第八話 新しき名は

「僕、禄をめなかったら髪結かみゆいになりますかね」

「その時は刀は使うな」

 どっさりと積もった髪の多さに、弥五郎は思わず息を飲む。

 頭を触る。よかった髪は残っている。刀でもって躊躇ちゅうちょなく切り進める小次郎に対し、抱いた不信感はやややわらいだ。

 肩の半ばほどまであった乱髪らんぱつは、小次郎によって一寸いっすんちょっとの長さに、まばらに切りそろえられた。ためしに首を振ってみる。なみだが出るほどに軽く、もう髪の長い頃に戻りたくはないとすら思った。

 伊東いとうにいた頃、とじに髪を切られたことがあった。その時には一厘いちりん誤差ごさもなくに切り揃えられ、出仕しゅっし巫女みこ、村の小僧こぞうはおろか織部おりべや当のとじ本人にすら笑われて以来、髪切りからは逃げていた。

「はー、サッパリしたじゃねえか。ひたいきずも男前に見える。まあ俺の若い頃にゃおとるが」

 奥の座敷ざしきから、自斎が出てきた。その手にはなにやら一枚の紙が。

「さて、髪の次は名だ。俺が一つ、考えてやったぞ」

 自斎が弥五郎の前に座り、手に持った紙を広げてみせる。

 そこには、七つの文字が書かれていた。

【富田 一刀斎 景久】と。

「トダ、イットウサイ、カゲヒサ、ですか?」

 弥五郎の代わりに小次郎がくと「そうだ」と自斎が大きくうなずいた。

「「さい」って字はな、「住み所」と言う意味がある。転じて「そう生きたい」や「そう生きた」という意味になる。いいか弥五郎、お前は一刀いっとうもとに生きろ。俺が越前にいたころにゃあ家格かかくだのまつりごとだの、色々と面倒めんどうなもんばっかにしばられていた。だがな、お前にはそのがない。真の意味で自由になれる逸材いつざいだ。一刀の元こそをとし、自由に生きていくことが出来る人間てのは、天下てんかひろしといえどお前しかいねえ」

「一刀の元に、生きる──」

 弥五郎には、縛りがない。弥五郎は生来せいらい孤独こどくである。父も母ももうおらず、故郷である大島からは離れ、庇護ひごこそ受けても、庇護ひごする相手には、弥五郎を見守る決まりがあるわけではない。

 そういう意味では、弥五郎は自由の身であった。しかし自由とは、対価たいかとして強さを要求ようきゅうするものである。

 つよれ。その意が込められたのが、この一刀斎という名なのだろう。

「そして富田とだ景久かげひさ。富田は俺の師の家名、そして景の字は、その家の通名から取ってやった。天下に名高なだか名剣めいけん使いにちなんだ名前だ。どうだ、喜べ」

富田とだいやだな」

「なぬ?」

 バッサリと、切り捨てた。自斎はすっとんきょうな声を上げ目を丸くしていた。

 なるほど、これが刀を使わず相手を斬ることか、とどこか納得する。

 小次郎も自斎のその反応が面白かったのか、「ぶっ」と口から息を吹き出した。

 自斎が目をいて、「おい、何が気に入らねえ」とつばを飛ばす。

「いや、おれが、三島みしま神社じんじゃった奴が、「富田とだ一放いっぽう」と名乗っていてな。なんとも嫌な奴だから、同じ言葉で始まるのが気に食わない」

 弥五郎も元来、思ったことはけにる男であり、それをげるない気質タチである。織部はこれを「剛毅木訥ごうきぼくとつ」としょうしたが、言い換えれば、頑固一徹がんこいってつ融通ゆうづうかない性質であり、それが師匠相手でもこの調子である。

 この先苦労も多いだろう。それを聞いた自斎は。

「かーはっはっはっはっはっは!」

 と、笑いをこらえていた小次郎に先んじて大笑いした。

 どうやら答え間違えてはないようだが、念のため訊いてみる。

「ダメだったか」

「いや、それでいい。お前は我を通しゃあいい。その富田のなにがし、俺にも覚えがあるぜ。織部の肩を打った奴だな? 腕は悪くなかったが、口を開けば富田だ富田だと頭の固い奴だった」

