第六話 鵬と炎と

 自斎邸じさいてい稽古場けいこばが、静寂せいじゃくつつまれている。

 日暮ひぐれをしむセミも、かぜそよおとも、西日にしびかれるすなおとさえこえない。

 ただただ静寂しじま意識いしきかぜかすことなく。弥五郎やごろう自斎じさいは、木刀ぼくとうかま相対あいたいしていた。

 一日いちじつにして心法しんぽう一端いったんを理解した弟子を前に、おにとも思える笑顔えがおの自斎。小太刀こだちは右手に、空いた左手は腰にえ、半身になってその切っ先はぐ弟子へ。

 対する弥五郎はいつも通りの仏頂面ぶっちょうづらで、木刀を正眼せいがんかまえる。

 残る小次郎こじろう縁側えんがわへと退散たいさんして両者りょうしゃ見守みまもる。

 両者とも、一切いっさいを感じない。打つ攻め守り受けも心におさめ、どう動くかさえ分からない。

 小次郎が、息を飲む。

ィイイイイイイイァアアアアアアアアア!」

 それを合図あいずはかったように、自斎じさいが飛び出した。

 その突撃とつげき雷光らいこうごとく。その喚声かんせい雷鳴らいめいの如し。突き出された木刀は、雷火らいかの如く弥五郎にせまる。しかし、弥五郎は。

ッッ!」

 その刺突しとつに木刀を合わせ、そのしのぎあつみでらしながらも同時に自斎のひたいへ打ち下ろす。

 攻防一体こうぼういったい。攻めと受けを両立する、流れるような受け切りである。

 だが相手は、仮にも一刀いっとう自斎じさいを名乗る男。

 攻め気を乗せたまま、身をひるがえして打撃だげきかわし、はらたんとこころみる。だがしかし。

フンッ!」

「ぐっ!?」

 その胴薙どうなぎを、弥五郎は手首を返して受け止める。

 そしてこれまた攻防一体。一歩後ろへ下がりながら、片手の切り上げを打ち放った。

 自斎もそれにはたまらず、おおきく退いて回避かいひする。

 振るう太刀は金剛こんごうだが、振るう本人は身軽みがる身軽みがる。羽でも付いているかのようなたいさばき。

 彼我ひが距離きょりはほぼ四間よんけん仕合しあいは一度停止ていしする。

「どれ、もういっちょう!」

 自斎が、先程さきほどと同じ形で突きをはなつが、その速度は、先のものより一段いちだんはやい。先の刺突しとつ雷速らいそくというのは、あまりにも甘かった。これこそが、まこと雷速らいそくか。

 だがしかし。

ァア!」

 こころどうじることなく、弥五郎は先と同じようにしのぎでもって刺突を逸らし、ひたい目掛け中太刀をとすも、自斎も同じく、てんじてかわす。

 ここまでは、同じ。だが、

「打ェエエエエエイ!」

 今度は腹ではなく、中太刀を握る弥五郎のその手に目掛け小太刀を振るう。

 自斎のその太刀もまた攻防一体一拍子いちびょうし。これは決まるかと思った瞬間、

エエイ!」

 弥五郎は中太刀を高く振り上げ、自斎の小太刀を跳ね退ける。

 そして半歩はんぽ後ろへ退きながら、無心にまっすぐ、打ち落とす!

「ぐっ!」

 弥五郎の無心の上段打ち。対して自斎は、小太刀のみねく手でおさえ、両手でもってその打ちを防ぐ。

 だが、そのあまりの威力に、膝を屈する。

 そのまま弥五郎が押しきるかと思われた矢先やさき、自斎は刀がかたどる十文字じゅうもんじ中心ちゅうしんり、小太刀を支えるその両手で弥五郎の打ちを反らし、そのまま首へと切っ先を突き向ける!

