第五話 そして、旅立ち

 その日の夜はちょっとしたうたげになった。

 やれ弥五郎やごろうが人に勝った記念きねんだとか、将来しょうらい大剣豪だいけんごうが生まれたいわいだとか。

 とかく、そんな理由で大騒おおさわぎした男達は、とじに一喝いっかつおこられて、しなびてしおれて三々さんさん五々ごご。酔いはどこへと行ったのか、みんなさっさと帰っていった。

 とじは明かりの始末しまつと戸締まりがあると、境内けいだいを見回りに行き、織部も「私も休む」と部屋に戻った。

 まだ人に打ち勝ったという感覚かんかくのない弥五郎は、宝物殿ほうもつでん床下ゆかしたに行く。

 この身体では自室の床下ではもう狭いと、しばらく前から他の建物より一段高くなっている、宝物殿の下で寝ていたのだ。自室で寝れば良いのにと、若い巫女たちにはあきれられた。

 フクロウがいている。今日は二日月ふつかづき夜明よあかりがない。ぐっすり眠ることができそうだ。

 ゆっくりと目をつぶり、湿気しけた土の冷たさを感じながら眠ろうとした、その時。

「──なんだ?」

 感じたことのない気配けはいが、近づいてきた。

 ころされている。気配がころされている。だというのに、動いている。

 人は意識しなければ気配を殺すことができないが、気配を殺せばその分、そこに違和感いわかんというのが出来る。あるはずのない異物感いぶつかんが、逆にただよっていた。

 気配にさとい弥五郎は、息をひそめて地面じめんに耳をつけた。

 ──足音あしおとが、一つ、二つ、四つ、……七つ。こちらに足早あしばやに駆けてくる。

 そういえばこの前とじが言っていた。ここ最近、ここらで野盗やとうが出ると。まさか。

 ガチン。ゴトリ。

 おもい音がった直後ににぶひろがった。宝物殿の錠前じょうまえはずした音だ。

 ギィイイイ──

 今度は、扉の蝶番ちょうつがいの音。間違いない。これは野盗だ。

 弥五郎は一年前のことを思い出す。

 この宝物殿には、多くの宝が眠っている。その宝はこの神社のものもあれば、氏子うじこが神のためにと奉納ほうのうしたしなもある。

 奪われては、いけない。

 弥五郎はかたわらの木太刀きだちと手頃な石を手にとって、床下からころがり出て、戸前の階段をサッと飛び越えた。

「なにをしている!」

 張り上げた声がひびき渡る。先程さきほどまで、外より暗い床下ばしょにいた弥五郎の目は、宝物殿の中がはっきりと見えていた。

 暗闇くらやみのなかで、異質いしつな影がけい七つ。

 みな一様に、突如とつじょ現れたな闖入者ちんにゅうしゃに動きを止めてしまっていた。

 すかさず、石ころを投げつける。

 一番奥にいた影に当たり、「ギャッ」と短い悲鳴が聞こえた。

「な、なんだ貴様は!?」

「て、天狗てんぐか!?」

 わずかばかりの月影つきかげに照らされた弥五郎を見て、野盗達は上擦った声を上げる。同時に、幾条いくじょうかの線が室内に輝いた。……刀を持っている!

「こなくそっ」

 宝物伝の中に入り、手短に一番近くにいた男のすねしたたかに打ち付けてやった。確かな手応えと、骨が砕ける音。

 続いて勢いのままに、側にいた男の鳩尾みぞおちを一突きにした。人体にめり込むいやな感触が、柄を通して弥五郎の手に渡る。

 二つの苦悶くもんが、暗い室内に不気味に響いた。

「キぇぇあああ!!」

 絶叫ぜっきょうにも近い寄生きせいが、左後ろから弥五郎に迫る。

 とっさに振り向いた弥五郎は、木太刀を寝かせてその袈裟けさりを受け止め、返す刀で肩口を打ち付けた。

 しかし、同時に。

「く、折れたか……!?」

 相手の打ちを止めたときに入った傷が、今ので広がり木太刀が折れた。日頃愛用していたこともある。寿命じゅみょうが一気に縮まったのだろう。

 弥五郎は半分の長さになったそれを、今肩を打った男の脇腹わきばらに突き刺して退いた。

 残る野盗は四人。目に見えるのは二人だけで、さきに石を投げつけた相手と、もう一人はどこかに隠れたようで見当たらない。

 武器はないかとあたりをさぐるが、男の一人がこちらにせまる。

 かたく、おもいなにかが手に触れる。同時に男が刀を振り上げる。

 刀が振り下ろされると共に、そのなにかを振り抜いた!

