第十話 男達の行方

「まさか、三日みっかあめつづくとはな……」

近頃ちかごろまったらなかったからなあ。まったぶんたんだろうなあ」

 渓谷けいこくでのたたかいから三日みっかあき夜空よぞらはようやくその青月せいげつせた。

 せっかく邪魔じゃまする六角ろっかくへいらを退しりぞけたのだが、結局けっきょくり続ける霖雨りんううごけず、そのかんずっと松軒しょうけん屋敷やしき世話せわになっていた。

 さらに。

かわみずえてっからなあ。こりゃあもう明日あしたわたれねえなあ」

「やはりか……」

 朝方あさがた、雨がよわまってきたので松軒と共に川を見に行ったが、土砂どしゃじりのみずにごりきり、そのいきおいはかなりのもので、わたぶねせない。おそらく、明日も雲林院うじいからはなれることはできないかもしれないだろう。

「まあ、いそたびではないからな」

つぎにどこくかは、めてんのかあ?」

 松軒のいに、一刀斎いっとうさいはいいやとくびよこる。

ひがしかうということ以外いがいとくなにめていないのでな」

「なら一度いちど熱田あつたみやくのがいい」

「熱田の宮?」

 そういえば、うみ沿いに進んだ伊豆いず伊東いとうから近江おうみ堅田かたたまでのたびで、そんな名前なまえ神社じんじゃとおぎたようなおぼえがある。おおきく変わったつくりであったから、あたまのこっていた。だが、どおりしたから詳細しょうさいは知らない。

「その熱田の宮が、どうかしたのか」

「そこはなあ、ひとんで「つるぎみや」、神代かみよつるぎまつ場所とこなのさあ」

 一刀斎のが、ピクリとうごいた。

 剣の宮、神代の剣。みょうかれるひびきである。

「まあ、東国とうごくにあるつるぎもり鹿島かしま香取かとりりょう神宮じんぐうちがって武神ぶしんたてまつってるわけじゃあねえんだがなあ、それでも神代の剣の御加護ごかごさずかりてえって武芸者ぶげいしゃがよくんのさあ。なかには、新当流の達者もいるかも知れねえぞお?」

「ふむ……」

 正直しょうじき加護かごというのには興味きょうみはないが、武芸者が場所ばしょだといたららずにはいられない。

 当面とうめん目標もくひょうはそこにしようと、心にめる。

「まあ、新当流の使い手と戦うんだとしたら、常陸ひたち鹿島かしまくのが一番いちばんだがよお」

「常陸か……伊豆よりも東だな」

 古来こらいよりいくさこりは東国とうごく坂東ばんどうにあるという。きょうとはことなるおもむきがあることは、新当流の達者たっしゃである松軒のうごきから予想よそうできる。

「とはいえ、松軒ほどのうではそういないだろう」

「そうだなあ……あとは北畠きたばたけの……だが城持ちだからなあ。だけどまあ、ウチの師匠ししょうねんがら年中ねんじゅう廻国かいこくしてたからよお、在野ざいやねむってる手練やつがいるかもしれねえ。うで名声めいせいならばねえってことは、ままあるからよお」

「そうだな……」

 一刀斎が思い出したのは、つい先日せんじつ相対あいたいしたやり使つかいのおとこ雲江くもえかたすけだ。としは一刀斎よりも多少たしょううえらしかったが、その槍のわざ非常ひじょうられていたものだった。

 あれほどの腕を持ちながら、弓巧者ゆみこうしゃ仁兵衛じんべえ軍配者ぐんばいもの義衛門ぎえもんかげかくれていたのだから、この天下には、とどろかずもすぐれた力量りきりょうまされた技倆ぎりょうぬしがゴロゴロところがっているかもしれない。

 ああいう手練てだれがいるのなら、いつかいくさというのに乱入らんにゅうしてみても面白おもしろいかもしれない。

 しむらくは。

「あの賢佐かたすけというおとこも、本来ほんらい騎馬きばやり使つからしかったからな。馬上ばじょうであったなら、よりわざえたかもしれない」

騎馬きば武者むしゃ相手あいてむずかしいぞお。相当そうとう勇士ゆうしなら、うまを自分の手足てあしみてえに使うからなあ」

「人を相手にするより、だいぶ変わるだろうな。なにしろあしかずあたまかずも、たかさもえる」

 しょうつならうまよとはうが、よほどのうでぬしならば馬への攻撃こうげきけぬのだろう。

 だが、そういう相手あいてにこそ一刀斎は相対してみたかった。

 ──一刀斎は、知るよしもなかった。

 その騎馬を相手取る日は、思いもよらず近かったことを。


「これは、どういうことだ」

 まだまだくら夜闇よやみなかうままたがった騎馬きば武者むしゃが、そこにいた。

 壮年そうねんぎ、老年ろうねんかったおとこだった。まとよろいは、おごそかであり、一隊をあずかる身分みぶんであるのがれた。

 一方いっぽう馬のほうは体高たいこう五尺ごしゃくはあるだろう大馬おおうまであり、その四肢ししにくあつたくましく、重たい鎧を纏った主を背にしても、一切いっさいにしていない。同時どうじに、夜闇のなかでもきらめく栗毛くりげを持ち、ひたいみっつのほしを持ち、優美ゆうびさをもそなえていた。

