第三話 三者奮戦

 堅田かたたからくだん水賊すいぞくがいるという対岸に向かう船の中、弥五郎やごろう達は堅田衆かたたしゅうの船員からくわしい話を聞いていた。

 いわく、勢力せいりょくは大きいわけではなく、野伏のぶせ崩れの匪賊ひぞくだという。数は十人なかばで、前に一帯いったいを支配していた連中の後釜あとがまに就いたらしい。そこは村と村の境目であり、現地の豪族達も手を出しにくいという。

 つい昨日、堅田衆下のふねおそわれ、れた魚は全て持っていかれたそうだ。敵の根城ねじろは今ごろお祭り騒ぎだろう。

相手あいてかたなやりも持ってますぜ、木刀ぼくとうなんかで大丈夫なんで?」

「問題ねえよ。野伏ごときに遅れを取るきたえ方はしちゃいねえ」

 呵々カカ、と自斎じさいは笑う。

 だが弥五郎やごろうは、死んだ顔をしてうつむいていた。淡海あわうみの底より暗い色だ。

本当ほんとうきらいなんですね、ふね

りくこいしい」

四半刻しはんこくの半分も乗ってませんよ」

 あきれられてもイヤなものはイヤなのだ。一年前に船から叩き落とされて以来、船というものにどうしても慣れない。船に乗ったことで海に落とされ、伊東に流れ着き、近江まで来れたのは確かな話である。

 しかしそれとこれとは話が別だ。だなんていいたくもない。可能なら、船にはあまり乗りたくない。

「ああ、陸地りくちが見えてきやした」

「どこだ」

 食いぎみにく弥五郎にりながら、「あっちでさあ」と指す船頭。そこには弥五郎さえ隠れそうなほど、背の高いがましげっただ。

「あそこは少し岩礁がんしょうがありやしてね、めるにはコツがりやすが、それだけにあまり目立たないんでさあ」

「なるほどな。で、その水賊すいぞくというのは?」

「あそこから南に行った、ボロい舟屋ふなやを根城にしてるみたいでさあ」

 船が蒲のむれに入り込むと、ガコン、と船が揺れる。同時に弥五郎の体も揺れた。

 どうやら浅い場所に入ったらしく、船はすぐに停止した。

「さて、こっからは歩きだ。お前ら、木刀はらすなよ。ただ草よりは上に出すな」

 自斎が水の中に入り、続いて小次郎が、長木刀を頭上に上げながら水に入る。

 水位は小次郎の腰の高さ。弥五郎は安堵して、腰から木刀を抜いて、かかげて続いた。

 夏だというのに淡海の水は、少し冷たい。


 しげみに身をひそめながら進むことしばらく。ひらけたはら辿たどくと、ポツンと一軒いっけんちかけの舟屋ぼろやたたずんでいた。

 風が吹けば壁板かべいたが飛びそうなほどさびれているが、その見た目に反して、中はやたらとさわがしい。

 どうやら本当にまつり気分らしい。

「やれやれ、呑気のんきなもんだ。これからどうなるかも知らずによ」

 自斎が試しに、手頃な石をポイと投げてみる。

 見事に船屋に当たったが、一人も顔を出すこともない。

「どうやら相手は調子のった素人しろうとだな。野伏と言ってたが、せいぜい足軽あしがるにもなれなかった半端者はんぱもんだろうよ。弥五郎、着いてこい」

「おう」

 草から出ぬようちぢませていた弥五郎は、自斎と共に茂みから出る。

 水辺だが足場はしっかりとしている。これなら、木刀を振るのに問題はないだろう。

 忍び足することもなく大股おおまたでズンズン進んでいく自斎と弥五郎だが、あちらは変わらず騒々しく、こちらに気付く様子はない。

 残り五間ごけんといったところで自斎が立ち止まり、弥五郎もそれに習って足を止めた。

 自斎が大きく息を吸い込み、そして。

「やあやあ淡海を荒らす不逞ふていものども! 堅田衆の船に手を出すたあなんて阿呆あほうがいたものか! 己等おのれらぶんわきまえず、ただただくわにぎっていればいいものを、人に手を出したがうんき! 御天道様おてんとさま見逃みのがしても、この俺様おれさま見逃みのがさねえ! 越前えちぜん富田流とだりゅうはなれて幾年いくねん近江堅田おうみかたた金剛刀こんごうとう一刀自斎いっとうじさい──」