 キィイイン!

「な、なん──」

 ――相手の刃が、すっ飛んだ。

ッッッ!」

 最後まで口にする前に、弥五郎のどうぎで男の意識は刈り取られた。

 弥五郎の手に、くろきらめく一条ひとすじの光。

 野盗の持っていたどれよりも、一際ひときわするどかがやきを見せる。二尺にしゃく七寸ななすんえる月。

 空に浮かぶ繊月せんげつが、今地上に降りたかのごとく。

 それは神刀しんとう、かつて大甕おおがめごと鬼を切ったという、大一文字助宗だいいちもんじすけむねが太刀。

甕割かめわりか!」

 残る二人が、弥五郎目掛けて駆けてきた。

 内一人が、弥五郎めがけ刀を叩き下ろす。それから一瞬遅れ、弥五郎も甕割を同じように振り払った。

 すると刀と刀が重なりあい、野盗の刀は甕割のしのぎらされ、逆に甕割が相手の上体じょうたいを竹の如くかち割った。

 弥五郎はひざいて、かがむと共に刀を引き抜く。

 屈んだことでもう片割れが繰り出す脳天のうてん目掛けた突きをかわし、逆に、その鎖骨さこつの間を突いてやる。いともたやすく、するりと肉も骨もとおした。

 二人の男達は、絶命ぜつめいを嘆く間もないままに、壊れた人形のように崩れ落ちる。おそらくは、自分の死を気付けぬままっただろう。

「なんだ、これは──」

 弥五郎は、その手に握る刀を見て息を飲む。。そのあじ具合ぐあいちからおと。どれをとっても、この世のものとは思えない。

 振るう自分でも、怖気おぞけが走るほどの出来でき神刀しんとう鬼剣きけんとは、かくなるものか。人が一念いちねん込めた太刀とは、これほどまでに──。

「お、鬼だ、鬼夜叉おにやしゃだ……」

 奥の暗がりから、今にも消えそうなかぼそい声。

 そういえば、あと二人いた。

 弥五郎がそちらに目を向けるが、そこに人影はない。あるのは、大きなかめばかり。まさか。

「甕の中か」

「ひぃっ!」

「ばか野郎、声を出すな!」

 どうやら正解らしい。甕の中と、その後ろにでも隠れているんだろう。

「近頃この辺りを荒らしている野盗というのはお前らだな」

「ゆ、ゆるしてくだせえ! お、おれたちは、こうするしかねえんでさあ!」

 甕の中から、なんともなさけない声がした。許せといっても被害が出ている。それに、見つかれば刀を抜くような連中だ。看過かんかする訳にもいかない。

 とりあえず、織部ととじを──。

「────」

 ちょっと待て、とじは今夜、何をするといっていた。

「お前──ここに入ったとき、女を見たか」

「女……? それはもしかして、あのババアの巫女のことで?」

 ババアの巫女。それは、つまり、この神社では。

「貴様ら──とじを、どうした?」

「へ? え?」

「ま、まってくれ、おれたちは」

 甕割を握る力が増す。からだの内側に、黒いほのおが巻き起こる。ドロドロと、けた鉄のように燃える血が、頭の先まで上ってきた。

 ゆっくりと、ゆっくりと甕に近づいた。

「お、落ち着──」

 ダンッッッ!

 ――甕が割れ、中から血がほとばしる。影に隠れていた男が、「ひぃ」と後じさるが、眉間目掛けて甕割を突き刺した。

 まだ、息をしている奴がいる─乞われても聞くまい─。

「ぎゃあ!」

 まだ、生きている奴がいる─頼まれても助けまい─。

「ゆ、ゆるし!」

 こいつら全員、皆殺しにしてやる────!

「弥五郎!!」

 弥五郎の耳をったのは、日頃ひごろ聞いた凛とした声。血生臭さを和らげたのは、意識をきよめる涼しい香り。

 湯立ゆだった血が一瞬で冷める。その声の、主は。

「と、じ……? 生きて、たのか?」

「勝手に殺すんじゃありません。馬鹿者ばかもの! それより、これは」

 とじは辺りの惨状さんじょうと血の臭いに、「うっ」と小さくうめき、口と鼻を袖でおおった。荘厳そうごんとしていた宝物殿は、酸鼻さんびたる景色が広がっている。だというのに、大甕と甕割を除く宝物の被害は少ない。ただそこに死体が運ばれただけのようにも見える。

