3分間では短すぎる

静嶺 伊寿実

宇宙へ移住した人の会話

「ねえ、地球での最後の三分間はなにやってた?」

 マルティーナが湖に映る太陽を見ながら尋ねてきた。リアムは、マルティーナとキャシーとオリバーと四人並んで観賞用の柵に捕まったまま、マルティーナに耳をかたむける。

「最後の三分って、もうアイランド・シャトルに乗っていただろ」

 オリバーが片手を肩まで上げて、茶々を入れる。

「そうじゃなくて、シャトルに乗る前の三分よ」

 マルティーナは耳に髪をかけて補足した。

「そうだな、俺は写真を撮ったな。青空とか雲とか、空の写真ばかり撮ってた」

 オリバーが懐かしそうに上空の黒い半透明なパネルを見ながら、笑顔で答えた。

「私はこの目に地球の光景を焼き付けていたわ。風がそよそよ吹いていて、気持ちよかった。ここじゃ風なんてないもの」

 キャシーが全く揺れない湖面こめんを見ながら呟いた。濃いアイシャドーの奥には地球の光景が映っているんだろう。

「みんなやっぱり地球の景色なのね。私は空気を目一杯吸ったわ。人工的な空気じゃなくて、新鮮な空気はこの先なかなかもう吸えないものでしょ。ほこりっぽい匂い、暖かい太陽の光、川の音、それらを自分の胸にこれでもかというくらい吸い込んだわ」

 マルティーナはきらきらした瞳で楽しそうに話した。たしかに、ここにはそういう匂いや音は無い。人工的に作られた環境では気持ち良さも格段に違うだろう。

「リアムは何をしたの?」

 マルティーナが赤い口紅でほほえみながら問いかけてくる。リアムはこれしかないだろう、と自信満々でこぶしを作って答えた。

「僕はトイレだね!」


 ここはスペース・アイランド、通称「宇宙の島」と呼ばれる地球と月の間にある居住区。地球の外に居住地を探した人類は、最初に月での生活を構築しようと考えたが、月の温度差がひどいため住むことが非常に困難であると判断した。

 その次に実行されたのが、国際宇宙ステーションの大型化だ。各国の協力で大型化に成功し、国際宇宙ステーションは「宇宙の島スペース・アイランド」と名前を変えた。

 宇宙の島スペース・アイランドはコマのような形で、ゆっくりと宇宙の島スペース・アイランド自体を回して、疑似ぎじ重力を作っている。宇宙の島スペース・アイランドは大量の水を湖としてたくわえて、その水を化学反応させることで空気を作り、宇宙の島スペース・アイランドの外側に降り注ぐ太陽光で電気を作っていた。そのおかげで緑地化や農作物の生成、さらには酪農や畜産にも成功し、宇宙の島スペース・アイランドは徐々に自給自足ができるようになった。

 生活環境が安定したことで、宇宙の研究をしたい人を始めとして、紛争や権力争いに疲れた人々が集まり、今や千人ほどが宇宙の島スペース・アイランドに住んでいる。

 宇宙の島スペース・アイランドの空は、強い太陽光をさえぎるために太陽光発電を兼ねた、紫外線や熱を吸収するパネルになっていて、例えるならサングラスで太陽を見るようなぼやけた光が、リアムたちを照らしていた。強すぎる太陽光は毒だが、太陽光無しでは人も植物も生きていけないため、こうした黒いパネルを宇宙の島スペース・アイランドの上部に敷き詰めることとなった。

 だが、快適そうに見える宇宙の島スペース・アイランドにも問題があった。重力である。

 遠心力を利用した疑似ぎじ重力は地球よりずっと軽く、家畜を飼育する場所など地球と同じ重力を必要とする一部分の場所のみが、施設ごとに強く速く回転することで地球と同じ重力を発生させている。


 そして重力の事情はトイレでも課題となっていた。

 かつて国際宇宙ステーションでのトイレは過酷なものだった。吸引したり、バッグを下半身に当てたり、事情によっては一時間弱もトイレに時間がかかることもあった。重力の小さい宇宙の島スペース・アイランドでは同じような過酷な試練を課せられないと考えた研究者たちが、宇宙でのトイレ環境を改革した。