ァアアアアアイ!」

「なっ──」

 その突きは、ほのおを打ったが如く。大きく揺らめいたその弥五郎の喉元のどもとをすり抜ける。――外れた。

 刹那せつな、中太刀を押さえる手が軽くなった。

「しまった」。そう思った瞬間にはもう遅い。

 弥五郎が忽然と姿を消したと思いきや、あいたどうを、ち抜かれた。

「ごっ、ふ……」

 金砕棒かなさいぼうにもひとしいその打撃だげきに、思わずはらめていた気をらす。

 顔をあげ、弟子を目で追う。

 弥五郎は自斎を撃った勢いそのまま、後方こうほうへと抜けていた。

 そこに立つ弥五郎は、輪郭りんかくたしかにとどめながら、悠然ゆうぜん正眼せいがんに構えている。

 腹に気をなおし、立ち上がって再び向かい合う。

 自斎の顔から、笑みが消えた。眼差まなざしはおだやか、闘気とうきれず、泰然たいぜんと。

 それはさながら、獲物を見据える猛禽もうきんである、

 両者を見守る小次郎には、両者に炎ととりとを幻視げんしした。

 炎が揺れ、鵬がばたくとき、さらにたたかいのはげしさは増す。確信をもって、そう言える。

ェエエエエエエエイ!」

 体の芯から覇気はきを撃ち出しける弥五郎。ただおごそかに、機を狙う自斎。

 ――そこから先の撃剣げっけんを、小次郎はすべて見逃さなかった。

 弥五郎は中太刀を振り下ろすも自斎はそれを受け流し、あごをめがけて小太刀を振るうが弥五郎はその打ちを回避、同時に逆袈裟ぎゃくけさに中太刀を振る。自斎は刀をひょいとかえして打ちを払いけて突きを打つ。いや、突きではない袈裟斬りに変化へんかした。弥五郎は刀を持ち上げその袈裟斬りを受け退しりぞきながらも切りばらいに移行いこう。自斎は足をすべらせ半身はんみになって打ちをかわして打ち返す。だが弥五郎も鏡合わせに半身に転じ剣撃けんげきを払う。

 まるで鵬を取り込もうとする炎と、炎を翻弄ほんろうする鵬の戦いである。

 自斎の剣は、小太刀だというのに定寸の中太刀を相手に全く引くことがない。まさに金剛刀こんごうとうの呼び名にいつわりない。小太刀の身軽みがるさを活用しつつ、振るう様は中太刀のようにすら思える。

 ──だというのに、弥五郎はその小太刀の名手めいしゅ相手に、一歩だろうと引いていない。その剣に小細工こざいくはない。工夫くふうもない。秘剣ひけん魔剣まけんもありはしない。ただただぐ、太刀たち正道せいどうこころまことに、師匠の剣におうじている。

 弥五郎は、自斎の剣を、読みきっている。

ェェェエイ!」

フンッッッ!」

 真剣でのであれば、すでに刃はこぼれきっているだろう。それほどまでに、両者の撃剣げっけん熾烈しれつきわまるものであった。

 自斎は剣に変化を混ぜ、持ちうる技倆ぎりょうを使い果たすこともいとわず弥五郎をとうとするが、そのことごとくが払われかわされる。こちらの刺撃しげきにまるで手応てごたえがない。だというのに、相手の打撃だげきふせいでみれば、しんまでけるほどの衝撃しょうげきはしる。

 まるで炎でも相手にしているかのように斬りようがない。

 二十年以上剣をきたえてきたはずが、剣を始めて一年そこらの若造わかぞう相手に攻めあぐねている。

 その現実は自斎にとって────意気が天にくほどに、たましいたかぶるものだった。

 そも、鍛えた時間など意味はない。勝負の場ではそれを出しきったとしても負けかねないのだ。

 能力のうりょく努力どりょく実力じつりょく。どれも勝敗の条件足り得ない。

 勝った負けただのの理由は、その時にしかわからないし、その時々で変動するもの。勝敗を分けるものをげるとしたら、それは一寸ながさ一瞬じかん、この二つだけに尽きる。

 能力も努力も実力も、胆力たんりょく気力きりょくも時の運も、すべて引っくるめたただ一つ、の一文字で表せる。に正しく、全力全霊でもって使いたす。

 心法とは、「おのれを使うため」の術なのだ。

 自斎という名は、すべてがせまくるしかった越前えちぜんを出たとき、希望きぼういていて自ら付けたものだ。

 この前原弥五郎という男は、おのれすべてをついやすに相応しい!

