第四話 初めての決闘・後

 弥五郎やごろうが「富田とだ一放いっぽう」に喧嘩を売ったその日の夜。弥五郎は織部おりべの部屋に呼ばれていた。

 ロウソクだけがらす部屋は、とても暗い。

「では手短てみじかに、富田とはなにか教えよう」

 こくり、と弥五郎はうなずいた。実はうたた寝しかけたのを持ち直しただけなのだが、暗さで首肯しゅこうと受け取った織部は話を始める。

 いわく。

 富田流とだりゅうとは京は名剣めいけん中条ちゅうじょうりゅう平法へいほうたんはっし、越前えちぜんにて富田とだによって広まった剣術であるという。

 小太刀こだち名流めいりゅうであり、相手の剣をさばき、制して刺撃しげきするという、受けの技法ぎほうだかい流派。

 本当はやたらとながったらしかったのだが、眠りかけの弥五郎の耳にはいったのはこれくらいだ。

「それで弥五郎。明日どうするかだが」

「ようやくその話か」と、弥五郎は目を見開いて織部を見る。織部の目も、上と下がくっつきそうなくらい近づいている。

 そんなに眠いのならなぜ長々ながながと語ったのか。そもそも明日は早いというのに。

「お前は、剣をただかかげ、振り下ろすだけでいい」

「……なに?」

 それは、いつもやっていることだが。そんなことでよいのかと、弥五郎はいぶかしむ。

 その様子を見て、織部は深くうなずく。否、寝落ちしかけた首をもとに戻した。

「いつもやっていることだから、いいのだ。受けの技法に優れている富田の者に、技巧をらして攻め勝とうとしてはいけない。お前はまだそこまでの技術をおさめてはいない。一放も、かなりの巧者こうしゃだからな」

 その点については、納得だ。自分は剣の振り方しか知らない。一放の腕がどれくらいかは知らないが、自分より上なのは確かだ。

「いいか、弥五郎。お前の振り下ろしは無二むにひとつだ。振り上げて、落とす。それだけに集中すればいい」

 弥五郎はしっかりと首を縦に振る。やることは単純な方がいい。付け焼き刃の奇策きさくよりも、日頃ひごろれた普通の打撃わざだ。

 ふと気づけば、織部が目を薄めて弥五郎を見ていた。いよいよ落ちるかと思いきや、口を開いた。

「大きくなったな、弥五郎」

 この三島神社に来て一年近く。六尺ろくしゃく近かった身長は、五寸ごすんほど伸びていた。定寸じょうすんの木刀が小太刀に見えるほどに。

「字と言葉も覚えた。もう野天狗やてんぐとは呼べんな。お前は明日、一人の男となる」

 ぽそりぽそりと、感慨かんがいぶかそうに語る織部。目を伏して、思いにけているようだ。

 こそばゆく、鼻の頭をく弥五郎。自分がこうなれたのは、織部が拾ってくれたからだ。あの島に居続けては、こうはなれなかっただろう。

 あの時、思わず拝殿はいでんの裏から出たのも、恩人である織部に対する、義を通したかったからなのだ。

「ああ、感謝しているぞ、先生……」

 その言葉を聞いた織部は、ぐっとうつむいた。そして、織部の口からは。

「んぐう…………」

 寝息が聞こえた。

「────ぐんん……」

 ほぼ同時に、弥五郎も落ちた。


「起きなさい、織部さま、弥五郎」

「……んが」

「んがではありません」

「とじか……?」

 水がこおったような、凛冽りんれつとした声が弥五郎と織部を眠りからます。いや、ます。

 どうやらあのまま二人は眠りこけてしまったようで、ろうそくの明かりも消えていた。二人の鼻にただようのは、いつもとじがまとう、清涼とした香り。

 織部はつつーと冷や汗を浮かべながら、とじにたずねた。

「今、何刻なんどきですかな……とじ殿」

「辰の正刻せいこくなにがしなにがし殿は半刻はんこくほど待っておいでです」

 その答えにはさしもの弥五郎も完全に目覚めた。織部も「なに!?」と驚きを隠せない。

「なぜ起こしてくれなんだ!?」

「織部さまが起きてくださらないので、代わりに業務ぎょうむを行っておりました。某殿は先程さきほど対応たいおうしました。先に仕事を片付けたかったので」

「なぜそこで後回しに……」

「彼はあなた達の客でしょう」

 いつもきびしいとじだが、今日はいつもはありそうでないとげがある。いつもは月をうつす冬の池のようだが、今日は水の滴る氷柱つららのように、冷たく鋭い。

「もしかして、怒っているのか?」

「怒る? なぜです。手塩にかけて育てた子が悪い男にそそのされて相手を木太刀きだちで叩くからですか? 神事や祭りならとかく、私闘しとうを神の御前ごぜんおこなおうとしていることですか? そこの織部さまがまだ若い子供をいさめめるどころか私闘に乗り気なことですか? それとも」

「すまない、本当に申し訳ない」

 すっかり平伏し、二人並んでとじへと深々ふかぶか頭を下げる。

 ぐうの音もでない理論を並べ立てられると、頭を下げてしまうものだ。だが。

「しかしとじ殿、分かってほしい。弥五郎は私のために一放へ勝負を挑んだのだ。あなたも、弥五郎がどういう気質タチかは知っているでしょう」

 剛毅ごうき木訥ぼくとつ。己に思うところあれば、それに従う弥五郎の気質きしつ

 それは裏を返せば、己が悪しと思うものには、ぶつかずにはいられない不器用さを示している。

 とじとしては、戦いを避ける柔軟性をこそ養ってもらいたかったのだが。

「ふぅ」と、とじは短い息を吐いた。困ったように眉を下げ、悲しそうに目を伏せて。氷柱の表情の奥にある、うるんだ情が顔を見せた。

「こういうときが、いつか来るだろうとは思っていました。──これ以上待たせるわけにもいかないでしょう。お行きなさい、弥五郎。織部さまも、立会人として弥五郎をよろしく頼みます。食事は用意しておきますので、二人揃って戻ってきなさい」

