい。

 もう夜だというのに、やたらあかるかった。

「また、意固地いこじになって抵抗ていこうしてんだなあ……まあ、勝手かってされたかねえのは分かるけどさ」

「連中は血気けっきさかんだからな」

なにきている?」

 まるで犬猫いぬねこ喧嘩けんかでもているかのように、なんの感慨かんがいもなくながめている正禄と正十。

 しかしその内容ないようからして、なにやら不穏ふおんなことが起きているのは確かである。

「……武芸者だよ」

「なに?」

「どこぞにたむろしてる武芸者が、な村にんだよ。……によ」

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