第五話 火雲、まさに盛んなり

 ひがしそらから、あつくもせまってきた。これはちかく、一雨ひとあめそうである。

「しっかし、殿とのさまにもまいったよなー。俺様をなんに使つかうかと思ったら、谷間たにまいて雲林院うじい相手あいていやがらせとはよー」

いやならば、蒲生がもうらととも織田おだ軍門ぐんもんくだればよかろう」

 雲林院うじい西方せいほうにあるみずうみ、その手前てまえ渓谷けいこくつくられた、三間ほどの簡素かんそやぐら

 その最上部さいじょうぶには、二人ふたりわかおとこた。

 一人ひたりほん片手かたてひがしそらうかがいながら、するどとがったいてニヤけている。

 もう一人ひとりは大柄で、てば天井てんじょうあたまがかするだろうほど。たけせまゆみつるととのえていた。その眼光がんこうは、やたらけわしい。

「バカ言うなよエテこう。織田ってのは名将めいしょうぞろいなんだぜ? 俺様みたいな新参しんざん若造わかぞうなんてやりばたらきさせられるにまってる。殿様とのさまちぶれて万々歳ばんばんざいだね。おかげで俺様が六角ろっかく随一ずいいち軍配ぐんばいものだぜ」

相変あいかわらずキャンキャンうるさいイヌコロだ」

 キシシと笑い、その山犬やまいぬのような牙を見せる男──義衛門ぎえもんは、相方あいかたる。

 悪態あくたいをつく義衛門をゆみほう──仁兵衛じんべえにらみ付けた。

 義衛門は「ああこわこわい」と、本で顔をかくす。

「でも、お前も嬉しいだろう? その弓の腕を存分ぞんぶんに振るうことができてよ」

 仁兵衛はそのいに答えなかったが、続く義衛門の言葉で手が止まった。

かしらだった男、仕留しとそこねたな?」

 雲林院うじいものが攻めてきたのは三回。

 その中で唯一ゆいいつ、櫓に迫られた三度目さんどめ、即ち仁兵衛が弓の腕を見せた戦い。

 悪衛門ので一握りに減った雲林院のへいたちを、いてやった。

 仁兵衛の弓の腕は、そのわかさに見合わぬほどであった。彼とその弓は穿うがち、たてつらぬき、よろいくだはなつ。故事こじにいわく猿号えんごう擁柱ようちゅう猿臂えんぴ之勢のせい腕前うでまえである。

 だがしかし、そのとどかぬ相手あいてがいた。近頃ちかごろ雲林院にもどったという、城主じょうしゅ血縁けつえん雲林院うじい松軒しょうけん

「……剣技けんぎなどいくさではやくたない。かたな戦場いくさばにおいてはただの鉄棒てつぼういくさ道具どうぐなどともべん」

「ほう、めずらしく意見いけんうじゃねえか。なんにせよ、やっこさんらも撤退てったいさせたしわるいこたあねえ。まあ、半分はんぶん以上いじょうは俺様のあたまのおかげだけどなあ? 河内かわち英雄えいゆうサマサマよ」

 手中しゅちゅうほんをヒラヒラさせ、たのもしそうに見つめる義衛門。

 そのほんはかつての南北なんぼく戦時せんじ南朝なんちょうくみ存分ぞんぶんにその智慧ちえかし、少数しょうすうでもって大軍たいぐんことごとかした稀代きだい軍配ぐんばいものしるしたしょだという。