 それなら納得、と自斎は大きく頷き、ちょっと待ってろと座敷ざしきに戻る。

 数分もしない内に戻ってきた自斎の手には、黒墨くろすみったふでが。

 自斎は「富田」の字にちょちょいと横棒よこぼうを二つ引くと、その上に、新しく字を書いた。

 書かれたのは、「外他」の二文字。

「これで同じくトダと読む。外や他のトダとは違うって意味だ。どうだ」

「いや、同じトダじゃないですか……」

「それならいい」

「いいんですか!?」

 弥五郎のわりにと突っ込んだ小次郎だったが、弥五郎の答えに逆におどろく。こんなに声を張った小次郎は初めて見たかもしれない。

「字が違えば意味は変わる。それに、外や他と違うという意味ならこのましいだろう」

「そういうものかなあ……」

 小次郎は納得いかない様子で腕を組み、「外他 一刀斎 景久」と書かれた紙を見やった。

 今度は自斎が、くつくつと笑う

「字が違えば意味が変わる。はて、そうかねえ?」

 自斎は「餞別せんべつだ」と紙の隅に一文字書き足す。とじから習った覚えがない字だ。二つのカスガイを重ねたような、風車にもにた「卍」という文字だ。

「これはな、「ばんじ」と読む。仏教で使われる吉祥きっしょうを表すもんだが、「万事ばんじ」に通じる言葉としても使われるのよ。文字の意味のとらわれねえで、自由に解釈してみろ。つうことで、この卍もお前にやる」

 なるほど、と弥五郎は紙に書かれた卍を見つめる。「吉祥を斬る」だと縁起が悪いが、「万事を斬る」だとなかなかいさましいひびきになる。

 ──そういえば、なにか忘れているような。なにか大事なもの……。────ああ、そうだ

甕割かめわり──。師匠、甕割は」

 甕割。三島神社に奉納ほうのうされていた神刀しんとうであり、自身が初めて使った刀。人を斬ったから神刀と言えなくなったと、旅の餞別にと織部に託された大事な刀だ。

 あまりの名剣めいけん故に、「お前には早い」と師によってうばわれどこかにかくされた。

 たしか、「斬るとはなにかを知った時に返す」と言っていたが。

 すると自斎は「安心しな」と、なにやらいやらしく笑った。

「そこだよ」

 自斎が指差したのは、弥五郎の下。

 弥五郎ははてと、下をみやる。あるのは御座ござだ。刀ではない。その下はゆかで──ゆか

「…………まさか」

 弥五郎はさっと退いて御座ござかえす。今まで一度なりとも御座を外したことはなかったから、それには初めて気づいた。外の床となんら代わりない黒い床板ゆかいた。だが妙ながある。区切りのふちにはへこみがあり、ためしに指をいれてみると、音もなく簡単かんたんに持ち上がった。

