第十三話 人馬一体

ェェェ!」

「くっ!」

 殺気さっきまとった大身槍おおみやりが、だい旋風せんぷうこす。かみ一重ひとえでかわすものの、きつけたかぜ一刀斎いっとうさい意気いきすらばしかけた。

 威力いりょくはやさも、先程さきほど比較ひかくにならない。それもそのはず。片手かたてるわれていたさっきまでとことなり、いま雲江くもえ賢達かたたつは、両手りょうてでもってそのやりるっている。

「まさか、手綱たづなにぎらずにうまあやつるとは……!」

 栗毛くりげかがや愛馬あいば三星みつぼしまたがる賢達は、その剽悍ひょうかん無比むひ名馬めいばりょうあしだけであやつっている。

 あの三星はまるで賢達自身のあしごとく。人馬じんば一体いったいというたとえすらあたいしない。なまぬるい。

 まさに「一個いっこ存在そんざい」とってそうない。

 驚愕きょうがくする一刀斎にたいし、賢達は「当然だろう」と馬上から見下ろしてくる。

「かれこれ二十はたとせちかく、わたしは三星にいのちあずとも戦場いくさばめぐった。三星は我が具足ぐそく一領いちりょううと、私のあし同然どうぜんである。ハア!」

 腹を蹴られす三星。手綱から自由となったその身体は先よりはげしく狂奔きょうほんする。

 並の武将ならば、手綱を持っていようとくらからとされかねないほどのあばれぶりであるが、賢達の身体からだ一切いっさいぶれていない。

 不意に、先日の松軒の言葉を思い出していた。

 人は出来ることしか出来ない。だが何が出来るかは、知っていなきゃ出来ない。

 あの賢達は、己が何を出来るかをしかと理解しているのだ。己の肉体からだを心のままにうごかすすべを、その身におさめている。

 三星もまた、あるじがこの程度ていどくずれるとはおもっていないのだろう。騎手きしゅ完全かんぜん信頼しんらいしている。

 やはりあの雲江賢達という男は、まがうことなき歴戦れきせん猛者もさである。

フンッッッ!」

 馬上ばじょうからろされたやりはらい、三星の首を狙うが、三星は即座そくざ前足まえあしげてそれを回避かいひする。

 一歩いっぽ退しりぞきながらみつけをかわし、かえやいばふたたくびねらうものの、賢達がやりして牽制けんせいしてきた。

 てんじてやりごすが、瞬間しゅんかん三星がしながらうしあし胸元むなもとりつけてくる。

 かん一髪いっぱついて、太股ふとももけて甕割かめわりげたが、賢達のこしを、むねを、そしてうで存分ぞんぶんひねされたまわちにはじかれた。

 とおい。ただ単純たんじゅんとおい。先程さきほど至近しきん距離きょりって以来いらい相手あいてあしめることがなくなった。そのあしたくみにねさせ、こちらをちかづけさせない。

 ──うらかえせば。

ちかけば、勝機しょうきはある)

 馬上ばじょうとおく、居着いつこうにも即座そくざはなれる。

 ただそれでも、なんとかちかくにつづけることが出来できたなら。

 あの数撃すげき離脱りだつすきき、騎手きしゅ騎馬きば連携れんけいはなしさえすれば、あの勇馬ゆうばから賢達をとすことが出来できる。

 一刀斎はいま一度いちど吸気きゅうきでもってはらめ、呼気こきでもってととのえる。

 甕割を正眼せいがんかまえ、目線めせんをまっすぐ、三星にわせる。

 こちらへなおった三星のは、くろほのおのように、敵意てきい害意がいいがギラギラとえている。その気配けはいは、傑士けっしほかならぬものである。

かちながらもわたしとここまでながうとは。よもや在野ざいやに、それもまだわか武芸者ぶげいしゃにここまでのわざほこものがいるとはな……貴様きさまは、わたしらの相対あいたいしてきたどの将兵しょうへいよりもつよく、千万せんまんてきあたいするいちだろう!」

 たけ賢達かたたつ同意どういするように、三星はいななきながらくびるう。

「──そこえたな、雲江賢達」

「むっ!?」

 一刀斎はりょうあしちからめ、しかし股関節はやわらかく、かたゆるめて下段げだんうつす。

「このひろ天下てんか兵卒へいそつ武将ぶしょうさらに武芸者ぶげいしゃたずさわるものは、それこそてんほしすな、そしてうみさかなほどいるだろう。おのれてきたうちなか御身おんみはおれをいちとした。────みずからを、いてだ」

 ジリと、うしあしすなめ、一寸いっすんばかりうずめる。そして。

「武に携わっているのであれば──ほかにどれほど勇士ゆうしがいたとしても、おのれえる強者きょうしゃがいたとしても、己を一と誇る気概きがいたずして、天下一てんかいちにはなれんだろう!」

 える。めこんだ炸裂さくれつさせ、あしはじし、賢達たちへとした!

