第四話 雷、再来

名張なばり名湯めいとうじゃったのぉう!」

殿とのには感謝かんしゃせねばならぬなあ……」

「うむ、うむ」

 伊賀いが伊勢いせを繋ぐとうげには、いくつかの細道ほそみちがある。

 ちいさいそのみちみちたぬ山道さんどうであるものの、ふるくから往来おうらいに使われる知る人ぞ知る道であった。

 伊賀いが名張なばりから伊勢いせへともどるため、その細道ほそみちの一つを歩んでいた三人さんにんろう武者むしゃがいた。伊賀の土豪どごうふみとどける任を預かっていた彼らは、ついでにあるじからながらくつかえたねぎらいとして、かえりに温泉おんせんに入ることをゆるされていた。

 このとうげを越えれば、自分じぶんらのまちはすぐ。おかげ二十にじゅうねんわかがえったと、かるくなった足腰あしこしでもってずんずんすすむ老武者三人。――だったが。

 かたわらのしげみが、ガサリとった。

「なんじゃあ? けものか?」

「山の中だからのう……」

「うむ、うむ」

 ふと足を止め、音の鳴る方を見遣った。どれいのしし鹿しかならば土産みやげにでもしようかと思い茂みを観察かんさつする。

 だがしかし、その草むらからころがりたのは。

「ぐう……」

「な、なななんじゃあ!?」

「て、天狗てんぐじゃ。やままう天狗じゃ……!」

「うむ、うむ!!」

 その上背うわぜい六尺ろくしゃくなかばもあるあかぐろはだをしただい天狗てんぐ。ギラギラと燃えるするどひとみを三人に向けている。

 しかし老武者達もおおくのいくさを乗り越えたふる強者つわもの。さらに身体からだは二十年は若返り、気力きりょく充分じゅうぶん

 あちらがやる気ならばと腰の刀に手をける。だが、しかし。

 グルルゥルグギュルルル……。

 大天狗のはらが、大きくなった。そのおとおもわず、三人はポカンと目をまるくする。

「…………すまん、一つ、きたいのだが」

 大天狗、いな、ただ大きい男はつかれたかおをして、てんめぐみでも見つけたかのように三人を見てくる。

伊勢いせくには、どっちにかえばいいのだ?」


 三郎丸とわかれた一刀斎いっとうさいはふとおもった。

「ただりるより、ひがしほうかってりたほう近道ちかみちになるのではないだろうか」

 そうおもったらあとはあし勝手かってななめにかい、そのまま山道やまみちはいっていった。そしたらまるでみちないし、人里ひとざとにもない。

 三郎丸と分かれて五日いつか。一刀斎はまたもや山で遭難そうなんし、やっとこの道に出たのだ。

「はぁ、それは難儀なんぎじゃったのお!」

「まさか案内あんないにん怪我けがをしてしまうとはのう……」

「うむ、うむ」

「すまんな、土産みやげ饅頭まんじゅうまでもらってしまった」

 豪放ごうほうとしてこえおおきい老人ろうじん鉄之進てつのしん言葉尻ことばじりちいさく、落ち着いているのが佐武一さぶいち、なぜか返事へんじしかしないのが南蔵なんぞうというらしい。

 三人さんにんとも伊勢いせもので、伊賀いがからもど途中とちゅうだということでこころよ同行どうこうを許してくれ、更に饅頭までもらってしまった。なんとも気の良い老人達である。

「で、おぬし名前なまえはなんといっうのかの」

外他とだ一刀斎いっとうさい武芸者ぶげいしゃをしている」

「なるほど、武芸者……」

「ほう、ほう」

 老武者達の目がキラリとひかる。興味きょうみ津々しんしんと言ったふうで、まと気配けはも武芸者にたいしてこのましい感情ものいだいているようだ。だが、その視線しせんというのがしっくりくる。

