第二話 種を撒く者。実を刈る者。

 それは、むらから一刀斎いっとうさいったつぎのことである。

 その日は、久々ひさびさあめっていた。しとしとと弱々よわよわしかったが、あさからずっとっている。おかげかわいた大地だいちうるおいがもどり、村人むらびとたちおおよろこびで、名主なぬしいえあつまってうたげ最中さいちゅうだった。

 一方いっぽう和尚おしょうは、夕方ゆうがたきょうとなえ、雨音あまおとたのしみながら写経しゃきょうをしていた。

 そんな時、眉の太い修行僧しゅぎょうそうが部屋に来た。

和尚様おしょうさま、おきゃくさまが……」

「お客とな?」

「ええ、あめっているのでなかに入るよう言ったのですが、門前で良いと……」

 この雨の中誰だろうと、門へとけば。

「おお、博士はかせ殿どの!」

「お久しぶりですなあ、和尚様!」

 和尚が博士殿と呼んだのは、いまふるくさ狩衣かりぎぬつつんだおとこである。その姿すがた小綺麗こぎれいであり、あめれていてもよごれもない。

 いわく、「護法ごほう応用おうようよごれはつかぬのです」とのことである。

 博士は顔の上半分うえはんぶんめんおおっており、そのくちはニッコリとおだやかそうに。

「いえ、やまでこの一帯いったい慈雨じうるよう祈祷きとうしていたところ雨の気配けはいを感じましてねえ、いそりてきた次第しだいです。そしたらこのとおり雨がっているではありませんか! いやあ、よかったですねえ」

「ええ、本当に。あのおさむらいさまのおかげです……」

「……侍?」

 和尚の言葉に、博士の鼻がわずかにふくらんだ。

「ええ、実はこの前この村にあるお侍様がふらりと現れまして……そのお方が剣を振るい、見事みごと日照ひでり鬼神きしんはらってくださったのです! おかげでこの通り、雨が降りここら一体の者達は喜んでおります」

 興奮こうふんして、ねつめてかたる和尚の顔はいつぞやのではない。しろかった顔は、赤々あかあかとしていた。

 一方博士の方は、口元くちもとこそおだやかにほほんでいるが笑い声はあげない。ただジッと、和尚の話に耳をかたむけているだけだ。

「……はあなるほど、鬼を斬ったかたなを持った侍ですか……。しかし昨今さっこん、侍は横暴おうぼうですからねえ。おんせ、なにかうばわれたりはしませんでしたかな?」

うばうだなんてとんでもありません。あのかた謝礼しゃれいも受け取らずにっていきました。つぎ宿やどまでのにぎめしでさえ、受け取ってもらえませんでした」

 本当ほんとう立派りっぱなおかたでした。とふかうなずく和尚。さらには。

「あの方は、わたしたちの目を覚まさせてくれました。鬼神きしんいた理由りゆうは、私たちのこころよわゆえだろうと。をしっかり苦難くなんえよと。あの方はきっと、不動ふどう明王みょうおうさま化身けしんでしょう。ちがうとしても、私は明王みょうおうさまのおみちびきではないかとおもっております」

 ばなしで称賛しょうさんする和尚を見て、博士は「なるほど」と口元にてる。

 ──りそうなシワを、必死ひっしになってばしかくして。

 和尚が不穏ふおん様子ようすかんじとり、「博士殿?」と声をかけようとしたその時。

「──それは、大変たいへんよかったですなあ! きっとそのお侍様はあなたのいう通り神仏しんぶつ使つかいだったのでしょう! この村に雨が降り、大変たいへんよろこばしい限りですなあ!」

 その手をどければ、めんからにはなみだこぼしたたっていた。和尚は「この方は泣くほどこの村を思っていたのか」と、ありがたそうにわせた。

「そのお侍様への感謝かんしゃつねからおもっていれば、この村が天災てんさい見舞みまわれることはないでしょう。いえ、いかなる災厄さいやくでもこええられますでしょう!」

