第五話 これは日記帳のお話なので、時間軸は明確に。


 ……と、いうことで、

 瑞希みずきの日記より抜粋。一九九九年十月二十一日(木)。



 前回の、もちろん続きで、その日の夜。


 鈴虫の穏やかな調べを聞きながら窓の隙間、カーテン越しに流れる風。豆電球のボヤッとした橙色だいだいいろが、その季節の情景を見事につくげている。そんな状況下にいて、


 わたしは、天井を眺めていた。


 同じお布団ふとんの中、わたしの横で、お兄ちゃんは眠っている。

 スヤスヤと……寝息が聞こえる。


 何時いつからだろう、こうやって同じお布団で寝るようになったのは?

 そう。パパが旅立った・・・・小学二年生の夏から。



 ママが言った。


 あの金曜日の、もうすぐホラー映画がテレビで放送するような夜の九時前、

 もうすぐ別々のお部屋で、

 わたしとお兄ちゃんが別々のお布団に寝るのだって、そう言ったの。


 ……グスッ。やっぱり寂しいよお。


 でもね、でも大丈夫。寂しくなんかないよっ。


 ――ほらね、

 見えてきたでしょ。


 ここから数時間前の出来事は、あくまで結果オーライ。それでもいいの。


 わたしは妙子たえこちゃんと一緒に、

 我が家の浴室で、シャワーを用いて、洗いっこをした。



 洗濯物……つまり、妙子ちゃんのお洋服、下着まで仲良く干してある。何も言われていないの。お兄ちゃんもママも、きっとだけど気づいていないと、……そう思うの。


 並んで干してあるお洋服のように、


 たとえ百合ゆりと思われてもいい。ここに引っ越してきて、新しい学校で、

 初めてのお友達だから、瑞希のね、

 すべてを見てほしかったの。……でもね、妙子ちゃんは違っていたの。



「……驚いたでしょ?」


 その言葉通りだった。スポンジで、背中を洗おうとした時だ。妙子ちゃんの。

 いくつかのあざがあった。


 虐待?

 それとも、ホラーめいた今日のトイレの出来事と、何か関係があるの?


 その他にも、様々なワードが浮かぶ。

 処理は不可。子供の域を超えている。


 わたしには、言葉にすることさえもできなかった。


「……そういうことなの。だから、わかるよね?」

 と、妙子ちゃんは言った。


 BKブラックの重い空気を創りながら。小さい声で、言葉は優しいのに、

 それでも、そんなのって。


「やだ!」


 妙子ちゃんは振り返った。

「瑞希ちゃん?」


「やだやだ! 妙子ちゃんとお友達になれないなんて……」


 お友達つくるって、指切りげんまん。

 あれほどパパと、約束していたことだったのに。


「瑞希、本当にひとりぼっちになっちゃうよ……」



 やっぱり泣いちゃった。

 それも声を上げて。


「……あっ、ごめんね。今度は瑞希ちゃん、洗ってあげるから」


 アタフタと、困っている妙子ちゃんを尻目に、

 コクリとうなずいた。


 ちゃっかりと。……それでも、


「瑞希ね、お友達できないの……」


 クスン、クスン……と、

 涙を拭いても、泣き止むことができないの。


「あ、あたしも、そうなの……」


「妙子ちゃん?」

 と、ビックリした。


 シャワーのお湯、流れたまま……。手と手をつなぎ合う。

 近かった。丸い眼鏡のないパッチリした目。その瞳に、わたしが映っている。



「瑞希ちゃん、あたしとお友達になってくれるかな?」


「うん、もちろん!」


 ウェルカムだよ。

 もう泣き止んだ。


 ……それからは、

 楽しい時間だった。髪を乾かせば、お下げの綺麗きれいな黒髪。『お嬢様』という言葉が似合いそうな気品高い顔立ち。丸い眼鏡が、それを引き立てる。とにかく可愛かわいいのだ。


 ……それでお洋服が、先刻の痣を隠していた。


 心配という言葉。

 ストレートに出ないその言葉の代わりに、小さな胸騒ぎ。


 地震の余震が繰り返される、そんな感覚だ。



 ――それさえなければ、もう最高の状況! 百合でも構わない。


 楽しい時間は流れるのが速くて、

 もう夕陽ゆうひが、パンダさんのいるこの部屋を染めてきた。帰る時刻を告げたのだ。


 それを惜しむようにして、いまだ玄関で向かい合う。


「瑞希ちゃん、楽しかったよ」


「瑞希も楽しかったよ。明日、また学校でね」


「うん。明日ね」


 にっこりと、手を振ってくれた妙子ちゃん。

 ここへ来た時よりも、見違えるほど元気だった。


 わたしたちは、約束した。


 それは当たり前といえるくらい小さなことだけど、かけがえのない大きな約束。明日になったら、お友達に会える。そのための宣言なのだ。


 びるのと同じ意味で、待ち遠しいなあ……。



「瑞希、眠れないのか?」


 同じお布団の中、お兄ちゃんの顔が近くにあった。

 やっぱりアイドルグループの『ジョスJOS』みたいにカッコいいの。


「うん、明日が楽しみなの」


「いいことでもあったか?」


「うん、とっても……」


「そうか」


「ねえ、お兄ちゃん」


「ん?」


「お兄ちゃん、瑞希のこと好き?」


「ああ、大好きだ」


「……良かった」


「ねえ、お兄ちゃん」


「ん?」


「ひっついていい?」


「ははは……瑞希は、まだお子様だな」


「お子様だもん」

 ひっついた。お兄ちゃんが頭をでてくれた。


「温かい……」


「じゃあ、もう寝るぞ」


「うん……」


 きっと寂しかったのだと思う。

 でもね、お兄ちゃんがそばにいてくれたから、わたしはぐっすりと眠ることができた。



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