「いや失敬しっけいじつはワシらにも武芸者は馴染なじぶかくてのう。ワシらがつかえるおかたもまた、すぐれた武芸者でな!」

「ほう、そうなのか」

 武芸者の土豪どごうというのもめずらしくないのかもしれない。というより、そちらの方が「主流しゅりゅう」なのかもしれなかった。

 うわさによれば十三代じゅうさんだい将軍しょうぐんである足利あしかが義輝よしてるひがしから優れた剣士けんしせてその技をまなび、さらに言えば、一刀斎は柳生やぎゅう新左衛門しんざえもんというおとこっている。

達者たっしゃなのか?」

「うむ、もちろんじゃ。この先にあるしろ城主じょうしゅおとうとぎみであるのだが、東国とうごく兵法へいほう、新当流をおさめておるのじゃ!」

 新当流。それを聞いた耳がピクリと動いた。

 先に思い出した将軍が呼び出した剣士というのが、その新当流の創始者である。そして一人、新当流の比類ひるい達人たつじんを知っている。

「ほう、城主じょうしゅおとうとか……。そのしろはなんというんだ?」

「そろそろ見えるでの……おお、見えたぞ……」

「うむ、うむ」

 佐武一がしたのは道の右手みぎてがわやまに立つ山城やまじろだ。いくつかの曲輪くるわがあり、裾野すそのには城下町じょうかまちひろがっていて、きたからひがかこうようにながれるかわがある。あれれているという様子ようすはなくよくさかえているようにえた。

