陰陽師編

第一話 その太刀が斬るもの

 いったいどうしてこうなった。

 もう何度目なんどめかは分からないが、一刀斎いっとうさい自問じもんする。

 そのたび主張しゅちょうするのはにぎ甕割かめわりである。

 尾張おわりかう道中どうちゅうまったてらで、一刀斎はこの近辺きんぺん旱天かんてんがいっているとかされた。そのおりに、この甕割の由来ゆらいはなしたらこのざまである。

 てら境内けいだいにはつちかためられ、その四方しほう八方はっぽうには近隣きんりん村々むらむら者達ものたちがじっとすわっていて、がるほのおまえ和尚おしょう祈祷きとうげる。

 そのほのおいきおいは、はなれてつ一刀斎の元まで熱波ねっぱはなっている。

 確信かくしんした。ろくにめしえぬなか、このあつさのなか相撲すもうったのだからたおれたのだと。

 しかも、祈祷きとうがやたらながい。村人むらびとたち御仏みほとけまえだとしてくずれることない。きっとあししびれるだろう。相撲なぞ取れるわけがない。

 とは言え、彼らの熱心ねっしんさはよくつたわる。なに真実しんじつかはともかくとして、つよしんじることはわるいことではない。それで彼らがすくわれているというのなら、そのこころみずすことはないだろう。

「では、たびのおさむらいさま……その神刀しんとうもっ悪鬼あっきせてくださいませ……!」

「ようやく終わったか……」

 和尚が土俵どひょうからはなれ、あがるよううながされる。

 ほのおいまだだなおえていて、土俵場にはかなりの熱気ねっきしょうじており、眼前がんぜんには真夏まなつのように陽炎かげろうただよっている。……間違いなく、日照ひでり鬼神きしんはこれが理由しょうたいではなかろうか。

 甕割もさっと数度すうどってみたが、きる太刀たちかぜなつ南風みなみかぜちかい。空気くうきにわずかながある。

「おお、あれが鬼斬おにきり太刀たち……!」

「ありがたや、ありがたや……!」

 あの夜に神刀からただのひと包丁ぼうちょうとなった甕割に、村人むらびとたちわせる。和尚には今はもう神刀ではないのだと伝えたはずなのだが、来歴らいれき無視むしして縁起えんぎだけをつたえたか。

 さて、のこ問題もんだいは──

(いもしない鬼神とやらを、どうやって斬るかだ)

 ためしにいつもしているように、一人ひとり稽古けいこのように一本いっぽんしてみる。

 だが。

「なんと見事みごと太刀たちすじだろう!」

「しかし鬼はたおれておらぬぞ……!」

 やはりそうだ。この村人達は、

 この村人達の信心しんじんぶかさはなみ大抵たいていではない。いままでの一人相撲の失敗しっぱいと雨が降らなかったこともあいって、彼らの中で『日照の鬼神』という存在が肥大ひだいしていた。

