京編

第一話 五月の入道雲

「朝か──」

 壁板かべいた狭間はざまから、日が差し込んだ。光がちょうど目に当たり、目を覚ます。

 京に辿たどいて、はやひと月。ここでの暮らしも慣れてきた。

 京には、上も下も空き家がある。

 かつての争乱そうらんで京から逃げた民草たみくさは数知れず、公家くげ西にしへと脱していった。

 弥五郎やごろうあらため一刀斎は、八条はちじょう左京さきょうにあるの空き家を仮の住まいとしていた。

 すきま風も入り込む六畳に満たない小さな家だが、一刀斎はこれよりももっとひどいおりで長い年月を過ごしてきた。この程度はなんてことはない。

 さて飯でも食いにいくかと小袖こそでおびを正した時、外に「気配」を感じた。

 しかし一刀斎は構うことなく、甕割と中太刀寸の木刀を腰に差す。それとほぼ同じくして、立て付けの悪い戸がガタガタと音を立てゆっくり開いた。

天狗てんぐさま、おはようさん!」

「俺は天狗ではないぞ、佐奈さな

 一刀斎をたずねにきたのは、小さな客人きゃくじん四尺よんしゃくに満たない、すみれ色の小袖を着た少女。

 名を佐奈といい、一刀斎がこの京に来たときに助けた親子の、子の片方かたほうだ。

 一刀斎としては助けたつもりはなく、ただざわりな男を退けただけなのだが、親子ともども強い恩義おんぎを感じたようで、佐奈にいたっては毎日一刀斎のもとにこうしてやってくる。

「天狗様はごはん食べはった? まだやったら家に来てえな!」

 佐奈はサッと上がり込むと一刀斎の袖を引っ張る。よほどなつかれたなと、一刀斎は言葉に甘えることにする。

 幼子になつかれるのは三島神社でもう慣れた。あの頃は神社に遊びに来た子どもたちが、一刀斎を見るやいなやまるで手頃てごろな木でも見つけたように相撲すもうをしかけたり、よじ登ろうとしたりと、遊び道具かなにかのように扱われた。

 一刀斎もいちいちいかるのも面倒だし、まず「あそぶ」ということをしたことがなくどう対応たいおうしていいかわからなかったため、好き勝手にされていた。やり返さないのをいいことに乱暴らんぼうするものもいたが、そういう子は後でとじにきつくしかられていた。

 から佐奈の家は近い。北に上がり、七条しちじょうに入ってすぐにある。

 どうやら佐奈の家は由緒ゆいしょがあるらしく、聞けば将軍しょうぐん暗殺あんさつ事件じけんによって京がかれたとき、上京近くにあった家も被害に遭って下がってきたのだという。

 そのせいか、他の家々と比べると屋敷と言って良いほど大きく、へいもある。

 佐奈は屋敷にはいると縁側から上がり込み、さっと居間いま障子しょうじを開けた。

父様とうさま! こう兄様にいさま! 天狗様連れてきた!」

「やはり一刀斎殿のところに行っていたのか、佐奈……。甲四郎こうしろうはもう食べ終えてしまったぞ。いつもすまない、一刀斎殿。よければ、食べていってくれ」

「いや、飯を食わせてもらえると聞き、やってくるおれもおれだ」

 片手をついて頭を下げようとする佐奈の父をせいし、一刀斎はまねかれるまま居間に上がる。

 佐奈の父、大野おおの将善しょうぜん武芸者ぶげいしゃらしく、敷地しきちには二十人は並んで素振りできるだろう広いにわがあった。

 このあたりでは新参しんざんであり、上京かみぎょう近い出身しゅっしん武士ぶしということでかたきにされることもあったが、彼は鞍馬くらまりゅう達者たっしゃであり、警務けいむ機能きのうを失った幕府ばくふに代わり、下京しもぎょう人々ひとびと門弟もんていと共に無頼ぶらいどもから守ることで頼られるようになったらしい。

 とはいえ、あの事件じけんうでいためたので、今は門弟たちに任せているようだ。

「天狗様、はいどーぞ! よおお食べや!」

 佐奈が、一刀斎の前にぜんを持ってきた。米に、菜汁に、魚に漬け物。えた野菜まである。あまりの豪華ごうかさに涙が出る。堅田かたたでの食事はほとんど菜粥ながゆに小魚一匹。粥を足すのも早い者勝ちである。

