地球最後の3分間

時谷碧

地球最後の3分間

 度重なる気候変動と天変地異に耐えかねて、人類が旧地球を旅立ってから数十世代。長い漂流時代を移住用の宇宙船の中で過ごした後、人類は旧太陽系に似た環境の星系を、運よく見つけて移住した。

 人類がこの地球型惑星に移住してから、旧地球の数え方で言えば、もう100年程度は経っている。人々は、記録の中でしか知らない、宇宙に歩み出したころの旧地球時代とさほど変わらぬ水準の生活を営んでいる。

 当初、人々は移住した先のこの星を新地球と呼んだが、今では、新地球とわざわざ呼称するのは学術的な場面くらいのものだ。一般的には、もう単に地球としか言わなくなっている。太陽についても同様だ。

 この新しい地球での生活は、旧地球時代と全く同じというわけにはいかなかった。星座や月の数など、全く変わってしまったものもあれば、野生生物や人類自身の文化など、どこか似た部分を持ちながらも明らかに異なっているものもある。そういった今では想像することしかできない旧地球時代の環境や記録を伝えていくのが、私が働く旧地球資料館の役割である。

 旧地球資料館の広場には旧地球時代の遺物を模した大時計がある。目立つからと、待ち合わせのシンボルとして、よく使われているようだ。

 この大時計は振り子式だが、振り子は最早動く飾りでしかない。標準重力が旧地球とは異なるのだから、同じようには動かない。

 大時計の針だけが、旧地球時代通りの進み方をするように設定されているが、それも今日まで。旧地球が旧太陽に呑まれるのに合わせて、大時計を止めることになっていた。

 今、大時計の針が指している時刻は10時6分。時間だ。

 広場のベンチに座り、用意したカップ麺に湯を注ぐ。

 このカップ麺という食べ物は、旧地球でも大人気だったらしいが、宇宙船での漂流時代でもその人気は衰えず、住む星が変わった現在でも根強い支持を受け続けている。ちょうど、旧地球時代の復刻版が発売されていて、今作っているこれもその一つだ。旧地球時代では最も人気のあった銘柄らしいが、さすがに馴染みはない。蓋には、熱湯3分と書かれている。

 3分。黙々と秒針を見つめる。1秒とは、こういう長さだったか。

 3分経てば、旧地球は旧太陽に呑まれて消滅するらしい。各情報メディアはそのニュースでもちきりのはずだ。映像をそのまま流すだけでも、天体ショーとしては一流だろう。

 しかし、それも重要なことかもしれないが……。微かに音を立てて進む秒針を眺める。もう少し。

 10時9分になった。秒針が止まる。

 この大時計はもう動くことはない。この時間で止まるように設定した。

 この種の時計が一般的に販売されていたころ、最も美しく見えるとして展示用の時計は10時9分あたりに時刻を合わせられていたそうだ。今の人類でこの時計の時刻を読めるのは自分くらいのものだろうが、来館者にも美しさは伝わるはずだ。

 携帯端末が速報を知らせている。旧地球は予定通り、旧太陽に呑まれたらしい。

 人類は、旧地球がなくなるのを機に、旧地球の単位の多くを完全に廃止することを決めた。時間もその一つだ。旧地球時代、1日の長さをもとに考えられた時間の単位は、名前を変えずに定義をズレの少ないものに変えるだけで済ませてきたが、新しい地球の自転に合わせた1日は24時間から大きくずれ、日常では使いにくくなった。実感に即した新しい名前の日常時間単位が定義され、昔の単位は徐々に姿を消していった。分など、今は誰も使わないし、3分という時間の塊がどのくらいの長さであるのかという実感を、今の人類は持たない。

 カップ麺の蓋を開けて混ぜると、食欲をそそる香りが立ちのぼり、誘われるままに口へ運んだ。

 うまい。

 旧地球時代の小説によく出てくる描写があった。

 3分待って、カップ麺を食べる。

 何故3分なのか。カップ麺は普通、すぐに出来上がるものだから、首をひねった。調べると、昔は3分待たなければならなかったことがわかった。しかし、何故それが3分なのかは、わからなかった。1分や5分のカップ麺もあったという記録はあるのに、小説に出てくるのは決まって3分。ある時代では3分の動画をラーメンタイマーと呼んでいたくらい、3分とカップ麺のつながりは深かった。

 3分と言えばカップ麺。きっとそういう文化だったのだ。

 だから旧地球が滅亡し、その時間単位が廃止されるという時に、この熱湯3分という一般的には意味の通じない文言がデザインされたカップ麺を見つけて、閃いた。

 地球最後の3分間を送るには、これ以上ふさわしい行いはない、と。

 この地球では、もう2度と、3分間が3分間として待たれることはない。

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