第二話 甕割

 まだあさはやい砂浜を、一人の男が歩いていた。

 はなだ色のはかまの、壮年そうねんの男だ。その前では、男を先導せんどうするように小さな子どもたちが駆けている。

「こっちだよ、神主かんぬしさま!」

「あの島が火をふいて、天狗てんぐをうんだんだよ!」

「いやあ、それは面白い。かみ様が産んだ天狗か」

 神主さまと呼ばれた男は、子どもたちの言葉に穏やかに笑う。人だかりが見えてきた。伊豆大島が十四年前以来、久々に火を噴いたと聞いた見物人だろうが、さすがにあの時の噴火よりも小規模だったらしいし時間もった。

 もうけたと思っていたが、なにやらさわがしい。

「これは、本当に天狗が流れ着いたのかな?」

「おお、神主様」

「神主様、これを……」

 人々が神主に気付くと、道を開ける。人だかりの真ん中には、格子を掴んだ大男が、ぐったりと寝転ねころんでいた。

 男は何かの獣の毛皮を着ており、髪はボサボサに伸びきっていた。

 なるほどこれは。

「天狗だな」

 くつくつと、楽しそうに神主は笑う。

「ただ眠っているだけのご様子だ。天狗か人かはともかく、捨てはおけない」

 神主は男たちに頼んで天狗を担がせ、きびすを返して神社に帰った。

 天狗はまだ、眠っている。


 弥五郎やごろうが目を覚ますと、屋根があった。

 体がぬくい。なにかに包まれている。着物きもののようだが、ふわふわとしていて、かなり大きい。

 このふわふわが「綿わた」という素材で、この着物が「かいまき」という寝具だということを、弥五郎はまだ知らない。

 辺りを見回す。草をんだらしい床─あとで知ったがたたみというらしい─。板が互い違いに並んでいるへこんだ壁─とこだそうだ─。紙を張った格子─障子しょうじである─。見たことのないものばかりだ。

「おや、起きたかな」

「っ!」

 弥五郎はかいまきをはらいのけ、がまえる。

 気配に敏感びんかんな弥五郎が、接近に気付くことができなかった。

 障子が開くと、見たことのないほど上等な服を着た男がいた。そこで気づく。自分もいつもの毛皮ではない。小袖こそでだ。丈があっておらず、下はふんどしがほぼ丸だしだ。

「あのもう毛皮はだめだな。海水にやられてしまったよ」

 穏やかそうで愛嬌あいきょうのある、人をなつかせるような笑顔の男。

 弥五郎が、今まで感じたことのない気配だ。父に近いような気もするが、母にも近い。それでいて、そのどちらよりも、深い。

「失礼。私はこの神社の管理をしている。矢田やた織部おりべという。君はなんというのかな」

 織部は部屋に入らず、板間─広縁ひろえん─に座する。この部屋を弥五郎の「なわり」として、自分は一線を画しているという意思の現れだ。

 敵意はない。そう断じた弥五郎は、腰を下ろす。

「弥五郎。三原みはらやまの前の原に住んでいた、弥五郎」

「ふむ、前の原の弥五郎……前原まえはら弥五郎やごろうか。いい名前だ」

 織部は口の端にえくぼを作りながら、にっこりと笑って見せる。

 ここまで穏やかな男は、弥五郎は見たことがない。「神主」というのは、みなこのようなものなのか。

「ここ、は」

「ここは三島みしま神社じんじゃ伊豆いずのくに伊東いとうにある神社だよ。弥五郎、歳はどのくらいだ?」

「……三原山が、火を噴いた日に生まれた」

 その言葉に、織部は目を見開いた。

「それは今朝けさがたのことだろう? まさか君は、本当に御神火様が産んだ天狗なのか?」

 弥五郎は「ここでも天狗か」と、あきれてため息を吐く。

「今朝のじゃあない。もうひとつ前の、もっと大きいやつだ」

「もうひとつ前というと……じゅうねんまえだね」

「それくらいだ」

 そうは言いつつ、十四年も前のことなのかと弥五郎は内心ないしん感慨かんがいぶかかった。弥五郎は、数を数えない。

 十四と聞いた織部は、今一度目を見開いた。

「十四でその体躯たいく。よほど神に愛された者なのだろうな」

 織部の言葉で、弥五郎は口をへの時に曲げ、不機嫌ふきげんそうに奥歯を噛み締める。

罪人ざいにんの子だ。神とやらに愛されるはずがないだろうよ。俺は島中の厄介者だ」

「と、言うと?」

 正直、このように興味を持たれて笑顔を向けられるのは慣れていないし、人と長く話すのもあまり好かないのが弥五郎だ。突き放してやろうと、自分がどういう親から生まれ、どういう扱いを受けてきたのか、そして、どうしてここまで流れ着いたのか、それを語り始めた。