「ッ、行け、三星!」

 一方いっぽう、賢達は動けなかった。そんな主をてるように三星がはならすと、ハッとして愛馬あいばの腹をった。

ェェェイ!」

 刃圏はけんはいまえに、賢達のやりされる。

 脳天のうてんねらいのそれをすかさずかわし、おのれ領域りょういきはいもうとする一刀斎だが、三星が足を止めて身を伸ばし、頭突ずつきを仕掛しかけてきた。

 くと同時どうじくびげるが、もう何度なんど上体じょうたいを上げられけられた。こころなか舌打したうちをする一刀斎だが、その目端めはしに、ひるがえなにかがうつりこんだ。

 ほぼ真上まうえから、賢達が槍を突き立ててくる!

「こなくそっ」

 てんじて賢達らの横へとけ、片手かたて袈裟けさに賢達のあしごと三星の胴体どうたいを切り裂こうとしたが、つづいてるわれた槍におうじざるをない。

 槍を受け止め技を返そうとするが、またも賢達は遠間とおまへとだっしていた。

 しかし一刀斎はしかと賢達と三星を見ながら、つかにぎったまま手のひらを幾度いくどしぼむ。その目は、力強く燃えている。それは、勝機しょうき見据みすえた目であった。


 たいする賢達の呼吸こきゅうは、みだはじめていた。

 あしだけでつたえられるとはいっても、馬をあやつるにはる。さらに三星も存分ぞんぶんうごまわるため姿勢しせい維持いじにもきばらねばならず、だがそのやりには全力ぜんりょくめる。

 このばなしでの騎馬は、賢達にとってはおくであると同時どうじに、使つかいたくなかった手でもある。老齢ろうれいかった賢達にとって、足だけの騎馬をつづける体力はない。

 だというのに一刀斎は、その全力ぜんりょくしのつづけていた。

 すでたりをつけた回数かいすうえており、体力たいりょく限界げんかいだ。やはりとしにはてないと、こころなか自嘲じちょうする。

 同時どうじに、さきほど一刀斎が言っていた言葉ことば脳裡のうりよぎる。

(自分はいつから、自分を強者きょうしゃ勘定かんじょうからはずしただろうな。……いや)

 いつからなどかんがえるまでもない。賢佐かたすけ首級しるしを上げたとき、いや、まれたときからだ。

 六角ろっかくささえる後進こうしんそだてるとめたとき、息子が、あるいは仁兵衛じんべえ義衛門ぎえもんかが強者きょうしゃうちはいればいと、天下一のつわものとなるのをめた。

 この者たちを育てるのが今の役目やくめだと。この者たちさえ育てばよいのだと。

 だが、その教え子たちはもう居なかった。いま相対あいたいする、一刀斎という強者にやぶれたのだ。

「……己を一とする気概か」

 もうとっくに消えていたはずの火が、ポッとおこった。すで疲労ひろう強張こわばった両の手に、不思議ふしぎちからはいる。三星が、そのひろ視線しせんをこちらだけにおくってきた気がした。

 ほこった教え子たちが、もういないのであれば。

 その教え子たちをみちびいた自分だけがいるのならば。

「──行くぞ、三星! ヤァア!」

 腹を蹴り出すより早く、三星はあしで大地を蹴り出す。

 己のあるじを、一とするために。


(あれまあ、やっこさん、一刀斎にを付けられちまったかあ)

 立会人として一刀斎たちの戦いを見守る松軒は、泰然たいぜんとしてたたかいをまもっていた。

(まあ、無理もねえよなあ。あいつはそういうやつだからよお)

 自分も、一刀斎には何度なんどけられたことがある。だが性質タチわるいことに、当の本人にはその自覚じかくがない。

 誰よりも、何よりも真っ直ぐなその姿勢しせいおのれしんつらぬ意志いしつよさ。上には上がいると知り、なおかつその上へ行こうとするたくましさと、強くなるためならあらゆるものを飲み込もうとする愚直ぐちょくさ。

