達人、『最後の三分間』に挑む。(花の秘剣5 KAC6版)

石束

達人、『最後の三分間』に挑む。

 道場の主、小菅甚助のもとを一人の客が訪れた。

 甚助は客をいつもの庭が見える座敷に招いた。


「……お天道様が登ってみな起きている頃に高いびき。かと思えば鶏より先に起きて奇声を上げるなど」

「奇声とは心外な。あれは『もーにん えぶりわん』という何の変哲もない朝の挨拶」

「他にもっ 食事の時間が毎日違う。約束の刻限に通りに現れない……駿斎殿のうわさは奇矯に過ぎて、にわかに信じられぬことばかり。仮にも貴方は小菅道場の高弟なのですよ!」

「はっはっは。なんの。月浜藩広しといえど、この俺ほどに時間に正確な男はいないというに。おっと失敬。月浜は他国領を合わせて辛うじて万石に届く陣屋大名。ぜんぜん広くございませんなあ。だーはっはっはっはー」

「不謹慎にもほどがあります! あなたという人はあっ」


 いつものように世間話をしに来て「巻き込まれた」はるが、びくっと震えて硬直し、その後、新之丞に縋りついた。

「こ、この方はどうして加代様に怒られて、笑っていられるのですか」

 信じられないものを目の当たりにして、うろたえている。

「いろんなものが違っているのです。我々とは」

 小菅道場師範代、矢倉新之丞は、ため息をついた。


 客の名は藤居駿斎。近江月浜藩唯一の蘭学者にして小菅道場の門下生の一人。新之丞にとっては兄弟子にあたる。

 蘭学を学びにいった長崎で何故か英語を会得し、その後、書斎で研究するでもなく全国を駆け回っては顔を売り知己を得て、見聞を広めている。弁舌か人徳か性格か。こんなに奔放なのに、藩の上役に気に入られていて、さらに大殿にも覚えめでたいとか、通常の一般常識の完全埒外に存在する藩内きっての奇妙人である。

 そして。この人には非常に迷惑な『悪癖』があった。混乱する状況に手を突っ込んでさらにひっかきまわすのが、何より好きなのだ。


 新之丞は兄弟子の方に膝を向けて正対した。


「師兄。先生と加代殿にはちゃんと『種明かし』をしてください。必要もないのに煽ってひっかきまわそうとされては、迷惑です」

「ぬー。新之丞め。相変わらず面白くない男だな。人生、遊びがなくてはいかんぞ」

「師兄は、遊びの合間に人生をやってるのでしょう?」

 小癪なと笑いつつ駿斎は、師である小菅甚助の前に何やら丸い金属製の小物を置いた。銀色の鎖がついており、根付というには大きく、印籠というには小さい。

 甚助はそれを一瞥して、言った。

「なるほど。『懐中時計』か」

 

 この頃、日本は、日の出と日没の間を六等分するのどかで大雑把な不定時法だった。一日を二十四時間とする定時法が必要不可欠なのは、外国人の船乗りや商人軍人とそれを相手にする幕府や大藩の周旋方くらい。

 一般日本人ばかりの生活空間で定時法など必要ない。時計通りに生活しても、単に一人だけ生活や行動がズレるだけである。

 当たり前だが、値段も破格で、おいそれと手に入るものではない。


「こいつこそは横浜にて『ぺるご』なる商人から買い求めた逸品! いやー手持ちが足りず江戸藩邸でもらったばかりの旅費までつっこんだので、近江まで帰ってくるのが大変だった!」

「この悍馬め! すぐに藩庁に提出せぬか!」

 顔を真っ赤にして小菅甚助がどなった。

 

 ◇◇◇◇


 その後「不定時法はもう古い。置時計を購入し藩内すべての神社仏閣に備えて一時間ごとに鐘を突かせ、これをもって月浜藩を外国並みにする!」

などと駿斎が言い出し、他全員で必死に止める羽目になった。

(藩政に関わること故、無理だろうと思いつつも、騒動になるのは間違いない)

「何の意味がある」「必要ないでしょう」「困ります」「そもそも想像がつかない」

という意見がでて「よし!わかった!」と、駿斎がいった。

「定時法の有用を証明しようではないか! 兵法の観点からっ!」

 こういわれては、小菅道場としても捨ててはおけない。

 小菅甚助は(騒動を初期段階で収束させるべく)駿斎の『検証』とやらに付き合うことにした。

 そして――


◇◇◇◇


「ようこそ。わが新たな住処へっ!」


 駿斎に連れられて行った先は、二つ続きの土蔵だった。

 何も荷物がないがらんとした土間を見回して、新之丞がいう。


「……また、引っ越したんですか?」

「うむ。一つどころに留まれば、命を狙われるやもしれぬ」

「ちゃんと居場所を藩庁に報告してくださいね? 問い合わせが道場(うち)にきて困っています」

「……一応あぶない仕事もしておるのだぞ? 少しは心配してくれてもよいではないか」

「知っていますが、師兄がケガするところが、不思議と想像できません」

「ただの放置ではないか!」

 

 そんな会話を交わす兄弟弟子の他には、二人の師、小菅甚助。娘の加代。女性門人の三雲はる。何故か唐突に菓子折りをもって訪ねてきた出石みさえ。男性門人の香取、浜次郎、駒四郎に東作。