 ……だがしかし、弥五郎は気付いていなかった。人と話すのが嫌なのに、止めなく、ひたすら喋り続けていたことに。

 織部はその話を、にこやかに聞き続けていた。

 全て話し終える頃には、弥五郎の眉間のシワが、いくらか柔らかくなっていた。

 今まで黙っていた織部がにこりと笑う。

「弥五郎、お前は今、心のかめったのだ」

「甕を、割った?」

 おうむ返しのその言葉に、織部は深く相槌あいづちを打つ。

「今まで言わずに心の甕に収めていた不満を、お前は今、その甕を断ち割って吐き出した。どうだ、身が軽くなっただろう」

 弥五郎は、己の手を目の前まで持ち上げてみる。動きは大して変わらないし、疲れというものもない。ただ、少しだけいつもより、に感じた。

「弥五郎、お前は剛毅木訥ごうきぼくとつした男なんだな」

 知らない単語に、弥五郎は「なんだそれは」と首をかしげる。

「己の心に素直で、決して曲げぬ強さを持つ者のことをそういうのだ。さて、遅くなったが朝食としようか」

 織部が立ち上がり、「弥五郎も来い」と促す。

 弥五郎は一瞬戸惑とまどったが、のそりと立ち上がり、広縁に出た。

 空を見上げる。伊東の空は、あの島より遥かに広かった。


「弥五郎、弥五郎はいるか」

 織部に拾われてから半月ほどった。行き場のない弥五郎は、三島神社の世話になっていた。

 ある朝、織部が弥五郎に与えた六畳ろくじょう一間ひとまの障子を開けるが、弥五郎がいない。

 織部は「やれやれ、またか」と苦笑して、広縁を二、三度、踏み鳴らす。

 するとガコンと広縁が揺れて、床下からのそりと、庭に大きな影がまろびでた。弥五郎である。

 あさぐろい肌に、灰色の小袖をまとっているが、小袖は土ぼこりで茶色ちゃいろく汚れていた。

「せっかく部屋を与えたのに、いつも床下ゆかしたで寝るのだなあ」

「こちらの方が、落ち着く」

 土ぼこりを払いながら、弥五郎は答える。もと住んでいた場所が場所だけに、床下のような薄暗く狭い場所の方が馴れているのだ。

「今日は、何をすればいい」

氏子うじこからの奉納ほうのうしたいという品が昼前に来る。宝物殿ほうもつでんの整理をしたいので朝飯前に手伝って欲しい」

「わかった」

 織部に拾われて以来、弥五郎は三島神社の手伝いをしていた。普段からまきを割るだけの生活だったから慣れないことばかりだが、逃げ出しても行く場がないし、なにも考えずに体を動かすのは嫌ではない。

 織部に連れられ、宝物殿に向かう。たしかくだんの宝物殿は床下が高くなっていた。普段寝泊ねとまりするあそこよりも、あちらの方が快適かいてきかもしれない。

「あ、天狗だ!」

 参道さんどうに出ると、神社に遊びに来ていた子どもたちが弥五郎を指差してそういった。こちらでももうすでに天狗で定着してしまったが、あの島の天狗呼ばわりよりか、ましな意味を弥五郎は感じた。子どもに囲まれ、よじ登られることもあるし相撲すもうを仕掛けられることもあった。

 誰とも遊んだことのない弥五郎は最初は困惑したが、もう馴れた。

 もはや天狗という呼称に眉を寄せることもなく、織部のあとを着いていった。

 宝物殿は本殿ほんでんの左奥、奥殿おうでんの手前にある高床式の古いものだった。窓は格子こうしかぎなど細工がされ、しかも小さい。出入り口もしっかりとした錠前じょうまえかんぬきと、厳重げんじゅうだった。

