第三話 泥の中咲く赤い花

 くる日。一刀斎いっとうさいは今日もまた佐奈さなに連れられ大野おおの屋敷やしきへと朝食ちょうしょく馳走ちそうになっていた。昨日きのう夕食ゆうしょくに乗ったというのに。

 このひと月の内、二十日はつかはここで食事しょくじをしている。もらって申し訳ないと思わないことはないが、ことわると佐奈は悲しそうな顔をするのでなかなか断れない。

「一刀斎様が来られたと!?」

「またか甲四郎こうしろう……」

 こうして、食事中に木刀をもって甲四郎が入ってくるのももう慣れてしまった。思う以上に馴染なじんでしまったなと、一刀斎はやや悩む。

「今日もまた、相手をしてくれませぬか!?」

「ああ、かまわない。一刻いっこくでいいか」

 一刻。そう聞いた甲四郎と将善しょうぜんは、目をひらく。

 それも寸時すんじのことで、甲四郎は年相応としそうおうの、喜色きしょく満面まんめんみを浮かべ、「では、よろしくお願いしまする!」と足早あしばやにわもどっていった。

「よろしいのか? いつもは半刻はんこくだったのに」

「よいのだ。……おれも、もっとおのれきたえたい。少し、鍛練たんれんないがしろにしていた」

「それは、昨夕さくゆうのことで?」

「ああ」

 昨日きのう夕食を世話せわになったあと、将善にその昼に起きたことをかたったのだ。

 雲林院うじい松軒しょうけんの名はきょうでも有名ゆうめいらしく、くわしいはなしを聞けた。

 曰く、雲林院松軒は天下てんかひろしと言えどそういない剣聖けんせい一人ひとり鹿島かしま新当しんとうりゅうの祖、塚原つかはら卜伝ぼくでん高弟こうていであり、今は大和やまとに住むと言う。

 その腕前うでまえは、廻国かいこく修行しゅぎょうの中で出来た、もと全土ぜんどにいる膨大ぼうだい弟子でしの中でも頂点ちょうてんにあるといい、五人ごにんといない新当流の武芸者だと言う。

 また、その新当流とはつるぎみや鹿島かしま香取かとり両地りょうちたんはっする東国とうごく随一ずいいち兵法ひょうほうであり、長物ながものわざにもひいでているそうだ。

「おれは、少しおのれ誇大こだいぎていたかもしれん。一人鍛錬する場所でも探すかな」

「それはいい。今日からさがすのか?」

「いや、少し用があってな……さて、甲四郎も待っているだろう。飯を済ませてしまおう」

 はぐらかすように会話かいわを切り上げ、こめ菜汁なじるで飲み下した一刀斎は、「ごちそうさま」と手を合わせ、早速さっそく庭へと赴いた。

 将善も「なにも詮索せんさくすることはあるまい」と、目をつむる。──どうやら、長兄ちょうけいわりにしているのは、子どもたちだけではなさそうだ。


 もうれたと思っていたが、そもそも慣れてはいけないものだったと思い知らされる。人の死とは、こんなにもにおうものなのか。

 甲四郎との鍛練の後、一刀斎は昨日までと違いきょうを、東端とうたんにある川沿いにりた。

 かわくだればくだるほどに、死体したいかずは増えていき、一刀斎の眼前がんぜんには、腐肉ふにくの山と、ほねはらが出来上がっていた。

 いろづいて見えるほどに、その死臭ししゅう濃密のうみつであった。とりけだものむさぼられた屍肉しにく屍肉しにくじり合い、死体したい死体したいとがけ合っているさまには、そういう妖怪あやかしたれたあとなのではないかと思ってしまう。

 あるいは人をらう凶獣きょうじゅうの、腹をかっさばいて臓物ぞうもつをそのまま取り出したかのようでもある。

 朝飯あさめしのどまで込み上がってきたが、人が喉を這い上がってくる姿を妄想してしまい、余計よけい吐き出したくなった。だが、すんでの所で飲み込んだ。

 死とはけがれだ。その事実が、よりふか胸裡きょうりきざまれる。気配けはいは生きたものしか出さぬはずなのに、この屍山しざんからは、暗黒あんこく怨嗟えんさはなたれていた。

 この山をきずすべみがくというのだから、武芸者ぶげいしゃとは、まさに悪鬼あっき羅刹らせつなのかもしれぬ。心の中で、炎が揺れる。

「いかんな」

 はっとして首を振るう。穢れとは気枯けがれだ。心さえしなびさせるかぜに、こころほのおどくされかけた。しかし絶えず、魔風まふうく。もう帰ろうか。そう思い立ったその瞬間、一刀斎いっとうさいは目をうたがった。

