第四話 無想の片鱗

「おさま、今のは」

「ああ、印牧おれの技だ」

 相手の上段を受け反らし、転じながら顔を打つ─本来ならくびを切る─。一刀いっとう二刀にとう一文字いちもんじ受けと十文字じゅうもんじ受け、あご眉間みけんちがうところは多々たたあるが、体捌たいさばきは今朝けさ自斎じさい弥五郎やごろうに行ったものに近い。

 もう一つ、違うとすれば。

「最後の上段からの振り下ろし。あれは」

「あいつ本来の技だな」

 自斎は「なるほど」と、旧友きゅうゆうの手紙を思い起こす。

「弥五郎には、ひとつ太刀たちがある」。

 それがあの振り下ろしなのだろう。とはいえ。

かぶとかぶってる相手にやりますかね、あれ」

「倒したんだから問題あるめえ。よほどの衝撃しょうげきとみたぜありゃあ。さて、弥五郎!」

 名を呼ばれた弥五郎はこちらを振り向いた。その顔は野伏のぶせかしらを倒したというのに、なんの感慨かんがいもなさそうだ。

相変あいかわらずの仏頂面ぶっちょうづらだ」とくつくつと笑いながら、に移る。

「仕事を始めるぞ!」


「仕事?」

 師の言葉にはてと首をかしげる。今日の仕事とは、この水賊すいぞく達をらしめることではなかったか。

「これですよ、これ」

 近づいてきた小次郎が、草の陰で倒れる水賊から野太刀をうばった。自斎も同じように、棍棒やら槍やらをぶんっている。

「なにをしているんだ?」

「もうわるさできないように持っていくんですよ。そしてります」

「他の水賊に奪われるのも面倒だからよ。堅田衆かたたしゅうの連中に戦利品として持ってくのよ」

「いい品は金子きんすに換えます」

 気のせいだろうか。小次郎の目がぜにの形をしているように見える。

 しかしなるほど。堅田に来る旅すがら、旅籠はたごで他の旅人が話してたのを思い出す。

 どこそこでいくさが起きたから見物けんぶつにいく。終わったところで討ち死にした連中から戦装束いくさしょうぞくを剥いで売るのだと。

 どうやらよくあるならわしのようだ。弥五郎は島暮らしが長く、伊東いとうでは戦にえんがなく、知らないことが多い。

 弥五郎はに興味はあっても、というものに関心を持てなかった。太平記たいへいきやら将門記しょうもんきやらを読ませられたが、熱中することはなかった。

「弥五郎、舟屋近くの連中から取ってこい」

「わかった」

 弥五郎は手始めにノした男三人のところに向かう。太刀二振りに槍が一本。太刀も槍もみたところ粗悪品そあくひんだが大丈夫なのだろうか。見たところさやがない。舟屋の中にでもあるのだろうか。弥五郎は男たちの服を剥ぎ取って、鞘がわりに刀身にき、舟屋の中を探しに入る。

 一方いっぽう自斎は、弥五郎が打ち倒した長巻ながまきおとこちかった。

 白目を向いて泡を吹き、完全に意識を失っている。いったいどれほどの力だったのかと、自斎は呆れる。

 長巻は重たいが、持てないほどではない。ついでに胴丸どうまるかぶとも持っていこうかと、兜にかけようとした手が止まる。

「コイツぁ──」

 鉄製てつせい頭形ずなりかぶとに、真っ直ぐすじが伸びている。ところどころ小さなひびともなうそれは、ちがいなく、れかけのあかしって裏を見てみるが、さすがにとおってはいないようだ。