 織部が錠と閂をはずして門を開けると、暗くひんやりとした空間が広がっていた。やがて門から入った光が宝物殿内全体を照らし出すと、いくつもの宝物が並んでいるのがうかがえた。

 きらびやかな単衣に、舶来の陶器。巨大な甕に誰かが描いた巨鳥の絵、重ねられたいくつもの巻物。他にも大小様々な桐箱きりばこがある。

 とはいえ、弥五郎にそれらの価値はわからない。せいぜい「きれいだな」や「大きいな」と思う程度だし、なんの興味も引かれなかった。──一つを除いて。

「───」

 弥五郎は、に目を奪われた。

 長さにして、二尺にしゃく七寸ななすん九寸きゅうすんつか、合わせて三尺さんしゃく六寸ろくすん。二尺七寸を覆う白鞘しろさやは、内に庇護ひごするやいばの大きさを物語ものがたる。絢爛豪華ごうかけんらん財宝ざいほうの中にありつつも、異様いよう威容いようを発するそれは、だがしかし浮くことはなく、正しくとしての気配を漂わせていた。

「織部、これは────」

 思わず、織部にう。弥五郎に背を向け桐箱の中身を改めていた織部は振り向いて、「ほう」と目を細めた。「それを見初みそめるか」と、口のにえくぼを浮かべながら。

「それこそは、この三島神社の秘宝のひとつ、神刀『甕割かめわり』という」

「カメワリ」。その名を聞いた瞬間に、弥五郎の内の何かに、ヒビが入る。

 織部いわく。


 時は鎌倉かまくら、この伊東いとう干魃かんばつが続いたある年。私より何代も前の神主が、

「この日照ひでりはなにかのけがれのせいであろう。穢れをる刀が欲しい」

 と、とあるかたな鍛冶かじ神前みさきそなえるに相応ふさわしい太刀たちをと頼んだ。

 その刀鍛冶は名工揃いの備前びぜん一文字いちもんじ。その中でも、後鳥羽ごとば上皇じょうこう御番鍛冶ごばんかじの一人、一文字いちもんじ助宗すけむねという男だった。

 助宗は備前よりこの伊東に訪れ、身をきよめて神前にさんじること四十しじゅうにち。ついに神意しんいを得てち上げたのが、この太刀である。

 神前に披露ひろうするために、誰の手にもつかぬよう縄に結ばれ、神酒みき並々なみなみ注いだ甕と共に差し出された。

 すると、あろうことか太刀は縄からするりと抜けて、神酒の入った甕を竹のごとくすぱりと断ち切った。こぼれる神酒が御台みだいを濡らし、神主や見物人たちが驚く中助宗は、

「日照りの悪鬼あっきが酒にさそわれたのを、神がこの太刀を持ってして甕ごと割ったのである。この酒が神前を濡らしたように、この地には雨が降るだろう」

 と断言し、助宗は伊東を後にした。

 間もなくして、この土地に久方ぶりの雨が降ったという。

 そしてこの太刀は甕割刀と名付けられ、三島神社の宝物となったのだという。


「鬼を切った刀か」

「甕を割った刀だよ」

 織部は「神が振ったかは分からない。鬼を切ったかは分からない。ただひとつ確かなのは、甕を割った刀ということだけだ」と、神主らしからぬ発言をする。信心しんじんぶかい織部だが、いつもとなにか、様子が違う。

「この甕割も、手入れをしなければならないな」

 織部は桐箱にふたをして、おごそかに歩みながら甕割を手に取り、鞘から引き抜く。

 その刃は大きく、刃肉はにくあつく、ほの暗い宝物殿のなかにはいるわずかばかりの光を吸って、まるで燃えているかのような目映まばゆい輝きを放っていた。まさに神刀しんとうといっていい威風いふうだが、ただ鞘に秘めて飾っておくには惜しいほどに、実戦に耐えうるだろう姿をしていた。

