第三話 甲賀の蛇・下

 それは、三年ばかり前の記憶である。

「またサボりか? まる

「ん? ああ、ひこにいさん。すけ一緒いっしょか」

「丸兄さん、筆頭がおこってたよ」

「あの人のおこがおとか想像そうぞうつかねえんだけどなあ」

 「蛇」の稽古を受けずに、やまはいってくさり飛刀ひとう自由じゆうままにるうばかりだった。

 三郎丸さぶろうまる三郎坊さぶろうぼう

 この二人以外にも、「三郎さぶろう」の候補が二人いた。

 一人は、三郎彦さぶろうひこ。三郎丸より三つ年上で、すぐれた「蛇」の技を持っていた。心をじることが出来る一方、あふれんばかりの人品じんぴんを持ち、次期三郎候補の筆頭格と呼ばれていた。

 もう一人は、三郎助さぶろうすけ。こちらは三郎丸より幼かったが、たぐまれ軽業かるわざの才覚をゆうしていた。

「そういえば、坊兄さんも最近来ないね」

「坊は我らと違って二十一家の生まれだからな。少々、しがらみがある」

「ところで、なんの用だ?」

 落ちた葉っぱ目掛け飛刀を飛ばす三郎丸。しかし飛刀は葉の中心をずれ、貫けなかった。

 三郎彦が続いて飛刀を投げた。三郎丸よりするどいそれは、葉を貫くだけでなく微塵みじんった。

 三郎丸は、おもわず口笛くちぶえを吹く。

「やっぱり次の筆頭は彦兄さんだな。技の冴えが違う」

「それを決める時が来た」

 しゅるり、とまるで蛇のように飛刀が三郎彦の手に戻る。三郎丸は目を丸くして、二人を見た。

「明日の夜、戌亥の移り変わり。この森でだよ」

「技を競い、最も「蛇」を会得していた者が三郎になる」

「無駄なことするなあ……彦兄さんでいいだろうってのに」

 頭をかいた三郎丸はてん見上みあげる。くらはじめた夕空ゆうぞらにはほしかびはじめ、まるで星々ほしぼしはまるでくさりのようにつながっている。

 三郎彦は、あらゆる要素ようそにおいて当主として相応ふさわしい。「蛇の腕」だって、四人の中では一番である。

 結果けっかは分かりきっているのだから、わざわざ手間なことだ。

 そんな三郎丸の心をやぶってか、三郎彦は小さく溜息を吐いた。

「いいか丸、俺が優れているのは、お前より三年早く生まれていたからだ。――同い年であったなら、お前がもっと稽古を積んだなら俺すら越えるだろうさ」

「これまた冗談じょうだんを。それに稽古けいこを積んだところで明日あした彦兄さんが当主になって、俺はそのまま雑兵ぞうひょうだよ」

「僕は諦めてないけどね! やるからには全力で挑むよ!」

「助は気合充分だなあ。んじゃあ、最前席さいぜんせきたのしむとすっかねえ」

 ゆうけに飲まれる山の中。ほのぐらさとは裏腹うらはらに、かわいた夕風ゆうかぜくように、三人の笑い声はよく響いた。

 そしてその次の日。――三郎彦と三郎助は、三郎坊によって惨殺ざんさつされた。

 大鎌おおがま印地いんじ飛刀ひとうくわえた、かれ独自どくじの「蛇」によって――。


「シェェエエイ!」

「ぐうっ!!」

 あのからどれほどはなれたか。鉄色てついろへびえだみき利用りようしそのからだてんじながらてきへとおそいかかるが、そのことごとくはかまによってはらわれた。

「クハハハハ、やはり所詮しょせん、お前の蛇の腕はその程度ていどか、丸!」

 哄笑こうしょうげる三郎坊だが、その笑い声には、喜楽きらくではない感情かんじょうめられている。

 それは、ねたみ、そねみ、うらみ、つらみ、くるしみ、いたみ、しみくや苛立いらだはずかしみうれかなしみいかり。

 そして、矮小わいしょう自尊心じそんしん

当世とうせい筆頭ひっとうは、やはり血筋ちすじだけで貴様きさまえらんだか。信濃しなの本家ほんけへととついだあねよりおくられた、貴様きさまだけで!」

「ぐぁっ……!」

 その咆吼ほうこう印地いんじ散弾さんだんはなたれる。咄嗟とっさからだかくしたが、そのつぶていて、三郎丸の足にさった。

「やはり、筆頭ひっとうしがたい。六角ろっかくへのこうわすれ、織田おだについてのころうとする軟弱なんじゃくさ、血筋ちすじだけで次代じだいえら蒙昧もうまいさ。そして、おまえよりも、あのひこさええたへびの使い手である、おれみとめぬ傲慢ごうまんさ! 当世とうせい甲賀こうか三郎さぶろうは、くもりきっている!」

