第二話 弥五郎の縁

 堅田かたたの西ある小さな山。そこに印牧かねまき自斎じさいがある。

 土間どま居間いま座敷ざしきと縁側からなるごく単純な作りで、元は老いた猟師りょうしが使っていたのを自斎が買い取ったのだという。

 街から離れているが、こちらの方が苦労がない。と、いうのも。

フンっ!」

セイヤッ!」

 バキン、と、木のみきはじける。

 自斎邸の裏手。淡海あわうみはま白砂しろすなかれた稽古場で、弥五郎やごろうは太い木の枝を自斎に振るっていた。

 弥五郎は肌の荒れたを投げ捨てて、稽古場の側に積まれた枝から、を拾う。

 弥五郎や自斎が木刀として使っているのは、ただの太い木の枝から、小枝を削いだ簡単なもの。それを作るための枝が、この山では入手が容易たやすいのだ。なにせ、鉈を片手に山に入るだけで手に入る。

「さすがの怪力かいりきだな。もう一本だめにしたか」

 呵々かかと笑いながら、自身の木刀を肩に乗せる自斎。

 弥五郎は師の刀を見ながら、嘆息した。

 それは弥五郎が使う二尺三寸にしゃくさんすんのより短い一尺五寸いっしゃくごすんで、所々ところどころささくれてはいるものの、折れる様子が全くない。

 そう、折れないのだ。

 さすがに毎日変えてはいるが、自斎に教えを受けはじめて一週間、毎朝の飯前にこうして立ち合うのだが、毎度弥五郎の中太刀なかだちは折れ、逆に自斎の小太刀こだちは折れない。

 これこそが、「近江おうみ堅田かたた金剛刀こんごうとう」の由縁なのだろう

「師匠の剣は、折れないな。ほとんど、受けているだけなのに」

 木刀を構えて自斎と向かい合う。

 そう、この毎朝の立ち合いは、弥五郎が仕掛しかけ、自斎がさばくというものだ。打ちの最中に隙を見せれば当然打たれるが。自斎はいともたやすく、弥五郎の剣をさばく。

「弥五郎よ、お前さん、受けってのがなんだか分かるかい?」

「攻撃をふせぐことではないのか?」

 答えに合わせて弥五郎は剣を振り下ろす。

「いや違うな」

 はらわれて腹を打たれた。

「では、なんだと?」

 痛みをこらえ薙ぎに入る。

「それはな弥五郎」

 受け止められ、り上げられながら手を打たれた。

 奥歯おくばつかを握り、もう一度振り下ろし。

よ」

 横一文字よこいちもんじに構えた小太刀で、その威力を殺された。

 負けじとさばかれぬように、万力まんりきを中太刀に込める。

「相手の心を、殺す?」

「そうだ」

 しかしその力を受けてなお、自斎は身動みじろぎひとつしない。涼しい顔をして、愉快そうに、笑っている。

「攻撃ってのはな、全力を込めるもんだ。ぶっ殺してやるって意気を込めて撃つもんだ。だけどな、そんな攻撃を「なんてこたあねえ。ただの羽虫はむし羽休はねやすめだ」ってツラで止めてやんのよ。そうすりゃ相手はどう思う? 自分の全部を、こいつは笑って受け止めるって思うのよっと!」 

 半身はんみになると同時に、小太刀をかたむける自斎。唐突な転身てんしんに対して、地面まで打たんと力を込めていた弥五郎の太刀は、大袈裟おおげさに見えるほど空振った。そして呆気にとられている弥五郎の顔に。

 バシィン!

「ぐが……!?」

 かわいた音が、木霊こだました。あごを打たれた。頭が揺れて力が入らない。

「俺が越前えちぜんにいた頃にゃあ、それを分かってる奴はいなかった。分かってたのはせいぜい左近サコン宗喜ソウキかお師匠か、それに近しい連中ぐらい。他の連中は、せまる死から身を守る。それが至上しじょう剣技けんぎ念流ねんりゅうより続く御流儀ごりゅうぎだとよ。クソ食らえだな。クソに集るハエかよってんだ。ああそうだ、魚の皮だけ食って出来たクソにたかってるハエだぜあいつらは」

 口からでる言葉はきたならしいが、顔は天日てんじつのごとくさわやかだ。本人から言わせれば、くそまりから抜け出せた、ということなのだろうが。

「いいか弥五郎。刀はを込めて振るうもんだ。意を込められて振るわれるもんだ。その剣を受け止めて、ころす。そうすれば、相手の心を打ちのめしたのと同じなのよ。つことにこそ攻勢こうせいを乗せる。それが本当の「受け」、念流より続く御流儀よ」