 とはいえ弥五郎は、ただの木刀でりかけたという。

 兜を割るにはいいかたなる。気迫きはくる。呼吸こきゅうる。ちからる。正しく振るう鍛練たんれんる。

 同時に、余分よぶんにはらない。ごく自然に、それらがった瞬間しゅんかんにこそされる。

 そして、それを成す太刀たちはと言えば。

、か──」

 純然じゅんぜん境地きょうち煩悩ぼんのうった自然しぜん撃剣げっけんおのれをもこころ利剣りけん

 その究竟くっきょう無念無想むねんむそう涅槃寂静ねはんじゃくじょうの剣と呼ぶ。

 弥五郎は、その入り口に立っている。


 その日の夕時ゆうどきのことである。

 ぱちりぱちりと、ほのかに燃える囲炉裏いろりはさみ、自斎と弥五郎は向かい合っていた。小次郎は、土間で魚を焼いている。

「明日から、稽古けいこ段階だんかいを一つ進めるぞ」

 弥五郎は囲炉裏の鍋から目を離し、自斎を見やる。

「あれを倒したからか?」

「お前、あれを出すのに手こずったな」

 あれ、とは受け流しからの撃剣げっけんのことだろう。

 確かに、十字受けから大刀だいとうでもって逸らすまでには、相応そうおう思考しこうおこなったと思う。

「おい小次郎、どれくらいだったよ?」

「呼吸を二度ほど。五秒ごびょうぐらいでしょうか」

 土間から帰ってきた小次郎の答えに、「おそすぎるな」と自斎は笑った。

「勝負の世界じゃ、刹那せつなでも足りねえことがある」

 だが。と自斎は言葉を続ける。

「あの最後の振り下ろし。あれはどうやった」

「────────」

 どうやった。と言われても気付けば出していたものだ。やろうと思ってやったことではない。

 あの振り下ろしは、自分がおさな時分じぶんから行ってきたまきりの要領ようりょうでやったものであり、特別なものではない。ただ、慣れている。最初の仕合しあいの相手、富田とだ一放いっぽうに対してったのもやれと言われたからだし、特別なことをするより、楽だったからやった。

 何より。

「──あれは無心でやるものだから、どうやるかとは、考えない」

 肩を張らずとか、肘をゆるめるとか、いろんな作法さほうがあるのだが、そういうのは意識せずとも自然と行える。日常行動の延長えんちょうだ。

 その答えに自斎はにたりと笑う。

「全ての剣をあの振り下ろしのように剣を振るえたとしたら、どうなると思う?」

「どういう意味だ?」

心法しんぽうだよ」

「シンポウ?」

「受けと攻めの話は今朝したな?」

「覚えている。心を揺らさなければ、剣はぶれない」

「それが心法の一つだ」

 いわく。

 心法とはこころうごき、はたらき、それにともなからだうごきのことをいう。

 感情かんじょう意思いし気配けはいといったものは心によってはっせられるものであり、剣技けんぎをこれらと同じく、心によって発するものにする。

 頭で体を動かすのではなく、心でもって働かせる。それが心法なのだという。

「いいか弥五郎。剣とは心だ。頭じゃなく心で振る。それが剣の肝要なのよ」

「マスがけましたよ」

 自斎が言い切るのと同時に、小次郎が三人分の焼きマスを持ってくる。今日の成果としてゆずられたもので、弥五郎の一の腕を越えるほどもある大マスだ。

「はっはー! こいつぁいい。最近はフナばっかだったからよ。さて、こいつもけた頃かね!」

 自斎が、なべふたける。

 あつく、米特有こめとくゆう甘味あまみを帯びた匂いがただよう。

 白い湯気ゆげれると、きざんだを乗せたかゆがあった。

 夕飯ゆうめしもまた、今日もまた、菜粥ながゆであった。


 弥五郎はふと目を覚ました。あつかった部屋へやなかに、すずしいかぜが入り込んでいる。縁側えんがわへの障子しょうじが、わずかばかりいていた。居間いまからはぐーすかと、ふすまらすほどのイビキが聞こえてくる。