 そしてその床板の下には、なにやら白く細長い、三尺ちょっとの白箱しろはこが。

 ……ここはいつも、飯の時に座っていた場所だ。いつだか、気を失って運ばれたときに寝かされていた場所でもある。

 箱を取り出して床板を戻し、箱を開けてみる。するとそこには、思った通り。

「手入れはちゃんとしといてやったから安心しな」

 朱塗しゅぬりさやに、ふとつか。握ってみれば、手のしわ柄糸つかいととが、細かいところまでぴったり合った。まるでそうしつらえたかのように手に馴染なじむ。

 朱塗の鞘から、刃を引き抜く。いつかと変わらぬ刀身とうしんが、ねつを帯びているかと思うほど輝いていた。

「また会えたな、甕割────」


「お前は明日あしたあさきょうに向かえ」

 外他一刀斎景久の名と卍の印を与えられ、甕割をその手に再び取り戻した弥五郎に、自斎は告げた。

 京と言えば天下てんかの中心。みかどの住まう朝廷ちょうていがあり、天下をおさめる将軍しょうぐん根城ねじろにする場所だ。

 とはいえ去年の夏、弥五郎が堅田を訪れる前には時の将軍足利あしかが義輝よしてるしいされ、今は無政府むせいふ状態じょうたいと聞くが。

「京に、何があるというんだ?」

「よくぞ聞いた。今の京都は、なにもない」

「……なに?」

 なにもない、とは。なぜそんな場所へおもむく必要があるのかと弥五郎は首をかしげた。

「まあ聞け」、と自斎は言葉を続ける。

「京のみやこはな、富田流とだりゅうもと念流ねんりゅう中条流ちゅうじょうりゅうが生まれた場所だ。鞍馬流くらまりゅうやら京流きょうりゅうやら、多くの剣術流派けんじゅつりゅうはが立ち並んでいた場所でもあんのよ。そしてかつて応仁おうにん時代じだいらんが起きた時にゃあ、各国かっこくから力自慢ちからじまんが集まった。天下てんか大将軍だいしょうぐん足利あしかが義輝よしてるこういていて、ひがし剣豪けんごうを呼び寄せたこともあってな、風雅典雅ふうがてんがな京の都なんてのは名ばかりで、入ってみればちまた。それが京の本当の姿よ」

 心の底から楽しそうに、「当流以外の武」を語る自斎。

 その興奮はとどまること知らず、口も舌まだ動かす。

「そして今、京では件の事変じへんが起きた。お次の将軍は誰にするかとお公家くげ屋敷やしきもって話し合い、大名たちは候補こうほを立てて誰が後見こうけんかをきそう。おさめる奴は誰もいねえ。お陰で各流派かくりゅうは武芸者ぶげいしゃや、剛力ごうりき自慢じまんのやつばらが、手前てまえ勝手かってあばれてやがる。なにもないとは、そういう連中を止めるものが、だ。いいか、お前はその京へ行き、武芸者とわざきそえ、腕自慢とちからくらべろ。経験けいけんみ、天下一てんかいち剣豪けんごうになるきそみがけ。そして天下に知らしめろ、「一刀斎はここにあり!」ってな」

 言葉のしめに、自斎は己のひざをパシリと叩いた。

「天下一の剣豪」。

 その言葉を聞いた瞬間、胸の中にきた種火たねびが、空気を含んだように大きくふくれた。

 京の都。そこには、いまだ見ぬ剣を使うものがいる。未だ見ぬ技を振るうものがいる。

 心の臓が火山のように脈動みゃくどうし、灼熱しゃくねつの血が体を巡る。全身の毛が燃え上がり、自然とくちが上がる。りょうこぶしに力が入る。

 どうしたものか。明日は朝早いというのに、全く眠れそうもない──。


 ──四月しがつはじめ、京にて。

「や、やめろ!!」

父様とおさまはなしてえな!」

「くへへ、大人しくしてなガキども。お前の親父おやじみたいにしちまうぞー?」

 八条はちじょう左京さきょう一画いっかくにて。

 のきくような大男が、苦悶の表情を浮かべる男を踏みながら、必死で制止する子達を見やる。

 大男は最近この京に来た腕自慢であり、両端りょうたん金具かなぐめ、八角はっかくけずした六尺棒ろくしゃくぼうを振り回し、京の民草たみくさ狼藉ろうぜきを働いていた。

 それを止めようとしたのがこの男であったのだが──。

「す、素直に引いた振りして後ろから叩くやなんて、ひ、卑怯ひきょうやないの!