 なるほど、と弥五郎は揺れる頭で内容を噛み砕く。

 ようは、防御は身を守るものではなく、相手を攻めせいするものなのだ。こうやって自斎と剣を合わせていると痛感する。

 ならば。

「攻撃こそ、身を守るものなのか」

 ほう、と自斎が顎髭あごひげでた。と同時に、無防備な弥五郎のひたいに小太刀をつける。

「攻撃と防御は表裏一体ひょうりいったい。もともと分けるもんじゃあねえのよ。だがまあたしかに、防御に攻勢を乗せるなら、攻撃にも守勢しゅせいを乗せるもんだ。むやみやたらと打とうとするのは、打たれまいとする心の弱さからくるもんだからな。相手を打ちのめす、そうすりゃ打ちのめされることはない。単純なあことだが、それはつまらん。ただの獣だ」

 一旦いったん区切くぎり、小太刀を弥五郎の額からはずして「良いか弥五郎」と言葉を続ける。

「剣とは心だ。心が揺れれば剣はぶれる。ぶれた分だけ隙になる。逆に心が揺らぐことなければ、相手の攻めを断ち割り、受けすら切り裂く剛刀ごうとうを手に入れることになる」

 さて、と自斎は使っていた小太刀を膝で半分に叩き折る。

「そろそろ飯ができる頃だろ。折った木刀をもっと短くしな。晩飯をく薪にするからよ」

「今日の飯は」

「よかったな。朝も晩も菜粥ながゆだぞ」

 ここに来てから一週間。朝も晩も、毎日菜粥だ。


 朝食が終わった後、「今日は堅田に行くぞ」と自斎が弥五郎と小次郎に言う。

「使うから、を持ってこい」

「わかった」

「わかりました」

 弥五郎と小次郎は土間どま水桶みずおけに自身の茶碗ちゃわんを投げ入れて、奥の座敷ざしきに入る。

 奥座敷おくざしきと言えば家主あるじの部屋という認識があったのだが、自斎は「居間いまの方がひれえ」と居間で眠り、座敷を弥五郎と小次郎のものとしていた。

 座敷は弥五郎が三島神社で与えられていたものと同じ、六畳一間だ。押入れととこの間があり、そこには乱雑らんざつに木刀が数振り置かれていた。これが、自斎のいうだ。

 刀と言えば、甕割はいったいどこにあるのだろう。手入れはちゃんとされているのだろうか。織部から託されたものだし、何より弥五郎は甕割と旅をしてきた。気にならない方が不自然である。

 そういえば、もう一つ。

「小次郎は、ずいぶんと長い木刀を使うな」

 大小二振りを腰にし、もう二振り、小太刀寸のものを自斎のために取りながら問う。

 富田とだりゅうの技は小太刀が中心だ。弥五郎は定寸じょうすんの中太刀を使わせられるが、自斎は小太刀寸の木刀を使う。

 こちらに来てから小次郎が剣を振るったところは見たことがないが、長太刀ながたちの技もあるのだろうか。

「ああ、これはお師様しさまがですね、長太刀相手の立ち回りの鍛練たんれんのためだと使わせるんですよ。正直使いにくいんですが……」

 小次郎は、掛け軸代わりに床の間に置かれた、三尺を優に越える長太刀を引っ張りだし、器用に背負せおって紐でくくる。

 手慣れたものだ、と弥五郎は内心感心した。

「まあ、あまり剣を修めようという気も無いので、構わないのですが。さて、待たせてはいけません。行きましょう」

 自分の刀だけをもって、そそくさと居間に戻る小次郎。

 仕方ない。ここではおれが一番のしただと、刀を持ち直して小次郎の後を追った。


 一週間ぶりの堅田は、初めて来た時と同じようににぎわっていた。

 これからりょうに出るだろう船が浜にめられていて、漁師があみなどを準備している。

「ああ、あいつらだ」

 車座くるまざになっている男達に、自斎は近づいていく。

 その集団の構成はなかなか異様いようだった。略装りゃくそう漁師りょうしに、ととのった着物きもの商人風しょうにんふうの男、羽織はおりまとい、腰に大小だいしょうした武士ぶしもいる。いったいどんな集まりなのだろう。

「きたぞ、お前ら」

「ああ、自斎先生、待っていやした!」

 一団は自斎を見るやいなや立ち上がり、商人風の男は手を揉みながら、武士風の男は大きく頷きながら寄ってくる。

 いったい何事なのだろうか。

やとぬしです」

「雇い主?」

用心棒ようじんぼうですよ」

 曰く、この近江堅田は淡海あわうみ周辺でも有数の街であり、漁師、商人、地侍、この三者の集団が寄り合って束ねている。そしてその一纏まりが「堅田衆」と呼ばれ、自治を行っているのだという。