 だがしかし、なぜ河内の英傑えいけついたほん近江おうみつたわっただというのだろうと、仁兵衛はそれをしんじていない。もちろん、義衛門も信じてはいない。

 ただたんに、義衛門にとってはこれが仁兵衛の弓と同じものだということだ。

「しかし、そうなると織田と雲林院は真反対だな。兵卒へいそつすぐれてるが、ひきいる将兵しょうへい平凡へいぼんだ。いがねえ」

「義衛門!」

 剣呑けんのんなのかなごやかなのか、犬猿けんえん火花ひばならす櫓に上がってきたのは手勢てぜいかしら

 義衛門、仁兵衛らが幼い頃から世話になっている兄貴分であり、二人ふたり能力のうりょくをよく理解りかいし、絶大ぜつだい信頼しんらいせる男だ。

 二人もまたこの男をよく信用しんようしている。

「どうした? また、雲林院がしょうりもなくめてきたンで?」

「ああ、雲林院の者が来た。……だが……」

 ふる馴染なじみのみょう歯切はぎれのわるさに、義衛門たちは首をかしげる。

「……なにが、あった? てきかずは?」

 矢の本数ほんすうかぞえる仁兵衛。てきおおくとも義衛門の計略けいりゃくによってかずらされる。十本あれば、足りるだろう。

 同じく義衛門も、ほんひらいた。次はどんなわざ相手あいて混乱こんらんさせてやろうかと、くち愉悦ゆえつに吊り上げる。

 ──だがしかし。男の口からげられたその人数は。

「……五人ごにんだ」

 その報告ほうこくに、二人は思わず目をひらいた。

 完全にきょかれ、仁兵衛は矢をばらけさせ、義衛門は本を手からこぼした。

「一人は雲林院松軒、あともう一人、背の高いおとこ――おそらく、武芸者だ」


 さかのぼること一日前のことである。

 一刀斎いっとうさいが雲林院松軒と再会さいかいし、その屋敷やしきにて、六角ろっかく些細ささいながらのように鬱陶うっとうしいはかりごとについて愚痴ぐちかされていた最中さなか

「──その義衛門と仁兵衛という二人の男が、六角の?」

「ああ。りをする山犬やまいぬの如き軍配ぐんぱいものと、猿臂之勢のゆみ巧者こうしゃ。どっちも若えがかなりのいくさ上手じょうずでよお。なかなかやぐらに近付けなくてなあ。そろそろふゆだから食料めしたくわえておきてえし、この小事しょうじ大軍たいぐんを起こすわけにもなあ。ああ、ったくやらしいねえ……」

 どうやら、いやがらせとしてはかなり成功せいこうしているようだ。

 たしかに越冬えっとう備蓄そなえおおいにしたことはない。話を聞くに相手は少数しょうすうらしいし、あちらはじんっているだけで攻勢こうせいに出ることはない。

 また、雲林院軍にはにらみをかしているが、川を渡ることがないたみには被害ひがいておらず、余計よけいうごづらい。

「その弓の使い手は、どれほどのものなんだ?」

「それがよお」

 松軒がほとほとまいった様子ようすかたす。

 いわく、三度目の渓谷けいこく攻略こうりゃくおりかえってきたばかりなのにやすもなく目付めつけとして攻城こうじょう参加さんかさせられた松軒は、わな妨害ぼうがいをなんとかくぐり、櫓近くまで迫ることができた。

 だがしかし、残る手勢は十人じゅうにんあまり。これで攻略こうりゃくできたものかと思いつつ、偵察ていさつがてら櫓まで残り三十さんじゅっけんといったとき。まえすすんでいたたてちが、いきなりうしろにんできた。

