卒業

増田朋美

卒業

今日は、3月1日である。たぶんきっと、同級生たちは、卒業証書をもち、派手な格好をした親御さんたちと一緒に、校門を潜っていることだろう。普通に高校に通っていれば当たり前の話しだ。でも、私は、あの校門を潜ることはもうできないのだ。

なぜなら、卒業する前に、学校を出ていってしまったからだ。世間ではそれを退学というのだろう。私は、それをしてしまった。もう、高卒という資格をもらうことさえできなくなった。

たぶんきっと、あのときはそうするしかなかったと思っている。毎日毎日、人間動物園のような学校にいたら、私の精神はおかしくなったと思う。あの高校は、本当にひどいところで、生徒は毎回毎回授業を聞かないで、ガヤガヤしゃべっていたり、携帯電話をいじったりしていた。それをやめさせようとする先生も、やくざの親分みたいに怒鳴り付けた。毎日毎日、耳をつんざくような、生徒の声と、先生の声。これが、もう、あまりにもうるさすぎて、安心していられる場所ではなかった。部活に入らなかったのが、私は幸運だと思っている。部活に入って、猿のようにキーキーとしゃべる生徒と一緒に、スポーツなんかできるはずがないし、怒鳴り散らしている先生とも一緒にはやりたくない。もう、とても同じ所にいられない。あまりにも、うるさくて、私は一時期突発性難聴といわれたことさえあった。その時は休学という形をとったが、復帰が近づいてくると、もう精神状態が不安定になって、暴れたり、ものを投げたりした。体調も不安定になって、頭痛がひどかったり、吐き気がしたりした。見るに見かねた私の母が、もうあんなひどい所にはいくのをやめよう、と言い出して、私に退学届けを出させた。

でも、私は何になるというのだろう?通う場所を失った私は、これまで以上に不安定になった。少なくとも同級生たちは、大学へ進学したり、就職したりしていることだろう。あんなに、先生方を怒らせた同級生たちが、一人前の大人になっていき、授業を一生懸命聞こうとしていた私が、こうして高校を出ていくはめになったのだ。この喪失感は、私に大打撃を与えた。私は、もう同級生に会うのが嫌で、出来れば東京等で独り暮らししたいと訴えたが、母はあんたにはまだ、治療が必要なので、独り暮らしはだめ!と言うのだった。私は、がっかりしたと同時に、自分の精神状態が、そこまで悪いということを知らされて泣いた。私は、自分では全くわからないが、毎日毎日学校の先生が怒鳴る声が今でも頭にこびりついてはなれず、時時なき張らす時があった。それを医学用語では幻聴が聞こえる状態という。私を診察した医師は、学校の中にいるわけではないのに、あたかもいるように見える、聞こえる状態が精神疾患だといった。それが、一番病んでいるということなのだと。つまり心が病むというのは、視点が変な風に見える、状況に合わない変な判断をしてしまう。この二つなのだとも話してくれた。それは、学校というストレスが産み出したものだから、君はなにも気にしなくていいよ、というのが先生のアドバイスであったが、私は、とにかく同級生たちが、一人前の大人に簡単になれてしまって、自分は何もないため、何度も恥ずかしいといった。そうしたら、それこそ精神病だ、という顔をされた。

とにかく私は、高校を卒業することができなかったのだ。それだけははっきりしている。

家の中にいても、なんだか、憂鬱だし、頭の中で考えがごちゃごちゃに回っていて、なんだか落ち着かないので、ちょっと外を歩いて見ることにした。少しあるいたら、考えもまとまるのではないかと。

ただ、勉強も、仕事もしないで何をしてるの!なんて近所のおばちゃんから、説教を受けることも、たしかだ。一度学校でつまづいて、用意されたレールから外れてしまうと、この世界は皆、悪人にされてしまうようである。

せめて、容姿が美人であれば、芸能関係にいくためにやめた、とごまかせるかも知れないが、私は取り分け美人というわけでもないから、これは無理だろうなと思われた。

幸い、家の外へ出ても誰にもあわなかった。それは、幸せだ。もう、外へ出て声をかけられると皆言う。高校はどうしたの?と、まるで検問するかのように。それがいないということは、私は本当に幸運だったような気がする。