 先よりも意気いきを込めて、二本にほんわせて甕割を振るったが村人達は口々くちぐちに「しい」「まだまだ」と勝手かってはやてている。

 ──これはまいった。予想よそう以上いじょうろうようする。

 すこしでもいた太刀をしめせば、この村人達が納得なっとくしない。

 やるからには真剣しんけんごと集中しゅうちゅうし、全霊ぜんれいめてせねば彼らの頭の中からうつされた鬼を斬ることはできないだろう。

 ここにいる全員に、「鬼を斬った」と言わしめる太刀を振るわねばならない。

 炎燃え盛り、熱波吹き付けるこの土俵場で。


 この際だからと一刀斎は、おのれ内側うちがわ意識いしきけていた。

 にくこころあいだようとしていた。心が体をうごかしているというのなら、心はどう体を動かしているのか。

 体はどう心におうじているのか。

 いったいどうやって、己はこの体を動かしているのか。この体は、どうやって己におうじているのか。

 なくつづく「見えない敵」との戦いで、一刀斎は己の内をじっと見ていた。

「ぐぬう、やはりあの神刀も当たらねば……」

「しばらく前から当たることがなくなってしまったな……」

 村人達は、勝手なことを言っている。いもしない鬼を斬れたものかと、えかけたがくちをつぐむ。

 つまり、彼らを納得なっとくさせる太刀たちおのれは振るえていないということなのだから。

 呼吸こきゅうをすれば、けた空気くうきはいねっし、内側うちがわからもからだを焼く。

 それだけでない。村人達のいだく気配が、ひとつの大きな負の想念そうねんと化して場を支配しているのだ、

 一人相撲をした男たちも、こうやって「鬼」にやぶれたのだろう。

 倒したと認めてくれぬ村人達と、倒せていないと決めつけた己と、場を支配する想念に、膝をられたのだ。

 その想いを斬れるほどの剣を、一刀斎ははなたねばならない──。

 いっそう意地いじを込めて袈裟けさに大きく振った。

 瞬間しゅんかん、目の前の炎が、大きく揺れた。そのさき本堂ほんどうには、木彫きぼりの仏像ぶつぞう鎮座ちんざしている。

 そこらの鬼よりはるかにおそろしい、激憤げきふん相貌かおかべたほとけであり、そのには火焔かえんのような光背こうはい背負せおっていた。

「すまん和尚」

 剣を振るのを止めつつ、足をゆっくりとさばきながら和尚に寄って声をかける。

 呼ばれるとは思ってなかったのか、和尚は肩をぴくりと跳ねさせた。

「な、なんでございましょう、お侍様?」

「この寺で祀っているのは、なんの仏だ」

 いったいなんの話だろう。和尚は真っ白いあたまきながら、とかく、一刀斎のいに答えた。

「この寺の御本尊ごほんぞんさまは、不動ふどう明王みょうおうでございますが……」

 不動明王。その言葉で不意ふいに思い出したのは、ある女。

 もう半月はんつきか、まだ半月はんつきか。柳生やぎゅうさと三日みっかともにごした女。

 天下一てんかいち医者いしゃ目指めざすという、きよあでやかながら、天衣無縫てんいむほうきる自由じゆうな女。

 そんな彼女が言っていた。

 金翅鳥王こんじちょうおうは、ほと煩悩ぼんのうはらかみとり。そしてその炎を纏うのが、何を隠そう不動明王。

 人の煩悩をはらう、降魔ごうま仏神ぶっしん

 なぜ忘れていたのだろう。自分は、とおすみきをもらっていたじゃあないか。

「──」

 境内が、どよめいた。一刀斎が、腰に甕割を戻したから。

 和尚や坊主も当惑とうわくしており、一帯いったいを「不安ふあん不穏ふおん」の気配が支配している。

 当然だ。戦いの場にありながら、剣をおさめるなんて正気の沙汰ではないのだから。

「お、お侍様」

あんずるな」

 仕切り直しだ。と言いけて。

「──かみろし、今のおれは不動明王だ」

 キッパリと、言い放った。

 吸気きゅうきでもって気をって、呼気こきでもってととのえる。

 んだ空気くうきは、えている。この程度ていどの熱などおのれうちに燃える炎とくらぶべくもなく。なまぬるくすらない。

 吐き出した空気こそ、燃えている。なぜならば、己のけんは金翅鳥王の火、不動明王の炎だから。

 一刀斎の目に、それは確かにうつった。

 村人達の不安の元凶げんきょう。陽炎のように揺らめいた日照の鬼神のその姿が。

 一刀斎の目が、える。

 瞬間、その場にいた全員がを見た。各々おのおのおもおもいにえがいていた鬼が今、ひとつになった。

 気配けはいたばねられた須臾ときを、一刀斎はのがさない。

シッ……!!」

 甕割を抜き放ち、隠剣おんけんかまえての元へと駆ける。

 驚愕きょうがくで目をいて、一刀斎の頭へと金棒かなぼうはらい上げた。

 しかしそんな大振りの技、なんてことはないと、一刀斎はひょいとけてみせた。そして甕割を、上段へと構え直す。

 続いてが、両手でもって金棒を打ち下ろしてきた。

ァアアアアアアアアアアア!」

 ここだ。そうおもった刹那せつなには、心は剣を振り下ろす。金棒さえも切り裂いて、金翅鳥王の炎を纏った無心むしんの撃ちは、幹竹割りに日照の鬼神を斬り裂いた。

 その剣圧けんあつ裂帛れっぱく咆吼ほうこうは、土俵場にたまった熱気と村人達の不安を払い飛ばす。

 村人達も、寺の修行僧も和尚も、いきすら忘れて一刀斎の姿を呆然と見ていた。

 その立ち姿は、まさしく──

「明王、様」

「日照の鬼神――。確かに斬った」

 一刀斎は血を払うようにサッと刀を振って見せ、鞘へと戻した。


「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「もうやめてくれ。礼はいい」

 かれこれ四半刻しはんこく、修行僧にひたすら頭を下げられている。お陰でこちらがづかれしてまるで休めない。

 それより前は村々の人々が代わる代わるやってきて、なぜか涙を流しながら手を合わせていた。