 まさにそれはほのおである。

 だがしかし、己をしんじる一方いっぽうで、生まれついての天稟てんぴんゆえか。自分じぶん実力じつりょくをたしかに理解りかいできていない。

 一刀斎は己を信じているが、己がなんであるかを、知らない──。


シッッッッ!」

 今一度いまいちど身体からだはじす。この一合いちあい最後おわりにすると、すべてに意識いしきそそむ。

ェエエヤアア!」

 そらき、穿うがつような裂帛れっぱく咆吼ほうこうともに、賢達が槍をつ。気勢きせいったその一撃いちげきは、今までの疲労ひろうをどこへと吹き飛ばしたのか。この仕合しあいにおいて、一刀斎含め一番いちばんといえる威力いりょくまとっている。

 賢達もまた、仕合を終わらせにきたとさっした。

セイッ!」

 その一撃いちげきに甕割をわせせ、槍をおさむ。主の不自由ふじゆうをすかさずさっした賢馬けんばはすぐさまいきいて、首を伸ばして噛み付いてくる。

 しかし一刀斎は避けることなく、その鼻先をひじつ。

 思わぬ一撃に三星はけたたましくひづめを鳴らして上体じょうたいねた。ぜん体重たいじゅうをかけて一刀斎をつぶすつもりだろう。三星が跳ねたことで、賢達の槍も自由となり、前足まえあしならべられた。

(──ここだ!)

 とうに踏みつけを見切みきっている一刀斎は、その連撃れんげきなんなくかわす。その瞬間──!

「ぐぅう!」

「なにっ」

 ──だれにもつかまれず、あそんでいた手綱たづなが、いま一刀斎ににぎられた。

 うまちから人間にんげんのそれをおおきくえる。だがしかし、力をはっしきりけたところを突かれた。

「おのれ……!」

 賢達が、ハッとして槍を突き下ろしたがもう遅い。

 一刀斎は三星のぶとくびうでまわし、足をさばいてかみ一重ひとえで槍を避ける。

 そして──。

、アアアアァアアアアアアア!」

「なっ……!?!?」

 一刀斎が、天地てんちくだ轟声ごうせいはっする。

 まさにその時、五尺ごしゃくあま三星みつぼし巨体きょたいが、くずれた。

 その寸前すんぜん、三星があばれさしもの賢達もその背からほうり出される。

 いや、ちがう。賢達だけは感じ取っていた。

 三星が、己をみずかとしたのだと。

ェエエエエエエエアアアアア!」

「三星──」

 倒れ込んだ三星の首に、一刀斎は甕割を振り下ろす。

 さとく、つよく、うつくしい、最強さいきょう悍馬かんばへと。


 甕割を、ゆっくりと引き抜く。

 そのにく感触かんしょくは、生涯しょうがいわすれないだろう。ひとのものとは、まるでちがった。

 三星の鼻はすこしばかりいきらしていて、その目は、たしかにこちらを見ていた。

 怨嗟えんさ敵意てきいもなにもない、ただ純粋じゅんすい無垢むくひとみだった。だが間違いなくその力強さは、一刀斎の知る勇者たちのものにちがいなかった。

「……見事みごとだ」

 一瞬いっしゅん、三星が喋ったのかと錯覚さっかくした。

 だがしかし、確かに感じた一つの気配ねつ

 こえをするほうを見れば、暴れる三星から落ちた賢達の姿。かぶとはずれ、まげえぬほどうすくなったあたまさらしている。

 そこなったのか、右腕みぎうでをだらんと垂らしており、もう体力も限界らしく肩で息をしている。

 しかしその左腕には、しっかりと槍が握られていた。

「これが、最後だ」

 腰を落とし、槍を構える賢達。愛馬をうしなおうとも、その意気いきだけはまだ残っている。

 例え残火ざんかといえるほどちいさいものだとしても、ともっている。

 一刀斎はなにも答えず、だがしかし、はっきりと賢達を見つめている。

 勇者の亡骸なきがらきずつけぬように離れ、八相に構える。

ェエエエエエエエエ!」

ァアアアアアアアアイ!」

 静寂しじまなど不要ふよう

 二人は同時どうじに駆け出した。両者の気声きせいうずきながら、はるたかい秋空あきぞらく。

 極限きょくげんまで引き付け、持ち合わせる全力ぜんりょくをもって賢達は槍を突き出した。そのはやさといきおい、五十いそとせにもあま人生じんせいにて、比類ひるいなき一撃いちげきであった。

