さようなら、ありがとう?

@sakuranohana

第1話 さようなら、ありがとう?

今日は、待ちに待った、私の退職日。


万歳!


実は、一年前から辞意を伝えていた。

それにも関わらず、上司は、

「こんな良い会社を辞めるなんて、頭がおかしい。考え直せ」

の一点ばりで、私の退職の意思を受理してくれなかった。


あまりの慰留のしつこさに耐えかね、私は、仕方なく、弁護士に相談した。


弁護士のアドバイスを受け、私は、辞表を内容証明郵便で会社に送りつけた。

労働者から退職の意思表示を行えば、法律上は、意思表示から二週間経過すれば、退職することができる。

これまでの紆余曲折を経て、私はようやく退職できることとなったのだ。


ブラック企業とも、今日でようやくおさらばだ。

長い戦いだった。


部署主宰の送別会の誘いは無論断った。


最悪の労働環境から、いち早く逃げ出した私に、誰が暖かい言葉等かけてくれようか。


送別会にかこつけて、同僚や上司から、恨みごとを言われ、新しい転職先を聞き出されて、転職の邪魔をされるに決まっている。


最終出社日であるにも関わらず、私に新しい案件が複数振られていた。

単発で終わりそうな案件ならまだしも、数ヶ月はかかりそうな案件ばかりだ。


「お前が退職するなんて認めない。

俺はお前の退職に同意してはいないんだ」

そんな課長の本音が透けて見える。


私の業務を引き継ぐ担当者ら宛に、新案件の概要と論点をまとめたデータを送り、淡々と引き継ぎをした。



そんな案件のプッシュバックをしている内に、定時を迎えた。


定時を迎えるその瞬間まで、新件を降り続けていた課長が、白々しく俺を皆の前に立たせた。


「非常に名残惜しいが、只野くんが、今日を以て退職することになった。

さ、只野くん、挨拶をして」


「皆さん、今までお世話になり、ありがとうございました。お身体にはどうか、気をつけてください」

それだけ言うと、ぺこりと頭を下げた。


聴衆の数の割には、随分まばらな拍手が起こった。


その瞬間だった。


オフィスにけたたましいサイレンの音が響き渡った。


「このビルの地下一階飲食店街にて、火災が発生しました。皆さん、非常口から避難してください」


社内では、あちこちで悲鳴があがった。


皆、パニック状態に陥っている。


そんな中、先陣をきって皆を非常経路へ誘導していたのは、何と、ブラック企業体制を作りあげた、社長その人だった。


「皆、落ち着いて!こっちから早く逃げて!」



社長のパワハラ、セクハラが原因で辞職に追い込まれた社員は数知れず。

法律よりも、俺が作るルールの方が正しい、俺がルールだ、が持論の人だ。


そんな彼が、自分の身よりも、社員の安全を優先しているなんて、にわかには信じがたい光景だった。


呆然と社長を眺めている私に気付くと、社長はこう言った。


「只野くんも早く逃げなさい!

私には、君を元気な状態で世に送り出す責務がある。

新しい職場でも、是非頑張って!」


――社長!?


思いがけない社長の言葉に、私の涙せんが緩んだ。


――退職するの、早まったかな。


そんな考えまで、頭に浮かんだ。


たった3分前までは、会社に対する嫌悪感で頭がいっぱいだったのに、今や、退職を選んだことを少し後悔すらしていた。


会社に籍を置く最後の3分間で、こんなに自分の気持ちが変化するなんて。


気が遠くなる程、長い避難階段をかけ降りて、近くの広場へと避難した。


私は、社長の姿を懸命に探した。


すると、人気の無い広場の隅に、社長が、腹心の財務本部長と一緒にいるのを見つけた。


「社長、ご無事だったんですね!

実は私、やっぱりこの会社で働き続けたいです!」

そう言って駆け寄ろうとしたところ、社長と財務本部長の会話内容が何とはなしに耳に飛び込んできた。


「いやーさすが社長!

ご立派でしたね。非常時に、自分の命よりも、社員の安全を優先させるなんて、なかなかできないですよ!」

そう言って、社長を褒め称える財務本部長。


すると、社長は、

「だって、火災で社員がたくさん死んだら、労災扱いになるでしょ!

只でさえ、うちはブラック企業として有名になっちゃっているのに、これ以上監督官庁に目をつけられたら堪らないよ。

労災って、社員の甘えを助長する、迷惑な制度だよなぁ。

この国は、労働者に甘過ぎだよ」


私は、社長に声をかけることなく、そのまま立ち去ることにした。


――永遠にさようなら、ブラック企業

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