第三話 泥の中咲く赤い花
このひと月の内、
「一刀斎様が来られたと!?」
「またか
こうして、食事中に木刀をもって甲四郎が入ってくるのももう慣れてしまった。思う以上に
「今日もまた、相手をしてくれませぬか!?」
「ああ、
一刻。そう聞いた甲四郎と
それも
「よろしいのか? いつもは
「よいのだ。……おれも、もっと
「それは、
「ああ」
曰く、雲林院松軒は
その
また、その新当流とは
「おれは、少し
「それはいい。今日から
「いや、少し用があってな……さて、甲四郎も待っているだろう。飯を済ませてしまおう」
はぐらかすように
将善も「なにも
もう
甲四郎との鍛練の後、一刀斎は昨日までと違い
あるいは人を
死とは
この山を
「いかんな」
はっとして首を振るう。穢れとは
──
まさか生き残りがいるのかと
そして
その
死体が動いているのではない。死体の中に、生があった。あのどうしようもない
自然と、一刀斎が一歩近づく。己に吹き付ける穢れた風など、もうどうでもよくなっていた。穢れなどで止まれぬほど、その輝きに目を奪われた。
「生きているのか」
山の元、一刀斎が声をかけたのは、零れ咲いた一輪の花──
纏う
だが
一刀斎が手を伸ばすと、童女は
目を隠しているのに、見えているのか。
一刀斎は
「──お前、目が」
童女の瞳は、
布で隠されていようが、変わりない。この子は、元から目が見えないのだ。
「捨てられたのか」
「いがう」
「親がいるのか」
「おかあ、いう」
「お父は?」
「おとお、いあい」
「お前はなぜここに?」
「ごはん、さがしに」
どうやら死体の山の中から、食べられるものを探しているらしい。だがしかし、こんな山から食べられるものなど──。
「なにやってんだい!!」
違う山から、
今まで感じた気配の中では、一番強い。正直、師匠の意気にさえ匹敵する。
刀を抜こうかとさえ思ったが、童女の
「おかあ」
「……なに?」
「なんなんだあんた! 武芸者なんかがうちの娘になにするつもりだい!?」
女はさっと童女を
腰の刀が怖くないのか、それとも頭に血が上り気づいてないのか。
童女を育てただろう乳は
「……すまない。
一刀斎は、
しかし女は歯を向いて、歯の間から「ふう、ふう」と息を漏らしている。許すつもりなど到底ないとでも言うように。もう腰に刀があることは気づいているだろう。だがそれでも、心は決して
だが。
「だいじょぶ」
女に抱かれた童女が、母の
一刀斎の
娘に大丈夫だと言われた女は、ようやくその怒りを
「はん、人拐いじゃなくてよかったよ。どうせなら、金にしてもらいたいからね」
眉を
「それで? 武芸者様とお見受けするけど、こんなとこまでなんの用だい? 他の奴から
母親のその、武芸者に対する
「人が死ぬというのは、どういうことか。確認しに来た」
「人を殺す鬼の言葉とは思えないね」
「さっきのお前の方が、鬼のようだったぞ」
一刀斎の切り返しに、女は思わず吹き出した。そんなでかい
「なんだ、あんた見てくれだけかい。なんとまあ情けない。そのうち死にそうだね。死ぬんだったらその刀ごと川に流されとくれ。刀を売っ払ってやるよ」
女の
それに気づいた母親は、さっと娘を己の
「……これを連れていこうってんなら止めとくれよ。せめて、金を置いていきな」
「人を買う趣味はないし、
「ただ?」
「……その娘は、目が見えないのだよな? なのに、目が見えるように動くな。それが
なんだ、そんなことかいと、影に隠した童女の頭を撫でてやる。
「この子は利口でね、目が見えなくても、教えた言葉はちゃあんと覚える。見えない代わりによく音を聴くし、ものの気配にも鋭いんだ。だから、飯の調達を頼んでるのさ」
「飯?」
そういえば、さっきこの童女も食べるものを探していると言っていた。こんな死体の広がる場所に食い物などあるのかと疑問に思うが、女は「これだよ」と袖から大きな
巾着はなにやら、不気味にうごめいている。
母親がそれを開いてみると、中にはネズミが三匹ほど。
「臭いにつられて獣がやってくるのさ。ま、あんたみたいな武芸者には、食うなんて想像できないもんだろうがね、私らには立派な肉さ」
「ネズミか……
「は?」
一刀斎のその反応に、女は思わず間抜けな声をあげ目を見開いた。
「あんた……食ったことあるのかい?」
「こう見えても山暮らしだ。ネズミもヘビも食った」
島にいた頃は
上に見ていた男が自分と大して変わらぬ存在と知り、女は
「……でも、今はいいもんを食ってるんだろ」
「
「自分の縁なんて、この服だけさ。最初は足まであったんだ。だけどこれが育つ度に
一刀斎は思わず、己の羽織に手をかける。だが女は「止めな」と睨み付けてきた。
「恵もうなんて思うな。うちらは
羽織を握る力が強くなるが、それも一瞬のことで、手をほどいた。
「……その子に、名前はあるのか」
「ないよ。名前なんて付けたって、呼ぶのはうちぐらいなんだ」
「
「なに勝手に名付けてるんだい。そんな
「だが綺麗だぞ、その娘は」
女は、またも目を見開いた。
目も濁り、頬が痩け、肌も汚れて小汚ない娘を、──こんな惨めな母親が産んだ子を、綺麗だと言った目の前の男を見つめながら。
「……この子は、綺麗かい?」
「ああ、綺麗だよ。その娘は」
どれだけ身なりが
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