第十一話 たりないもの

 くるあさは、久々ひさびさくもひとつない快晴かいせいであった。

 空気はどこか湿しめっているが、寒々さむざむしいほどんだあおひろがっている。

「おう~っす一刀斎いっとうさい今日きょうにわかあ」

「ああ、地面じめんもすっかりかわいている」

 松軒しょうけんが、縁側えんがわすわる。

 この三日みっか板間いたまでもって素振すぶりをしていたのだが、やはりそとけんるうほうしょうう。

 最初さいしょなたでこそあるがそとまき相手あいてにしていたし、伊東いとうではそとけんおしえてもらっていた。堅田かたたでは、すないた稽古場けいこばすなならしていた。

 やはりひかりび、かぜけながらのほうがっている。

「さっき、かわにやった使つかいがかえってきてなあ。まだだいぶれてっけど、明日あしたぐらいにゃあわたれるらしいぞお」

「そうか。もしわたれなければみずうみもどってそのうえからくつもりだったが……」

「やめとけ、またまようのがせきやまだぞそりゃあ」

 みちさえあるならばまようことはないと松軒しょうけんにらむ。

 とはいえ、土地とちかんがない場所ばしょままにうごまわあやうさはこの十日とおか十分じゅうぶんいた。

 まえは伊東から堅田まで半月はんつき程度ていどだったが、今度こんどきょうからほとんどすすんでいない。このままの調子ちょうしなら、ひがしくのはいつになるやら。

「東か……」

 一刀斎はふと、三島みしま神社じんじゃったときのことを思い出す。

こころ利剣りけんこそをあやつれる剣士けんしとなったなら、いま一度いちど、ここにもどってこい』

 それは、最初さいしょおのれに剣をおしえてくれたひと言葉ことばおだやかさの中に胆力たんりょくめた、ちちごと織部おりべ言葉ことばだ。

 伊東での日々ひびはだいぶまえがするが、おもえば、あれからまだ三年さんねんしかっていなかった。

 こころ利剣りけんを、おのれれただろうか。

 こころほのおを、おのれぎょすことが出来できているだろうか。

 ──ヒュッ。

 きざまに背後はいごはらった。おともなくふたつにられた小石こいしは、ちからなく地面じめんちる。

 松軒しょうけんだ。

「ほおう、しっかり反応はんのうしてんなあ」

「いきなりなにをする」

 小石程度ていどらってもいたくもないのだがからだはしっかり反応はんのうする。

 半眼はんがんになって、げた張本人ちょうほんにんをじとっとにらんだ。

 だが松軒は、ケロッとしてころがった。

「今、なんか考えてたろおお前さん」

 その言葉ことばに、かたねた。

 たしかに、素振すぶりをしながらつい思いをせていた。

 剣を振るうときは無心に、という基礎きそおろそかにしていただろうか。

太刀筋たちすじがぶれていたか」

「いいや、ぎゃくだなあ。あたまで別に動いてようが、こころはしっかりと剣をいてるし、周囲まわりをしっかりかんじてる。さすが心法しんぽうをある程度ていどおさめてるだけあるなあ」