 なみだが雨であったなら、とっくに地面はうるおっているだろう。

「よもやお侍様が、不動明王様の化身であらせられたとは……ああ、明王様……!」

 やはり信心深い。深すぎる。

 眉の太く凛々しい修行僧が、神のごとく扱ってくる。調子に乗って不動明王とか言うんじゃあなかったと今更いまさらながら後悔こうかいした。

「お侍様、よろしいでしょうか」

「和尚」

 和尚が、部屋の戸を開く。その後ろには、数人の村人達がいる。服の良さから見るに、名主なぬしおさの集まりに見える。

「この度は我らの誓願せいがんかなえ鬼神をっていただき、まことに感謝かんしゃいたしまする。明王様──!」

 和尚でさえも、明王と呼んでありがたそうにこちらをおがんできた。

 天狗てんぐ夜叉やしゃだあるいは羅刹らせつと言われてきたことはあったが、神仏に例えられたのは初めてである。

 ざまに言われることが慣れていた一刀斎はげんなりした。

 だが、次の和尚の言葉で、より心労しんろうもる。

「明王様、どうかこの寺に残ってくださいませぬか……!」

「は?」

 思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。

「日照の鬼神とやらは斬った。これ以上おれがここにいる理由はない」

 そもそも日照の悪鬼を斬る予定もなかったのだが。

「ですが、この近辺にまた何かあれば……!」

「鬼神の仲間が来るかもしれませぬ……!」

「その時明王様がいなければ我々は終わりです!」

 正直、心底しんそこ見上げてしまった。ここまで神仏へのおもいがぶかいとは。

 ここまで神を信奉するのは、おそらくこの一帯は弱いからだろう。

 伊勢いせきたにあり、尾張おわり近江おうみはさまれた地域ちいき当然とうぜん、多くの戦いに巻き込まれただろう。その弱さを支えたのが、神に対する信仰心なのだ。

 だがその想いの強さが引っくり返れば、大きな不安ふあんに変わってしまうのだろう。

 ──自然と、言葉が出た。

「不安は、百毒ひゃくどくおうだ」

 それは、ある女に言われた言葉。

「いいか、鬼はその不安を食らう。なぜ日照の鬼神がここに入り浸ったと思う? それは、お前たちの不安を食うためだ。当然だろうな。なにせ寝ているだけで飯が転がり込んで来るのだ。いいか。人は誰でも己の心に、不安を断つ利剣りけんを持つ」

「そうだろう?」と、和尚に目を向けた。

 和尚はただ、目を見開いている。どうやら信じるばかりで、大切なことを忘れていたらしい。

「この寺で祀る不動明王は、心の利剣を象徴しょうちょうとするだろう。その不動明王を信じるお前たちにもまた、その神徳しんとくさずけられているはずだ。不安を断つ利剣を、心に秘めているはずだ」

 一刀斎は、黙りこくる村人達に説得せっとくを続ける。

「なら、その利剣を振るえ。お前なぞ怖くはないのだと鬼を追い払え。迫り来た不運などどうってことないと斬り祓え。それを忘れなければ、鬼はここら一帯に寄り付くことはない!」

 ハッキリと、言い切った。

 正直、理屈りくつに合っているかは分からない。ただ口からまかせに言っているだけだ。

 神社に世話になった一刀斎だが、説法せっぽう論説ろんぜつ心得こころえはない。

 ただ、途中からは本心ほんしんである。不安にかられて己を弱くすることなどない。気を強く持てば、多少たしょうろうなど乗り越えられよう。それは一刀斎が、つねに思っていることだ。

「──お侍様の、いう通りでございますな」

 和尚が、口を開く。どこかホッとした様子で、今までのおびえの冷たさは言葉にはっていない。

「救われることばかりを考え、拙僧せっそうら自身が強くあることを忘れておりました。煩悩に負けぬことこそ、大事だというのに」

 深く己を省みる和尚の言葉に、村人たちも自分が情けないと言った様子で頷いていた。

「無理を申しましたな、お侍様。我々は明日から、いえ、今日から心を強く立て、生きて行きます。旅の無事を、一心いっしんに祈らせてもらいましょう──」


 くるあさ

「世話になったな。和尚」

「いえいえ、我々もご迷惑をおかけしました」

 和尚の顔は、やたら晴れ晴れしている。頭の後ろまで真っ白だった顔色は、血色けっしょくよくあからんでいる。あのしろさは心の弱さから来たものだったのだろう。

 ふと、和尚が何かに気付いたように耳を動かす。

「そういえば、あなた様のお名前をお伺いしておりませなんだ。お名前は、なんというのでしょう?」

「名前か?」

 言われてみれば確かに、名を名乗っていなかった。宿と違って帳簿ちょうぼなどられず、心置きなく部屋を貸してもらっていた。

 名前を聞かれ、答えぬ理由などはない。

「おれは一刀斎いっとうさい外他とだ一刀斎いっとうさいという。──天下一てんかいちの、剣豪けんごう目指めざしている」

「なんと立派りっぱなお名前でしょう……私たちは、その名を忘れませぬ。どうか、息災そくさいでありますよう」

「ああ、ではな」

 笠を被り、寺を出る。思わぬ事態じたいに巻き込まれたが、己を理解りかいふかめる機会きかいだった思えばそう悪いものではなかったろう。

 一刀斎は、ひがし目指めざす。己をより強くするために。己をより、深く知るために。


「行ってしまわれましたね。いやはやしかし、立派りっぱ御仁ごじんだ。天下一の剣豪とは。しかしながらあの太刀筋。思い返せばそれを目指すも当然というものでしたね……」

 修行僧の言葉に、和尚は「そうだのう」と頷いた。

 特にあの最後さいごだい上段じょうだん。あれは特に見事みごとであった。あれほどの太刀を見たのは、である。

「あの方は本当に、不動明王様の化身けしんなのかもしれませぬな……」

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