 一刀斎にほこるように、老武者達が自慢じまんげににんまりと笑う。よほどいいまちあるらしい。

外他とだ殿どの、あれこそがわれらが城、「雲林院うじいじょう」じゃ!」

「………………うん?」

 うじい、えらく馴染なじみのある名前である。頭の中に、そら片隅かたすみおおかくすほど大きなくもが浮かび上がった。

 もしやと思い、つづけていた。

「……すまんが、一ついいか」

「ほう?」

 やたら神妙しんみょうそうな一刀斎の様子ようすに、老武者三人ははてと首をかしげる。

「その城主じょうしゅおとうとというのは、名はなんという?」

 ああ、それはと、鉄之進てつのしんふかうなずき、むねを張ってはらそこから声を張あげた。

 やはり、よほど自慢の男らしい。

「そのお方の名は雲林院うじい松軒しょうけんさまというのじゃ!」

「……そうかあ」

 意識いしきもしていなかったのに、記憶につられて口調くちょうになってしまった


「よぉ~一刀斎、ひさしぶり……でもねえかあ?」

「こんなにはや再会うことになるとは思わなかったぞ、松軒」

 一刀斎が松軒と知り合いらしいと気付きづくやいなや、老武者三人は一刀斎をしろ一角いっかく、城と村とのさかいてられた屋敷やしきんだ。

 老武者達はサッと出て行ってしまい、その客間きゃくま一人ひとりつことじゅう呼吸こきゅう

 二重にじゅう意味いみで、こんなにはやいとはおもわなかった。

「まさか、松軒がしろちとは思わなかったぞ……」

「城持ちっていってもちいさなもんさあ。それに、俺のもんじゃあねえしよお」

 座布団ざぶとんかず、ゆかにごろする松軒。あいわらずのんびりとした男である。なつ大雲おおぐも気配けはいを、くもらすことなくまとっている。

「で、一刀斎はなんか収穫しゅうかくはあったかあ?」

「ああ……新左衛門殿と、手合てあわせした」

 一刀斎のその言葉ことばに、松軒は「ほう?」と身体からだこす。

「どうだ、強かったろう、当世とうせい無双むそうは」

「ああ、ひと太刀たちめることが出来なかった。やはり天下一とは遠いものだと思い知ったよ」

 だが、と一刀斎は言葉をつづける。

「松軒の言うとおり、天下一てんかいちまではとおみちだとよく知れた。おれはまだ、つよくなれるとれた。……松軒。おれを柳生やぎゅうさとまでれてってくれて、感謝する」

 あたまげる一刀斎に、松軒は目をほそめて「気にすんな」と手をヒラヒラさせる。すると、ふと何かを思いだしたかのようにまぶたらした。

「ところでお前よ、曲直瀬まなせじょうさんはほっといて良いのかあ?」

 曲直瀬の嬢さん。それがすのは一人ひとりしかいない。

 天下てんかだか医者いしゃひじり曲直瀬まなせ道三どうさんめいで、「天下一の医者」を目指す女、月白つきしろ

 柳生やぎゅうさとおもむいた道三どうさん勝手かってについてきた、自由じゆうままながら気持きもちのいのおんな医者いしゃ

 共に過ごしたのはたった三日みっかばかりながら、みょうなつかれてそれなりにふかいをした。

 わかぎわもらったくすりには、つい先日せんじつすくわれたばかりである。

「別れはげたし、またおうともった」

 えらくこざっぱりとした一刀斎の様子ようすを見て、「ああ、そうかい」とあごに手を当てる松軒だが、すぐに話題わだいは変わった。

「お前さんは、これから東に向かうんだよなあ?」

「ああ。新当流の達者たっしゃに出会いたくてな」

 一刀斎の脳裡のうりに、いかずちはしった

 目の前の男がはっした、鋭く、速く、烈しい技。それはまるで手にしていた武器ぶきが雷のようであった。

 一刀斎の前で振るったのはやりであるが、本来の得物えものけんであるらしい。

 それでもそのやりさばきは、一刀斎の師匠である自斎じさいにもひとしいものであった。その衝撃しょうげきのあまり自信じしんうしないかけたが、遥か優れた技を見たことで、無駄むだおごりががれた。

 ほかにも松軒には「ませば綺麗きれいになる」ということをおしえられた。松軒がかつての一刀斎にあたえた影響えいきょうは、かなり大きいものだった。

ひがしくなら、志摩しまくのがいな」

「志摩……?」

 志摩とは確か、伊勢の南東なんとうにあるちいさなくにだ。三島みしま神社じんじゃにいたとき、とじにあたまたたまれた地図ちずおもこすが、三方さんぽううみめんした半島はんとうだったはずだ。

 なぜ、そんな場所ばしょひがしくのが良いのだろうかと、首をかしげた。

「志摩からはふねててなあ。ふねればあっと言うに」

めておく」

 船。そう聞いた一刀斎はいちもなく即座そくざことわった。ゆびはじくよりはやこたえに、松軒も目を丸くする。

「……なんでだあ?」

いそたびでもないのでな。各国かっこくめぐわざたかめながらくつもりだったし、それになにより」

 一刀斎はひと呼吸こきゅういて、

「おれは、船がきらいだ」

 バッサリと、った。

 一刀斎は伊豆いず大島おおしまからしたとき、ふねからたたとされあやうくおぼぬかサメのえさになるところだった。うん潮流しおれて伊東いとうながくことが出来できたが、それでもふねというものにはおもがない。

 むかしたびったこともあるし、近江おうみ用心棒ようじんぼう仕事しごとつだったときにも何度なんどることになったが、それでもきもこころくことがなかった。

 船に乗るというのは、とかくしょうに合わない。きゅうされたならともかく、これからさき自分じぶんからすすんでることはないだろうと断言だんげんする。

 おもわぬ理由わけに、松軒はしばしぽけーとくちをあけていたが、直後ちょくご

「かーっはっはっはっはっはっはっはっ! ぶふ、かっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 天井てんじょう見上みあげて、部屋へやらしたいのかと思うほどの大笑たいしょうを上げた。

 これをうとだれもがわらう。いったいなにがおかしいのかと、一刀斎は眉間みけんにシワを寄せた。

 きらいなものはきらいなのだから仕方しかたないだろうに。もはや性分しょうぶんなのだ、これは。

 ひとしきりわらった松軒は、親指おやゆびはらなみだをぬぐってひざたたく。だが、まだおかしいのか肩をふるわせていた。

「いやあすまねえ。まさか天下一になろうっていう剣客けんかくにそんな弱点じゃくてんがあるたあおもわなかったもんでよお。だがしかし、ふね苦手にがてか。としたら……ちと厄介やっかいだな」