 大立ち回りなどではない。弥五郎は、ただ単に、薪でも割るかのように、この者達を斬り捨てた。

「すまない、こいつらに、殺されたかと……」

「待ちなさい弥五郎」

 ふらりと近づく弥五郎を、とじはピシャリと押し止めた。

 弥五郎はぴくりと肩を震わせ、一歩も動けなくなった。

「今のお前に、触れられるわけにはいきません。その血を、まずはそそがなければ。……あとの沙汰さたは、織部さまと決めます」

「さた……?」

「いいですか弥五郎、あなたは、もうここにはいられません」

 

 時刻はすでにうしこくも過ぎていた。

 三島神社の一角いっかくにある屋敷の一部屋。神社の管理者である織部の部屋に、二人の人影ひとかげがあった。

 織部と弥五郎である。弥五郎は、白い小袖に身を通しており、その髪は濡れている。先ほどみそぎだと、水を頭から幾度もかぶらされた。

 織部の手には、先ほどまで弥五郎が使っていた甕割があり、刀身は織部自身によって綺麗きれいそそがれていた。

 寸刻すんこく前まで血を吸っていたとは思えぬほどにみがき上げられ、朱塗の鞘に収められた。おそらく、あれが本来の甕割のモノなのだろう。

「話はとじ殿に聞かせてもらった。その野盗とは、ここらを騒がせていた者共だろう。出仕を起こして、村まで人足を連れてくるよう頼んだ。後の処理は、彼らと共にやる」

 後の処理。弥五郎は七人いた野盗は、一人残らず斬り殺した。頭に血を上らせて、怒りの赴くままに甕割を振った。

「この場所じんじゃに、けがれた者を置いておくわけにはいかない」

 織部は目を伏せ、厳粛げんしゅくに告げた。

 弥五郎はなにも言わない。日頃から、言い聞かされてきたことだ。

 穢れとは気枯けがれに通じ、人を悲しませるものを言う。無闇に人を殺めること、ものを壊すこと、怒りに我を忘れること。とかく、「気が荒れること・荒らすもの」を言う。

 それらをむのが、神社という場所なのだ。

義心ぎしん恩義おんぎからではなく、早計そうけい憎悪ぞうおに身を任せた殺人は、むべきことだ。それは、分かるな?」

 弥五郎が思い出したのは、一年前、あの島を出た船でのこと。

 あの場で弥五郎を殺めようとした男達は、村長にそそのかされ、その場の勢いで弥五郎を海に沈めようとした。

 その時の気配は、本当に恐ろしいものだった。

「とじ、は」

 宝物殿で弥五郎を止めたとじは、織部に弥五郎を任せて消えてしまった。毅然きぜんとしていたが、なにぶんあの惨状である。気を病んでしまったしまっただろうか。最もを受けたのは、とじに他ならない。

「あの人はそう弱くない。ただ、とじ殿は特別とくべつ、穢れることができないお人なのだ。だから、今の穢れたお前と共におくことができない。今、穢れを祓っている途中だ」

 とじはこの神社でも、なにかひときわ重要な存在だというのは薄々感じていた。穢れてはならない存在なら、弥五郎といることはできないだろう。

「おれは、これからどうすればいい」

 弥五郎には珍しく、しおれた声で織部にく。弥五郎の三島神社での一年は、生涯しょうがいのよりどころと思う場所にさせていた。

 ならった剣も字の数も、歳の近い出仕や巫女との話も、あの島では得られないものだった。

 弥五郎のその問いに、織部は逆にたずねた。

「どうすればいいかではない。どうしたいかだぞ。弥五郎。ここにいられないのであれば、お前は何をしたい?」

 ここにいられないなら、どうしたいのか。

 弥五郎は目をじて考える。すると、自分でも驚くほどに早く、頭に浮かんだのはたったひとつ。

「剣」

 目を伏せてぽつりと、しかしハッキリと。

「剣を知りたい」

 目を開けて、まっすぐ織部を見つめて言い切った。

 父がそうではなかったかと言われる剣客けんかくというもの。

 ここで織部に教わった剣術けんじゅつというもの。

 今朝、富田の一放と名乗る者とやった剣の仕合しあいというもの。

 そして今目の前にある甕割に代表する、剣そのもの。

 弥五郎は、剣とはなんなのか。強烈な興味を覚えていた。

「やはりそうか」

 織部は先ほどのけわしかった表情とうって変わり、穏やかな笑顔で弥五郎を見返す。

 まるでそうなることが自然なのだと言う風に。

「しばし待て」と、織部は一枚の紙を取り出して、すみり、さっとなにかを書き上げると弥五郎に差し出した。

「弥五郎。お前は近江国おうみのくに堅田かたたに向かえ」

近江おうみ?」

 国についてはとじとの勉強で教えられた。近江とは伊豆いずから西にある国のひとつであり、東山道とうさんどう西端にしばたにあるという。いわく、海にも似た巨大なみずうみがあり、波も立ち、多くの魚が泳ぐという。