 それら諸氏面々に向かって、藤居駿斎は声を張り上げた。

「さてお立合い。ここに取り出したるコレこそ、文明の利器『時計』と申すもの。一日を二十四に分け、さらにそれを六十に分けて刻む正確無比のからくりだ。外国から海を越えてくる連中は皆こいつを携えてやってくる」

 だが、と、駿斎は鎖を鳴らした。

「使われるのは航海と商売ばかりではない。海の向こうでは兵どもこそがこれを珍重している。同じ時を刻む時計を二つの部隊に持たせたなら、まったく同時に別の場所で戦を始めることすら出来る。挟み撃ち等ずいぶん容易になろう」

 この人数ではそのような演習はできぬのでやらぬが、と断った上で


「ではこれはどうだ? 今、貴公らは敵兵を捕らえて尋問し敵勢の情報を得ようとしてる。当然相手方は囚われの味方を取り返しに来る。この時計で、そう――十分間守り抜けば、援軍が来る、としてみよう。この時計がある限り何度でも同じ条件で繰り返し、訓練することができる」


 二本の針が動くさまを指さして、駿斎は笑った。


「この十分間。土蔵の奥の間を守り切れば、守り手の勝ち。攻め抜いて仲間を救出すれば、攻め手の勝ち。さあ! 諸君! 勝敗や、いかに!」


 で。――その配置。


 土蔵前の庭。男性門弟、四人。東作が槍を素振りする。

「むう。槍は外になるか。むべなるかな」


 土蔵二階。時計を手にした小菅甚助。

「最後に三分残して下に降りよ……とは、わしが審判役か? ふむ」


 裏手に、一人。小菅加代。

「……なんで、私がこんなところに一人で」


 そして、味方奪還のために討ち入る者たち。

「師範代! 先陣きって突っ込んで見せます!」

と、白い道着と紺袴もりりしい出石みさえ。

「みさえ様、こっそりです。こっそり。私たちの目的は味方の救出です」

と、こちらは黒い道着に、黒足袋、鉢がねという完全武装の三雲はる。

「そうです! はる様、そうでした! ご指示をください。師範代!」

「……」

 何故、この組合わせなのだろう?と、矢倉新之丞は少し悩んだ。


 そして……まあ。結論から述べれば「救出」は失敗した。


 最初こそ、ぎこちなかったが、次第に皆、訓練の意味と自分の立ち位置を理解した。次は、日頃の稽古や自身の工夫を盛り込んでいく。相談して連携し終いには陽動したり失敗を装ったりと、巧妙になっていく。繰り返される十分間はどんどん濃密になっていって、もう途中から、事の始まりが何だったのかわからなくなるくらいに熱中していた。


 今は外で水を飲んで「いっぷく」している。土蔵の中にいるのは、小菅甚助と新之丞、急須でお茶を注いでいる加代と、「元凶」の藤居駿斎である。


「だめだったなあ……」と、駿斎が天井を見上げていった。


 何度か攻め手にもいい展開があったのだが、残り五分で加代が立ちはだかる上に、『最後の三分間』には二階から、名人・小菅甚助が参戦する。

 新之丞一人がどのように立ち回っても、この『最後の三分間』は越えられなかった。

 結果はともかく、なるほど時計で稽古を区切って繰り返すのは、工夫の余地がありそうだった。『定時法による兵法の錬磨』――なかなかに侮れない。


 とは、いえ。


「師兄。」と、新之丞が呼びかけた。

「そろそろ教えてください。師兄は何を……いえ。『誰』を助け出そうとしておられるのですか?」

「……」

 驚きはなかった。甚助も加代も黙って藤居駿斎を見ている。

 ややあって駿斎が口を開いた。

「商人、枡屋喜右衛門。今は博多商人の婿だが、先祖は三上山の側だとよ。生まれも大津と言っていた。偶然、飲み屋で顔なじみなってな」


 甚助が目を閉じて瞑目する。新之丞も眉を上げた。

 

「その志士名を、古高俊太郎」


 三条小橋 池田屋を新選組が襲撃し、尊王攘夷派志士を捕らえたのは、元治元年六月五日。  

 つい先だってのことである。


「死なせるには惜しい男と思った。六角獄舎に移されては手遅れになる。やるなら今を於いて他にない」


「無理です」

 新之丞は食い気味に言った。駿斎の言う事が真なら、斬り込む先は新選組の屯所だ。しかも甚助と加代を守りに置く配置からして、少なくとも新之丞と同等以上、または格上の剣客が二人、常駐している設定である。

 それが何者なのかはわからない。が、少なくとも只者ではありえまい。


「お前でも、だめか? 師範代」

「恐れながら。わたしを先生に替えても、無理です」

「そうか……無理か」

 らしくもなく。

『小菅の悍馬』と呼ばれた男の肩が、落ちたように見えた。

「これから都は荒れる。長州はもう軍を発している。しかし、あいつなら、止められるかもしれん。日ノ本は、こんなことで身内争いをしている場合ではないのだっ」

「それでも、無理ですっ!」


 そう言って新之丞は駿斎の肩に手をやった。駿斎がそのまま「悍馬」のあだ名通りに駆け出してしまいそうだったからだ。


「いかないでください、師兄。あなたは月浜にこそ、必要な人です」


 くそお。と、うめくような声がしばし揺蕩い、やがて薄暗い土蔵の壁に吸い込まれた。


「………」


 己の限界の先、あの『最後の三分間』を超えた向こうに、どんな出会いがあり、未来があったのか?

 

 その答えを、今の矢倉新之丞は持たない。


 終

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