 滔々とうとう口上こうじょうを上げるおのれの師に、弥五郎は「おお」と感心する。

 相手は素人だろうとんだが数はいる。だというのに真正面からおどりり出て、喚声かんせいを上げるとはさすがきもすわっている。さて、自斎の剣は実戦じっせんではどれほどなのか。いざ──、と、思ったのだが。

「──その弟子、前原まえはら弥五郎やごろうが、貴様きさま全員ぜんいんりにしてくれようぞ!」

「は?」

 おいこのオヤジ、今なんと言った。

「じゃ、あとは任せたぞ弥五郎」

「いや待て」

 なにが「じゃ、後は任せた」だ。

 制止せいしも聞かずに、自斎はサッときびすかえし、あっという間に元いた蒲の茂みに帰っていった。

 その速さはいつの日か、相対したあの富田とだ一放いっぽうよりもなお速い。

 そして、去っていった師匠の代わりに、その場にドンと現れたのは。

「テメエか────」

 どすぐろ怒気どきが混じった、幾陣いくじんもの殺気さっき。弥五郎がゆっくり振り向けば、そこにいたのは刀やら槍やらびょうの打たれた棍棒こんぼうやらを、それぞれ手に持ち肩にかつぎ、そろってひたい青筋あおすじ浮かべた、体格のいい男ども。都合つごう十四人じゅうよにん