 大仰おおぎょう祝福しゅくふくする姿すがたは、傍目はためても胡散うさんくさい。だがしかしなみだながしてわれれば、それは本心ほんしんからだろうということは見て取れた。

「して、そのお侍様の名前は、なんというのですかな? まさか名乗なのらなかった、ということはないでしょう」

「ええ、そのおかたは、外他とだ一刀斎いっとうさい殿どの名乗なのられました。天下一てんかいち剣豪けんごうを、目指めざすと」

天下一てんかいちですか! それはまた」

 それはまた、言いかけた陰陽師おんみょうじひといて。

「──こころざしはるたかいお方ですなあ。わたくしたびですからねえ、いつかまみえることもあるでしょう。では、これにて」

「ああ、おちを。もう夕刻ゆうこくですので……」

 おまりに、とまえに博士はでもって制止せいしする。

「おになさらず。私もいしまくらにする修行しゅぎょうですからねえ。宿やどってはこころあまくなってしまいますので」

 目元めもとやわらかくして、博士は固辞こじしてもんからていく。

 和尚はその姿を見送りながら、「神仏しんぶつ加護かごがありますよう」と手を合わせた。


「……はあ、こころつよさともろさは表裏ひょうり一体いったい。ですなあ」

 てらからとおはなれたところで、博士はめんはずす。

 そのは、おぞましいいろかべていた。

 いびつ瞳孔どうこうよこつぶれ、虹彩こうさいにごった黄色きいろ、それは人の眼とはとても言えない。

 くちびるから垣間かいまえる隙間すきまなくわせられ、ギリギリとおとてている。

「せっかくかねがなりそうな荒蕪肥沃場所ばしょを見付けたのに、どこぞの素浪人すろうにんに台無しにされた。全くもっておもしろくないな。おかげで本当に石を枕にしなきゃあならない」

 博士はひがしそらあおる。せめてあの秋霖しゅうりんがここいらに降ってくれれば。そうすれば侍とやらに邪魔されずにすんだのだが。

 ここら一帯いったいに雨がしばらく降らないのは予測よそくできた。あの雨雲がここらを通るかどうかはかぜ調子ちょうし次第しだいであったが、そこはけ。

 何はともあれ、だ。

「外他一刀斎か……」

 なんともうらめしいものだ。だがしかし、聞くに相手はただの旅の者。ちょっかいを出しても金にはなるまい。金は基本きほん、「他人のためになること」でしか生まれない。

 自分のためにやったところで、金なぞはえてこない。

 だから博士は他人ヒトのために働いていた。

 いたたねみのるのをうながすように。懇切こんせつ丁寧ていねい不安ふあんそだてて。大きく実をむすんだあたりでる。

 それが今回は、実る前に横からかっさらわれてしまったが……。

 手塩てしおにかけたものをうばわれるのは、大変たいへんしゃくである。

「どれ、ひとつあしってみるかな」

 おのれうばわれ、いかわす復讐ふくしゅうはしるのは三流さんりゅう仕事しごと

 失敗しっぱいは失敗だとながし、ほか仕事しごとりかかるのは二流にりゅう仕事しごと

 かせぎをうばったやつから、元金がんきん以上いじょうかえすことこそが一流いちりゅう仕事しごと

 なにより、よこりした奴から回収かいしゅうするのが、一番「愉快ゆかい」だ。

「ふむ……を動かすかな。はかるなら、丁度ちょうど手勢てぜいだろう」

 博士はふたたび面を掛け、算段さんだんする。

 はてさていったいどうやって、邪魔じゃま雑草ざっそうを刈り取ろうか――


 一刀斎いっとうさいは、ただただ目の前をにらんでいた。

 かつてえた目前もくぜんにして。

 たった一人ひとりではえることはかなわなかった。なさけないはなしではあるが、あの頃の未熟みじゅく自分じぶんではだれかの手助たすけさえなければこれを退けることは出来できなかった。

