第一部・第一章 これはね、パンダ・スペシャルなの。
第三話 ――と、いうことで、第一章の幕開けだ。
もう大丈夫だよ。
もう少ししたら、この風景に慣れるから。……と、
そう思いながら、この道を歩く。二人並んでいる。
ああ、訊いてなかった。
……この子にとっても、この道は帰り道だろうか?
でも、でもね、
この子と歩く中で、わたしは決めた。……少し先の進路を、なすべきことを。
少しばかりの勇気で、
「
「……」
聞き取れない程の言葉だけど、その甲斐あって、佐藤さんは、
丸い眼鏡の奥で答えてくれた。もう怯える様子も見られなくなった。
――調子に乗っていいのだよ。
と、心の中で
「
「瑞希さんの?」
と、今度は名前で聞き直し。しかもハッキリと聞こえた。
それも、ごく自然にだ……。
だからこそ、最善な答えを、
「うん、そのまま帰ったら、佐藤さんのママ、ビックリしちゃうと思うの」
と導き、この子の前で、今ここに発言した。
わたしもだけど、
この子の場合は、もっとだ。頭の先から全部……ずぶ濡れ。きっと、わたしのパンツみたいに気持ち悪いことだろう。中途半端に冷たくなってきて、ほんのりと、
……生温かいという感じだ。
さっきの発言は、この子のためは建前で、八割以上が我が身を守るため。
ママに怒られたくないから。……今までは、お兄ちゃんが守ってくれたけど、もう自分の身は、自分で守るしかない。……何よりも、証拠隠滅を図るのだ。
今ここに、おもらしという事実を
で、幸いだったのか、ここまで歩いてきて、人と接触しなかった。
「……瑞希さんは、大丈夫なの?」
「大丈夫。瑞希『鍵っ子』だから」
……ん?
佐藤さんの「大丈夫?」は、そういう意味だったかな?
そう思いながらも足は進む。DVDの一時停止みたいなことは現実には有り得ず、時間は進むものだ。――コンビニの角を右に曲がり、門が桃色の幼稚園を通り過ぎて、緑の金網で囲まれた遊具の少なき公園を左へと曲がる。そうするとね、見えてくるの。赤いポスト越しにある公営住宅の四棟の入り口。そこを三階まで上がる。
……駆けて駆けて、駆け上がったっ!
「ここが、瑞希の家だよ」
と、ドアの前、胸を張って佐藤さんに伝えた。……で、あるからして、ここで登場するもの。魔法の必須アイテムのような桃色のハート型ペンダント。それなりに大きくて、二年生の秋から使っている。――パカッと、開く。決してハートが割れたわけではない。重要な使命を果たすためだ。――ガチャッ、と、この玄関のドアを開けるために、鍵を取り出したのだ。これこそが、鍵っ子であるが故の行動パターンだ。
脳の中で、よっしゃあ! と叫ぶ。そのイメージは、右拳を天に向かって掲げている。
こうして、第一関門は突破だ。
『鍵を開けた』という行為。又は『鍵が開いた』ということは、ママがまだ帰っていないということだ。お兄ちゃんも同じく帰っていない。いつものように直接、演劇教室へ行ったと思われる。ここから近い私の鉄道を利用するのではなくて、国の鉄道と環状の鉄道をコラボしている。合わせて十駅ほどの距離がある。……言うまでもなく今、わたしは佐藤さんと二人っきりということなのだ。
昼間でも、薄暗い玄関。……あっ、でも少し前は、違っていたと思うの。
それでも「お邪魔します」と、
佐藤さんは、キョロキョロ辺りを見渡しながら、
「家族の人、誰もいないのね」
「うん、鍵っ子だからね。いつも夜までお留守番なの」
……慣れたつもりだった。
本当はね、寂しくなった。
「ママは、お仕事の帰りが遅くて。お兄ちゃんは演劇教室に通っているの……」
「じゃあ、パパは?」
「……いないの」
やっぱり駄目だった。
我慢できなくて、泣いちゃった。……本当は、お留守番は苦手なの。
「……ごめんね」
と、佐藤さんは言った。
わたしの様子を伺いながら心配そうな面持ちで、……だからね、
「大丈夫。大丈夫だから……」
と、精一杯の強がり。それでもいい!
手で涙を拭いながらも、そう繰り返して、自分に言い聞かせた。
それでも「瑞希さん……」
と、わたしの顔を覗き込む。余計に泣いちゃうからね、グッと、
「……ううん、いいの。上がろ」
と、わたしは佐藤さんの手を引っ張っていた。
――やっちゃった! まさかこの場面で? とは思ったけれど、
すでに予定とは違っていて、……このまま上がると床が濡れちゃうから、
と思う間もなく、玄関あがっちゃった。床ぬれちゃった。……フローリングだから、あとで拭いちゃおう。学校から履きっぱなしだった上履きは、……過去形を使っているあたり、もちろん脱いでいる。でも、靴下は濡れたままだった。
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