 しかし近年の戦乱せんらんあおりを受け、淡海外周の村々も独立し始め、対立したり他の船をおそうことが増えたのだという。自斎は堅田衆の用心棒として腕を振るい、新参者をらしめ、代わりに金品を譲り受けているのだとか。

「近江衆には伊豆いず神社じんじゃとか、延暦寺えんりゃくじ本願寺ほんがんじが後ろだてにいたんですが、最近は他国の大名に取り入ろうとしていたり、他の土豪どごう国人くにびとに従おうとしたりする一派も出てきているんだそうです」

「――――伊豆神社?」

 伊豆、その懐かしい名に、弥五郎は目を見開みひらいた。

 伊豆といえば、己がいた場所、弥五郎の故郷こきょうだ。

「ええ、伊豆神社。自分も詳しい由来は分かりませんが、なんでも伊豆国いずのくに三嶋みしま大社たいしゃとか、三島みしま神社じんじゃとか、そこらに因縁いんねんがあるらしいです」

「三島神社だと」

 三島神社。あまりにも懐かしい名前に、今度は仰天ぎょうてんした。

 三島神社と言えば、弥五郎を拾った矢田やた織部おりべが管理する神社であり、自身が一年過ごした場所だ。

 とじの教えいわく、三嶋大社とは国に一つある一の宮というもので、一の宮その国でもっとも大きな神社という。三島神社は、三嶋大社の分社の一つらしい。

 伊豆に三島。遠く離れたこの堅田の地にそんなえにしがあるとは。思わず、弥五郎は東を向いた。

 そんな弥五郎の様子を見て、小次郎は「はて?」といぶかしむ。自斎はともかく、小次郎は弥五郎の来歴らいれきを知らない。

 伊豆がどうかしたのかこうとした時に、話を終えたらしい自斎がやってきた。

「お前ら、ぞ」

 船に乗る。その言葉に弥五郎の肩はびくんとねた。

 ――なんだか今日は、懐かしいことが多い。も、も。

「どこかにいくのですか?」

「ちょうど対岸に、調子のって水賊すいぞくを名乗る連中がいて、懲らしめて欲しいんだとよ。あそこ締めてる奴はこの前やっちまったから、その残党ざんとうか、あるいはその後釜あとがまにすっぽりおさまろうって奴等だろうな」

「それで、船に乗ると」

「なんだ弥五郎、お前船はいやか」

「うん、嫌だな」

 あまりにキッパリと言い切られ、自斎はポカンと口を開ける、

 一年前のことを思い出す。弥五郎はあの三原山みはらやまの噴火から逃れるため船にのったが、同乗した男達に海に突き落とされたのだ。

 お陰で格子こうし一枚にすがりついて海をさまよう羽目はめになった。結果、織部に拾われこうして道が開けたからよいものを、それは結果論だ。サメの餌になっていてもおかしくない。

 堅田まで来るときに渡し船のあるかわにも行き当たったが、船に乗るかどうか、一日悩んだ。結局泳ぐのも恐ろしかったため、船に乗ることにしたのだが、その時は船頭がおそいかかってこないかどうか、じっと船頭を見つめていた―それが鬼もかくやの形相ぎょうそうであり、船頭は三日うなされたのはまた別の話である―。

 とかく。仏頂面ぶっちょうづらの大男が、あまりにも真顔で直截ちょくさい的に言うものだから、自斎も堅田衆も呆気にとられ、口も目もあんぐり開けて固まっていた。波さえも止まっているかのようだ。

 そして、その静寂せいじゃくを打ち破ったのは、以外なところ。

「あは! あはははははははははははは!」

 ずっと口を真一文字まいちもんじむすんでいた、小次郎である。

「なんだ、何を笑っている」

「いやだって、可笑おかしいですよ。うく、そんな形姿なりすがたして船が怖いのは、くくふ、可笑しいです。卑怯ひきょうすぎますよ、くふっ……!」

 笑いをこらえながら反論する小次郎だが、「いややっぱり無理だ」と再びケタケタと大笑いする。

 その様子を見て、弥五郎もまたくすりと鼻をならした。

「小次郎。お前こそ可笑しいぞ。今まで真面目くさった顔をしていたくせに、それきしのことで笑うとは。お前もまだ子どもなのだな」

「いえいえ船が怖くて乗れない弥五郎の方が」

 真面目くさった少年と、仏頂面ぶっちょうづらの男。二人がお互いを笑い合う姿に、男達も連られて笑う。

「ははっ、やっぱり弟子はガキが良い」

 自斎もまたこの笑いの渦に飲まれ、一際大きい笑いを上げた。

 これがぞくを討ちに行こうとする者達かと思えるほどに、笑い声であふれかえった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る