 しかし。

ァアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 その剣は、生涯しょうがいいちとした。

 いちうでほどの巨大きょだいは一刀斎のを外れて、逆に一刀斎の剣が、賢達のむねのど真ん中を、よろいごとつらぬとおした。

「これで、終わりだ――」

「それは、どうか……!」

 賢達が、鬼面きめんの如く歯を向いた。

 こちらを逃すまいと肉をめ、深く突き刺さった甕割をつかむ。

 同時にだらんとしていた賢達の右腕が、突如とつじょ動き出す。腰の裏に馬手めてしにした短刀たんとうよろどおし。それがサッとはなたれ、くびに――


 パシン……


 ──はらわれる前に、受け止めた。

「……終わりだよ、雲江賢達。駆ける前、わずかばかりに右腕に気が向いた。それが来るのは、分かっていた」

「……かはっ、届かなんだか……しかったなあ……」

 惜しかった。そういう賢達の顔は、見て分かるほどひどく消沈しょうちんしていた。

 さきみじか老人ろうじんの身だろうに、いただきを目指す若武者わかむしゃがするような、表情かおだった。


「まさかうまげつけるたあなあ……無茶むちゃしやがるなあ」

咄嗟とっさからだうごいた。やれなければぬのだから、意地いじでもやるだけだ」

 一刀斎いっとうさい言葉ことばに、松軒しょうけんはなるほどなあとあごむ。

 一刀斎は、つね懸命けんめいうごいている。そしてそれは天賦てんぷ感性かんせい心法しんぽうしたがっておこなわれているもの。

 うなれば一刀斎は、感覚かんかく精神せいしんだけでわざるっている。やはりりないのだ。「理屈りくつ」が。

 ただ、えてくちしすまいと松軒はこころなかうなずく。

 肝要かんようさは昨日きのうつたえた。

「……これでわかれだなあ、一刀斎」

「ああ、だいぶ世話せわになってしまったな松軒。……雲江賢達と馬はどうする」

「こっちで手厚てあつほうむるさあ。織田おだ尾張守おわりのかみとのたたかいで奴等やつらはもうボロボロ。したがっていたしょうたちも織田おだくらえしたなか、このおとこはたぶん、かずすくないのこった部将ぶしょうだろうなあ。そのこうねぎらってやらあな」

 織田尾張守。その名は一刀斎にとっても馴染なじみある。

 きょうまえ出会であった尾張おわり大名だいみょう尾張おわりかた田舎いなかから、将軍しょうぐんほうじて上洛じょうらくした傑物けつぶつ

 もとすべてをべようとする魔人まじん破壊はかい安息あんそく灯台とうだい、炎が持つあらゆる属性ぞくせいをそのうちめたほのお化身けしんだ。

天下一てんかいち」を目指めざし、おなじく天下一てんかいち剣豪けんごう目指めざす一刀斎を配下はいかにと、伊豆いず近江おうみ二国にこくしめしてきた男であり、くち約束やくそくであるが、きょうにておんがあった一家いっか安泰あんたい条件じょうけんに、天下一になったならばその配下はいかくわわろうとちかった相手あいてでもある。

 ──そういえば。

松軒しょうけん昨日さくじつすすめていた熱田あつたみやも、尾張おわりにあるのだったか」

「ああ、そうだなあ」

「なら、俺が行くのは魔王のはらなかか」

 ぞくりと、背筋せすじふるえた。以前いぜんとおったときは尾張にはなんの感慨かんがいなどなかったのだが。

「魔王の腹ねえ、一刀斎は織田尾張守が苦手にがてかあ?」

「ああ、得意とくい相手あいてではない」

 バッサリ言い切りつつ、「だが」、と一刀斎は言葉を続ける。

「──嫌いではない」

 天下てんかたいらげようというその意志いしの強さは、見上みあげたものである。織田尾張守の持つ覇気はきは、それこそもと全土ぜんどおおくせるものだろう。

 次第しだいに、興味きょうみいてきた。

 その織田尾張守の原点げんてんである尾張という国が、いったいどういう場所なのか──。

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