 その人馬じんばがいたのは、雲林院うじいふうじるためためにおのれ六角ろっかく伊勢いせ山中さんちゅうてたやぐら。──それが、あったはずの場所ばしょ

 やまんうけた愛馬あいばねぎらうこともわすれ、地面じめんりた騎馬武者は呆然ぼうぜん眼前がんぜん見遣みやる。

 このに建てられた櫓は、その上部じょうぶ物見ものみだいだけをのこしてあと無惨むざんながされていた。ところどころ、櫓のはしらであっただろうれた丸太まるたが地面からかおしている。

賢佐かたすけ! どこにいる賢佐! 義衛門ぎえもん仁兵衛じんべえ!」

 おの息子むすこと、同然どうぜんそだてた二人ふたりわか武者むしゃんだ。

 しかし、どこからもいらえはない。ただれる川の轟音ごうおんだけが渓谷けいこくひびいている。だが。

「く、雲江くもえ殿どの……?」

 わずかにのこった物見ものみだいから、こえがした。そこからかおしたのは、胴丸どうまるた男。なおるといい、賢佐にした部下ぶか一人ひとりである。

なにがあったのだ! ほか者共ものどもは。賢佐達は!」

「……みな、たれました」

 その言葉に、「なんと」と見開みひらく六角の武士ぶし──雲江くもえ賢達かたたつ

 直はそのまま、言葉ことばつづける。

自分じぶんは、物見ものみとしてもりにいたのでなんのがれました……。あとは、六角ろっかく本陣ほんじんから来るであろう定時ていじ視察しさつつため、この櫓でじっとっていて……。……兵卒へいそつりにしたのは雲林院うじい松軒しょうけんです」

 雲林院松軒。その名前なまえにはおぼえがある。六角が今抑え込んでいる雲林院、その長の一族いちぞくである男であり、東国とうごくけんの使い手だという。

 賢達は、かたをわなわなとふるわせる。

「賢佐達も、その男にやられたのか……!」

 だが直は、「いいえ」、ちからなくくびよこへとった。

賢佐かたすけさまは、雲林院松軒がれていたおとこ一騎いっきちのすえやぶれました……。そのものは、外他とだ一刀斎いっとうさい名乗なのる、武芸者ぶげいしゃです……!」

 武芸者。そう聞いた賢佐はまなじりげた。

武芸者ぶげいしゃだと。まさか賢佐ほどの使つかが、武芸者なぞにけたというのか!?」

 親の贔屓目ひいきめても、賢佐のうではそのとしの中ではぐんく。

 おさなころからうませていた甲斐かいがあってか、強靭きょうじんながら柔軟じゅうなん足腰あしこしれており、騎馬きばでなくてもそのやりうでは、市井しせい武士ぶしとは一線いっせんかくす。元服げんぷくまえ戦場いくさば首級しるしげ、そのおおくのたたかいにさんじてはこうかさねたまごうことなき勇士ゆうしである。

 その息子むすこが、ちまたの武芸者に敗北はいぼくするなどありない。

手前てまえ物見もおみたものはいつわれませぬ。遠目とおめてもその上背うわぜいは賢佐様とならぶほどであり、その技倆はかみかっておられました。どちらがたおれてもおかしくない勝負しょうぶでありました……」

 物見ものみおのれたものをつまびらかにはなす。

 そのおとこ実力じつりょくは、賢佐かたすけ比肩ひけんするほどであり、賢佐もあと一歩いっぽまでせまったもののぎゃく武器ぶきかれた。

 いのちこそたれることはなかったものの、賢佐ら三人さんにん敗北はいぼくみとめ、あめくずくあのやぐらとともについえたのだと。

「自分はそのやぐらはいり、じゅんじようかとおもいました。しかしながら義衛門から、あとる六角の者にすべてつたえよとわれ、おくったのです」

 それから、と男は言葉を続ける。

「賢佐様が言っておりました、「我々を心配することはない。我々は、六角でやるべきことを成した」と……」

莫迦ばかものめ……」

 賢達は声を震わせながらてた。

 賢佐はようやくできた子供である。それゆえ手塩てしおにかけ、すぐれた武士もののふになるようにそだててきた。しかし、さきってくとは。やりにぎちからがよりつよまる。

 賢佐だけではない。義衛門と仁兵衛。この二人も、よく面倒めんどうを見てきた子どもだった。

 くちわるいが才知さいちみ、軍配ぐんばいものとしての素質そしつせていた義衛門に、槍はれぬがすぐれたゆみ使つかである仁兵衛。そして勇壮なる騎馬武者である賢佐。

 この三人さんにんがいれば、六角というかなえささえるみっつのあしとなっただろう。

 賢達の愛馬、三星みつぼしもそんな賢達の様子ようす気付きづいているのか、くびをしきりにっていた。

「──直、おまえたのがある」

 賢達は目をすわらせて男をじっと見遣みやる。男はその眼力がんりきに思わず身体からだ硬直こうちょくさせ、当惑とうわくし、「なんです?」といた。

今日きょう三星みつぼしやすませねばならぬ……明日あしたあさ一番いちばんに川を渡る。湖の上のほうは渡れる。だが川下かわした、雲林院では川をわたるのは無理むりであろう。川をはさみ、その一刀斎なる剣客けんかくち一騎討ちをたす。お前は殿とのがいる甲賀こうかへともどり、わたし不在ふざいつたえよ」

「もしや……かたきつと?」

当然とうぜんであろう」

 そういう賢達の声音は、やたら静謐おだやかだった。だがしかしそのひとみおくは、ギラギラとたぎっている。

「私と三星が、その武芸者にしんなるやりを見せつけてやる──」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る