第七話 元服

 ヒュウ、と太刀風たちかぜこる。

 それにつられるようにして、真向まむかいからかぜいてきた。

 ふゆも終わるが、まだ冷たい。しかしよくかわいた風は、夏の湿しめったものよりも心地ここちよかった。

 冬の朝はなぜこんなにも清々すがすがしいのか。弥五郎やごろううめかおりがほのかに混ざる空気くうきを、ひとめするほどにんだ。

 弥五郎が近江おうみ堅田かたたに来てから半年以上がつ。山の梅の木は薄紅色うすべにいろに染まっていて、朝霞あさがすみも色づいて見える。

準備じゅんびはいいですか、弥五郎さん」

かまわんぞ、小次郎こじろう

 縁側えんがわから出てきたのは、小次郎だった。五尺ごしゃくに足りなかった身長は去年の秋から伸び始め、今では五尺五寸ごしゃくごすんに近い。

 弥五郎はというと、一寸いっすんしか伸びなかった。おそらく、これが弥五郎にとっててきした高さなのだろう。

 自斎から剣をさずけられたふた月後には、打太刀うちだちは小次郎がするようになっていた。それまでは稽古けいこ熱心ねっしんではなかったはずだが、今では進んで弥五郎の相手をつとめている。

「では」

 小次郎が、木刀を構える。相変わらず、三尺さんしゃくえる長木刀ながぼくとうだ。たけ半分はんぶん以上いじょうの太刀を、小次郎はたくみにあやつる。

 まるで子どもが小枝こえだあそぶように軽々かるがると、手元てもと重心じゅうしんがあるように縦横自在じゅうおうじざいはしらせる。それでいてそのちの威力いりょくは見た目通りだというのだから、稽古相手に申し分はない。

エイッ!」

 八相はっそうに構えられた長太刀が、山颪やまおろしのような太刀風をまとってせまる。

 しかし弥五郎はその太刀に、中段の打ちでもって相対した。

 風さえ呑み込む巨太刀きょだちを、木刀のあつみでもって切りさばき、小次郎ののどへと切っ先をつける。はしから見れば、摩訶不思議まかふしぎ夢幻ゆめまぼろしにも思える。

「完全に形になりましたね、「切落きりおとし」は」

「そうだな」

 切落。かつて師にたとえられたその言葉を、生来せいらい持つその技の名にしたのは去年きょねんあき

 冬に入る頃に、「これひとつでてるのでは?」という小次郎の言葉から、中段の切落を「ひとがち」と名付けた。

 弥五郎の太刀は、とかくぶれない。無駄むだ一切いっさいとされている無心むしん撃剣げっけんだ。

 ことを行う時には深く考えない素直すなおな性格と、一度決めたらを通す気質が合わさって、弥五郎の得意技の一つとなった。。

 それからしばし、技のためいをおこなった二人は、日が高く上がりあたたかくなったころ朝飯あさめしを食いに町へ降りることにした。

「しかし、師匠ししょうはどこへいったのか」

「もう二ヶ月ぐらいですね。ふらっとどこかに行くことはありましたが、ここまで長いのは初めてです」

 自斎じさいとし早々そうそう、「しばらく留守るすにする」と二人を置いていずこかに消えた。なんの便たよりもなく、無事かどうかもわからない。

「まあ、心配しんぱいないでしょうね」

「さてな、どこかで喧嘩けんかして、ぽっくりっているかもしれん」

 あの師はどこかで野垂のたにする人間にんげんではないが、大酒おおざけんで失敗しっぱいすることもあるだろう。なにしろ剣も好きだが飲む打つ遊ぶも好む男だ。めかけまがいの女にだまされ、夜討ようちなどされてしまえば末代まつだいまでのかたぐさになるだろう。

 ああだこうだ話していると、あっという間に堅田に着く。

 堅田は朝から相変わらずにぎやかで、多くの人々が集まり、はまに敷かれたむしろの上では、朝一あさいちれた魚やらざかなやらさかなやらが並んでいる。

「……いや、賑わってるんですかね、これ」

「……はて」

 ざわめきたってるのは一ヶ所だ。賑やかというより騒々そうぞうしい。がっているというより白熱はくねつしてる。

 なぜか、やたらぶあつひとだかりができている。

 何事なにごとだろうと弥五郎達はちかってみる。どうやら一人ひとり中心ちゅうしんに集まっているようで、しゃべっているのはその台風たいふうの目にいる者だ。声を聞くに、男。

 男が「おお」と声を上げれば、何が面白おもしろいのか周囲の人々が同時にたかぶる。

「まさか……」と二人は人混ひとごみをけ中心まで抜き出る。すると、そこには。

「あちらこちらえる中、四方八方しほうはっぽうを取りかこんだのは大鎧おおよろい武士達もののふたち! いやしかし相手が悪かった。一尺五寸いっしゃくごすん小太刀こだち両手りょうてに、はらわれる長刀なぎなたはらい、ろされるやりくぐる! 金剛刀こんごうとうにしてみれば、いかなるおとこ小僧こぞうおなじ! 丁々発止ちょうとうはっしおおまわり、ばったばったとたおす。その男、近江堅田の金剛刀、一刀いっとう────」

