催眠花火は3分間

吉晴

催眠花火は3分間

私がいるのは病院の最上階の一室。

生まれて10年、一度たりとここから外に出たことはない。

身体が弱いのだ。

我が国自慢の強化ガラスがはめ込まれた大きな窓からは、広い空が見える。

見下ろせばミニチュアのように小さな建物や人が見える。

部屋にはペットロボットもメイドロボットもいるから寂しいことも困ることもない。

どちらも忠実で、人間よりもよほど信頼できるのだと昔父が言っていた。

頭がよく、誰からも尊敬される父が言うのだ、間違いないだろう。

定期的にやってくる老医師だけが、両親以外で私の知る唯一の人間だった。


そんな老医師がある日、車椅子に子どもを乗せてやって来たので、私は目を瞬かせる。

私とよく似た背格好のその子は、目と真っ赤な短髪以外、包帯でぐるぐる巻きだったのだ。


「・・・誰?」


ベニ。」


老医師が答えるより先に、ぐるぐる巻きの子が不機嫌そうに答えた。

声からして女の子のようだ。

車椅子の後ろで、老医師が笑いをかみ殺している。


「事故に巻き込まれてひどい火傷を負ったのだよ。

治療をしているのだが、せっかくお前がここにいるのだ。

話し相手にどうかと思ってな。」


「私にはそんなの不必要だ!」


噛みつくように紅が言った。


「こんなことはどうでもいいから、早く」


「黙れ紅。

約束を違うな。」


老医師が急に厳しい声を出した。

紅はくっと口を引き締め、車椅子に深く座り込んだ。

どんな子であれ、初めて見る同い年の子に、私の目は釘付けだ。


「きれいな髪ね。」


素直な感想に紅は気をよくしたようで、


「まぁな。」


と鼻を鳴らした。

それがおかしくて、私は笑った。







老医師の診察に合わせて、紅は私の部屋に連れて来られた。

始めは車椅子に乗ったままだった彼女も、傷が治るにつれ自由に動き出し、終いには私と追いかけっこをするほど回復した。

回復したといえば私もだ。

走るだなんて、紅と会うまで考えたこともなかった。


「お前はこんなところにいて、詰らなくないのか。」


老医師の診察を受けている私に背を向け、大きな窓に張り付いて外を眺める紅が問いかける。


「そんなの分からないわ。

生まれてからずっとここだもの。」


「井の中の蛙大海を知らずってか。」


「紅。」


老医師の咎めるような声に紅は、はぁい、と間の抜けた返事をした。

我が国の科学技術は素晴らしく、医療の進歩も他国に類を見ない。

火傷であっても肌に跡を残すことなく治療することが出来る。

ひどい火傷を負ったという彼女の傷はすっかり良くなったが、いつまでたっても右手には火傷の跡が残っており、他の皮膚より赤黒い。

窓に張り付く小さい手は、痛々しいままだ。


「ねぇ、その右手はいつ手術するの?」


「しないよ、これは残す。」


どんな傷も残さないのが常識だと思っていた私にとって、彼女の言葉は理解できないものだ。


「火の神は、無闇にものを燃やしたりしないんだ。」


何を非科学的なことを言うんだろう、と私は首をかしげる。

老医師は何も言わず私の診察を続けていた。


「この火傷にも、意味がある。」


「どんな?」


「まだわからないけど、いつか分かるはずだ。

私はその時まで――決して忘れてはいけない。」


彼女は窓に張り付けていた右手をぎゅっと握った。

小さな小さな手であるのに、強化ガラスを叩き割ってしまうのではないかと思うほどの力が漲っているように見えた。


それから数日して、紅は家に帰ることになった。

体調が万全になったのだ、帰るのは当然のことである。


「元気でね。」


「おう!」


にっと笑って跡の残る右拳を私に向かって突き出した。

私も右の拳を突き出して、こつんとぶつける。

紅に教えられた挨拶だ。

火打石を模したもので、無病息災や安全祈願の意味があると言っていた。


「お前も、元気でな。」


彼女がいなくなればまた、病弱な私に戻ってしまうかもしれない。

不安は残るけれど、私も精一杯の笑顔を見せて、彼女を真似て返事をした。


「おう!」







あれからまた10年、結局私は同じ毎日を過ごし続けている。

彼女が言っていた「詰らない」というのがどういうことか、身に染みた。

井の中の蛙大海を知らず、という言葉の意味も調べた。

水の国のことわざらしい。

この小さな部屋に閉じ込められている私は確かに、世界を何一つ知らない。


「最近沢山の戦闘機が飛んでいるわ。」


「戦争が激化しているのです。」


10年前よりもさらに年老いた老医師が答えた。


「どこと戦っているの?」


「火の国です。」


火の国と言えば、古くから大国として栄えていた国だ。

我が国の力が強大になるにつれ、力を急速に失ったと聞く。

そして、10年前に同盟を結んだとも。


「なぜ。」


「同盟が破られたのです。」


「恐ろしいわ、どうしてそんな、野蛮なことを。」


老医師は溜息をついた。

聡明な瞳が私を憐れんでいる。


「この科学の国は豊かです。

同盟という名で弱国から資源をむしり取り、民を扱き使い、そして」


老医師の肩に手が置かれた。

メイドのロボットだ。


「時間です。」


ロボットは告げた。

老医師は力なく一つ頷き、鞄を持って部屋から出ていった。

唯一の生きた人として慕ったその背中はひどく小さく、その日を境に二度と目にすることはなくなった。