 宇宙でのトイレは、排泄物がお尻についたり飛び散らないようにすることが目的である。

 最初に開発されたのは、便座をお尻にはめる形にし、便座に体を手すりレバーで固定し、便座ごと高速横回転させた。遠心力で綺麗に使えるよう目指したのだが、これは酷い乗り物酔いと結局はお尻が汚れてしまう、ということで試作段階で中止された。

 次に開発されたのは、観覧車とジェットコースターをイメージしたもので、便座に座って体をベルトで便座に固定させ、レバーを引くと便座がレールの上を時計のように上下に回って、排泄物がきちんとトイレの水に入るようにした。例えるなら、地球でバケツを持った腕をぐるぐる回す感じである。この方法は思いのほかうまくいった。だが、レールを設置する空間が、従来のトイレの十倍も必要となり、生産されたもののあまり普及せずに終わった。

 次にトイレの個室そのものを回転させるものが開発された。ベルトで便座に体を固定させることは変わらなかったが、レールに比べて少ない面積で作られるようになり、そこそこ普及した。けれど回転させるのに多くの電力を必要とし、経費がかかることが問題になった。

 そこで最終的に作られたのが、自力でトイレの個室を回転させる方法だった。便座に自転車のペダルが取り付けられ、使用者はぎながらトイレをする。大変に思われ、最初は非難ひなん轟々ごうごうだったが、意外とこれがヒットした。足を動かすことで、低重力では排泄しにくい体の悩みを解決し、しかも電力がかからないので、今ではほとんどの家にこのタイプのトイレが取り付けられている。


 だがリアムの考えは違った。地球で生まれた人類は、地球でするトイレこそが最も気持ちが良いと考えた。

 そこで最後の三分間をトイレについやすことにした。

 まず事前計画を立てる。地球のトイレでしたいことは沢山あった。新聞を読む、漫画を読む。かつての地球のトイレでは煙草を吸うのがステータスだったらしく、煙草も買ってみた。それと温かく人肌ひとはだに優しい便座に手をついて逆立ちしてみる、前後逆に座ってみる。どれも魅惑的で絞り切れなかった。


 そうして、宇宙の島スペース・アイランドへ行くアイランド・シャトルに乗り込む前の最後のトイレチャンスとなった。リアムは悩んだ。新聞や漫画を読む時間は無い。煙草は前に一度試してみたが、トイレ内が煙たくなるだけだったので、リアムには向かなかった。

 残りは逆立ちと前後逆。迷いに迷って、リアムは普通に座って存分に地球での最後のトイレを満喫することにした。

 トイレの個室に入ると自動で便座のふたが開く。温かい便座に座ると、まるでベッドの中のような安心感があった。排泄をしようとする、が、出ない。宇宙へ出発する前とあって、緊張で便秘気味になっていたのだ。焦った。このまま満足できないで宇宙へ行ってしまうのか。力をこめる。時間も無い。

 あと三分。三分で目的を達成できるのか。リアムに冷や汗が浮かぶ。トイレに行ったまま置いていかれるのは本望ではない。リアムは頑張った。時間が刻々と過ぎていく。はなかなか出ない。仕方なくウォシュレットのボタンを押した。刺激が来て、リアムは「やはり地球のトイレは素晴らしい」と恍惚こうこつになりながら、踏ん張った。そして、ついに目的を達成した。


「僕はトイレを出てガッツポーズしたね。やっぱりトイレくらいは落ち着いてしたいよ」

 他三人のマルティーナ、キャシー、オリバーはぽかーんと口を開けている。リアムは「そんなに感心してくれるのか。普通の人には思いつかない素晴らしい最後だよな」と満足した。


 リアムは宇宙の島スペース・アイランドの新居に帰宅した。リラックスすると便意を感じる。リアムは新住居のトイレでぐるぐる回されながら今日も排泄をする。

 こんなトイレは落ち着かない! やっぱり地球でしたい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

3分間では短すぎる 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説