 弥五郎はスゥと鼻から息を吸い、腹の底、ヘソの下に送り込む。

「──おれだ」

 腰に帯びた大小だいしょう二つの木刀の内、二尺三寸にしゃくさんずん、定寸の大刀を引き抜いた。

 肩の間から力を抜き、肘を張らず、手は握りきらず。

「前原弥五郎、相手してもらおうか!」


 最初に思いがけず相手したのは、船上で三人、いや足をすくった船頭を含めれば四人。

 正当に仕合をした一放を除いて、次に相手したのは七人の野盗やとう

 そして今度は、十四人の水賊達。面白いように増えている。いつだか五十人相手する日も来るかもしれないと、弥五郎は嘆息たんそくした。だがそんな日が来るかどうかは、

「チァアアアイ!」

 この状況を切り抜けられるかで決まってくる。

フン! ェイッ!」

 叩き落とされる槍の一撃を受け流し、一歩踏み込んで左手をつ。続けざま、腕を擦り上げるようにして男のあごを強かにかちあげた。

 先鋒せんぽう、切り込んで来た刀の男を一刀、頭をかち割った。

 後続こうぞくの男も同じように。

 この槍の男で、三人目。

かこめ、かこめ!」

「チッ……」

 男を三人相手している内に、水賊達が八方はっぽうに散り弥五郎を取り囲む。弥五郎はじろりと周囲しゅうい見渡みわたしながら半周はんしゅう回って舟屋を背にする。

 居心地いごこちの悪い殺気のあらしが、全方位ぜんほういから吹き付けてくる。このまま袋叩きになるか――。

 と、思ったが、男達は固まったまま、殺気を飛ばすが攻めては来ない。はてと思った弥五郎は、一拍おいてと気付く。

 残る連中の得物えもの野太刀のだちやり棍棒こんぼう、さらに長巻ながまき。振り回すには最適だが、囲んでみればその長さが邪魔じゃまになる。

 不用意に挑みかかってあいちになれば元も子もない。

 となればこの場をせいしているのは、むしろ己ということになる。

 それに気付いた弥五郎は、この殺気の嵐の直中ただなかで、大胆不敵だいたんふてきに笑ってみせた。

「な、こいつ──」

 真正面。その笑顔に気付いた野太刀の男が、ほんのわずかに後ろに下がる。

 嵐の一角いっかくが弱まった。その間隙かんげき

ッ!」

「ぐぉえっ!」

 びょうの踏み込み。またたきの速度。例えるならば突風とっぷうの如く。

 木刀を握る拳でそのまま男を殴り付け、吹き飛ぶ体をそのまま追いかけ脳天を叩き割る。

 嵐を割った。このままもう一度囲まれるのは具合が悪い。さてどうするかと思ったのは一瞬いっしゅんのこと。

 ひらけた視界しかいのその先に、都合のいいがあった。

「ぐう……ごぶっ!?」

 弥五郎は苦悶くもんする男を踏み越えて、隠れ家がまのしげみに駆け出した。

「やろう、待ちやがれ!」

「おいこら弥五郎、こっち来んな巻き込む気か!」

 茂みの中からこの状況じょうきょうを生んだ近江堅田どこか一刀自斎だれかの声がするが、無視しらん

 巻き込んだのはそっちだろうと言いたくなるが、

「一刀自斎はそこにあり!」

 と、どこかの誰かの真似をして、茂みの中に突入する。

 腰を落とし、息を潜めて。

 くさける音がする。荒々しい声が合間に聞こえる。

 ──行き場のない殺気の風が、あちらこちらに吹いている。

 息巻いて、やってくる男が一人。

ィッ!」

「ぐぉがあ!」

 無防備な喉元目掛け木刀を刺し立てる。飛び出さんほどに見開いた両目の間を、右の拳で殴り付けた。

 誰も彼もがこの茂みの中、視界がふうじられた中で弥五郎を探す。

 だがしかし弥五郎は、野生的やせいてき感性かんせいと、気配を感じるその天稟てんぴん。二つを駆使くしして周囲を探っていた。

 気配がだだれの相手を探すのは、弥五郎にとって、

ァ!」

「がふっ!!」

 朝飯前あさめしまえのことである。

 いかに装備が強力だろうと森の中に入ってしまえば、山犬やまいぬに人は勝てはしない。

 それに、この茂みの中には自斎もいる。運が悪い奴は、自斎に行き当たってしまうだろう。自斎が逃げてなければの話だが──。

「おい! あそこで長木刀が動いたぞ!」

「あれの仲間か!?」

「あ」

 そういえば、小次郎がいた。こいつはまずいと声をあげた男の方にけば

「せいやー」

「ずぉっ!?」

 ──長木刀を器用に引き抜いて、男の股間を打ち上げる小次郎の姿。

 その振りは強力無比きょうりょくむひながら、吐き出す声はなんとも気の抜けてることか。

「あ、弥五郎さん、ひどいですよ。僕のことを忘れてましたね?」

「……無事そうで何よりだ」

「でぇええええあああああ!」

「うるさい」

 突如とつじょ茂みから飛び上がり、勢いそのままに棍棒を振り落とそうとした男の鳩尾みぞおちに、小次郎が木刀を突き当てる。

 そのまま落下してきた男は、自らその切っ先に身を沈め、泡を吹いて気絶した。

「お前もなかなか達者だな」

「まあ、あなたが来るまであの人の相手をしていたんで。あなたも散々さんざんですね、今回は」