しばらくは道路を歩いて、近くの公園についた。桜の木は、まだ花を咲かせていなかった。私は、桜が嫌いだった。ただいるだけで名が知られているような存在は、全部憎たらしい。そういうわけで挫折を知らない人は本当に嫌いだ。

公園の中に入ると、そこにはすでに先客がいた。一人、和服姿の男性がいた。彼は、黙ってまだ花の咲いていない、桜の木をながめていた。

私は、初めに彼を見て、着物と言う服装からやくざの親分かと思ったが、そうでは無さそうであった。それにしてはガリガリにやせていて、強そうな雰囲気はどこにもない。

むしろ、悲しそうで、寂しそうな感じなのだ。かなり派手な顔つきであるため、表情は比較的分かりやすい。

私は、すぐに立ち去ろうとしたが、急に、

「待って!」

といわれて、足を止めた。

「な、なんですか?」

思わず、私が振り向くと、その人は私の方をじっとみている。

「これ落とし物じゃありませんか?」

と、彼はやさしくいった。私は、そんなもの、すぐに捨てればいいのに、とおもったが、実はこれ、母が18歳の誕生日に買ってくれた髪止めだったのである。なくしてはいけない、と私は彼から髪止めをうけとり、髪につけた。

でも、その人は、本当に真っ白い顔をしていて、なんだか、怖い位だった。

いったいなんのために来たんだろう。

そんなことを考えてみる。

「お別れに来たんですよ。」

と、彼がいった。

意味はよくわからないが、その顔が大変悲しそうだったので、そういうことか、とわかる。この桜の木と。

「ものは大事につかってくださいね。差し出した人の思いもあるでしょうからね。」

「ありがとうございます。」

私は礼をいったが、応答はかえって来なかった。その代わり、聞こえてきたのは、咳き込む音。目の前にその人が踞って咳き込んでいるのだ。私は、介抱するべきなのかしないべきなのか迷った。すれば、何かしら礼でもされるだろうか?でも、なんだか私、ちょっとこわい。

不意に、学校の風景が頭に浮かぶ。ある男子生徒が、授業中に突然、咳き込んで倒れた。私は、彼もやはり精神面で弱いところがあり、たまにこうして倒れてしまうことをしっていた。先生方は、こいつはダメな生徒で、精神疾患は、体に異常がないのに、そうして表現して甘えているといい、彼のことをごみとよんでいた。その時は、周りの生徒もうるさくてたまらなかったせいか、先生はやたらに彼の襟首をつまみ上げ、咳き込んでいる彼を引きずって、教室から放り出してしまったことがある。

「ああ、よかったな、ごみがいなくなって!」

先生は、彼を放り出したあとたからかにそういった。

その時、私は、何とも言えない恐ろしさをかんじた。

ああした、先生もこわいが、放置していられる生徒も、よく平気なものだ。なぜこんなに冷たいというか、無関心なんだろう。彼は、どうなるとか、考えていないのだろうか?私は、廊下へいこうかと思ったが、額にチョークが、飛んできた。

状況はちがうけど、彼と同じことが目の前でいまおきている。私は、あの先生のようにはなりたくないし、傍観していた同級生にもなりたくなかった。だから、皆とちがうことをしよう!

目の前の男性の、うずくまった足元には、ぼたりぼたりと鮮血が流れ落ちていた。これは、心の問題ではなくて、明らかに本物だ。よし、と思って、私はこえをかける。

「大丈夫ですか?」

ああ、こういう卒業の仕方もあるんだと、私はうれしくなった。

3月1日の昼下がり、公園の中にて、私は卒業式を迎えた。

卒業証書も、制服も、何もない卒業式だが、それでもいい。とにかく、あの同級生とあの先生と、同じ外見はせず、同じ思想も持たないことが、私にとって、卒業となるのだから。

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卒業 増田朋美 @masubuchi4996

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