私は窓の外を眺める。

美しい夜景だ。

その中を戦闘機が何台も高速で飛んで行く様は、この都会では見られない流れ星のようだと夢想する。


ふと地平線が明るくなった。

光の波が、急速に近づいてくるようだ。

太陽のように眩しく、温かな色をしているそれが何か、私には瞬時に判断がつかなかった。

それもそうだろう。

生まれて初めて肉眼で火を見たのだから。

それも雨のように火の粉が降り注いで煌めいている。

各国の様々なデータを今まで見てきたけれど、こんな様子は見たこともない。

何もしていないのに部屋の明かりが落ちた。

眼下に広がる国中の明かりも落ちているようだ。

それでも辺りは昼間のように明るい。

輝く雨が、押し寄せてくる。


「きれい・・・」


そう呟いた次の瞬間、腕で頭をかばってうずくまる。

爆音とともに窓ガラスが砕け散ったのだ。

風圧で部屋の隅まで吹き飛ばされる。

こんな危険な状況なのに、細かい破片が光を受けてキラキラと飛び跳ねるのを腕の隙間から見て、ひどく美しいと思った。




「科学の国の姫君、お迎えに上がりました。」




声に腕をよける。

眩い光に包まれて窓枠に立つのは、粗末な身なりをした、真っ赤な短髪と目以外を布で覆った男、いや、違う。

私はを知っている。


「紅?」


「覚えていたか。」


「どうしてここに?」


「ここに閉じ込められているお前でも知っているだろう。

科学の国と火の国の戦争を。」


私はひとつこくりとうなずいた。

その様子に、彼女は呆れたように笑う。


「・・・井の中の蛙のままだな、お前は。

まるで子どもだ。」


窓枠から飛び降り傍まで来て、懐から出した布を私の首に巻き口元を隠した。


「だってここから一歩も外には出られないもの。

通される情報も選ばれたものだけよ。

事実を知る術はないわ。」


そうだった、と彼女は憐みの瞳を向けた。


「民は兵士を含め皆、眠りに落ちている。

お前の親である国王も。」


「そんなことできるの?」


「お前の国の眠り薬をちょっと拝借して、我が国の火薬と混ぜさせていただいた。

だからこの煙をあまり吸いすぎない方がいい。」


彼女は顎で外を指した。


「この催眠花火はあと3分で終わる。

お前がこの国の皇女である最後の3分だ。」


外では雨のように火の粉が降っている。

その美しさは例えようがない。


皇女である最後の3分と言われても、ぴんとこないというのが本音だ。

今まで皇女であるからと言って何か特別なことは何もなかった。

しいて言えば、ここに監禁されていたことくらいだろう。

欲しいものは何も与えられなかった。

奪われただけの、隠されただけの、20年。


「その間悩め。

ここで誇り高く死ぬか、それとも私と共に来るか。」


「貴方と行くわ。」


「即答だな。

何のために3分ぶんの火薬を用意したと思っている。」


紅は呆れたように言った。


「貴方の言った通りだわ。

ここはこんなに科学が進んでいるのに、とても詰らない所よ。」


降りしきる火の雨を私は眺める。


「こんなに美しいもの、生まれて初めて見たわ。

本当に貴方が私のために用意してくれたの?

3分ぶんも?」


紅はぷっと噴出した。


「それが敵国の姫とは言え友への礼儀だろう。

だがお前の両親は、正しいよ。

お前は科学の国の姫には向かない。

病弱だということで隠してしまい、次の子を王にするつもりだったのだろうな。」


そう言われてもなんとも思わなかった。

昔見た両親の顔は、もう忘れてしまっていた。


「貴女は誰なの?」


「申し遅れました。

私は火の国の第一皇女、銀波先ギンバサキ ベニ。」


彼女は畏まって丁寧なおじぎをして見せた。


「つまり、私と同じね。」


「いかにも。

我が国にはご覧の通り火の力が宿っております。

科学の国の姫よ、自国のみの豊かさに囚われず、共に豊かな世界を目指しませんか。」


差し出された赤黒い拳は、あの頃よりもずっと大きくなった。


「喜んで。」


私の白い拳も、やはり大きくなっている。

ぶつけた私の拳を、彼女の手が力強く引いた。


「今になったらわかるよ、火の神が兄達と私を燃やし、そしてたった一人私を生かした理由。」


それが科学の国の差し金で、彼女の命を助ける代わりに同盟を結ぶことを迫るためだったという事実を、私はこの時知る由もなかった。


「友を信じ、愛せと、神はおっしゃった。」


彼女の瞳は慈悲深く、それでいて強い光を宿す。

彼女は良い王になると、直感が告げた。


「ずいぶんと信仰心が篤いのね。」


私がくすりと笑うと、彼女も眦を下げた。


「行こう。

我が国では、火の粉を被ると無病息災と言われている。

さぁ早く。もうすぐ時間だ。」


彼女の手にひかれて窓枠に立つと、小型の飛行機が用意されていた。

二人で火の粉を浴びながら飛び乗る。

彼女はアクセルを踏んだ。

降りしきる火の粉は、熱いというより暖かい。

医療の進んだこの国にも、火の神の加護があることを、私は願った。

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催眠花火は3分間 吉晴 @tatoebanashi

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