 がった松軒が、ふらりと庭先にわさきてくる。こしした二尺にしゃくなかばのかたないて。悠然ゆうぜんたたずんだ。

 あいわらず、夏雲なつぐものような気配けはいはなっている。こりも、拍子ひょうし発生はっせいつかめない。

ット!」

 そして、かんじたときにはすでに、そのけんるわれている。けん完全かんぜん一致いっちしているわざだ。

 本当ほんとう見掛みかけによらぬと、一刀斎はしたいた。

こころかんがえねえ。ただ、かんじるだけさあ。おまえけんは、もう雑念ざつねんっちゃいねえ。あたまじゃなく、心からはっするけんになってらあ」

わけえのにたいしたもんだ」としょうする松軒だが、一刀斎ははてさてと小首こくびをかしげる。

 松軒しょうけんわざは、よりまされている。それとくらべれば、おのれわざはまだまだだ。

「この程度ていどではわれない。まだ、天下一にはとおい」

 甕割かめわりつよにぎる一刀斎をて、松軒は「ふむ」とあごんだ。むずかしそうにじて、はなからいきらす。

「──なあ一刀斎、天下一てんかいち剣豪けんごうってのはよお、どんな奴をさすよ?」

もっと綺麗きれいを極めた者をいう」

 即答そくとうばたもないほどはやく、こたえをかえす。

 あいわらず、おのれかんがえにくもりとうたがいのないやつだと松軒しょうけんおもわず吹き出しかけた。

 そのくせ自分じぶんたかめるために必要ひつようだと思ったなら、素直すなおけとるのだから、やはりほのおのようだと松軒は勝手かって得心とくしんする。だが。

「……お前さんは、才気がありすぎるんだなあ」

「なに?」

「お前は感覚かんかくするどすぎんだなあ。おかげが追い付いちゃあいねえ」

「理解……?」

 はて、と自らの剣をかえりみる。しかし。

「……ふむ」

 思い当たるものが、なにもない。そんな一刀斎の様子を見て、「だろうなあ」と苦笑くしょうする松軒。

 だがしかし、けんと言えば。

「――新左衛門しんざえもんが強かったのは、そういう理由か」

「ああ」と、松軒はみじかく、だがしかとうなずいた。

「新左衛門はお前と違って才能がねえ。だからひたすらけんまなんで、それを身のうちに修めたのさあ」

 柳生やぎゅうさとの主。新陰流の達人。蒼天そうてん気配けはいゆうする、当世とうせい無双むそう剣客けんかく

 それが、柳生新左衛門という男であり、松軒いわく、「理馬鹿」だという。

「どうすれば剣は斬れるのか。どうすれば身体は斬られないのか。どう心を向ければ良いか。アイツはよお、すべての理屈をまなおさめたやつなのさあ。お前さんは、どうすればを答えられっか?」

「それは……」

 当然、答えられると思っていた。だがしかし、言葉が続かない。

 自分がどうやって斬っていたのか、サッパリ分からない。

「……松軒も、「どうすれば」が分かるから強いのか」

 松軒しょうけんこたえず、ただ剣を構える。

「──新当流にはな、ってもんがあある。おのれうち。そこうつ自分じぶん姿すがたを、そのまま身体からだらしわせるこころの眼だ」

 松軒が、目にもうつらぬ剣を振った。ごう太刀風たちかぜうなりをあげて松葉まつばらす。

けん手足てあし一調子いっちょうしまでげるのは、ひたすらきたえたって出来できることじゃあねえ。おのれこころに眼を、身体からだに耳をそばだてろ。心と身体を、重ねんのさあ。──にごったこころはなあ、己をただしく映さねえんだぜ、一刀斎」

 不意ふい脳裡のうりあらわれたのは、近江堅田で己に剣を教えた男だった。本格ほんかくてきけんである印牧かねまき自斎じさいは、みずからら「近江堅田の金剛こんごうとう一刀いっとう自斎じさい」と名乗る男だった。

 自由じゆうままに、おのがままに生きている男だった。

 コロコロとうつで、あそぶをこのみながら、自称の通り、その剣は金剛の如く力強く、それでいて存分ぞんぶんに振るわれていた。

 おのれうで絶対ぜったい自信じしんち、一瞬いっしゅんたりとも、自分のことを卑下ひげすることはなかった。

 この松軒も師と同じように、のびのびと剣を振るっている。松軒や自斎だけではない。柳生新左衛門だって、その剣を悠々ゆうゆうと振っていた。

「いいかあ、人ってのはな、出来ることしか出来ねえ。だがな、

 キィィィィン!

 かんだかおとが、秋空あきぞらたかひびいた。

 剣体けんたい一致いっち無拍子むびょうし一調子いっちょうし松軒しょうけん擊剣げっけん

 甕割かめわりはらは、その一撃いちげきをしかと受け止めていた。

 いかずちごとき剣は、やはりするどおもい。──だがしかし、身体からだはしったのは雷ではなく、たしかな剣の衝撃しょうげきであった。

「──この通り、お前は一撃だけなら止められるこたあ出来んだからよお」

「……唐突とうとつぎるな、心臓しんぞうわるいぞ」

 そのあたりは、まさしく雷であった。しかし。 

「……二合にあい三合さんあいも、しのげるぞ」

 挑発ちょうはつてきに、獰猛どうもうわらって松軒を見据みすえる。

 だが松軒は乗ることはなく、「それくらい言えりゃあ問題ねえなあ」と剣をおさめて縁側に戻った。

 どうやら松軒は、自斎や新左衛門とはなかなかどうして違うらしい。

 彼らは剣に夢中むちゅうであり、剣を振りたくて仕方しかたがないと言った様子ようすだったが、一方いっぽう松軒は誰かとうでくらべすること自体にはあまり興味きょうみがないらしかった。