「おいこら弥五郎!」

 うわさをすればかげがあり。二人同時に声をした方を向く。

 すると二人の脇を、でかい男がすっ飛んでいった。

 蒲の叢から出て来たのは、小脇で男を絞めている自斎。

「ったく、お前に任せるつもりだったんだぞ俺ぁ」

「ぐ、ぇ、たす、け」

「うるせえ!」

 男の首を絞める腕に、ぐいとより力を込める。すると男は白目を向いて、「かひゅう」と情けなく息を吐いてそのまま意識を失った。

「弥五郎、何人やった」

「六人。小次郎が今二人やった」

「あれで三人目ですけどね」

「俺は俺は四人だ」

 つまり合わせて十三人。つまり、あと一人────

「ッッ!!」

 三人が、全くの同時にその場に伏せる。合わせたように一瞬遅れ、三人の頭上を殺意さついまとった魔風まふうが吹いた。

 周囲の蒲がられる。淡海の水を吸った草っ葉は、その断面から瑞々みずみずしい香りを発した。

 青々あおあおとして苦味にがみさえある匂いの中に、混じっているのは血の臭い。立ち上がっていた仲間ごと叩き切ったのか。

 自斎が「チッ」と舌打ちをする。

「一人、本物が混ざってやがった。どうりで、あの程度で調子に乗るわけだ」

 むくり、と弥五郎達が体を起こし、大旋風だいせんぷう風上かざかみを見る。

 刀身は目測もくそく三尺五寸さんしゃくごすん、柄は一尺増しの四尺五寸よんしゃくごすん都合つごう八尺はっしゃく大長巻おおながまき

 それを構えるは、七尺ななしゃくもある大男。かぶと胴巻どうまきをしているが、もしかしたら、あれは一部で元は一領いちりょうそろっていたのかもしれない。

「ナムアミナムアミナムミダブツ」

「ずいぶん適当なきょうだな」

「そういう宗派しゅうはもあるのかもしれません」

「いや、ねえだろ」

 男が、その大長巻を脇に構える。どうったその構えは、戦場いくさばを知る者の構えだ。

 背負う気配も尋常じんじょうではない。そこらでのびる男どもとはまるで違う。まるで地獄じごく獄卒ごくそつだ。

「弥五郎」

「なんだ」

「あれはお前がやれ」

「無茶を言う……」

 無茶を言うといいながら、弥五郎はもう一本、大小の小、一尺五寸の木刀を抜く。右手に中太刀、左手に小太刀。二刀をたずさえ、強者にいどむ。

「今度からはいきなりではなく、今のようにやれといってくれ」

「あいあい、ーったよ」

 肩から力を抜き、肘を緩めて手は握りきらず。

 吸気きゅうきたくわ呼気こきととのえ、股関節こかんせつやわららかく。

 足の親指に力を込め────

ィヤッ!!」

 先の突風の突撃とつげきを越える、石火せっか速足はやあし

 同時に、相手の長巻が振り下ろされる!

フンッッッ!!」

 大小二つを十字に重ね、地面から返ってくる力を借りて、長巻のハバキ元で斬撃を受ける。

 ドオォッッッッ!

 骨身ほねみくだけんばかりの衝撃しょうげきが、ずいまでとおって全身にひびく。体が沈む。膝が折れる。

 頭上をみればせまる刃。押しきられれば、このまま頭蓋ずがいが割られるだろう。例え兜をしていても、いとも簡単にるだろう大威力。

 全身全霊ぜんしんぜんれい全力ぜんりょくもって斬撃を受ける弥五郎。奥歯おくばめ、目から血涙けつるいを流さんほどに奮起ふんきして。

 だがしかし、一厘一厘いちりんいちりん、その豪刃ごうじんは近づいてくる。このままでは、押しきられてしまうだろう。

 どうする、どうすれば切り抜けられる。

 弥五郎は己の中に意識を向ける。この場を切り抜けるには、いったいどうすればいい!

 ────ふと、胸の真ん中に、ゆらりと揺れるなにかが見えた。

 赤々あかあかと、ほのかに明るい、小さなほのお、わずかな風に揺られながらも、その炎心えんしんは揺れず。

 その炎の中に浮かんだのは、今朝方けさがた自斎が見せた技。己がされた、あの動き。

「ああそうか」

 はたと気付く。

「振り下ろさせればいい」

 弥五郎はふっと力を抜いた。同時に落ちる、大長巻。

 しかし大長巻は弥五郎の頭をかち割ることなく、地面じめんに深々と突き刺さる。

「なッ!?」

ァアアアアアアアッ!」

 大刀で反らし、小刀で押し込み左に転じた弥五郎は、そのまま薙刀を擦り上げて、男の眉間をち抜いた。

 衝撃と痛みに怯み、視界を奪われる大男。弥五郎は小刀を放り投げ、大刀を両手に持ち、そのままてんくようにかかげ──!

ァアアアアアアアアアアアア!!」

 真っ向から、振り下ろす。

 大刀による唐竹からたけりは、男のかぶとしたたかに撃った。

 戦いの場から、さっきが消える。あたりにるのはわずかばかりの小波さざなみおと

 小波が三度引いたその時、男は巨体きょたいをぐらりと揺らし、仰向あおむけに、倒れ込んだ。

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