最後の時ぐらいゆっくりと……
ふろむ
最後の時ぐらいゆっくりと……
「最後の時はゆっくりと過ごしたい」
世界が終わる直前。
大抵の人は、誰かと過ごしたいとか、美味しいものを食べたいなどの願いを抱いているだろう。
しかし、俺は違っている。
というのも、俺は生まれてこのかたゆっくり過ごしたことがない。
学生の頃は勉強漬けの生活を送り、就職後はこの会社で決まった仕事を決まった時間内に終わらせる。それはまるでロボットのような生活を送っていた。
そういうこともあって、俺は最後の時ぐらいはゆっくりと過ごしたいと考えている。
そんな俺の元に転機が訪れる。
「あと残り三分で、世界は終わります」
唐突に頭の中に響いたそのお告げはなんとなくしっくりきて、それが真実なのだと頭ではなく心で理解していた。
三分間だけ待ってくれるとはどこか大佐なみに心が広いなと思いながら俺はこれからやることを考える。
三分後に世界が終わるという状況になったら何をやるなんてこと、俺は一度たりとも考えたことがなかったため戸惑いを感じる。
しかし、やることを考えている間もタイムリミットは非常にも刻々と迫ってきた。
「あぁーーーーーー!」
とりあえず時間を無駄にするのはもったいないと思い叫んでみる。
俺の声は静まり返りキーボードを打つ音だけの社内に響き渡った。同じ部屋で仕事をしていた人全員が俺に注目する。
これほど注目されたのは何十年ぶりだろうか。
小、中、高、大と地味な生徒として生きてきた。そのせいか、その突き刺すような視線を浴びるだけで変な汗が出る。
「あのどうかしましたか?」
その異常な発汗を心配に、はたまた、俺の奇行を不気味に思ったのか、いつも隣の席に座って仕事をしている
彼女は社内では可愛いことで有名な去年入社したばかりの新人だ。
この社内全ての男性社員は彼女にメロメロだ。少し前までは俺も例外ではなかった。
しかし、俺は知ってしまったのだ。
彼女が裏でコソコソ俺たちのことをキモいキモいと言っていることを。
それを知って以来、俺は彼女にいい印象を持っていない。
世界があと三分弱で終わるのならば、この場でブスや腹黒などのなんの捻りもない罵詈雑言で彼女を罵ることもありだと考える。
しかし、残り僅かな時間を人を蔑むような無駄な行為で使いたくはなかった。
俺は心配する彼女を押しのけて廊下に飛び出す。
向かう先はただ一つ。このビルの23階。つまり、今いる部屋から2階層上にある社長室だ。
廊下を右に曲がってすぐにあるエレベーターホールに行く。
いつもならゆっくりエレベーターを待つところだが、今はその時間さえ惜しい。
エレベーターのとなりに据え付けてある非常階段の扉に手を掛ける。
扉はずっしりと重く、扉を開けるだけで運動していない俺からしたら筋肉痛になりそうだ。
そんな貧弱な体に鞭を打って階段をのぼる。2段飛ばしを用いて過去最高記録並みの速さでのぼりきる。
「火事場の馬鹿力……みたいなもんか?」
必死になることで発現する力。そういう意味ならば火事場の馬鹿力と言えるのかもしれない。
そうこうしているうちに、俺は社長室の前に到達する。
高鳴る鼓動を抑えて軽くノック。なんのアポも取っていないため最悪の場合、社長はいない。
しかし、幸運なことに返事が返ってくる。
第一関門を突破したことに安堵しながら俺は胸を押さえて部屋の中に入る。
「君は……」
意図していた人物とは違っていたのか、社長は文字通り目が点になっていた。
それもそのはず、社長にとって俺なんて何百人もの有象無象の中の一人にすぎないのだから。
しかし、社長の混乱に付き合っている暇などない。残り時間は二分をきっている。
「唐突に言います。社長」
社長。そう呼ばれて、彼は初めて俺が自分の社員なのだと気づいたころだろう。
大きく息を吸い込み俺は彼に宣言する。
「この会社を辞めます」