「弥五郎ォオオオオオオ!」

 自斎が、小太刀を振りかかげる。また弥五郎も、中太刀をかかげた。

 火の手が上がり、鵬が翼を広げる。

 自斎の剣が、繰り出された。

 その撃ち下ろしは雷撃らいげきのごとく。鋭く、素早く、小太刀と思わせぬほどのちからまとって。

 その雷撃に一瞬遅れ、弥五郎の剣が振り落とされる。

 一瞬。その差はあまりにも大きい。刹那の攻防によって勝敗が決まるのが、剣の世界と自斎は信じる。

 一寸の短さが、一瞬の遅さが、命運を分かつ。それが剣の世界だと自斎は信じている。

 弥五郎はその一寸と一瞬を、取り零した────はず、だった。

「────よもや、その二つさえ覆すとは」

 自斎の剣は、弥五郎の体を大きく反れ、

 弥五郎の剣は、自斎の額に至る寸毫すんごうで、止まっていた。

「――――ああ、それだぞ弥五郎。心が真っ直ぐ、正しくあれば、決して剣は逸れることがない。我が金剛刀の秘伝は、その心法にある」

 必要なのは、己に対する誠心せいしんのみ。

 無心とは心を無にすることではない。心から無駄むだとすこと。

 慢心まんしん疑念ぎねん不要ふよう自信じしんさえ剣を振るには無用むようである。

 ただ、心王しんおう正直しょうじきであればいい。おもう一念のそれ以外を、心から一切いっさい削ぎ落とすこと。

 それが心法の秘奥ひおうである。

「明日お前に、印牧流かねまきりゅうの技を教えてやる」

 弥五郎が燃えた上に広がる夏の夕空は、燎原りょうげんのように赤かった。


 次の日の朝早くから、弥五郎は自斎と共に稽古場にいた。

 しかしそれはいつもの稽古のためではない。自斎が己の技を弥五郎に教えるという、「教授きょうじゅ」のためのものだ。

 弥五郎が打太刀うちだちつとめ、自斎が仕太刀しだちとなり教授は始まり、基本の太刀は伝えられた。

 だがその内容は、小太刀こだち中太刀なかだち二刀にとう、それぞれ合わせて十五じゅうごほど。それも大部分が中太刀の技で、残りは小太刀と二刀が半々はんはんだった。

「これだけなのか?」

 思いもよらぬ少なさに思わずいたが、自斎は「これだけでいい」とうなずいた。

「お前に合ったのを特別とくべつ選んだ。あとはお前の工夫で増やしていけばいい。それより、ここからが本題ほんだいだ」

 自斎がめずらしく定寸じょうすんの木刀を手に取り、正眼に構える。

「太刀の構えは五つ。それは分かるな」

「ああ」

 高く構える上段。

 中程に構える中段。

 低く構える下段。

 半身になり、刀を掲げる八相はっそう

 同じく半身になり、刀を下げるわき

 この五つだ。

本覚ほんがくがすみいんよう隠剣おんけん、あとはには多くの変型の構えがあるというが、基本的にはこの五つから大きくはずれることはねえ。つまりはだ、この肝要かんようさえおさえておけば、その対処を心得こころえたも同然なのよ。さあ、上段に打ってきな」