「うるせえ! なにがこうわすれただそれを言うならおんだろうが! 大昔おおむかしもらったふるくさえさにいつまでもしゃぶりつきやがって。六角ろっかくはもう、俺たちのことなんざ、てることは分かりきってんだろう! それとな、お前程度が、彦兄さんよりうえわけあるかよ、筆頭ひっとう充分じゅうぶん! 状況じょうきょうてる!」

 からし、三郎丸は飛刀をげつける。その飛刀はへびたがわず、木を、枝を、自在じざい利用りよう変幻へんげん自在じざい軌道きどうを変えて三郎坊へとせまる。

 だがその蛇の頭は、またも鎌によってはらわれた。

「状況を見ている? なにをたわけたことを言っている? 筆頭が次代と呼んだお前がこの程度ていどうでなのだ。ただあやつるだけなのだ! なのに当主と、腹がねじれきれるわ!」

 憎悪ぞうおふくんだ哄笑こうしょうが、もりなかひびわたる。

 おのれみがげたわざに、げたわざに、人の身にあまるほどのほこりを以て。

「この俺のわざを見ろ。飛刀、印地、大鎌。これらのつなすべは、その飛刀だけの、彦や助が、筆頭さえ使う蛇とはちがう。そう、俺は、蛇を越えたのだ!」

「ぐう……」

 分かっている。蛇の腕が足りぬことぐらい。ただそれでも、彦と助が死に、遺された自分と坊。その中で筆頭は丸を選んだ。

 なぜ望月もちづき出雲いずもおのれえらんだのか。それは、三郎丸も分からない。蛇の腕を上げようとしても、当代や彦の腕にはまだとどかない。

 言われるまでもない。それを一番知っているのは、他ならぬ三郎丸自身なのだ。

「ここで死ね、丸。貴様を殺し、俺が甲賀こうか三郎さぶろうとなる!!」

 三郎坊が、印地を飛ばす。そのつぶては今までのものと違う、つちさきごとおおきないし。あれほど大きければ、三郎丸の飛刀ではふせげない。

 その石は三郎丸のあたまけ、真っ直ぐにんでる。

「ちくしょう……!」

 こんなところで、わりなのか。あきらめきれず、岩をにらみつけてやった。決して目をらしてはやらない。最後まで、こころけだけは譲らない。

 頭が潰れるまで、あと三尺――だった、その時

 ビュゥウン!