 織部は唾を飛ばさぬように口を真一文字に絞め、薄目になって刀身を見やる。

 弥五郎はハッと息を飲んだ。

 織部の刀を持つその姿が、やたらと様になっていたのだ────。


「弥五郎、時間です」

「とじ……」

 宝物殿の片付けをしていると、りんとした声が中にひびき、さわやかな甘い香りが広がる。

 長い髪を中分けにした、目付きが刃物のように鋭い、巫女装束の妙齢みょうれいの女。

 若い巫女たちや遊びに来る子どもたちが、「とじ様」と呼びしたう巫女の長である。

 そしてこのとじ様が、弥五郎の「教育役きょういくやく」であった。

「そう嫌そうな顔をするのではありません。今日は字を五十ごじゅう、覚えてもらいます」

「この世にはそんなにも字があるのか」

「五十など松葉まつばの内一片ひとひらのようなもの。字は多数あります」

 弥五郎は島の、そのまた山育ちであり、母は流人の子でまともな勉学をしておらず、本土にいたらしい父も弥五郎に薪割り以外の知恵を与えることはしなかった。

 当然の帰結というか、弥五郎には生き抜くための「学」が足りない。

「あなたは覚えはいいのです。部屋に行きますよ。よいですね、織部さま」

「わかりましたとじ殿。ですが、今日は早めに終わらせてもらいたい。弥五郎に薪割りを頼みたいのです」

 とじのまえでは、なぜか神主の織部も下手に出る。

 薪割り。そういえば久しくやってなかった。おそらく織部が島での生活を忘れさせてくれるように、島でしていたその仕事を意識して避けさせていたのだろう。

 薪割りで生きていたことは、あの日織部には話していた。

 とはいえ弥五郎も薪割りは嫌いではない。むしろなれた仕事だ。苦労もなにもないし、文字を覚えるよりもそっちのほうが何倍もましだ。

 だが。

「わかりました。では早く終えられるよう、今日はきびしくいきましょう]

「いつも厳しいと思うのだが、あれ以上があるというのか」


 その日の夕刻ゆうこく日暮ひぐれ前。

 なんとか字を五十─その過程でさらに十─覚えた弥五郎は、なたを手にして屋敷の裏手にいた。

 眼下には質のいい小振りの丸太。これを二、三に割って手頃な大きさにするのであるが、弥五郎にとっては慣れたものである。

 弥五郎が鉈を両手で持ち、高く掲げる。

 握りきらず、肘を張らず、肩を緩め、無心に真っ直ぐ、振り下ろす。

 コーン。

 振り風に遅れて、甲高い音がなった。久しぶりだが、できている、だが少し力が入ったかもしれない。割面われめんが荒い。

 今の感覚、出来を忘れて、新しい薪を立てる。薪を割るときは無心、上手くできたことも、失敗したことも忘れ、目の前の薪を見て割るのだ。

 コーン。

 先程よりも、いい音がした、今度の割面は、滑らかだった。


 コーン──、コーン──。

「弥五郎め、いい音を出すな」

 太陽が西に沈む頃、神主の仕事を終えた織部の耳に、薪割りの音が響く。心地のいい音だ。さすが生業なりわいにしていたことだけはある。

「どれ、様子を見に行ってみるか」

 そろそろ夕食もできる頃だ、と、織部は屋敷の裏手にいる。

 弥五郎が、ちょうど薪をたてていたところだ。これはキリがいい。

「おーい、弥五ろ──」

 織部は、言葉を失った。

 鉈を高く掲げる姿。力みのない立ち姿。整った重心。そしてなにより、曇りひとつない無心の瞳。

 正しくそれは、

かぶとり──」

 真っ直ぐに、ぶれることなく振り下ろされた鉈。割られる薪。

 織部にはそれが、「刀」と「頭蓋ずがい」に見えた。

 織部は「コーン」という薪の割れる音でハッと正気を取り戻し、こわばった左肩を揉みながら、弥五郎を呼ぶ。

「弥五郎」

「織部、いたのか。薪はできたぞ」

「それは父に教わったのか?」

 唐突なその問いに、弥五郎は目を丸くしながらも「そうだ」と答える。

「それがどうした」

「お前の父は……剣客けんかくだったのではないか?」

 一陣の風が、木々を揺らす。

 弥五郎、十四歳。「剣客」というものを知る────。

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