その宣言とともに俺は胸ポケットにずっとしまい続けていた退職願を社長に叩きつける。
退職願は普通ならば直属の上司につきつけることとなっているものだ。
しかし、どうしても自分の口から社長に言いたいことがあったので直々に渡しに来たというところだ。
「俺は機械のパーツじゃないんで」
たった一言。されど、さまざまな意味を込めた一言を残して俺は部屋を出る。
その後、元来たエレベーターホームまでダッシュ。その間笑いが止まらない。
呆気に取られた社長。あの表情を見れただけで俺は満足だった。
ボタンを素早押し、エレベーターが来るのを待つ。そのじれったい時間すら心地よく感じる。
残り時間はあと一分も残っていないだろう。
ずっと俺は最後の時ぐらいゆっくりと過ごしたいと考えていた。
実際は普段とは打って変わって大胆な行動ばかり。まるで人が変わったようだ。
しかし、今まで腹の奥に溜め込んでいたものを吐き出すのは気持ちがいい。どうせもうすぐ終わるんだ。最後の最後まで自分を解放するぞ。
そう考えると次から次へとやりたいことが思い浮かぶ。
「へっ。やりたいこといっぱいあるじゃねぇか」
いつも死にたいと考えていた。いつも消えたいと考えていた。
それなのに、実際に死の時が迫るとこんなにもやりたいことが出てくる。それとともに大粒の涙が瞳からこぼれだす。
どんなに辛くたって流れなかった涙。それがついに地面に落ちる。
残り十秒。終わりへの秒読みが始まる。
九、八、七……。
俺の中。最も深いところにある願いに目を向ける。
六、五、四……。
それは誰もが持っていて表へと出さない願い。
三、二、一……。
「死にたくない! まだ生きていたい!」
*
腕時計の針が止まる。
しかし、とうにゼロを超えているはずなのに俺の周りにそれ以外の変化はない。
どういうことだ。俺の時計がずれていたのか……。
そう思い腕時計を見る。
時計の秒針は、きっかり12のところで止まっていた。
「本当に大丈夫ですか?
俺の目の前には八方美人の三田 実里さんが立っていた。
「“死にたくない。死にたくない”って何かに怯えてるようですけれど……。私でよければ力になりますよ」
それを聞いた途端、俺の顔は真っ赤になる。
俺の願いを聞いていたのか。どこから。いつから。
俺の脳は沸騰し、先ほどまでの死の恐怖はどこかへ消えていた。
「ああっと……。あれは」
うまく言葉が出てこない。とうに思考は限界を迎えオーバーヒート状態になっていたのだ。
ーー俺は生きているのか。
当然の疑問が頭をよぎる。じゃあ、あのお告げはなんだったのか……。
ーーまあ、生きているのならいいか。
さっきまでの奇行からして俺はもうこの会社にはいられないだろう。
嘘のお告げに踊らされて今まで積み上げてきたものすべてを失った。最悪だ。
だが、失っただけじゃない。
俺はそれと同時に自分を覆っていた嘘に塗れた殻を破り捨て、新しい自分になることができたのだ。
これから先は、今までの安定はないだろう。けれど、今までのような嘘のない自分を晒け出せる気がした。
「あの……。無視しないで欲しいんですけど……」
目の前で俺の手をずっと握っていた実里さんが困ったように笑う。
その顔に向かって、
「腹黒!」
やりたいことをやると決めた俺は目の前の彼女に向かってずっと言いたかった悪口をぶつける。
そして、その整った顔に似合わないあんぐりと口を開いた彼女の手を振り払い、俺はエレベーターを使い一階に向かう。
「とりあえず今ある貯金を使って株でもやってみるか……」
これからやること。否、やりたいことを考え新しい俺は地面に降り立った。
エレベーターの小さな窓から覗く白いガーベラがほのかに揺れていた。
最後の時ぐらいゆっくりと…… ふろむ @FUROM
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