第十四話 旱天の村

「……では、おれはそろそろくとする」

 雲江くもえ賢達かたたつたおした一刀斎いっとうさいは、たび装束しょうぞく船内せんないから回収かいしゅうした。今日きょう草鞋ぞうりえるだけで、あとはのまますすむことにする。

「おうさあ。元気げんきでなあ一刀斎。旅の無事ぶじいのってっぞお」

鉄之進てつのしん南蔵なんぞうぶんまでわかれをしみましょう……」

松軒しょうけん息災そくさいでな。佐武一さぶいち殿どのも、その調子ちょうし壮健そうけんごしてくれ。御身おんみらとえてよかったと、二人ふたりにもつたえてほしい」

 ここまで船頭せんどうとしてやってきた佐武一は、まよんだ雲林院うじい山中さんちゅう出会であった三人さんにん一人ひとりだ。

 あの偶然ぐうぜんがなければいま自分じぶんはここにはないだろうし、六角ろっかく精兵せいへいたたかうこともできなかっただろう。

「もちろんですとも……! この伊勢いせ、いや、伊勢を越えて西国さいごくてまで外他とだ殿どののぼまで、われらはねませんとも……!」

 すで老骨ろうこつだろうに、あいわらず活力かつりょくあふれる老人ろうじんである。

 ねないというのだから、当然とうぜんこの老人ろうじんたちはつづけるだろうなと、根拠こんきょもなくおもってしまう。

「ああ、たのしみにっていてくれ。……おれはきっと、天下一てんかいち剣豪けんごうになる。もっともまされた、綺麗きれいれる」

 綺麗な武。その言葉ことばで松軒のほそる。

 武とはきわめればきわめるほどに綺麗きれいになる。研ぎ澄まされたやいばまばゆかがやくように。

 それをおしえたのは、この雲林院松軒という男に他ならない。

「……お前さん、言っていたよなあ。けんとはこころるうもの、ってよお」

「ああ、おれは、そうおそわった」

 そして、そうだとしんじている。

「なら、こころを澄ますこった。よどんだ心は、けんにぶらせるからよお」

「……ああ、そうだな」

 思い出したのは、天狗てんぐどうへとちた男。その剣にはまよいはなく、ひどくするどかった。

 だがしかしその剣は、けっして天下一にいたれるものではなかった。ただ、つよいだけにがった剣だった。

「お前さんのその赤心せきしんは、貴重きちょう武器ぶきだからよお、それを、わすれるんじゃあねえぞ。……さて、そろそろころいか」

 空を見上げれば、秋空あきぞらなか天日てんじついている。あきひるみじかい。あっというに、れるだろう。

 かたることは、もうない。

「さらばだ、松軒」

「じゃあなあ、一刀斎」

 それ以上いじょう言葉ことばは、もういらない。


 あきひるというのは、本当ほんとうみじかい。

 一騎いっきちのつかれもある。はやめにやすもうと、西にしやまらしたあたりで宿坊しゅくぼうに入ったが、その太陽たいようやまなかへとあっというまれていってしまった。

「このような中途半端ちゅうとはんぱ場所ばしょにあるちいささなてらでして、今日きょうはおさむらいさま一人ひとりでございます」

 眉毛まゆげふと修行しゅぎょうそうが、ぜんを運んでくる。たしかかに四方しほうえるところにまちかりはないし、遠目とおめ田畑たはたはしえる程度ていど。その先の集落しゅうらくは、小指こゆびの先におおきさだ。

「しかしお疲れのところもうわけない。いまこのてらには、こればかりしか……」

かまわない」

 修行僧が置いた膳は、茶碗ちゃわん半分はんぶんかゆけた野菜やさいすうれ。もうわけ程度ていどに、こぶし半分はんぶん豆腐とうふだけ。たしかにはらっているが、粗食そしょくにはれている。とはいえ、膳のおおきさとくらべるとみょう違和感いわかんがあった。

じつはこのちかくの村々むらむら不作ふさくでして、くらむろけ、そちらに備蓄を回しましてね……」

不作ふさくか……もうふゆだというのに苦労くろうだな。だが最近さいきんあめったから、つちよみがえるだろう」

「……それが、ですね」

 修行僧はその太い眉を八の字に曲げて、げたあたまでる。その様子ようするに、よほどのどんまりにいるのかだいぶまいってる様子ようすである。

「……どうか、したのか?」

「ええ、実は……この地域ちいきだけ、雨が降らなかったのです」

「──なに?」

 修行僧の言葉ことばで、一刀斎の眉尻まゆじりがピクリと動いた。三日続いたあの雨はだいぶあつい雲から降った。

 雲林院で見たその黒雲は間隙かんげきなく、四天してんを黒く染めていた覚えがある。だというのに、この一帯だけ雨が降らないなんということがあるのだろうか。

「間違いなく、原因げんいんでしょうなあ……」

「和尚様」

 突如とつじょ部屋へやはいってきたのは僧衣そういつつんだ老人ろうじんである。小さいこの寺に似合う、こぢんまりとしながらもしたしみを感じる。まるで地蔵じぞううごいているかのような和尚だ。

