第十九話 冬の稲妻と、瑞希ちゃんとの間に一体何が?


 保健室、静かに入室……足音も。


 瑞希みずきちゃん?


 あたしは目で彼女を追いかける。……もう保健の先生はいなくて、

 そこには、ベッドの傍らには……智美ともみ先生が座っていて丸椅子に。


 そのベッドには、

 そのベッドには、瑞希ちゃん……?


 眠っている。先刻とは違って、スヤスヤと……寝息を立てながら眠っている。

 濡れたお洋服……下着も、着替え終わっているようだ。


 視線を動かすと、智美先生と目が合って、


妙子たえこさん、もう少し寝かせてあげてね。……やっと落ち着いたの」


 その隣に、智美先生の隣には、もう一脚の丸椅子……

 あたしは、その椅子に座った。手提袋てさげぶくろ、ランドセルを床に置いて二人分。


「妙子さん、瑞希さんのこと……ごめんね」


「大丈夫なの? 瑞希ちゃん」


「心配してくれたのね、ありがとう。もう大丈夫よ」


 あたしは、まだ……

 でも、智美先生は和やかなまま……


「でも、驚いたでしょ。この子にとって雷は恐怖そのものなの……」


 と言いながら、

 智美先生はベッド上の瑞希ちゃんの髪を、優しく撫でる。


 再現される。脳内で先刻の、あの時……


「いくら雷が怖くても、瑞希ちゃんの取り乱し方は、やっぱり普通じゃない……」

 囁くように、独り言だけど、


「瑞希さん、何かで興奮してなかった?」

 ドキッとした。


 智美先生は顔を向けて、そう質問した。



「あっ、はい……多分……あたしの教科書がクラスメイトにボロボロにされたことで、瑞希ちゃんがもの凄く怒って、そのクラスメイトを引っ叩いたの。そのことで平田先生に怒られた上に引っ叩かれて、泣きながら教室を飛び出したの。……平田先生は瑞希ちゃんに何も聞こうとはしなかったの……」


 と、答えたら、


 智美先生は、また瑞希ちゃんに視線を注いだ。和やかな表情から一変……

 ……溜息一つ。


「……そうだったの。

 平田先生、わかってくれなかったのね……」


 そう言った智美先生は、その表情も交えて味方だと思った。


「瑞希さん、まだ引き摺ってたのね……

 可哀想だけど、もう治らないかもしれない」


 ……何が? と、思う前に、

 嫌な予感にも似ている胸騒ぎ。……あたしでは入り込めない重いこと。


 訊いてはいけない。そうも思ったけど、


「どういうこと?」


 と、……訊いてしまった。それは、入ってはいけない領域だと思ったけど、

 もう刻は、智美先生が語り始める処まできていた。……静かに語り始める。


 瑞希ちゃんの、その……寝顔を見ながら。


「……この子、二年生の時に肺炎で死にかけたことがあったの。ちょうど今日みたいな雷の日だった。病院に行くのが、もう少し遅かったら、手遅れになってたそうなの」


 ……あたしは、何も言えなくなった。


 ますます外は曇ってきて明かりも点けてないから、

 その影響で薄暗くなった保健室……それでも語り続ける智美先生、今、明かりを点けたなら、きっと瑞希ちゃんは起きてしまうから。……この子は、訊かない方が良いから。


「この子は一命を取り留めたのだけど、

 ……同じ日だった。この子のお父さんが交通事故で亡くなったの。その前に日に、この子はお父さんと喧嘩していて、喧嘩したことを悔やんで、まだ自分を責めてたのね……」


 そ、そんなのって……


 その言葉でさえ、掻き消されるほどの衝撃。……ただ涙が、涙が溢れてきた。


「だから雷の音を聞くと、無意識にそれらのことを思い出してしまうのよね……」


「……ごめんなさい」

 と、呟いていた。瑞希ちゃんの顔を見ながら……。


「妙子さん、この子のために泣いてくれるのね」


 左肩に、手の温かい感触が伝わる。

 智美先生の、温かい手……


「あなたのせいじゃないのよ」


「違うの」


「妙子さん……?」


「あの時、あたしが道路に飛び出したりしなかったら、瑞希ちゃんのパパ……死ななくて済んだの。……本当に、本当にごめんなさい」


 あたしは号泣に至って、それ以上は何も言えなかった。



 ――ぎゅっと、


「……辛かったよね」

 と、智美先生は、あたしを抱き寄せた。


「この子、優しすぎるくらい優しい子だから、余計に辛かったよね」


 ベッドで眠っている瑞希ちゃんを見ながら、智美先生は言ってくれた。

 でも、このままじゃ……


「……瑞希ちゃんに、何かしてあげたいよ」


「ずっとお友達でいてほしい。この子はきっと、そう思ってるよ」


 そう、智美先生は言った。


 ……自信はないけど、でも……

 それで瑞希ちゃんの苦しみが、少しでも軽くなるのなら……


「あたしは、ずっと瑞希ちゃんのお友達です」


 ――決意の返事! 濡れた顔のままだけど、智美先生の顔を目を逸らさずに見る。


「妙子さん、ありがとう……」


 潤んでいる瞳――智美先生の目には涙が溢れている。



 ……正直にいえば、不安を感じていた。


 それが何かがわからない。

 瑞希ちゃんの身に、何か起きる予感が繰り返される。


 ――でもね、


 あたしが弱気になったら、瑞希ちゃんはどうするの?


「た……妙ちゃん……」

 その時だ! 瑞希ちゃんが目を覚ました。


「……大丈夫?」

 あたしは、慌てて手で涙を拭う。


「うん……ごめんね。妙子ちゃん、泣いちゃったね」


「ううん、泣いてない」

 ニッコリと、……頑張って微笑んだ。


「四年生になっても、まだ雷が怖くて、おもらししちゃうなんて……」


「女の子は怖がりな方が可愛いのよ」


「でも、迷惑かけちゃうよ……」


「大丈夫、あたしがいるじゃない」


「妙ちゃんって何か、お姉ちゃんみたいだね……」


 そうよ! 薄暗いはずの保健室が、瑞希ちゃんの笑顔で、パッと明るくなったのよ。



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