 とじは一礼し、朱袴しゅばかますそひるがえして部屋の前から去っていった。


「遅い! なにをしていた!?」

 もう辰の正刻もだいぶ過ぎた。

 鳥居前には癇癪筋かんしゃくすじを走らせて、目を吊り上げた一放がいた。手には定寸じょうすんよりやや小さい木刀が握られており、待てど暮らせどいつまでたっても来なかった弥五郎と織部に、腹の虫が収まらない様子だった。

 周りにはどこから聞きつけてきたのやら、食時しょくじというのに見物人が集まっており、まるで祭りのもよおしだ。

「すまん、寝ていた」

 本当のことを、ありのまま包み隠さず直截ちょくせつ的に言い切る弥五郎。

 その一言に、男の堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れて、一周回って纏う気配の温度を下げる。

「寝ていた、だと? 仕合しあいがあるというのに、寝ていた、と」

「すまん、と言ったはずだが」

 あやまったのになぜ怒っているのか。皆目かいもく検討けんとうもつかない。なんとも不可解ふかかいな男である。

 弥五郎は心のなかで「はて」と思いつつ、一放と向かい合う。その手にはいつもの木太刀きだちが。

「では、用意はよろしいか。」

 弥五郎と一放を、真一文字まいちもんじに結ぶ遠間とおま九間きゅうけん。織部はその線の中心あたりに立ち、両者を順に見遣みやってから、後ろに五歩、鳥居まで下がる。

「この仕合は私、三島みしま神社じんじゃの矢田織部が立会たちあいさせていただく」

 そして今一度弥五郎を見て「いいか、振り上げて、下ろすだぞ」と、その視線をもって念を押す。念を送られた弥五郎はそれに気付いたのかどうか、木太刀をゆっくり持ち上げた。高く、高くに持ち上げた。

 そして、頂点に立って、止まったところで、一放の血管は、ぶち切れた。

貴様きさまァ……大上段だいじょうだんだと……!?」

 上段は、攻撃的な構えである。そこからの振り下ろしは、石火せっかの突きを除けば天の雷火らいかはやぶさの如く、最速。

 だがしかし、その太刀筋たちすじ単調たんちょうであり、素人しろうとが使ったところで、腕に覚えがあるものであれば対処たいしょ容易たやすい。

 つまり素人が達者たっしゃ相手あいてに上に構えるとはそれすなわち、「無礼なめている」ということだ。

 少なくとも、昨日から弥五郎を礼の知らない小僧ととらえる一放は、その延長えんちょうとして解釈かいしゃくした。

「では、富田とだ一放いっぽう前原まえはら弥五郎やごろう。両名そろっていざ尋常に────勝負ッ!!」

ャアアアアアアアアア!」

 迫真はくしん気勢きせいが乗った咆哮ほうこうが、一陣いちじん殺意さついとなって弥五郎にびせられる。

 その速さ、疾風はやての如く。

 一間いっけん一足いっそく一瞬いっしゅんに─残り八間─。

 三間さんけん二足にそく一息ひといきに─残り四間─。

 見物人も、その速度を目で追うのがやっと。

 正眼、弥五郎の首についていた切っ先は、そのまま真っ直ぐ弥五郎の喉元のどもとに向かっている。

 このまま弥五郎が突かれて終わり。誰しもそう思った。

 残りの四間よんけん、踏み込んで、終────。

「ごぼっ!!」

 ────一放の頭蓋ずがいに、星が落ちた。

 弥五郎の喉を取っていたはずの木刀は、その弥五郎の首を大きくれ、代わりに、弥五郎が振り下ろした太刀が、まっすぐ一放の頭蓋を割っていた。

 見物人は、なにがなんだかわからない。勝負があまりにも単純すぎて、逆に理解することができない。

 だが、織部からしてみれば、当然で納得の結果であった。

 ただ単に、「弥五郎の剣が、一放の剣よりまっすぐだったと言うこと」だ。

 弥五郎が振り下ろした木太刀が、一放の突きをただ反らしたというだけのこと。

 また、弥五郎の勝因しょういんは他にもある。一放が、弥五郎の木太刀の長さを見誤みあやまったことだ。

 弥五郎の持つ木太刀は、定寸である。だが一放には、弥五郎のその背丈せたけと手の大きさのせいで、短く見えてしまったのだ。平常であれば気付いたであろうが、冷静さをいちじるしく欠いていた。

 勝負は寸の違いにあり。一寸でも読み間違えた側が負ける。

「勝負あり! この仕合、前原弥五郎の勝ちとする!」

 織部が深くうなずき、弥五郎の勝利を告げる。

 当の本人弥五郎は、ただぼうっと、ほうけていた。

「どうだ弥五郎。勝った気分は」

「うん……? そうだな……」

 勝ったと言われても、実感がない。いつも通りのことをやったら、いつも見慣れた景色が現れただけ。それがまきか、人の頭かの違いだが、いて言うなら──。

「割り切れなかったのが、少し悔しいな」

 割り切れなかった。悔しい。それを聞いた織部と見物人の面々めんめんはポカンとし。

「「「あーはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」」」

 一拍いっぱくおいて、入道雲にゅうどうぐもらさんほどに、大笑した。

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