 起きたついでにと、小便に立つ。そこで気付いた。となりで寝ているはずの小次郎がいない。

 まさか、と思い障子を開けると、縁側に小次郎が座っていた。

「おや、弥五郎さん。なぜ起きてるんです?」

「なぜ起きている、小次郎」

 仲秋ちゅうしゅう満月まんげつはもう過ぎた。だというのに月は青々あおあおかがやいていて、小次郎の顔がはっきり見える。いつも通り、真面目くさって一周回って何を考えているかわからない顔だ。

「月を見ていました」

「欠けた月をか」

「弥五郎さんは月は好きですか?」

天道てんとうの方が好きだな」

 月は、満ちたり欠けたりせわしない。しかしそれで人は日数を把握はあくするのだという。これはとじにならったことだ。

 この堅田までのたびで使おうと思ったが、一日二日の違いが全くわからず、気づいたら大きくなっていた。

 しかし天道、太陽は変わらない。るとやたらあつくなるのが鬱陶うっとうしいので、五十歩ごじっぽ百歩ひゃっぽといったところだが。

「僕は好きですよ、月は。無常むじょうです」

 よくわからない感覚だ。風流ふうりゅう、という奴だろうか。

 そういえば小次郎の来歴らいれきを知らぬなと、弥五郎は思い出す。

 月を愛でる典雅てんがな趣味や真面目なところを見ると、もしや。

「お前、実は武家ぶけか?」

「さあ、分かりません。船の上にいたそうですので」

「……どういう意味だ?」

「流され子なんですよねえ、僕」

 弥五郎は「そうか」と短く返した。

 このご時世じせいめずらしいことではない。くちらしに生まれた子どもを処理しょりするなどよくあることだ。

 ころさなかったのは親心おやごころかもしれないが、裏を返せば「ごろしなどしたくない」という、ある種の傲慢ごうまんさにもつうじる。

十六夜いざよいよるに、この堅田に流れ着いたそうなんです。で、伊豆いず神社じんじゃに拾われて。小間こま使づかいとして暮らしてたらお師様にぼうり役として引き取られた。って流れです」

「おれと似ているな。おれも厄介やっかいばらいでうみながされ、伊豆いず伊東いとう三島みしま神社じんじゃに拾われて、今にいたる」

「なるほど、伊豆の人でしたか。だから今朝、伊豆神社の名を聞いておどろいたんですね」

 そこまで言うと、小次郎は「ああ」となにかに気付いたように頷いた。

織部おりべさんでしたか、弥五郎さんにお師様を紹介したのは」

 小次郎の口からこぼれでたなつかしい名に、弥五郎は目を見開いた。

「織部を知っているのか」

「ええ。伊豆神社にいたころですが、そこに織部さんはいました。お師様に剣を教えて貰っていたのですが、ある日お師様のところにやってきた剣士に肩を打たれて稽古ができなくなって、それで、伊豆神社に縁がある三嶋みしま大社たいしゃへ……でも、弥五郎さんの言う感じだと三島神社にいったんですかね?」

「名前も似ているし、なにかしらのえんがあって、三島神社に移ったのかもしれんぞ」

 色々と、繋がった。自斎と織部は同門であると同時に、師弟関係にあり、それで弥五郎を紹介したのだ。

 弥五郎はふと、東を見やった。

伊東いとうってどんなところですか?」

うみがある」

「うみ、ですか。知っています。淡海より広く、しかもなみもかなりたかいのだとか。どれくらい広いんです?」

「さてな、俺は東海道とうかいどう沿いにきたが、延々えんえんつづいていたぞ」

「からかってます?」

「本当のことだ」

 気づけば、弥五郎は小次郎のとなりに腰を下ろしていた。

 そういえば、小次郎と話し込んだことはなかったと思う。

 それからしばらく。小次郎がようやく眠たくなってきた頃に、弥五郎は小便に行き、小次郎は部屋に戻り床につく。

 年下の兄弟子との、穏やかながら楽しい会話であった。

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