「なに!?」

 目の前を、なにかがよこ印地いんじとした。そのなにかを見てみれば、どう考えても、自然しぜんびようのない、たおれていただろう丸太まるた

投擲とうてきというのはなかなか便利べんりだが、やはりけんほうこのましい」

 なにが起きたのか、皆目かいもく見当けんとうもつかぬ二人は、声がした方を同時どうじに向く。

 鬱蒼うっそうとしたもりなか丸太まるたんできたその道を悠々ゆうゆうと歩いてきたのは。

にいさん……!?」

無事ぶじか、三郎丸」

 一刀斎、その人であった――。


 いたのは、三郎坊。いた笑顔えがおさらゆがめて、たかぶりおさまらぬ心のままてた。

「なぜだ、なぜうごける! しびどくを受けたはずではないのか!!」

天下てんかいちいた医者いしゃっていてな。よくクスリもらっていた」

 ふところからしてせたのは、のひらにおさまるくすりれ。柳生やぎゅうさとときに、月白つきしろからわたされたものだ。

 しびれにくという丸薬がんやくんでみれば、半刻はんこくもしないでしびれがうすれ、三郎丸たちを追いかけているあいだには、あせともどくけきってしまった。

「あの丸太まるたにいさんが、げたのか?」

「ああ、すこぶる快調かいちょうでな。三郎丸があやうかったようで、出来できそうだからやってみた」

 出来できそうだから、という根拠こんきょのない理由りゆうで、この怪力かいりき丸太まるたげた。すこしでもずれていたら三郎丸のあたまんでいただろうに。

 そうかんがえることはなかったのかあっけらかんとこたえている。

 自分じぶんもお気楽きらくだと思っていたが、真面目まじめそうにえるこのおとこも、かなりのものだ。

邪魔物ぶげいしゃめ……そこまでへびえさになりたいか」

 落ち着きを取り戻したのか、三郎坊はいやらしい笑い顔を浮かべ飛刀をかまえる。

 たいして一刀斎は「ほう」と一言。

「ようやく、お前の蛇を見せてくれるのか。だいぶ隠したな」

「────なに?」

 三郎坊は初めて、感情かんじょう沿った表情かおを見せた。

 不意ふいたれ、出鼻でばなくじかれ、拍子ひょうしはずされ、その口は、あごはずれたようにポカンと開かれたまま。

「なにをとぼけたことを、今までさんざん見てきただろうに」

 その言葉に、今度は一刀斎が首をかしげた。

「とぼけているのはどっちだ。お前のそれのいったいなにが蛇だという?」

 腰の甕割をはなち、あきれかえったまなしで三郎坊をまっすぐ見遣みやる。

「蛇がものげるか? 蛇のかまで出来ているか? 獲物えものおそいかかるときにごえも上げず、うろこおとも聞こえないのか? そんな蛇、俺は知らん。今までの貴様きさまの技は、蛇の真似まねごとですらない」

 つつかくさず、バッサリと。三郎坊の歪んだ自尊じそん一刀いっとう両断りょうだん直截ちょくさいに斬り捨てた。そして。

「三郎丸の技の方が、よほど蛇だったぞ」

「──!」

 つづ言葉ことばで三郎丸の、こころ狭霧さぎりひらく。

「貴様ァアアアアアア!!」

 「蛇の真似事ですらない」。そうたれた三郎丸は眼を向いて、飛刀をまっすぐに投げつける。飛刀はくうきながら、するさきを一刀斎に向けている。

 だが一刀斎は、ただ三郎坊だけに視線をやってかりく!

馬鹿ばかめ! へびきば千切ちぎられるといい!」

 さげす言葉ことばながし、一刀斎は甕割のさや腰帯こしおびからく。

「だから、っただろう」

 うちさやをくるりと回し、飛来ひらいする鎖を巻きげ、三郎坊の手からはじる。

 そして、甕割かめわり片手かたて上段じょうだんかまえ。

「貴様のそれは、へびもどきにもならん、蛇足だそくまみれのトカゲに過ぎん」

「ッ!」

 刀を振り上げせま姿すがたは、ほのおまとった阿修羅あしゅら夜叉やしゃか。あるいはそれは、不動ふどう明王みょうおう――。

 なみ人気じんきはるかにえた気炎きえんあつおよごしになりながらもかま一文字いちもんじかまえてその剣をふせごうとする。

 だがしかし一刀斎のその太刀たちは、その程度ていど防御ぼうぎょなど、丸めたかみと変わらない。

ェェヤァアアアアッ!!」

「ガァアアッ!!」

 かまつかごと、三郎坊のむねいた。


「……すげえ」

 これが、武芸者か。脚が動かなくてよかった。お陰で、腰を抜かしたことに気がつかない。

 三郎坊へと斬り掛かるその背中は、大きくふくれあがって見えた。験力げんりき神威しんいを有する神仏しんぶつが如き気迫きはく

 一刀斎のその技に、目をうばわれた。

「無事か、三郎丸」

 振り向いた一刀斎は、そんな三郎丸の心をってからずかにしてないのか。鞘からさやを振りほどき、甕割をおさめてなおす。

「ああ無事だ。…………っていたいが、わりぃ、あし怪我けがした」

 ついでに腰も抜かした。

「ちょいとやすめばうごけるが、案内あんない無理むりそうだな」

「むう……それはまいった」

安心あんしんしなよ、もう、伊賀いが里山さとやまはいってる。ゆるくさかになってるの、わかるか? したかえば、お天道てんとうさま頂点ちょうてんからかたむくぐらいにはさとりられるぜ」

「なに、本当か?」

 さっきの鬼気ききはなんだったのか。どこかけた様子ようすに戻る一刀斎。おもわず苦笑くしょうして「ああ」とこたえた。最後さいごまでおくるのは無理むりそうだが、なんとかやまえはげられた。

 ──あとは西に向かうつもりで東に行ったのが、一刀斎の悪癖あくへきでないことをいのるだけ。

「そういうことなら、感謝する。よく送ってくれた」

 くちわずかにげたぐらいではわらぬ仏頂ぶっちょうづらだが、その誠心せいしん十分じゅうぶんつたわった。この一刀斎と言う男は、馬鹿ばかがつくほど正直しょうじきで、面白おもしろい男なのはちがいない。

