第五話 心法
「俺の師の一人、
「目が見えないのにか?」
「弥五郎、お前も、目だけで相手を感じてるかよ?」
師に問われ、思い当たったのが「お前の長所だ」と度々言われた「あれ」のこと。
「気配を読んだのか」
「おうよ、五郎左衛門の目が見えなくなったのは三十を過ぎた頃だ。だから、中条流を
心法。昨日自斎が口にしたものだ。
心が
自斎が、人差し指を立てる。
「心法の一つ、相手の気配を読むこと。
弥五郎は
自斎が続いて中指も立てる。
「二つ目、心の通りに技を振ること。五郎左衛門は目が見えずとも、心身に動きを染み込ませ、己の心に剣を振るわらせた。相手の剣やハッタリに惑わされず、
弥五郎は一瞬なんのことかと思ったが、はたと思い付き再び頷いた。
自斎が言っているのは、切り下ろしのことだろう。
幼い頃から日がな一日、十年近く、一日欠かさず行い続けた薪割りによって
昨日、
自斎が、今度は親指を立てた。
「そして三つ目だが──、」
「……」
よほどの
自斎が、ニタリと笑う。
「──
「ぐっ!?」
「何をするんだ……」
「なーに全部教えてもらおうって
心の思うがままに、
「剣とは心、か」
不意に、その言葉を思い出した。自斎が
先の目潰し、まさに
心と
弥五郎は師に遅れて縁側から出て、稽古場に放られた木刀を拾う。
その日も弥五郎は、自斎に太刀の一本も決めることはできなかった。
「今日は適当にしとけ」と、自斎は
弥五郎は木刀を
切り下ろしと同じように他の
ただそれでも、やらないよりはましである。
師の
──すべて防がれた。
──すべて打ち返された。
──避けられて、
どう打つか考えても、防がれるし打ち返される。それでも、ひたすら剣を振るう。
弥五郎はまだ剣を振っていた。
弥五郎は新しい木に向かって新しい木刀を振るっていた。
木刀といっても、そこらに転がっていたちょうど良い長さの枝から、小枝を削そいだ
あまりにも頭の中の師に打ち返されるので、師のことは忘れ、剣を振るだけにしていた。
その剣は、
それから更に
弥五郎は四本目の木を相手にしていた。木刀はすでに六本目だ。頭の中から振る剣を選ぶのも面倒になったので、適当に、思うがままに剣を振るっていた。
すでに
だがしかしその振りは
四本目の木の幹が、打撃によって
弥五郎は剣を止め、「さて」と、近くに水がないかと耳をすまして
水はすぐに見つかった。
どれもういっぱい、と手を伸ばそうとした、その時、ふっと気づいた。
「……川か?」
水が落ちる先、ごく小さな、まるで
もしかしたら、
そう思いつつ、
弥五郎は、目を見開いた。
カワセミが、それをつついている。木漏れ日を反射し、それがキラキラと
消えると思っていた水が、大きな池に流れていた。
流れは進むに連れて、その
次の瞬間、思わずあおった。喉を
飲み終えれば、直ぐさま手を使わずそのまま水の中に顔を突っ込み、池を飲み干さんほどに
火照った体が、元の体温へと戻っていく。ただそれだけなのに、
顔をあげ、頭を振って
掬い、浴びせ、掬い、浴びせ。どうせ汗で濡れていると、服が濡れることすらお構いなしに浴びまくった。
体の
腰を下ろし、天を
「……おれは、なにをしていたのか」
荒ぶっていた己を笑う。
あんな剣は、おれにとって理想ではない。目を閉じて、しばしぼうっとする。
べしん!
──
己が叩いたその腕を見てみると、
水で蚊を洗い落とそうとしたその時。ふっと手が止まる。
「おれは今、打とうと思ったか?」
いや、まず蚊がいるなどと思わなかったのではないか?
少し、なにかがぴたりと張り付いたと感じたが、感じたから叩こうなどとは考えなかった。
ただ、冴えた体に
「──ああ、そうか」
頭で考えることなどないのだ。
「心に
蚊が腕に止まっているのに、どこか別の場所を叩く
「
何をすべきかは、心がわかっている。
目を閉じる。浮かんだのは、
昨日、長巻の男と
炎は、風で揺れるが
これだ。と弥五郎は立ち上がる。
相手の意識に応じて
気配を感じ、どう動けばいいかは、心が知っている。
気配を読む。心でもって剣を振る。
この二つは別ではない。合一してこそ、意味が現れる。
いつかの師の言葉を思い出す。
「防御と攻撃は
気配を読むという受けの心法。心で振るという攻めの心法。
防御と攻撃が表裏一体というならば、二つ合わせたものにこそ意味がある。
弥五郎は立ち上がり、木刀に使っていた枝も放っておいて、
弥五郎の足は行くべき場所が分かっているかのように、
「帰ったぞ! 喜べ弥五郎、今日はフナに菜粥だぞ!」
「今日もですよね」
夕方、日暮れ前に自斎は帰ってきた。
なんのことはない。いつも通り
「いませんね、弥五郎さん」
「稽古場かぁ? こんな
自斎は小次郎を連れ、
すると自斎。
「小次郎。お前それであいつの頭を
「ええ……」
「またこの人は
「弥五郎さん気配を読むのがうまいから、気づきますよきっと」
「なに、どうせ日がな一日振ってて疲れてんだから、意外といけるかもしれねえぞ」
それに、と自斎は言葉を続ける。
「お前は
その印牧弥二郎とやらは、たしか
小次郎は
気配を
一歩一歩、
面白いように、歩みは進んだ。そして気づけば
驚いた。あんなにも気配が読むのがうまい弥五郎に、ここまでたやすく近づけるとは。
もしや、眠っているのではないだろうか。そうとしか思えない。
師匠の方を振り向いている。「叩いてしまえ」と言わんばかりに、
どうにでもなれ、
カシンッ!
「え───」
木刀が、弥五郎の身を大きく
「──ああ、帰ってきたのか。小次郎」
弥五郎が、ほのかに笑う。
小次郎が腰を抜かして地べたに
最初に切っていたのは、風だった。風が吹く度に、風上に向かって剣を振っていた。
それを
座り込み、次の風をひたすら待っていたときに、ようやく来たと思ったら小次郎だった。
弥五郎はそれに対応したにすぎないが、驚かせてしまったようだと
「立てるか、小次郎」
「ちょっと無理ですね、びっくりしました」
「弥五郎」
小次郎に手を貸そうとした時、潜んでいた自斎が現れた。
その見開かれた目には、小次郎以上に
「気づいたのか、
「
弥五郎の答えに、自斎は
こいつ、
「そして第三の心法は、第一と第二を合わせること。だな?」
「その通りだ!!」
自斎が、
「相手の気配を読み、応じ、
弥五郎の
「頭ってのは知識ってもんを使ってなんとかしようと考える。だがな、戦いの中じゃ「考える」なんてのは
肩から手を離し、縁側から
が、それも束の間の出来事で。奥座敷から出てきた自斎の手には、木刀が
「受けとれ弥五郎!」
自斎は大刀、
そして、自身は、小太刀寸の木刀を構える。
「お前がどこまで気づいたか、今すぐ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます