第2話

何も左足に不具を抱えたものがえっちらおっちら神田明神から東高円寺まで杖を突きながら歩いて行くなどという非効率的なことをしなくても良いだろう。

かと言って、二十四時間稼働に於いて課題だった、メンテナンスの問題を、ロボットと大規模変形型インフラの導入によって可能とした無人列車などの公共交通機関を使うことは、闇夜達の姿格好が、たとえ着替えたものだったとしても、彼らは余りにも目立ちすぎる。

このコンビはどんな組織に追われているのか? どこの子連れ狼なのか? どこのレオンとマチルダなのか? どこの一方通行と打ち止めなのか(それを言ってしまっては身もふたもないのだが)? などといらぬ邪推をされるのが落ちだ。

彼らがいつも取る交通手段は水素エンジンバイクだった。35年前には既に実用化及び水素燃料供給インフラが整っていたので二輪車に限らず、四輪車等もほとんど水素燃料車である。闇夜の乗るバイクは時速300kmまで出る要免許タイプだが、時速50kmまでのものは免許もいらず、自転車感覚で乗れてしまう。一方で「免許の要らない暴走族」という新たな問題を生み出してしまった。

ともかく、神田明神から東高円寺に出るには、本郷通りから秋葉原を抜けて昭和通りを南下し、青梅街道を西に行くのが一番わかり易いルートである。

闇夜はフードとヘルメットをかぶり、グラブをはめ、マスクをして、旧時代のワイルドで行こうぜ的なごついチョッパーバイクに跨った。そして右足のキックでエンジンに火を入れた。途端にブルルンっとけたたましい音が鳴った。しかし振動はしていなかった。本来、水素エンジンバイクはモーターなので音がしないのだが、歩行者への警告のためと雰囲気を味わうためにスピーカーから音が流れているだけなのである。そもそもキックスターター自体が不要で、水素エンジンバイクはボタン一つ押せばモーターを動かすことができる。全ては古き良き時代への憧憬なのである。

マスクにしてもそうである。

現代は残念ながら核戦争で滅んだあとの世界でも何でもないし、ディストピアでもなんでもない。人類は順調に発展し、毎度危機が叫ばれながらもそれを乗り越えてきた。

マッドマックスや北斗の拳みたいな荒廃した砂漠の広がる世界が東京にあるわけでもなし、東京では屋外のホコリや粉塵を吸着するロボットと、それを制御するシステムが構築されている。

そもそも水素燃料車以外を屋外で走らすには地方自治体の許可が必要なため、屋外を走っているのはほぼ水素燃料車と考えて良い。したがって、粉塵など出ようはずがないのである。したがってマスクなど必要ないのである。

要は雰囲気作りなのである。イメージである。

『荒んだ未来の原野を相棒引き連れて砂埃を巻き上げながらアイアンホースを駆っていく』というちょっと恥ずかしい事を考えているのが闇夜なのである。

 無論、闇夜のバイクの腕は目覚ましい物があり、マックスターン(前輪を中心にして後輪で円を描く、マッドマックスで出て来る一種の曲乗り)くらいなら楽勝と言ったところだ。


「いくぞ、乗れよ」

 闇夜はスケキヨに後部座席に乗るように促した。

 スケキヨは猫耳付きのフードをかぶって、後部座席に横乗りした。

「コラ、メットかぶれ! 死にて―のか?」

 闇夜はスケキヨの頭を拳で軽く小突いた。

「やーよ。識神が死ぬわけ無いでしょ―?」

 スケキヨは闇夜の手を軽く払った。

「チッ。勝手にしろ! ちゃんと掴まれよ」

 スケキヨは上半身だけ正面に向き腕を闇夜の胸の下あたりに回し掴まって、背中に何度も顔を押し付けた。

「デュフフフ、にゃーん。あんやしゅきしゅき」

「ば、バカ、やめろ」

 闇夜はそのままアクセルを開け、明け方の本郷通りにバイクを乗り出していった。


午前五時半。

青梅街道、地下鉄丸ノ内線東高円寺付近。

 一時は高速道路を地下に通す案も考えられたが、地下は増え続ける人口のために居住区画や地下鉄などの公共交通機関とする案が採用された。しかし、どこからともなくギャングなどが潜伏するようになり治安が悪化し、それが地上にまで影響をおよぼすようになった。その為自警団なども結成されたが、ギャングとの抗争を激化させ、却って逆効果になったとも言われている。

 東雲裕子(しののめゆうこ)は太陽がのぼりかけたこの時間帯にジョギングをしていた。今の季節、今の時間が最もジョギングなどの運動をするのに適した時間だと言えよう。しかし、裕子はタンクトップにスポーツブラ、短パンという、高2の同い年、いや女性にしてはかなり豊満な肉体をしているのに、その格好はあまりにも無防備で大胆すぎていた。そんなことにも気にかけない無防備な娘である。性格は好奇心旺盛で天真爛漫で、両サイドにきれいに束ねたおさげに、上品な縁無しのメガネ、そしてダイナミックでメリハリのある、だけどまだ発展途上の伸びしろが感じられる体つきという、ある意味需要がありまくりの人なのである。しかし、今まで様々な男子に何度も告白されているのに受け入れない、かと言って興味がないというわけではなさそうな、掴みどころのない娘なのである。

 そんな彼女がジョギング中に東高円寺駅の北口の香貴苑という無国籍料理店のあたりに差し掛かると、店の影から、黒いバンダナを頭に巻いた男たちが十人ばかり現れ、ゆらゆらと裕子の周りを取り囲んだ。バンダナ族である。

 バンダナ族と言うのは移民受け入れ及び都市開発のひずみで生まれた、格差社会底辺の様々な人種で構成されており、黒いバンダナをしている以外にはインプラント、スプリットタンなどの身体改造をしているのが特徴である。彼らは、居住区画が地下にある幹線道路付近に出没し、治安を乱し、自警団と暴力事件を度々起こしていた。その魔の手が東雲裕子にも及んだわけである。

「ようねえちゃん、朝早くからご苦労さん。ついでといっちゃなんだが、俺達とも遊んじゃくれねえか?」

 バンダナを巻いた男たちの中のひとりが言った。すると他の男達はへらへらしながら彼女を取り囲み、ジリジリと取り囲んだ輪を縮めていった。

 流石に裕子も自分の身に危険が迫っていることがわかっていた。しかし、怖くて声が出ない。

 その時、そこへいきなりチョッパーバイクが新宿方面から飛び込んできて、リーダー格の男を背中から轢いた。そして後部座席に乗っていた12,3歳と思しき少女が急ブレーキで飛び出して、そのリーダー格の男に頭突きをした。

「イタタタ……なにするのよ! ……下手くそ!」

「おーいて……だからヘルメットかぶれって言っただろ!?」

 そこで、轢かれた男がようやく立ち上がって、お決まりの文句を言おうとした。

「てめぇ! こんなことしてただで済むと……!」

 そこで、そこへ飛び込んだバイクに乗っていた男が、ちゃんと立ち上がるために、バイクに備え付けてあったカフグリップ付きの杖を取り出し、杖をつこうと横に振った。少々大ぶりしたため木か何かに当たったような感覚があった。なにかおかしいと感じながら、もう一度杖を振るとまた何かに当たる感覚がした。これはなにかおかしいと感じつつも自分の靴紐結ぶために杖を振り上げるとまた杖に何か当たった。これまたおかしいとは感じつつも、やっぱり、なるべく右足だけでも生活できるように練習しようと、右足だけで立ち上がる勢いで杖をまた振り上げると、杖が何か木の股のようなところに当たった感覚がした。この時うっかり杖に搭載されているスタンスティック用の電撃ボタンを押してしまったのだがまあ大丈夫だろうと自分で自分をごまかした。なにか猫がケンカする声がしたような気がしたが気のせいだろう。

 そうして倒れたバイクを起こそうとしたところ、周りを黒いバンダナを巻いた若者に取り囲まれていたので、

「やばい! バンダナ族だ!」

とみがまえるものの、

「うわー、こいつ、ただモンじゃねーよ!」

 何故かバンダナ族の連中が昏倒した一人を除いて逃げてしまっていた。

闇夜はわけが分からずスケキヨと一緒にバイクを起こし、それに乗った。

ふと見るとそこに裕子が呆気にとられて立っているのを発見した。

「あ、あの大丈夫ですか? 最近治安が悪いから気をつけたほうがいいですよ:

 と言うとそのまま大久保通り方面へと消えていった。

 裕子は文字通り呆気にとられていたのだが、うまく言葉が返せず、闇夜がバイクで去っていくのを見送るしかできなかった。

しかし、あの妙な格好をした闇夜がすごく印象に残り、いつまでも頭から離れなくなってしまった。マスクをしてヘルメットをかぶっていて、目しか見ることができなかった。でもあの涼しげだけどなんとなく優しげな眼差し……初めて抱く得体の知れない感情に裕子は戸惑っていた。