 その木盾きたてはたった一本いっぽんつらぬかれ、胴丸どうまるさえも射貫いぬき、さらには、その盾持ちを受け止めた兵の胴丸にさえあなをあけたという。

 ふと見上げれば、三間ほどあるその櫓の頂点ちょうてんに、乙矢おとやつがえた猩々しょうじょう姿すがた

 目と目があった瞬間しゅんかん背筋せすじこおり、さっとかたなはなつ。それと同時に、こちらに真っ直ぐ矢が飛んできた。

 なんなくはらうことは出来できたものの、その威力いりょくつかとおしてもつたわるものであった。

 この少数しょうすうでは近付く前にみなごろしだと、すぐさまきびすかえしてたという。

「松軒ほどの男が手も足もでなかったとはな……」

「まあ、兵卒へいそつあずかってた身だからなあ。あんま無茶むちゃは出来ねえ。俺一人だったらあ……いや、なんでもねえやあ」

 松軒は、ごろんところがる。いつもの悠々ゆうゆうとした夏雲ねつぐものごとき気配けはいが、みょうおもくるしい。あめでもりそうである。

 仕合しあいであるならば、間違いなく松軒がつだろう。だがしかし、いくさだとそうはいかないらしい。

「やはり、仕合しあい戦場いくさばちがうか」

「ああ、全然違うなあ。俺あやっぱり、けんやりるうほうしょうってらあ」

 なるほど、と一刀斎はうなる。

 松軒ほどの腕前であっても、戦においてはそれをふうじられてしまう。

 弓だけではない。一人の手練てだれをもおさ計略けいりゃくというものは、とかく厄介やっかいな敵なようだ。

「──面白おもしろい」

「おう?」

 おもわず、つぶやいていた。ついこのあいだけんやりではない相手あいてたたかったせいか。一刀斎は「ことなるわざ」にたいつよ興味きょうみいだいていた。

 松軒しょうけん封殺ふうさつする軍略ぐんりゃくとは、どれほどのものなのか。

 たてよろいすらける一矢いちやとは、どれほど強力きょうりょくなのか。

 かたなつうじず、やいばとどかぬ相手あいてを、どのようにればよいのだろうか。

 やはり、天下てんかは面白い。この世にあることごとく、一つ一つをこころほのおべていけば、おのれはまだまだ、つよくなれる。

 炯々けいけいと、えるこころうつひとみて、松軒は思わず溜息ためいきいた。

「やれやれ、刀で相手の計略けいりゃく距離きょりを斬ろうってのかあ? お前もなかなか、武芸者みてきたじゃあねえの」

 呆れたような松軒は、だがしかし、その気配には喜楽きらくじょうが浮かんでいる。

 どんよりおおっていたくもが、にもえる白雲しろくもに変わる。

 まるで日に照らされて、元の色を取り戻した夏雲なつぐものように。


「さてとお、こっから先があいつらの領域りょういきだ。準備じゅんびはいいかあ?」

 そして、現在げんざい

 たびつかれを食事しょくじ睡眠すいみんいやした一刀斎は、松軒の案内あんないでもってくだんさるいぬがいるという渓谷の入り口までやってきた。

 松軒もどうやらやる気のようで、手にはやりを、こしにはかたなたずさえている。

「おれは出来ているが、いいのか、勝手かってしろて」

「まあいいだろお、おともれての偵察ていさつってことにしときゃあ」

 そう言って松軒が親指おやゆびしたのは、うしろの三人。

「松軒様も負けてばかりではおられぬ気質タチですからな!」

我々われわれがしかとおつだいしますゆえ……」

「うむ、うむ!」

 昨日、一刀斎を雲林院までれだったあのろう武者むしゃたちである。

 それぞれ野太刀のだちやら金棒かなぼうやら長巻ながまきを持って、意気いき軒昂けんこういきいている。

 一見いっけんすればなんとも珍妙ちんみょう面々めんめんではあるが、長物ながもの軽々かるがるまわしている様子ようするに、それらのあつかいにはれているようだ。

 運用はこびかたが「心髄しんずいいている」というのが見て取れた。

 松軒も信頼しんらいしているようだし、実力じつりょくたしかなのだろう。ならば、不安ふあんはない。

 一刀斎はこし甕割かめわりに手をかけて、松軒らとともやまった。

「それで、相手の数は、わかっているのか」

「櫓の規模きぼかぎり、三十人はおらぬでしょうな!」

「犬と猿、そして兵卒を率いる頭の三人さんにんを足して、二十にじゅうほどかと」

「うむ、うむ」

 二十ほど。それを聞いた一刀斎は目を大きく見開いた。

「その数で、何度なんども雲林院を退しりぞいたのか」

「この山道やまみちだからなあ。大量たいりょうへいれられねえ。最初さいしょ五十ごじゅうつぎ七十ななじゅう。で、俺が参加した三回目でまた五十ごじゅう

「なぜ一度いちどやしたのにまたらした?」

確実かくじつ犠牲ぎせいが出るからだよお」

 松軒の言葉に、おもみがる。

「一回目は二十にじゅうにん程度ていどかろんじたぁ。そしたら、一刻いっこく半壊はんかいして撤退てったい。二回目はおもんじてやしたが、敵さんのとこにく前に壊滅かいめつして撤退てったい。三回目は昨日きのう言ったとおり、精鋭せいえいいどんで櫓を目前もくぜん撤退てったいさあ」

「……そこまでの、上手じょうずか」

「ワシらも多くの戦場を生き抜いてきたが、ああもあざやかな計略けいりゃくは今まで体験たいけんしたこともない!」

「まるで、この山林さんりんすべてがてきになったよう……」

「うむ、うむ」

 ごわ相手あいて弓兵きゅうへいだけではないらしい。

 軍術ぐんじゅつ使つかい────いったい、どれほどのうでを持つというのか。そらおそろしくなる。

 だというのに、いまらぬ兵法わざまえにした一刀斎は、獰猛どうもうわらっていた。

 魂の炎を、大きく揺らしていた。

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