第九十九話 儚くも、大団円みたいな。


 ほんのりと、潮の香りが漂っている。


 そんな中で……


初子はつこ君、綺麗になったぞ」

 と、おじさんの声が響いた。


「あ、ありがとう……あっ、それから、金田かなだ先生もありがとうございます」


「いいえ、どういたしまして」


 軍手にゴミ袋を持った金田先生が、スッと一礼した。

 そこにはお墓がある。おじさんは、そのお墓と向き合った。一升瓶いっしょうびんを添えて……


俊也しゅんや瑞希みずきちゃん、元気に来てくれたぞ」

 と、そっと一言、おじさんは呟いた。まるでパパに、話しかけるように。


 わたしは、ママの顔を見た。……ママの瞳が潤んでいる。そして、思う。


 ママ、ごめんね。


 瑞希は悪い子だったね。ママに心配ばかりかけて。もしかしたら今日、ここにいなかったかもしれない。……こんなんじゃ、パパに怒られちゃうね。


 わたしまで泣けてきちゃった。


 するとポンポンと、背中を叩かれた。振り向けば、れいちゃんが微笑んでいた。


「瑞希ちゃん、泣いちゃ駄目だよ」

 ……と、そんなこと言われても、涙が出ちゃったよ。


「それにパパったら、瑞希ちゃんのママの気を惹こうとして、懸命なアピールしてるの」


 クスッと、おばさんが笑った。それでもって、おじさんはお顔を赤くしながら、


「おいおい令子、そんなこと言うもんじゃないぞ。子供はもっと素直にだな……」

 と言うも、


「アハハハ……パパ、説得力ないよ」

 と、意図も簡単に令ちゃんがくつがえし、笑えてきた。


 さらには、


「もう孝史たかし君、こんな時に笑わせないでよ。折角せっかくの泣ける場面が台無しじゃない」

 と、ママはお腹を抱えて笑っていた。


 はあ? という気持ちで、わたしはママを見た。


 それでもってポンポンと……肩を叩かれた。振り向けば、お兄ちゃんが、ウンウンと頷きながら「瑞希、そういうことだから、泣いても仕方ないよ」と言った。


 わたしは思った。お兄ちゃん、ちょっと……


みつるさん、ちょっと遅いよ。瑞希は、もう笑ってるよ」という感じで、わたしの思ったことをクスクスと笑いながら、妙子たえこが代わりに言ってくれた。


「アハハハ……瑞希ちゃんのお兄ちゃん、カッコよく決まらなかったね」


 いつの間にか令ちゃんは、お兄ちゃんの目の前にいた。


「君が、令子れいこちゃん?」


「そうだよ」


「いつも瑞希のこと、ありがとう。お世話になってるね」


 あっ、そうか。


 お兄ちゃんが令ちゃんに会ったの、今日が初めてだった。


「ううん、お世話になってるのは、令子の方だよ」と言って、少しうつむいてから上目遣うわめづかいになって……「じゃあ、見せてあげるね」と、令ちゃんはニッコリ笑った。


 それって、まさか。と思っていたら、パサッ……あ~ん、やっぱりだ。


「れ、令子ちゃん?」


 お兄ちゃんは口を開けたまま、目を丸くして固まっちゃった。


「アハハハ……脱いじゃった。これが本当の令子だよ」


 令ちゃんの一人称は『僕』だけど、たまに『名前』になる時がある……


 晴れ渡るお空、日光が照らしている中を、服で被われていた女の子の素肌が現れた。今お兄ちゃんの目の前には、妹のわたしと同級生の女の子が全裸で立っている。……地面には、肩紐付きの黒のスカート。その上を被うように白いブラウス。それにシャツとパンツまで脱ぎてられている。令ちゃんは満面な笑顔で、両手を後ろに組んで、靴と靴下だけ残した裸を、どこも隠さずに見せていた。それで、わたしは怖くなって、


「ママ……」

 と呟きながら、チラッと見た。あれ? ママがクスクス笑っているの。


 金田先生はかく、ママも学校の先生なのに……もう訳が分からなくなっちゃった。それに、おじさんもおばさんも、妙子も……みんなして、裸でクルクル回る令ちゃんを見て笑っていた。これは、お友達も親も、それに先生までもが、もはや黙認もくにんではなくて公認こうにんになってしまっている。確か、お外で裸になるのは、いけないことだよね?