 ならさて、この炎熱ほとぼりをますために素振すぶりしなおすかと、思った矢先。

外他とだ殿どのぉー! 大事だいじですぞぉー外他殿ぉー!」

 庭先にわさきあらわれたのは、雲林院うじい老兵ろうへい鉄之進てつのしんだった。ほおあかくし目をクワッと見開いたその顔は、白髭しろひげ達磨だるまのようにも見える。

 どうやら本当にいそぎのようで、屋敷には上がらずに門からぐるりと回ってきたらしい。

「おうおう、どうしたよお鉄之進。大事たあ何事だあ?」

 れいしっ堂々どうどうあるじ屋敷やしきけるのはおおいに問題もんだいがあるが、松軒はえてくちしはしない。

 本当ほんとういそぎの用ならばそんなことに気など使ってられないし、そもそも松軒はそのあたりどうでもいい。

 ここまで走ってきただろうに、呼吸こきゅうまったみだれていないのはさすがである。疲れた様子などまるでなく、力強く見開いた目で、一刀斎をしかと見つめ。

六角ろっかく残党ざんとうが、外他殿をお呼びでござる!!」

 いつものように、おおきくられた言葉ことばに、今度は一刀斎たちが目を見開いた。


 雲林院うじいかこかわは、いまはげしくあばれている。その姿すがたはさながらのたうちまわるりゅうのようであったが、一刀斎は竜など目にくれず、十間じゅっけんさき対岸たいがんにいる騎馬きば武者むしゃへとけていた。

雲江くもえ賢達かたたつ! う! おぬし外他とだ一刀斎いっとうさいかッッ!!」

 遠目とおめでは、そのおとこ全貌ぜんぼうは分からない。体躯たいくすぐれた栗毛くりげうままたががっており、正確せいかく上背うわぜいすらつかめない。こえいろから察するに、年は五十ごじゅう半ばごろだろうか。

 その「雲江」という名はには聞き覚えがあり、なにより、馬に跨がり片手に槍を携えているその姿は。

「いかにも、おれが一刀斎だが、いったいなんの用だという!」

「知れたこと、我が息子むすこ賢佐かたすけかたきつ!」

 賢佐。それはつい先日、あのやぐらにて打ち倒した槍遣いの名である。

 本来ほんらい騎馬で振るうらしい槍をかちの身で見事みごとに振るって見せ、一刀斎と互角ごかく勝負しょうぶを繰り広げた傑物けつぶつである。

 仇、ということは。

「あいつらは、ったのか」

死体したいはない! 流されたか土塊つちくれの下だ!」

 賢達の言葉には、悲哀ひあい憤怒ふんぬふくまれていない。あるのはただの義心ぎしん息子むすこたちに、同輩どうはいたいする、義理ぎりてだ。

「この荒れが収まり次第しだい、川を渡れ外他一刀斎! そして、この私と一騎いっきちをせよ!」

「一騎討ち、ねえ……」

「確かに周囲しゅういさぐりましたが、ほかへいかげはありませぬ……。文字もじどおり、単槍たんそう匹馬ひつばたかと……」

「うむ、うむ」

 一刀斎らが来るまでその場で見張っていた佐武一さぶいち南蔵なんぞうが、松軒しょうけんへと耳打ちする。松軒はそうかと、顎を撫でた。

「どうするよ、一刀斎。あちらさんはやる気のようだが」

「どうもこうもない」

 あの男は、己に勝負をいどんでいる。

 そして、あの男は相当そうとう達者たっしゃであった賢佐の師であるという。それも、賢佐の本領ほんりょうであったはずの馬上ですらある。

 ならば。

 一刀斎は、秋のえた空気くうき一杯いっぱいはらそこへと吸い込んだ。そして、心意しんい存分ぞんぶん空気くうきに乗せ。

承知しょうちした! 存分ぞんぶん鋭気えいきやしなわれよ、その槍と騎馬の技、えてみせよう!」

 甕割を引き抜き、騎馬武者雲江賢達へと向ける。

 相手は歴戦れきせんの騎馬強者。その技は、いかなるものなのか──。

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