 ──死体したいやまが、うごいた。

 まさか生き残りがいるのかと瞠目どうもくし、足は京とは反対はんたいに、かばねの山へと一歩近づく。同時に、吹き付ける魔風がいっそうくなり、思わず一刀斎は歩みをめた。

 ふたたび、山が揺れた。だが今度は動けない。ただじっと、見つめるだけ。

 そして三度みたびやまくずれた時。──その内から、一輪いちりんはなこぼれた。

 そのあかはな弱々よわよわしく、辿々たどたどしい。だがしかし、泥中でいちゅうから咲く蓮華れんげのように、目映まばゆく見えた。

 死体が動いているのではない。死体の中に、があった。あのどうしようもないけがれの中で、きよかがいのちがあった。

 自然と、一刀斎が一歩近づく。己に吹き付ける穢れた風など、もうどうでもよくなっていた。穢れなどで止まれぬほど、その輝きに目を奪われた。

「生きているのか」

 山の元、一刀斎が声をかけたのは、零れ咲いた一輪の花──年端としはもいかぬ、童女であった。

 纏う小袖こそでは赤く、一瞬血かと思ったが、色の上に汚れがあるの見て元から赤かったのだと思い付く。流れてきた貴族きぞく打掛うちかけかなにかを作り替えたのだろう。

 だが異様いようなのは、そのかおだった。いや、ただしくは、目を隠すように巻かれた布。これもまた赤く、あまった布で作られたのだろう。

 一刀斎が手を伸ばすと、童女はおびえるように体をふるわせた。

 目を隠しているのに、見えているのか。

 一刀斎は不器用ぶきようあたまでながら、童女の目から布を取る。その布の理由は、すぐにわかった。

「──お前、目が」

 童女の瞳は、しろにごっていた。それはすべて白目しろめなのではないかと言うほどで。黒くあるべき場所が、わずかばかり、薄く灰色はいいろになっているだけ。

 布で隠されていようが、変わりない。この子は、元から目が見えないのだ。

「捨てられたのか」

「いがう」

 したらずに童女は答えた。どうやら、言葉ことばは分かるらしい。

「親がいるのか」

「おかあ、いう」

「お父は?」

「おとお、いあい」

「お前はなぜここに?」

「ごはん、さがしに」

 どうやら死体の山の中から、食べられるものを探しているらしい。だがしかし、こんな山から食べられるものなど──。

「なにやってんだい!!」

 違う山から、絶叫ぜっきょうにも近い叫び声。ぎょっとしてそちらを見れば、童女と同じ赤をした、すんらずの小袖を着た女がこちらをにらみ付けていた。

 乳房ちぶさ内腿うちもももはだけることもいとわずに、その女は駆け寄ってくる。その気迫きはくに、思わず固まってしまう。

 今まで感じた気配の中では、一番強い。正直、師匠の意気にさえ匹敵する。

 刀を抜こうかとさえ思ったが、童女の一言ひとことで思い止まる。

「おかあ」

「……なに?」

「なんなんだあんた! 武芸者なんかがうちの娘になにするつもりだい!?」

 女はさっと童女をいだく。その目に布がないことに気付き、それが一刀斎の手中しゅちゅうにあると分かれば「返しな!」と引ったくった。

 腰の刀が怖くないのか、それとも頭に血が上り気づいてないのか。

 童女を育てただろう乳はほそれ、かがんでさらけ出されたそのももは、悲しいほどにせていた。ほおけ、腕などは枯れえだのよう。だというのに、まとう気配は鬼のようで。

「……すまない。ひとさらいではない。ただ死体の山から子どもが出てきて驚いただけだ」

 一刀斎は、誠実せいじつに答えた。ここまで苛烈かれつ憤怒ふんぬじょうを、今まで感じたことはない。この怒りは、大半が娘への愛でできている。ならばその愛にはむくいねばというせめてもの気持ちだった。

 しかし女は歯を向いて、歯の間から「ふう、ふう」と息を漏らしている。許すつもりなど到底ないとでも言うように。もう腰に刀があることは気づいているだろう。だがそれでも、心は決してくじけていない。抜こうものなら噛みついてやるというしたたかさすら、その目には浮かんでいる。