 一方こちらは、三島神社での食事を思い出し、胸が温まる。

 箸を手に取り、米をつつく。さすがにきたてとは言えないが、十分に美味うまい。

 次は汁だと、汁椀しるわんを手に取ったと同時に、

「一刀斎殿が来られたと!?」

 ふすまが、ぱんと開かれる。そこにいたのは、四尺よんしゃく五寸ごすんばかりの少年。太く、柔らかそうな眉は父に似ている。

 大野おおの甲四郎こうしろう。将善の子で、佐奈の兄だ。

 年は十二で、きのえの年に生まれたので甲四郎というそうだ。

「甲四郎。一刀斎殿は食事中だぞ」

「すみませぬ、父様。一刀斎殿、今日も手合てあわせを願えませぬか!?」

 すみませぬと言いつつも、まだまだ幼い声を張り、丁寧な言葉をつかい一刀斎にう甲四郎。京に来てからというものの、佐奈にこの大野おおの屋敷やしきまで連れられ、朝食をったあと、腹ごなしに半刻はんこく、甲四郎の振る木刀の相手をするのが午前ごぜん日課にっかになっていた。

「食事のあとでなら、構わない」

「お願いいたしまする!」

 了承りょうしょうを得るやいなや、甲四郎は踵を返して稽古場へと戻っていった。子どもは風の子とどこかで聞いたが、風のように自由だからそういうのだろうか。魚をつつきながら、一刀斎はふと思う。

「すまないな、一刀斎殿。佐奈も甲四郎も、兄代わりにしているようだ」

「もう一人いるのか」

「ああ、名を陣三郎じんざぶろうといってな、去年の末からお勤めに出ている。今は越前えちぜんにいるようだ」

 越前。聞き馴染みのある国だ。そこは己の師匠である自斎じさいのいた国だったか。

 そういえば、自斎も仕事で越前に行きそうになったから戻ってきたといっていたが、もしや。

「それは、さる御人ごじん護衛ごえいか?」

「なんと知っておられたか」

「ああ、おれの師も、年始めにその仕事に就いていたのだ。近江おうみ堅田かたた金剛刀こんごうとう一刀いっとう自斎じさいと名乗る男だ」

「風の噂に聞いたことがある……たしか、富田とだりゅうの名手だとか」

「腕はかなりのものだった」

 少々自由が過ぎる男だが、と付け足すのも忘れない。

 一刀斎の来歴らいれきを知り、将善は「なるほど」とうなる。

「一刀斎殿も、かなりの達者とお見受けする。手前もこの腕でなければ、立ち合いを望んだのだが」

 聞けば骨まで達する撲傷うちみだが、よほど鍛えていたのか折れてはいないそうだ。しばらくすればなおるだろうとのことで、暇があれば、片手打ちの鍛練をしているという。

「一刀斎殿は、この後どうするのだ?」

「今日は五条ごじょうへ行くつもりだ」

「一刀斎殿ほどの腕なら、すぐ三条さんじょうまで行けましょう」

 平安以来の通りにしたがい、やたら正しく街が区分けされてるせいか。

 強い武芸者や腕自慢ほど、上京に近いところへたむろすらしい。

 といっても上京と下京を分ける二条と三条の間には大きなかまえがあり、そこから先は武家ぶけ公家くげ領域りょういき。強者は上と下の緩衝かんしょう地帯ちたいである三条にいるとか。

 なんとも分かりやすくていい。話す内に、食事は終わる。

 さて、と一刀斎は立ち上がる。稽古場では甲四郎が今か今かと待っている頃だろう。


 その日のうま正刻しょうこく、一刀斎は「そこ」にいた。

「ぐ、え……」

 無敵流むてきりゅうなにがしかと名乗った男の頭を木刀で打ち割り、一刀斎は「四条まで行く道」を行く。

「五条へ行く、というのは間違いではないよな」

 なにしろ四条へ行くには五条を通らねばならぬのだから。

 某かは、四条までの門番もんばん―いや、門などはなかったのが―だと名乗っていた。五条までの門番もいるし、六条までの門番もいた。

 彼らは一様にこの条最強の男だと声高らかにのたまっていたが、おかまいなしに斬り越えた。

 なぜなら、「次の条では最弱さいじゃく」なのだから。

 渡れないからそこで遊んでいるのだろう。渡れば死ぬからそこにじんっているのだろう。ならば邪魔だ。退くがいい。

 「天下一てんかいち」を名乗ることをあきらめたなら、即刻そっこくここから消えてしまえ。

 四条に入ってみれば、人々でにぎわっていた。公家くげ幕府ばくふに代わって京を盛り立てる商人達が商売をしていて、民草もほがらかな様子で道を行くが、武芸者らしい者は見当たらない。

 なんとなごやかな雰囲気なのか、商店に並ぶ品々しなじなしつが良く見える。

「おやおやぁ、新人かい?」

 不意に、声をかけられた。気づけばすぐ側のやなぎの木の元、そこに壮年そうねんの男がすわっていた。

 くすんだ朽葉くちばいろ襤褸ぼろに身を包んでいるが、かたわらにたずさえる直鑓すやりはよく手入れされている。腕は長く、太く、すねを見るに上背もある。だが不自然なまでに、強者の気配を感じない。