「なにしてるんだ、師匠」

「こんな朝っぱらから往来で、ずかしいですよお師様」

 別れた時と全く変わらぬ、自斎がいた。


 うら博打ばくちが行われている飯屋めしやにて。

 飯ではなくさけをあおる自斎曰く、彼は堅田から淡海あわみはさんで反対側はんたいがわ矢島やじまにいたらしい。

 なんでも「さる御人ごじん」の護衛ごえいについており、さっきのは「さる御人」が襲撃しゅうげきされた時の話だそうだ。

 さる御人とやらはずいぶんのくらいの持ち主だったのか、自斎の身形みなりはそれなりにととのっていた。

「で、なんでそのさる御人はお師様なんかに?」

「おい小次郎、師匠に向かってなんかってなんだなんかって。そりゃあお前ぇ、もちろん近江堅田の金剛刀、一刀自斎の腕を見込んで用心棒ようじんぼうに」

「で、本当のところはどうなんだ」

「お前らな、手前てまえの師匠をなんだと思ってるんだ。……まあ、用心棒ってのは本当のことだが、どうやら俺を「朝倉あさくらへのつて」にしたかったようでよ」

「朝倉?」

越前えちぜん大名だいみょうですね」

 そういえば、自斎はかつて越前にいたが近江へとやってきたのだという。そして酒を飲んで酔っぱらえば、時おりかつての頃の愚痴ぐち心底しんそこ楽しそうにこぼしていた。

 自由じゆうあいする自斎のことだ。何かしらの問題を起こして逃げてきたのかもしれない。

「だけど俺は朝倉の連中が大っ嫌いだし、あちらさんも俺のこたあうとんでるからよ。しかも俺はただの棒振ぼうふり、政争せいそうなんざにゃ巻き込まれたくねえんだ。そんなのは越前で十分じゅうぶんきたぜ」

 小魚の佃煮を箸いっぱいにまんで頬張ほおばり、酒を飲んで流し込む自斎。

 どうやら自斎は、本当に越前をうとんでいるようだ。しかし嫌いは嫌いと言いつつも、当人にとってはすでに通り過ぎたかつての思い出。表情をくもらせることはない。

 むしろ昔と比べて「今はもう自由だ」という喜びが先に来ているのかもしれない。

「で、そのさる御人とやらが越前へ行くから、師匠は戻ってきたと」

「そういうこったな。他にも腕の立つ連中も居たようだから問題ねえだろうよ。まあ俺ほどの腕の持ち主はそうねえがな!」

 豪放ごうほうに笑いながら、自斎はまた酒を甕ごとあおる。が、もうすっかりなくなってしまったようで、「なんだもうねえのか」と片目で底をにらんだ。

「さて、と、酒も終わりだしそろそろ見せてもらうかねえ」

「見せるって、何をです?」

 小次郎のいに、「決まってるだろ」とニヤリと笑う。

「弥五郎、お前の腕がどこまで上がったか、させてもらうぜ」


 梅の香りを乗せた山風が吹き、稽古場の白砂をころがす自斎邸じさいてい、その稽古場で、弥五郎と自斎は相対していた。

 弥五郎は中太刀なかだち寸の木刀を正眼せいがんに、自斎は小太刀こだち寸の木刀を片手に持って構えている。

ェェイ!」

 弥五郎が烈帛れっぱくの気をいて、中段に打ち込む。自斎は小太刀でもって打ちをらそうとするが、弥五郎はそのまま突きに移り、自斎の受けと、それに続く打ちをせいする。

 両者は一度離れ、今度は自斎から打ちかる。

 真っ直ぐ下ろされた剣に合わせ、弥五郎は木刀を振り下ろし、自斎の剣を切落きりおとして、そのひたいに切っ先をつける。

 かたどおりの攻防こうぼう数度すうど行われた後、仕合しあいのような撃剣げっけんを行うこと十分ほど。

 前回撃剣を行った時は弥五郎がしていたが、今回は自斎も引くこともなく、仕合は五分ごぶごぶで続いた。くだんの戦いで、仕合感しあいかんを取り戻したのか、自斎の攻防は、正に金剛刀の自称に恥じないものであり、弥五郎必殺の切落も決まりきらない。

 最終的に、弥五郎の渾身の振り下ろしで自斎の剣を弾いたところで、仕合は終わった。

「腕を上げたじゃねえか。これならもういいだろう」

「もういい?」

 縁側に上がり、木綿もめん手拭てぬぐいで汗を拭きながら、弥五郎は聞き返す。

「弥五郎、お前、十六になったな」

「ああ、年が明けて十六になったぞ」

 自斎が、ニタリと笑う。なにやら不気味で、背筋から稽古とは関係ない汗が吹き出た。

 弥五郎はさっと、背中もいた。

「喜べ弥五郎、元服げんぷくだ」

「元服? まげでもうのか、侍でもあるまいし」

「なに、ただの言い回しよ。いつまでも、「弥五郎」と言うわけにはいけねえ。なんせお前は、半人前を抜けたからな。一人前にはまだまだ遠いが」

 その言葉に、弥五郎は目を見開いた。

「だが師匠、おれはまだ、「斬る」がなにか分からないぞ」

 自斎はあの夏、弥五郎に「斬るとはなにか」を教えると言っていた。だがここで教わったのは刀の振り方と心法しんぽう、そして数種類すうしゅるいの型だけだ。

 しかし自斎は「いいや」と首をふる。

「お前はもう、何をもって「斬る」というのかを知っているはずだぞ」

「なに……?」

 師匠の言葉に、首をかしげる。

 弥五郎は今一度、かつての修行を思い出す。

 そして脳裡のうりに浮かんだのは、その師匠が常日頃つねひごろ口にした言葉。──ああ、そうか。

「──剣とは心、か」

 剣で以て斬ろうとするのではない。それは所詮しょせん、刀を使つかっているだけに過ぎない。

 剣とは心で振るうもの。心をさだめて振るった刀によって、が生まれる。

「気付いたか」と呵々カカと笑う師匠の声は、いつも通り、豪放ごうほう磊落らいらくとしたものだった。しかしなぜか弥五郎は、初めて聞いたようにも思える笑声しょうせいにも思えた。

「さて」と自斎が今に入る。

「元服には、それなりの儀式ぎしきるな」

「…………儀式?」

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