 だが。

「だいじょぶ」

 女に抱かれた童女が、母のえりを引っ張った。

 一刀斎の赤心せきしんが、この童女には通じていた。

 娘に大丈夫だと言われた女は、ようやくその怒りをおさめ─だが、警戒けいかいかず─娘を抱く力を弱めた。

「はん、人拐いじゃなくてよかったよ。どうせなら、金にしてもらいたいからね」

 眉を非対称ひたいしょうに曲げ、冗談じょうだんじりに吐き捨てる女。纏う気配からは、もう怒りの色はない。

「それで? 武芸者様とお見受けするけど、こんなとこまでなんの用だい? 他の奴からぶんった、かたなためりをする死体探しでもしにきたかい?」

 母親のその、武芸者に対する侮蔑ぶべつうかがえるいかけに、一刀斎は「違う」と首を振る。

「人が死ぬというのは、どういうことか。確認しに来た」

「人を殺す鬼の言葉とは思えないね」

「さっきのお前の方が、鬼のようだったぞ」

 一刀斎の切り返しに、女は思わず吹き出した。そんなでかい図体ずうたいして、こんな痩せた女にびくついたのかと。

「なんだ、あんた見てくれだけかい。なんとまあ情けない。そのうち死にそうだね。死ぬんだったらその刀ごと川に流されとくれ。刀を売っ払ってやるよ」

 女のあざけりを、一刀斎は受け流す。その目はしっかり、童女の方を向いていた。

 それに気づいた母親は、さっと娘を己のかげに隠す。

「……これを連れていこうってんなら止めとくれよ。せめて、金を置いていきな」

「人を買う趣味はないし、人足にんそくにも困っていない。ただ……」

「ただ?」

「……その娘は、目が見えないのだよな? なのに、目が見えるように動くな。それが不思議ふしぎだった」

 なんだ、そんなことかいと、影に隠した童女の頭を撫でてやる。

「この子は利口でね、目が見えなくても、教えた言葉はちゃあんと覚える。見えない代わりによく音を聴くし、ものの気配にも鋭いんだ。だから、飯の調達を頼んでるのさ」

「飯?」

 そういえば、さっきこの童女も食べるものを探していると言っていた。こんな死体の広がる場所に食い物などあるのかと疑問に思うが、女は「これだよ」と袖から大きな巾着きんちゃくを取り出した。

 巾着はなにやら、不気味にうごめいている。

 母親がそれを開いてみると、中にはネズミが三匹ほど。

「臭いにつられて獣がやってくるのさ。ま、あんたみたいな武芸者には、食うなんて想像できないもんだろうがね、私らには立派な肉さ」

「ネズミか……不味まずいよな。肉もない」

「は?」

 一刀斎のその反応に、女は思わず間抜けな声をあげ目を見開いた。

「あんた……食ったことあるのかい?」

「こう見えても山暮らしだ。ネズミもヘビも食った」

 島にいた頃はたきぎや木と魚を交換していたが、不漁ふりょうの日は野山で捕らえた獣を食らっていた。その中でもネズミは皮と肝ばかりで不味かった。だがヘビは美味かった。一番はカエルだ。

 上に見ていた男が自分と大して変わらぬ存在と知り、女は拍子ひょうし抜けしたようで、纏う気配がやや和らいだ。だがしかし、それはすぐにとがり。

「……でも、今はいいもんを食ってるんだろ」

えんに恵まれているだけだ」

「自分の縁なんて、この服だけさ。最初は足まであったんだ。だけどこれが育つ度にはしから切って、これのにいで……男も引っ掛からないみじめな肌を、さらすしかない」

 一刀斎は思わず、己の羽織に手をかける。だが女は「止めな」と睨み付けてきた。

「恵もうなんて思うな。うちらはほどこされたくなんかない。人と人だっていうのなら、対等でいたいんだよ」

 気丈きじょうだが、切ない。

 羽織を握る力が強くなるが、それも一瞬のことで、手をほどいた。

「……その子に、名前はあるのか」

「ないよ。名前なんて付けたって、呼ぶのはうちぐらいなんだ」

あかというのはどうだ」

「なに勝手に名付けてるんだい。そんな綺麗きれいな名前、いっそう惨めになるだけじゃないか」

「だが綺麗だぞ、その娘は」

 女は、またも目を見開いた。

 目も濁り、頬が痩け、肌も汚れて小汚ない娘を、──こんな惨めな母親が産んだ子を、綺麗だと言った目の前の男を見つめながら。

「……この子は、綺麗かい?」

「ああ、綺麗だよ。その娘は」

 どれだけ身なりがきたならしくても、この少女の心は澄んでいた。この穢れの気が蔓延はびこるなかで、この少女の心は、纏う気配は無垢むくであった――。

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