第十八話 少しだけれど、落ち着いたみたいだから。


 ――手を繋いで、階段を下りてゆく。瑞希みずきちゃんも一緒に。


 屋上の黒ずんだ鉄の扉……

 錆の匂い漂う、その前の踊り場から。



 同じ旧校舎内……教室に戻る。――四年二組の教室に。その途端、空へ向かって並ぶ四角い窓すべてが光る。間髪入れずに、また雷鳴は轟いた。


「きゃあ!」


 との、瑞希ちゃんとは思えないような声量、断末魔とも思えるような悲鳴。ガチガチと歯の音? 息苦しそうな呼吸……その場にへたり込んだ。


「やだ、やだ……」

 と繰り返し、顔を歪める。尋常ではない怯え方、涙さえも零して。


「瑞希ちゃん、大丈夫?」


 大丈夫ではなさそうなのは百も承知だけど、その言葉しか見つからない。その言葉とともに、そっと寄り添うと、瑞希ちゃんの座っている所に、水溜りが広がっていた。


 体の震え止まらずに、

 危険なほど、泣いている。


 まるで……何らかの発作でも起きたかのように。


 ……どうなっているの?


 そう思うばかりで、彼女にどうしてあげたらいいのかも考えられずに、

 只々慄くばかり、


 何もしてあげられなくて……



 すると、ガラッ


 ……と、閉めたはずのスライド・ドアが開く。


 張り詰めた空気、更に瞬間的に凍り付く中でも振り向く、ドキッとする中でも、振り向いた。――もしも平田ひらた先生だったら、


 と、思いながらも、そこにいたのは智美ともみ先生。

 ……ホッとした。


 殆ど一直線に歩む、躊躇もなく智美先生は側まで――


「瑞希さん、立てる?」

 と、普通よりも少し優しく……智美先生は声をかける。


 瑞希ちゃんは手で涙を拭きながら、コクリと頷く……


「じゃあ、保健室へ行くからね」

 その言葉の間、瑞希ちゃんは智美先生に掴まりながら、ゆっくり立った。


 ……その一部始終を見るにあたり、

 智美先生の、瑞希ちゃんに対する対応からも、初めてのことではないようだ。そんなこと、目の当たりに起きたことを、自分なりに整理する最中で――


妙子たえこさん」

 と、声をかけられ……智美先生に、


「あっ、はい」


「わたしは瑞希さんを保健室に連れて行くから、あなたは、そこの床を拭いて、帰る用意をしてから、瑞希さんのランドセルも持って保健室まで来てくれるかな? 本当にごめんだけど、お願いできるかな? 見つかると平田先生に怒られるし」


 ……の割には、表情が和んでいるのだけど、


「あっ、わ、わかりました」


「ありがと」

 と言って智美先生は、瑞希ちゃんを連れて教室を出て行った。



 そして、一人の教室……


 只々ただただ茫然ぼうぜんと立ち尽くしていたが、――あっ、とにかくバケツに水を、

 廊下の洗い場まで汲みに行って、教室までリターン。


 距離は短し往復二回で……


 雑巾を用いて、瑞希ちゃんが濡らした床を拭く。その間にさえ、思考は止まらず蠢いているけど、頭の中が真っ白になるほど、まっ白で、わからないことだらけで……


 瑞希ちゃんのランドセルにも教科書やノートも入れた。二人分の、体操着が入った色違いの手提袋てさげぶくろも持った。あとは自分のランドセルを背負い、静かに教室を出る。


 廊下、そして階段……一階まで。


 あたしは思う、――智美先生は、何かを知っているみたいだと。

 あたしの知らない瑞希ちゃんの、


 ……そう、重たい部分。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る