最後の大仕事
鈴草 結花
最後の大仕事
「なあ……聞いたか、今の話」
「うん、聞いたよ」
「あと三分で終わるんだってな」
「そうだね……」
「君とこうして一緒にいられるのも、あと三分か」
「うん、すごく寂しい……。でも結構長かったよね、私たち」
「ああ。俺たちが出会ったのが、一年くらい前だったか。確かに、思えば長かったよな」
「うん」
「君と初めて出会った日のこと、未だによく覚えてるよ」
「うん、あたしも。寒い夜だったよね」
「ああ。確か、雪が降ってた。突然現れた君は、舞い降りた天使みたいに綺麗だったな。滑って体当たりしてきたときの君の花のような香りは、今でも覚えてるよ。ほんと、おっちょこちょいなのは昔から変わらないんだから」
「もうやめてよ、恥ずかしい」
「俺は一目惚れだった。だけど、ほら……俺、不細工だからさ。周りからはよく汚いものでも見るような目つきで睨まれるし、正直自信がなかった。だから、ずっと聞きたかったんだ。なんで、あのとき君はオーケーしてくれたんだ?」
「もう、いつも言ってるでしょ。そうやって自分を卑下するのはやめなさいって。――クロダくんはかっこいいよ。この一年間、どんな敵にも屈しなかったし、それに、その無限に広がる刺青みたいな身体もすっごく素敵」
「だけど俺、嫌われてるぜ? しつこい、頑固だって。でも、俺だって別になりたくてこうなったわけじゃ――」
「確かに、あなたのナンパのしつこさには負けたわね」
俺の言葉をさえぎり、彼女はコロコロと笑った。
「だけど、あなたがいなかったらあたし、今頃ひとりぼっちだった。身も心も限界まですり減ってしまったあたしに、声を掛けてくれたのはあなただけ。あなたに愛された幸運を除けば、あたしに取り柄なんて何にも……」
「でも、君はきれいだ!」
俺は言葉に力を込めて言った。
「誰にも嫌われていない! 確かにちょっと小さすぎるけど、いつかきっと日の目を見るときが来る。俺には分かるんだ。だからこれからも諦めずに――ガッ、カハッ」
「クロダくんっ! 身体が――」
自分の身体の惨状を見て、俺はフッ、と乾いた声を上げた。
「ついに、この時が来ちまったようだな。あと、だいたい三十秒、って、ところ、か…………クッ、息ができねぇ……」
黒く侵食した身体中が、染み渡るように痛む。この世から抹消される時は、もうすぐそこまで迫っているようだ。
白くてふわふわしたものが、俺の視界を邪魔する。
この世に生を受けて、
彼女と出会えて、
俺は十分幸せだった。
ただ、愛する彼女を見つめながら死ねないことだけが、唯一の心残りだった。
「どうやら、そろそろ、お別れ、だ……。たった三分だったけど、最後に、君と話せて、よかった。俺がいなくなっても、どうか、俺の、こと……を、……忘れ、な、い、……で、」
「忘れないよ! いつかこの身体が溶けてなくなっても、絶対に忘れない」
「――愛してるよ、カネヨ」
「あたしも愛してる」
「カネヨ……」
「クロダくん……」
「カネヨッ!」
「クロダくん!」
「カネヨーッ!」
「クロダくーん!」
「カネヨーッ!」
「クロダくーん!」
「カネ――ブッハッッ」
根の奥まで分解され尽くした体は、最後に強力な一撃をくらった。
もはや、どこまでが自分なのかも分からない状態のまま、俺は滑りのよい表面をつらつらと流れていく。
そして断末魔の叫びと共に、底の見えない闇へと吸い込まれていった――――
「へぇー、ほんとに三分で取れるんだ。こんなことなら、もっと早く買っときゃよかったかな」
投げつけるようにして水を撒いた桶を手に、私は感心したように風呂場の床隅を見つめていた。
思えばこの一年、長い戦いだった。
ブラシで何十分こすっても取れず、テレビでやっていた裏技を片っ端から試しても取れず。洗剤のメーカーも二回ほど変えてみたが、長い時をかけてはびこったカビはどんな除菌剤にも屈しなかった。
そして、年末の大掃除を機に買ったのがこれ。
『吹きかけて三分待つだけ! 根の奥まで瞬間浸透 カビ殺し』
「あー、すっきりした。やっぱり高い製品は違うねぇ〜……あれ?」
水に流されて、足元に何か小さくて白いものが滑ってきた。
よく見ると、だいぶ前に失くしていた石鹸だった。その大きさ直径約四センチ。どこへ行ったのかと思っていたが、シャンプー台の下にずっと落としていたようだ。
「こんなところにあったんだ。完全に忘れてたわ〜。でも結構小さくなってるし……もういっか」
私は排水口の蓋を開けた。
そして床に平べったい石鹸を落とすと、シャワーで排水口に向かって水を流した。ぽちゃ、とかすかな音を立てて石鹸が排水口に落ちる。
――年末大掃除完了。
今年もいい新年が迎えられそうだ。
―完―
最後の大仕事 鈴草 結花 @w_shieru
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