 えびす顔だった松軒だが、その顔はだんだんとむずしいものに変わっていき、ついにはくびをしきりにで、もう片手かたてあごはじめる。

 はて、なにか問題もんだいでもあるのだろうか。

「いや、実はなあ……いまこの雲林院には、ちっと問題もんだいがあってなあ」

 うべきかどうかなやんでいた松軒だが、のんびりていたとしたほそめ、真剣なまなしで一刀斎をる。すると松軒の口から出てきた言葉ことばは、これまた、おぼえのあるものだった。

「──六角ろっかくって大名だいみょうに、かわおさえられている。おれたちはきたひがしにゃあいけねえんだ」


 いわく、没落ぼつらくしてなお織田おだ対抗たいこうする姿勢しせいくずさぬ六角は、織田おだ傘下さんかくわわろうというこの雲林院の織田おだ合流ごうりゅうさまたげているのだという。

 甲賀の一部の力を借り、雲林院西方せいほうの山々を密かにおさえ、その山中さんちゅう、雲林院にながれるかわ上流じょうりゅうかまえた六角軍残党ざんとうは、雲林院軍が大挙たいきょし川を渡ろうものならすかさず察知さっちし船を出しておそいかかるという。

 やまからことかんがえたが、大軍でやまえするにはろうがある。

「何度か攻めちゃいるが、なかなか落ちなくてなあ。お前を連れてきたあの三人は、伊賀に山越え協力きょうりょく要請ようせいふみを届けに行ってもらったのよ」

「そうだったのか……ただの温泉おんせんがえりではなかったのだな」

 腕を組んで、一刀斎はふむり、とかんがむ。おもしたのは、あの得体えたいれない慇懃いんぎんおとこと、その後継こうけいであるお調子ちょうしものわかしのび

「……甲賀こうかなら、おれもまよんでな。柳生やぎゅうさと望月もちづき出雲いずもというおとこ世話せわになった」

「なに、当代とうだい甲賀こうか三郎さぶろうにか?」

 望月出雲の名を聞いた松軒は、目玉めだまさせる。いったいどういう顛末てんまつだ、と聞きたげだったので、一刀斎は甲賀で起きた一連いちれん事件じけんについてこまやかに解説かいせつした。

 甲賀はいまおおきく二分にぶんし、対立たいりつしていること。

 二人ふたり三郎さぶろう候補こうほ戦闘せんとうまれたこと。

 鎖鎌くさりがま使つかとのたたかいがなかなか面白おもしろくまた今度こんどその使つかがいたらいま一度いちどわざためしてみたいということ。

 はなしいた松軒は「そうかあ」と頭をかいた。

 大名だいみょうだけでなく、しろちや土豪どごうというのもなかなか労がかさなるようだ。おのれとは無関係むかんけい世界せかいであり、どこかホッとする。

「はあ、面倒めんどうだなあ……やっぱり、渓谷けいこく攻略こうりゃくするのがばやいが……」

「おれは兵法へいほううといからよくからんが、めにくいのか」

「まあなあ……谷間たにまってことでこちらのぐんひろにくづれえ。だが、あっちは天然てんねんしろきこもってるようなもんだからよお。少数しょうすう精鋭せいえいくしかねえが……ちと、問題もんだいがあってよお。ったくよお、むずかしいこたあかんがえたくねえなあ……けんだけってらせる一刀斎がうらやましいぜえ……」

 羨ましいと言いつつ視線はむしろうらめしそうだ。敵意てきいかんじないが、もしりかかられたらどうおうじるかなやましい。なにせ、松軒は手練てだれ。しかもここは松軒の屋敷。けんまじえれば多勢たぜい無勢ぶぜい

 ふと気付けば、なぜか松軒と脳内のうないで戦っていた一刀斎は頭を振って思考をからにする。

「その、問題というのは?」

「ああ、その渓谷を守ってるのがなあ……さると、いぬなのよ」

「…………なに?」

 猿と、犬?

「六角における二人ふたり若武者わかむしゃ――、ゆみ巧者こうしゃと、軍配ぐんばいものよ」

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