京編
第一話 五月の入道雲
「朝か──」
京に
京には、上も下も空き家がある。
かつての
すきま風も入り込む六畳に満たない小さな家だが、一刀斎はこれよりももっと
さて飯でも食いにいくかと
しかし一刀斎は構うことなく、甕割と中太刀寸の木刀を腰に差す。それとほぼ同じくして、立て付けの悪い戸がガタガタと音を立てゆっくり開いた。
「
「俺は天狗ではないぞ、
一刀斎を
名を佐奈といい、一刀斎がこの京に来たときに助けた親子の、子の
一刀斎としては助けたつもりはなく、ただ
「天狗様はごはん食べはった? まだやったら家に来てえな!」
佐奈はサッと上がり込むと一刀斎の袖を引っ張る。よほどなつかれたなと、一刀斎は言葉に甘えることにする。
幼子になつかれるのは三島神社でもう慣れた。あの頃は神社に遊びに来た子どもたちが、一刀斎を見るや
一刀斎もいちいち
どうやら佐奈の家は
そのせいか、他の家々と比べると屋敷と言って良いほど大きく、
佐奈は屋敷にはいると縁側から上がり込み、さっと
「
「やはり一刀斎殿のところに行っていたのか、佐奈……。
「いや、飯を食わせてもらえると聞き、やってくるおれもおれだ」
片手をついて頭を下げようとする佐奈の父を
佐奈の父、
この
とはいえ、あの
「天狗様、はいどーぞ! よおお食べや!」
佐奈が、一刀斎の前に
一方こちらは、三島神社での食事を思い出し、胸が温まる。
箸を手に取り、米をつつく。さすがに
次は汁だと、
「一刀斎殿が来られたと!?」
年は十二で、
「甲四郎。一刀斎殿は食事中だぞ」
「すみませぬ、父様。一刀斎殿、今日も
すみませぬと言いつつも、まだまだ幼い声を張り、丁寧な言葉を
「食事のあとでなら、構わない」
「お願い
「すまないな、一刀斎殿。佐奈も甲四郎も、兄代わりにしているようだ」
「もう一人いるのか」
「ああ、名を
越前。聞き馴染みのある国だ。そこは己の師匠である
そういえば、自斎も仕事で越前に行きそうになったから戻ってきたといっていたが、もしや。
「それは、さる
「なんと知っておられたか」
「ああ、おれの師も、年始めにその仕事に就いていたのだ。
「風の噂に聞いたことがある……たしか、
「腕はかなりのものだった」
少々自由が過ぎる男だが、と付け足すのも忘れない。
一刀斎の
「一刀斎殿も、かなりの達者とお見受けする。手前もこの腕でなければ、立ち合いを望んだのだが」
聞けば骨まで達する
「一刀斎殿は、この後どうするのだ?」
「今日は
「一刀斎殿ほどの腕なら、すぐ
平安以来の通りに
強い武芸者や腕自慢ほど、上京に近いところへたむろすらしい。
といっても上京と下京を分ける二条と三条の間には大きな
なんとも分かりやすくていい。話す内に、食事は終わる。
さて、と一刀斎は立ち上がる。稽古場では甲四郎が今か今かと待っている頃だろう。
その日の
「ぐ、え……」
「五条へ行く、というのは間違いではないよな」
なにしろ四条へ行くには五条を通らねばならぬのだから。
某かは、四条までの
彼らは一様にこの条最強の男だと声高らかに
なぜなら、「次の条では
渡れないからそこで遊んでいるのだろう。渡れば死ぬからそこに
「
四条に入ってみれば、人々で
なんと
「おやおやぁ、新人かい?」
不意に、声をかけられた。気づけばすぐ側の
くすんだ
のんびりとした微笑みを崩さず、ぽつねんとしているようにも思える。
「
「俺かい? そうだなあ、
にっかりと笑うが、さらりと受け流されたような気がしないでもない。
例えるなら、季節に早い
しかし、この四条にいるということは。
「お前もそれなりの達者なのだな?」
一刀斎が、腰の木刀に手をかける。出会ったのなら、
「それがねえ。そうともいかねえようでねえ」
雲松は苦笑して立ち上がる。背丈は六尺にやや届かずだがかなり高く、担う鑓と同じくらいか。
「どういうことだ?」
「四条は
「なに?」
曰く、四条の武芸者たちは、皆一様に
しかし腕は確かなようで、仕合はせずとも、徒党を組んで
だがしかし、錬武といっても。
「強くして食らうためか?」
「自分より強いやつを食らうため、とも言えるなあ」
鑓を
「お前は、なぜここにいる? お前も死線を越えるのが恐ろしいのか?」
「俺かあ? ちょいと
なかなか含みのある言い方だ。
「兄さん、
道すがら、雲松は新当流について語っていた。
新当流。
卜伝は
そしてその弟子の中には、今は亡き将軍、
聞けば足利義輝とはかなりの
「で、その新当流がなんだという」
「いやあ、新当流の使い手で、少し因縁がある相手がこの四条にいるらしいんだがねえ。どうやら
「
「ご
新しく一つ上に上がる者の中で、
群れているといっても、四条まで来れる連中だ。それなりに腕は立つ連中が
「数は?」
「そいつ含めて
一刀斎も
「まあ、兄さんなら問題ないさあ」
「なぜそう思う」
「だって兄さん──さっきからずっと、笑ってるぜ?」
ピタリ、と足を止める。表情は、
いや、そんなことはないだろう。面白そうだと思っていても、それを顔に出すことはなかったはず。
ただ、少し心に思っていただけで──、まさか、この雲松という男。
心の笑みを、読んだのか。
「一人あたま二人といったな」
「ああ」
気づかぬまま、心から「
だが、それでよかった。そのお陰で、本物と会えた。
「俺が三人やる、因縁とやらに集中しろ」
今目の前にいる本物が、いったいどれほどのものなのか。
今度は隠すこともなく、
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