 師の太刀は、正眼から脇構え、隠剣に変化する。動きが止まったところを見計らい、弥五郎はさっと進んで剣を振り下ろす。しかし。

「ふん!」

 上段からの振り下ろしは、振り上げられた太刀にされて自斎を逸れ、真っ直ぐ弥五郎の顎に飛んできた。顎が突かれると思った間際、仕太刀が止まる。

「これが印牧流の奥義の一つ、妙剣みょうけんだ」

「こんなに単純なのががぼっ……」

 疑問を吐こうとした口の中に、木刀の切っ先が突っ込まれて舌が押さえ付けられた。

「なに、技なんてきわめたら単純になるもんなんだよ。俺が何をしたか分かるな?」

「んぐ……刀をおさえ、そのまま、打ちにいった」

 弥五郎は一歩退いて口を自由にし、所感しょかんべる。

 単純な技ゆえか、答えはそれで合っていたらしい。

「おう、今回は突いたが、その時々、やりやすい打ちをすりゃあいい」

 なるほど。と弥五郎は得心とくしんした。「五つの構え」に対する、攻防一体の対処。それが印牧自斎のいう奥義なのか。

「上段、中段、下段、八相、脇。それぞれの打ちに対する太刀の使い方。それが印牧流の奥義、「高上極意五点こうじょうごくいごてん」だ。さて、続々ぞくぞく行くぞ」

 続いて教えられたのは、独妙剣どくみょうけん絶妙剣ぜつみょうけん真剣しんけん三剣さんけん。それぞれ五点の構えを発端ほったんに、相手の五点を打ち払うためのものだ。

「さて、最後の一つ。これは、お前が一番扱いやすいものと見た」

 自斎が、太刀を上段に構える。弥五郎は残る一つ、中段に太刀を構えた。

 ふと、弥五郎が自斎に始めて会ったときの印象を思い出す。あの時の自斎は「巨鳥きょちょう」を連想させた。先の仕合でも、自斎に鳥の姿を見出していたことを思い起こす。

 なぜそれを今思い出したのか、それは無論むろん、今まさに、自斎の姿が「巨鳥」に見えたからに他ならない。

 しかし弥五郎は呑まれることなく、腹の底で気をって、思いきり打ちに駆ける。

 だが。

ォオオオオオオオ!」

 振り下ろされた自斎の剣は、弥五郎の打ちを払い除けた。

 弥五郎はぎょっと目玉を向いて刀を八相に持ち上げるが、その瞬間には首に太刀がつけられている。

「────これが、金翅鳥王剣こんじちょうおうけんだ」

「他と違って名前が派手だな……?」

「いいんだよ、大上段の打ちなんて派手なんだからよ。ってかよ、お前自分でわかんねえのか?」

 わからないのか、といわれても、あの打ちは日頃から慣れしたしんでいたものだ。自然と出てしまうものだから、目立つかどうかなどわからない。そもそも自分からは相手と周囲しゅういしか見えず己が見えないのだから、派手かどうかなどわかるわけがない。

 口には出さないが表情に出てたのか、自斎は「やれやれ」と首を振る。

「無想の打ちもここまで来たら逆に不便ふべんだな。今の、覚えがねえのか?」

 はて、と脳裡のうりさぐる。上段からの打ち下ろしで、相手の太刀をさばく。…………。

「ああ」

 すっとんきょうな声を上げると同時に、額の古傷ふるきず小突こづかれた。

「ようやく気づいたかコイツ……そうだ、お前が普段やってることだよ、今のはな」

 思い出した。はじめて仕合した「富田とだ一放いっぽう」との戦いで、似たものを放った覚えがある。昨日の、自斎との立ち合いでもだ。

「まあ、似てるだけでお前のとはまた違うんだがな。俺の金翅鳥王剣は金剛の堅さでもって払い除けるが、お前のはまさしくたたき落とす……いや違うな、切り落とす、って形か」

「切り落とし……か」

「あれはお前の本来もっていたちだ。それを今教えた基本の十五本、そして極意五点に合わせな。そうやって、「流儀りゅうぎ」ってのは生まれるからよ」

「流儀?」

 そっくりそのまま聞き返す弥五郎に、自斎は「おうよ」と頷く。

流儀りゅうぎ流派りゅうはの技ってのはな、弥五郎、一人一つ変わって当然のもんなのよ。人の得意は全部同じか? いや、違うだろ。人ってのは鋳型いがたで出来るもんじゃあねえ。同じ女の腹から生まれて、同じもんを食ってようが、全然違うように育つことなんてざらにある。だからいくら流儀を学ぼうと、最後は「己の技」に行き着くのよ」

 師の言葉に、弥五郎は伊東いとう三島神社みしまじんじゃにいたときのことを思い出す。

 年が近い出仕しゅっしや村の少年がいたが、誰一人と自分のように大きくはなかった。

 足が早い者もいれば、手先が器用な奴もいたし、普段のろまでも、やたらと逃げ隠れが得意なのもいた。

 全員が違うのだから、同じものを手習いしようと、異なる先に行き着くこともあるのだ。

「──師匠、感謝すがうっ」

「なに礼なんていってんだまだ早いぞ阿呆あほう。今度はお前が仕太刀をやるんだよ。間違えたらそのまま打つぞ。体に染み付くまでやるからな」

 自斎は、弥五郎を打った小太刀をぽいと投げ渡す。

 十五本と五点。合わせて二十。

 ──礼を言うのは、いつにいなることやら。

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