「しかも、父ではなく自分らを……それでも武士か!」

 震えながらも気丈きじょうに振る舞う子どもだが、周囲の人々は男を恐れて近づきもしない。

 それもそのはず、今男が踏みつけている子ども等のの父は、かつてこの下京しもぎょうの南東部では一と呼べる武芸者であった。

 普段なら虚を突かれたところで反応できたが、男が棒を向けたのは子ども達。それをかばった父親は、二の腕半ばを強くたれた。

「知らねえのかガキども、兵法へいほうってのは卑怯なもんだ。相手を騙して虚を打つのも立派な戦法よ!」

 踏む力を強めながら放たれた言葉に、少女はひっと小さくうめき、少年はぐっと男をにらみつけた。

「お、お前なんか、兄様にいさまがいれば……! 兄様にいさまがいれば──!」

 少年はくやしさのあまり、目には大粒おおつぶなみだあふれているが、それでもけっして退くことがない。

 あまりのいじらしさに、周囲の人々は目をそむける。助けてくれる者など、誰もいない────。

「なるほど、それがお前の兵法か」

「なっ───!?」

 突如。男の体が、風に吹かれたごとくすっ飛んだ。

 ようやく解放かいほうされた父親はみながら立ち上がろうとするが、片腕かたうでに力が入らず、重心じゅうしんがとれない。とっさに子供たちが駆け寄って、体を支える。

「てめえ、なにしがった!?」

 すっ飛んだ男が振り向けば、そこにいたのはわかおとこ

 腰に太刀たちと木刀を一振りずつし、ひたいきずのある六尺半ばの大男。褐返かちがえし小袖こそでに黒の打裂ぶっさき羽織ばおり全体ぜんたいくろく、からす天狗てんぐとはかくいうものかという形姿なりすがた

往来おうらいのど真ん中で邪魔じゃまだったからな、蹴り飛ばさせてもらったぞ。おれは、お前のそのが嫌いでな」

「けはい、だと? なんだ、強者の気配でもまとっていたか?」

 鼻を高くする男を見れば、どちらが天狗か分からない。蹴飛けとばされたところでなんという、コイツも同じく叩けばいいと、大男は棒を構えた。

くさい。例えるなら便所べんじょだな。」

「なんだと!? その刀を抜け、刀ごとたたってやる!」

「こいつにお前はもったいない」

 鴉天狗はそう吐き捨てて、かたわらの家の、窓の突き上げ棒を手に取った。その長さは一尺いっしゃくあまり。大男の六尺棒と比べてみれば、ながさもふとさも頼りない。しかも鴉天狗はさきするどくするためか、その先をってしまってより短く。

 それゆえに。

「てめえ、くさりやがって! でぇええええええええい!」

 いか心頭しんとうはっした大男が、金具を嵌めた棒の先を、鴉天狗向かって突きだし駆ける。まるで山をころがる大岩おおいわである。

 鴉天狗もなかなかの体躯たいくをしているが、あの突貫とっかんにはえられまい。子ども達もまわりの者も、思わずその目をつぶってしまった。

 ──それはなんと、勿体もったいないことか。

「ごご、が、ぁ……」

 棒と棒が、多少ぶつかる音がした。ただそれだけ。悲鳴ひめい衝突しょうとつおんも、鴉天狗がころがる音も聞こえない。あとはただ少しの、うめき声が上がるだけ。

 人々が、おそおそる目を向けると。

「──卑怯が兵法というなら、もう少しそれを見せてほしかったんだが」

 大男の六尺棒は、鴉天狗の顔の横を通り抜け、逆に鴉天狗のその棒は、切っ先ふかく、大男ののどつらぬいていた。

 鴉天狗が棒を引き抜くと、喉から血がドクドクと流れ出て、そのまま大男はあおけに倒れてしまった。

 周りの者は、いったい何が起きたのか、さっぱり分からぬと言った表情で目を丸くしていた。まるで天狗の験力げんりきでも見せられたかのようだ。

 恐る恐る、少年が鴉天狗にいた。

「あ、あの、あなたは、鞍馬くらまやま天狗様てんぐさま……?」

「…………まさか、京くんだりに来てまでそう呼ばれるとは」

 鴉天狗は、軽くため息を吐いた。

 まさか、機嫌きげんそこねてしまったのか。もしかしたらこの大男のように、暴れに来た武芸者かもしれないと、少年の顔は青くなる。

「──一刀斎いっとうさい

「え?」

 男が小さく、だがしかしはっきりと、その腕前に似合わぬほどおだやかな声でつぶやいた。

外他とだ一刀斎いっとうさい景久かげひさ。それが、俺の名前だ」

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