「日照の鬼神、とは?」

 一刀斎は、あっというめしえる。といってももとからりょうはない。あの程度ていどなら、またたたいらげる。

てらだというのにお客人きゃくじんに、法話ほうわ縁起えんぎではないおはなしをするのも如何いかがなものかとは思いますが、これも何かのえんなのでしょう。ひとつ、いてくだされ」

 

 和尚いわく。

 この一帯では十月じゅうがつになると、神を相手に相撲を取る。神をたのしませ、豊作ほうさく祈願きがんするのである。

 だがしかしその神事しんじ最中さなか、ふらりとった大柄おおがらな男があらわれた。

 力士りきし名乗なのる男は、――ってしまった。

 力士を問い詰めれば、「あまりによわすぎたから」とのたまった。確かにその体格たいかく、技の豪快ごうかいさは神をつのもうなずけるものだった。

 それ以来いらい、この一帯に雨雲が来ることはなかった。徐々じょじょ土壌どじょうせ、草木くさきれていく。

 そんななか、このてらながれの陰陽師おんみょうじおとずれる。

 その陰陽師が言うことには、「負けてしまったことで日照の鬼神となってしまったのでしょう。荒ぶってしまった以上いじょういま一度いちど相撲をおこない、調伏ちょうふくするしかない」という。

 陰陽師は「自分も山に入って雨乞あまごいの祈祷きとうをしましょう」と寺を出た。

 その言葉ことばを聞いた和尚は、さっそく村の力自慢を呼び寄せた。

 後は誰かが、日照の鬼神を打ち倒すだけ――だったのだが。

 参加者さんかしゃ土俵どひょうつやいなや、頭がふわふわとして足元あしもとおぼつかなく、眼前はぐらぐらと揺れてしまう。当惑とうわくする男たちは、相撲を取ってもはいらず。

 まるで本当ほんとうばされるかのように尻餅しりもちをついたり、真正面から倒れたりしたという。

 お陰で儀式は失敗、先の雨の日であっても黒雲は雨を垂らすことなく。真っ先に晴れたのだという。


「……なるほどな」

 ふたもないことだが、それはただ、飯をしっかり食えず、日と人の熱気ねっきに当てられて、さらに緊張きんちょうしていたからじゃあないか。

 と言いたくなったものの、そういう不遜ふそんなことは寺では言えない。

 神社じんじゃ厄介やっかいになったことのある身の上、信心しんじんぶかさがひとをどれだけちからけるかは知っている。とはいえ、一刀斎自身が神仏しんぶつにすがろうという気はないのだが。

 流れの陰陽師というのもどうにも胡散うさんくさい。

 ただそれより気になるのは、その力士だ。神を投げ飛ばせるだろうと思わせるほどの腕とはどれほどのモノなのか。相撲――つまり徒手としゅの技だ。刀剣を使う己の身であれば、おくれを取ることはないだろう。

「日照の鬼神──そういえば」

 一刀斎が、腰から抜いた愛刀を見遣みやる。

 甕割かめわりとうもと伊豆いず伊東いとう三島みしま神社じんじゃ奉納ほうのうされていた神刀しんとうである。

 あの宝物ほうもつ殿でんなかはじめて出会であったとき織部おりべかたった由来ゆらいおもす。

「この甕割も、かつては日照の鬼を切ったという話があったな」

「本当ですか!?」

 何気なにげない一刀斎の一言ひとことに、修行僧が食いついてきた。

 せていた和尚も、そのまぶたひらつぶらなひとみを見せている。

 そのいきおいにどうじることこそなかったが、どうやら本当にまいっているらしい気配こと十分じゅうぶんつたわった。

「ああ、聞いた話ではあるが……」

「日照の鬼を切った御刀おかたな、それをたずさえたお侍様……これはもしや、御仏みほとけのおみちびきでは?」

「いや、おれはただ旅の途中とちゅうで寄っただけなんだが」

 通りすがったのは、完全かんぜん偶然ぐうぜん出来事できごとである。大和やまとの山で迷い、甲賀こうかの山で迷い、おそらく伊賀いかの山で迷って伊勢いせの山に迷い込み……われながら迷いすぎだと一刀斎はあたまかかえたくなった。

 むしろ導いたというのなら、さっさと道に出して欲しかった。奥歯おくばをギリとめていたところ。

「お侍様」

「なんだ」、と声の主を見てみれば。

 和尚がその白い頭を、こちらにしかと下ろしていた。

御坊ごぼう、なにを──」

「どうか村々むらむらを、すくってはくれませぬか……!」

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