 それほどまでにまえのものは、おそろしい相手あいてであった。

 ねがわくば、二度にどいたくはなかった。もう二度にどあらわれるなとこいねがった。

 だがしかしそれは、眼前がんぜん悠々ゆうゆう存在そんざいしている。

「あ、ああ……あ、あの時の、あの時のぉお……!」

 どこかでおぼえがあるおとこがこっちをかおさおにしておびえているが、かれもあれがこわいのだろうかと一刀斎は検討けんとうちがいのことをおもった。

 あのおとここわがるわけがない。なぜならあれこそ男の収入しゅうにゅう源げん》だからだ。

 一刀斎は、またもや相対あいたいしていた。

 三年前さんねんまえ伊東いとうから堅田かたたへのたび相対あいたいした強大きょうだい相手あいて――かわに。

「すまないが、この川をわたらずに尾張おわり手段しゅだんは」

「ひ、ひい!」

 顔を真っ青にした男は、たずねたもなくどこかへとってしまった。いったい何をあそこまで怯えているのだろうかと、一刀斎は首をかしげる。

 代わりに答えたのは、ふねそばすわる男である。

「そうだなあ。三里さんりあるかわがダメなら、七里ななりあるうみの……」

「船以外の手段はあるか」

 おもわずんでいた一刀斎。いつにもましてはやかえしである。

 七里も船に乗ってはいられない。しかも海。川の船よりずっといやだ。

「……それはないな。この川は美濃みのまでさかのぼる。うえほうなら多少たしょうほそくなってるが……」

「どちらにせよ、船は使わなければならないのか……」

「しかも、何度なんどわたることになるぜ。この川、もと辿たどれば三本さんぼんかわ出来できてっからな」

 なんとも憂鬱ゆううつはなしである。

 ここで覚悟かくごめてながわたるか。

 それとも、上流うえって何度なんどけて渡るか。とてもなやましい。

そらべたら船など使つかわずにむんだがな……」

なこというねえあんた。人様ひとさまが飛べたら俺らは廃業はいぎょうだぜ。漁師りょうしになるしかねえな」

 漁師。またもや苦手にがて言葉ことばが出て来た。とはいえ船とくらべてましではある。

 堅田かたたではみずうみの漁師とすくなからず交流こうりゅうがあったから苦手にがて意識いしきはある程度ていど克服こくふくしている。

 ただ、師匠ししょうつだいで何度も乗ったが船は慣れない。

「で、どうするんだい。ってくかい?」

「今日はめておく」

 なにしろいそたびではない。廻国かいこくがてら、ぐるりとおおまわりしてもかまわないのだ。一日いちにちかんがえるのならなおのこと。

「ふむ、そうかい。尾張おわり殿様とのさま美濃みのおさえて以来いらい、あっちもいくさの気配はねえからなあ。それもいいだろうさ」

「尾張の殿……織田おだ尾張守おわりのかみか」

 織田尾張守。尾張に生まれた大名であり、天下てんかたいらげんとするほのおごとき男である。

 かつて出会であい、伊豆いず近江おうみすと、己をやとおうとした男でもあった。

 そういえば。

「……その織田尾張守に馴染なじみがある場所ばしょは、知っているか?」

「うん? おれ桑名ここまれだからな……くわしくはねえが……たしか本拠ほんきょにしてたのは、上の方にあるな。さっきいった三本さんぼんあつまりはじめるとこ……だったかね。きょうのぼまえはそこらにいたらしいぞ」

「ほう」

 織田尾張守が本拠としていた場所。それは興味きょうみがある。奴の人となりをひとつの機会きかいになるかもしれない。

 なにせ、「天下一てんかいちになったらしんになる」と言ってしまったのだ。くち約束やくそくとはいえ、それを理由りゆうたがえるのはしんがない。

「なら、そちらを目指めざしてみるか。礼を言うぞ」

 船に渡らず、金にもならないのにありがたいことだ。渡し手を見れば、「気にすんな」と手を上げる。

「俺の金にはならねえが、おびえる奴も乗せたくねえしな。その図体ずうたい癇癪かんしゃくこしてあばれられたらほかきゃくもろともしずむからよ」

「さすがに暴れたりはしないぞ。おれも死にたくない」

「怯えるのは否定ひていしねえのな」

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