 のんびりとした微笑みを崩さず、ぽつねんとしているようにも思える。

外他とだ一刀斎いっとうさいという。お前は」

「俺かい? そうだなあ、雲松くもまつ、とでも名乗なのっとこうかなぁ」

 にっかりと笑うが、さらりと受け流されたような気がしないでもない。

 例えるなら、季節に早い夏雲なつぐもが現れたような。どこかのほほんとして、ゆったりとした男だ。

 しかし、この四条にいるということは。

「お前もそれなりの達者なのだな?」

 一刀斎が、腰の木刀に手をかける。出会ったのなら、仕合しあいをする。それが京の腕自慢、武芸者たちの暗黙あんもく了解りょうかい。────だったのだが。

「それがねえ。そうともいかねえようでねえ」

 雲松は苦笑して立ち上がる。背丈は六尺にやや届かずだがかなり高く、担う鑓と同じくらいか。

「どういうことだ?」

「四条は商人しょうにん連中れんちゅう町衆まちしゅうの影響力も強くて大っぴらに仕合が出来ないもんでねえ。それに集まる連中は、強すぎたようでねえ。誰も、戦いたがらないだわあ」

「なに?」

 曰く、四条の武芸者たちは、皆一様に実力者じつりょくしゃ。戦えば、己が死ぬかもしれない。その恐怖きょうふの一線を越えることができず、この場に留まっているのだという。

 しかし腕は確かなようで、仕合はせずとも、徒党を組んで錬武れんぶをしているのだという。

 だがしかし、錬武といっても。

「強くして食らうためか?」

「自分より強いやつを食らうため、とも言えるなあ」

 鑓を両肩りょうかたかつぎ、アクビ混じりに語る雲松。どうやら、退屈しているようだ。

「お前は、なぜここにいる? お前も死線を越えるのが恐ろしいのか?」

「俺かあ? ちょいと因縁いんねんがあってよお、それを解消しようとねえ。だけどまあ、ちょっとばかし問題がなあ」

 なかなか含みのある言い方だ。勿体もったいぶるような態度は、どうもつかみどころがない。こいつはもしや、この柳そのものなのではないかとさえ思える─名は松だが─。

「兄さん、新当しんとうりゅうは知ってるかい?」


 道すがら、雲松は新当流について語っていた。

 新当流。常陸ひたち鹿島かしま下総しもうさ香取かとりたんはっする兵法へいほう流儀りゅうぎ。この京でも、新当流を名乗る者が少なからずいたなと一刀斎は思い出す。

 流祖りゅうそ塚原つかはら卜伝ぼくでん神刀しんとうたっ剣聖けんせいうたわれる腕の持ち主だという。

 卜伝は諸国しょこく流浪るろうしながら新当流を教え歩き、数多くの弟子を作り、孫弟子もかなりの数だという。

 そしてその弟子の中には、今は亡き将軍、足利あしかが義輝よしてるも連なるのだという。

 聞けば足利義輝とはかなりの武芸ぶげいきだったらしく、その将軍がじかに呼び寄せたのだというからかなりの腕前なのだろう。

「で、その新当流がなんだという」

「いやあ、新当流の使い手で、少し因縁がある相手がこの四条にいるらしいんだがねえ。どうやら徒党ととうを組んでるようで、一人じゃあこころもとないと思ってたのよ。で」

釣糸つりいとらしていたわけか」

「ご明察めいさつ

 新しく一つ上に上がる者の中で、血気けっき盛んな者をあそこで待っていたのだろう。

 群れているといっても、四条まで来れる連中だ。それなりに腕は立つ連中がそろっていると見当は付く。

「数は?」

「そいつ含めて四人よにんでよお。一人あたま二人だねえ」

 間延まのびした口調で、なかなか恐ろしいことを吐くものだ。

 一刀斎も対多たいた経験けいけんは多いが、それでも雑兵ぞうひょうか、素人しろうとに毛の生えた程度の野伏のぶせがほとんどで、相対あいたいしたのは、両の手を使ってゆびり数えたとしても、折り返すことはない。

「まあ、兄さんなら問題ないさあ」

「なぜそう思う」

「だって兄さん──さっきからずっと、笑ってるぜ?」

 ピタリ、と足を止める。表情は、つねのままだったはずだ。気づかずに表情がくずれていたか?

 いや、そんなことはないだろう。面白そうだと思っていても、それを顔に出すことはなかったはず。

 ただ、少し心に思っていただけで──、まさか、この雲松という男。

 を、読んだのか。

「一人あたま二人といったな」

「ああ」

 気づかぬまま、心から「喜楽きらく」が漏れ出ていたようだ。このところぬるい相手ばかりで、心法しんぽうおろそかになっていたかもしれぬ。

 だが、それでよかった。そのお陰で、と会えた。

「俺が三人やる、因縁とやらに集中しろ」

 今目の前にいる本物が、いったいどれほどのものなのか。

 今度は隠すこともなく、獰猛どうもうな笑みを、一刀斎は浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る