「でも、令子はキューピットだから、裸でいいんだよ」

 と、令ちゃんは答えた。それも、わたしの心の声に。


「み、瑞希、令子ちゃんって……」


 お兄ちゃんの訊きたいことはわかる。でも、どう言えば……


 すると、ポンと両肩に、手を置かれたような感触がした。


「アハハハ……令子はいつもこんなんだよ」

 と、声のする方に顔を向けたら、ヌッと令ちゃんの横顔が現れた。


 お兄ちゃんの方から見たなら、わたしの背後からヒョッコリと、令ちゃんが顔を出したような感じだ。それでもって、お兄ちゃんは、プッと笑い出した。


「まあまあ、お墓参りなのに、みんな笑っちゃって」

 と言いながら、ママはわたしと令ちゃんの肩を、そっと抱き寄せた。わたしは、顔を上げてママを見た。そして「ママだって、笑ってるよ」と、一言添えた。


「ウフフ……そうね」


 ママの優しい笑顔は、令ちゃんを見た。


「令子ちゃん、瑞希のこと、いつもありがとうね」


「ううん、お礼を言うのは令子の方だよ。令子は何処でも裸になっちゃうの。でね、瑞希ちゃんが『こんな子と付き合うのは止めなさい』って、言われるんじゃないかって怖かったの。でもね、瑞希ちゃんが合宿で、令子のお家に来てくれて本当に嬉しかったんだよ」


 令ちゃんは少し俯いた。わたしも何か言わなきゃ、と思って、


「あ、あの、令ちゃん、すっごい子なんだよ」


「瑞希ちゃん?」


「泣いたり怒ったり喧嘩けんかもしたことあったけど、毎日がビックリすることばかりで楽しくて、令ちゃんがいてくれたから、わたし、笑えるようになったの。図書館の本や学校の授業、教科書で学べないことを、令ちゃんはいっぱい、いっぱい教えてくれたんだよ」

 と、そう言った後だ。


 ママは涙を溜めながら、ウンウンと頷いた。


「瑞希、いいお友達を持ったね。ママもね、瑞希のお友達が……ううん、親友が、令子ちゃんで本当に良かったと思うの」


「親友?」


「そう、親友。……瑞希は覚えてるかな? ママが初めて令子ちゃんに会った日のこと」


「うん……覚えてる」


「瑞希は令子ちゃんのことを思って、本気で怒ったことがあったでしょ。そのあと本気で泣いたでしょ。それは、きっと令子ちゃんも同じだったと思うの……」


「そうだね。……『自殺なんて贅沢ぜいたくだよ』って、令ちゃんに怒られちゃったね」


「それが親友よ」

 と、ママは毅然きぜんと、そう言い切った。


 わたしは、先生であるママの姿を見たような気がした。そしてママは、令ちゃんの左の頬っぺたに、そっと手の平を添えた。令ちゃんは顔を上げ、ママを見た。


「令子ちゃん、初めて会った日に、あなたのことを思い切り引っ叩いたりして、ごめんなさい。……痛かったでしょ」


「うん、とっても痛かった。……でも、とっても温かかったよ」


 ママは、涙を零しながらもニッコリ笑った。


 すると……


「ねえ、瑞希ちゃん、知ってるかな? 親友って、どんなに離れてても、心は繋がってるんだよ。……だから、笑顔でいようね」


「令ちゃん? 急にどうしたの?」


「ううん、何でもないよ。……でも、何があっても、自分から死んじゃ駄目だよ。これ破ったら、令子は怒って思い切り瑞希ちゃんを引っ叩くよ」


 と言った令ちゃんは、本当に怖かった。怖い顔をしていたけど、また笑顔になって、


「だからね、令子と約束してね、絶対だよ」


「瑞希、返事は?」

 と、ママは、わたしを睨みながら言った。


「うん、約束するよ」


「よろしい。ママも、ちゃんと聞いたからね。絶対守るのよ」

 と、ママはわたしに釘を刺した。そして、また笑顔になって、


「令子ちゃん、瑞希が約束してくれたから、大丈夫よ」


 すると、令ちゃんは瞳を潤ませ、わたしに抱きついた。


「ど、どうしたの?」

 と、訊くわたしは、トックントックン……と、令ちゃんの裸の胸、その奥にある心臓の鼓動を感じた。そして令ちゃんの、温かい息が首筋に当たるのも感じていた。


「令子の心臓、ちゃんと動いてるよ。それに、令子の体温も……裸だからわかりやすいでしょ? まだまだ瑞希ちゃんと一緒にいられるから……」


「もちろんだよ。……令ちゃんは、こんなに元気なんだよ。わたしね、令ちゃんと一緒に百号のアクリル絵、絶対に描くんだから。ずっと一緒なんだから……」


「アハッ、嬉しい。こんなにいっぱい、瑞希ちゃんに瑞希ちゃんに愛されてるんだ」


「わたしだけじゃないよ。令ちゃんは、みんなに愛されてるんだから」


「瑞希ちゃん、嬉しすぎて笑っていられなくなっちゃうね」


 キラリと光る涙……


 それをも包み込む、大きな温もりを感じた。


 ママが、わたしと令ちゃんを、そっと優しく包んでくれた。



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