「いや、感謝するのは、俺のほうだよ」

 おのれわざを、「まさしくへびだ」と言ってくれた。お陰で、己の心にあった迷霧がはらわれた。

 だが当の本人はなんのれいなのかさっぱり分からぬようで、はてと首をかしげている。

 そんな様子を見て、つくづく愉快な奴だとケラケラ笑う三郎丸。

「ほら、行きな。きずの手当ては自分で出来る」

「そうか。なら──さらばだ、三郎丸。いずれ会う機会きかいがあれば」

「ああ、その時は俺は三郎丸じゃなく、甲賀三郎になってるがな!」

 ゆるい坂を、ゆっくりと下りていく一刀斎。

 その背をおくえると、うごかしにくいあしでもって、三郎坊へと近付く三郎丸。

 鎌の柄はスッパリと切られ、斬られた胴体からはあふれていた。彼も三郎候補として、色々いろいろおもうこともあったのだろう。だがしかし、三郎坊はちがえすぎた。そのむくいが、今ここにめぐって――。

「!?」

 咄嗟とっさ退く。着地ちゃくちした時、もどってきたいたみで思わずひざまずいた。

 ――飛刀が、飛んできた。

「三郎坊、お前……」

 むくり、と身体がうごめく。黒装束くろしょうぞくが血に濡れて、夜闇よやみが如きその色はよりく染まる。

 仕留しとそんじたか。いやちがう。わずかばかりに残った妄念おもいが、三郎坊の肉体からだを動かしていた。

「おれが、おれこそが、甲賀、三郎」

 剥いた目は幽鬼ゆうきのようにうつろ、するどい歯で噛みしめられたくちびるからも血が滴っている。生気せいきなど、まるでない。

 化生けしょうごと姿すがたててなお、ち上がろうとする三郎坊。

 奴はうにいのちうしなった。引導いんどうわたすも己の務めだと、三郎丸が飛刀を構えた。

 ──瞬間しゅんかん

「っ、なんだ!?」

 はる果実かじつか、はたまたはなか。この秋に見合わぬほどあま芳香ほうこうが森にただよう。三郎坊が毒煙どくけむりでもしたかと口をさえるが、同時どうじに。

「大丈夫だよ。こころやすらげるこうだ。その足のいたみも引くし、たいの彼は、おだやかにける」

 そばに、だれかがっていた。一切いっさいちかづかれたことに気付かなかった。ここまで意を感じさせないのは、筆頭ひっとうか五十三家のあるじでも数人しかいない。

 その誰かが、気配をらした。その中に敵意てきいはない。むしろしたしみやねぎらいがめられた、おだやかな気配だった。

 だがしかし、それゆえに、隔絶かくぜつした力量りきりょうに気付かされそちらを見ることが出来ない。

 代わりに三郎坊を見てみれば、かれたまぶたはゆっくりとじていき、ねむるように、そのたおれた。

「この香はつま特製とくせいでね。調香ちょうこうがとても得意とくい女性ひとでさ、料理りょうりもこれまた得意とくいでねえ」

 妻をほこるその声音こわねはやたらやさしい。これは、なにかに似ている。

 ああそうだ、淡い色の大空おおぞらに似ている。

望月もちづき殿どのから連絡れんらくを受けてどおはしったけれど、大丈夫そうで安心した。すこ心配しんぱいが過ぎたかなあ」

 そばの男は、能天気のうてんき甲賀こうか当主とうしゅげる。そこで、はたと気付いた。となりにいるおとこ正体しょうたいに。

「……忍は、もうやめたんじゃあなかったのか」

「ああ、やめたよ。今はみちに身を置いている。一刀斎いっとうさいくんはこのあと伊勢いせ目指めざすんだってね。なら、かれ再会さいかいするかもだ」

 一刀斎のすえおもこえ調子ちょうしは、とてもたのしげだった。だがそのどこかには、おのれが三郎坊にわずかばかり抱いていたような、を感じる。

「さて、そろそろ痛みも引いたかな。……ご苦労くろうだったね、次代三郎」

 その言葉と同時に、ただっていたこうが消えた。ハッとして辺りを見渡みわたしたが、男の姿は、もうすでく。

 なんということだ。今さっき忍はもうやめたと言っていたのに、隠行おんぎょう挙動きょどうはやさも、げん筆頭ひっとう遜色そんしょくないではないか。

 あれをえねばならぬのかと、三郎丸はいきく。

 だがしかし、全て吐ききった心に残ったのは、溢れんばかりの、活力かつりょくだけだった。

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