「堅田は湖の西にある街で、よくさかえている場所だ」

「そこには、何があるんだ?」

「私より、はるかにく剣を教えられる人がいる。名を印牧かねまき自斎じさいという。富田流とだりゅうの名手であり、その技を会得えとくはなれ、その技は印牧流かねまきりゅうと呼ばれるほどのものとなっている」

「強いのか」

今朝けさの一放など、赤子あかごのごとくだろうな」

 その例えはいまいちよくわからない。なにぶん、すぐに終わってしまった。

「……それと、これもお前に」

 織部はそういって、かたわらにおいていた甕割を弥五郎に差し出した。弥五郎は目を見開いて、「いいのか」と上ずった声で訊ねる。

「人を斬り殺した刀だ、もう、神刀と呼ぶことはできないだろう。それになにより、甕割は、ただ置いておくのはあまりにもな」

 弥五郎の手に、先ほどの感覚がよみがえる。あそこまで素直すなおに、我が意のままに、いや、思う以上にスパリと断てる刃物はものなどあったのか。

 人には骨もあるし肉もある。その骨身ほねみ肉体にくたいを紙かのように断ち、さらにはあの分厚い甕を、ひびをいれることなく割った。「この世ならざる」とうたえるほどの切れ味だ。

「甕割は、お前と共にいることを望むだろう。ただ神座しんざの前に置かれ、宝物としてえられるよりも、剣士にたずさわれる方がな」

 甕割を手に取る。まるで甕割の方からこちらを掴んできたかのように、やたらと手に馴染んでいる。まるで体の一部のように、手の平に吸い付いて離れない。手のしわ柄糸つかいとのわずかな凹凸おうとつが、噛み合っているかのようだった。

「さて、朝日あさひが出る前にちなさい。お前はここに長くいた。わかれを惜しまれるぞ」

 惜しまれる。それを聞いた弥五郎の頬に、一筋ひとすじ光がしたたった。

 惜しまれるほどに、自分はこの神社で過ごしたのか。あの島で厄介者やっかいものだった自分は、ここでは認められていたのか。

「……こころほのおぎょすのだ、弥五郎。感情で炎をみだすのではない。こころほのおを乱さぬ剣士に、心の利剣りけんこそをあやつれる剣士となったなら、今一度、ここに戻ってこい」

 魂の炎、心の利剣。それが意味するものを、弥五郎はまだ知らない。

「織部、いや、先生」

 頬からは、既に光の筋は消えていた。

 甕割を側におき、両拳りょうこぶしを畳についてうやうやしく頭を下げる。

「いままで、本当に、お世話になりました」

 返事はなかった。ただ「行きなさい」と、言われただけだ。

 しかし弥五郎は気配を読める。大樹たいじゅのように泰然たいぜんとした、そしてどこか柔らかい気配だった。

 顔をあげても、織部の顔を見なかった。手紙をふところにしまい、甕割を腰ひもに吊るして部屋を出る。

 屋敷を出る前に、自室に戻ることにした。この小袖では目立つだろう。褐返かちかえしのものがあったはずだ。というより、その色の方が気に入っている。

 自室の障子を開ける。するとそこには、褐返の小袖に同色の野袴のばかま。旅の備えとして、打裂ぶっさき羽織ばおり手甲てっこう脚絆きゃはんかさ網袋あみぶくろまでそろえてあった。

 いったい誰が、とは思うまい。

 わずかばかりに残った気配。勉学のとき、鼻をくすぐったやわららかいかおり。

 この二つだけで、充分だ。

「さて」

 弥五郎は感慨にひたる間もなく、その装束を身に付ける。

 装着そうちゃくの仕方はこの香りの持ち主に、「いつかのため」と教え込まれた。 

 夏の朝は早い。東の空があおみを帯びている。

 弥五郎は誰かに挨拶することもなく、裏手うらてからひっそりと神社を出る。

 腰に吊るした甕割と、被る笠に手をかけながら通りを避けて小さい道を行く。

 ふと、背後に気配を感じた。優しく包み込むような、甘い香りのする気配。

 しかしそれでも振り返らない。

 その気配の持ち主と再会するのは、まだまだ遠い、先のことだろう。

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