 午前八時。

 蚕糸の森学園高校。

地下鉄丸ノ内線東高円寺駅北口の蚕糸の森公園の奥に構えるのが蚕糸の森学園高校である。この学校には低所得者層から裕福な家柄、様々な人種に及ぶ生徒がいる、東京では珍しい学校である。しかし、一部の学生を除いてはわけ隔てなくお互いボーダーを気にせず交流している。

そんな家柄・人種がサラダボウルのように分離せず、坩堝の様に混じり合っている学校の2―7の教室の前である。

 教室には既に生徒がごった返していて、非常に賑やかである。こんな状態は、少子化が叫ばれていた頃には考えられなかった。現在では殆どの高校が、一クラス70名程度、一学年8~10クラスという規模であり、それでも足りないくらいである。

 一人の生徒がブレザーの制服を着て先生の後ろで待機している。

 始業の鐘が鳴ると、まず先生だけが教室に入っていく。途端にケイオティックだった教室は統制を取り戻す。先生が一言二言喋ると教室の外で待っている生徒が呼ばれる。

「入ってき給え」

 その声がするかしないかのタイミングで教室の引き戸がガラガラと開く。

 その生徒は身長190cm以上はあろうかという大きな体躯で、危うく梁に頭をぶつけそうになっていた。どうも左足が不自由なようで右手にカフグリップ付きの杖を突いている。髪は自然な白髪でウェーブがかったマッシュルームヘア、髭もなく清潔感があり、大きな黒縁のメガネをしているが、その奥にたたえている涼しげな眼差しが、却って攻撃的な感じもして、印象的だった。

 その人物が不自由な足で教壇までくると話し始めた。

「ど、どうも。はじめまして。月島(つきしま)闇夜(あんや)と申します。この度転校してきやした。取り立てて取り柄のあるものじゃあございやせん。趣味は食べ歩きでございやす。ご覧の通り、左足が上手く動かんもんなんで体育は見学とさせてください。以後お見知りおきを」

 そう言って教室の生徒達に一礼した。少し目立つ登場の仕方をすることで、宣戦布告をする、という戦法である。闇夜達、特務課別室所属エージェントは隠密行動を良しとするが、かと言って完全に普通の生徒に溶け込んでよいわけでもなく、去っていったときに、只者ではなかった、ということを印象づけ、己を恐怖の対象となら使むることも重要な印象操作の一つである。

「月島くんは、一番左後ろに座って」

 この時点では担任の教師でさえ闇夜の正体について知らされていない。

 闇夜が自分の席につくと右隣にはどこかで見たことのある顔が……

「あ……れ……? あなたさっき会わなかったっけ?」

 東雲裕子だった。

「あ!!」

 闇夜は今朝の出来事を思い出していた。

「し、知りやせん!」

 ここは知らぬ存ぜぬで通すしかないな、と闇夜は腹をくくった。

「どこかで会った気がするんだけど……まあいいわ。あたしは東雲裕子。よろしくね。どこに住んでるの?」

「あっしは、ニコニコロードをずっと行って抜けて大久保通りの向こう側の稲荷神社の隣のマンションで。へぇ」

「あ、そうなんだ。あ、あそこのすぐ近くの『ばりこて』ってラーメン屋、行ったほうがいいわよ。すごく美味しいんだから。食べ歩きが趣味ならば。この辺は美味しい店が多いよ。それでねぇ……」

「へぇ。そうですか。それじゃ先生のお話を聞きたいんで」

「いや、その……」

 裕子はもっと話したかったのだが、闇夜は会話を強制終了させた。闇夜は知っていた。この稼業をやる、ということは、自分の素姓を知られてはいけないということであり、友達を作るなどもっての外なのである。もし友達を作ってしまったら、その人とは別れなければならない。

別れは辛い。それは今まで闇夜は身を以て知っている事である。その辛さを味わうくらいなら、最初から友達は作らない……そうすれば心のダメージは少なくなる……それが闇夜が見出した結論である。そして、自分の周りに硬い殻を作った。友達はスケキヨみたいなやかましいの一匹で十分だと思っていた。そう思うと少し気が楽になった。

 とりあえず、闇夜は特務課別室の根回しもあって、ひろく教室を見渡せる、教室の隅っこの席を確保することができた。

 闇夜は現在16歳で、本来ならば高1の年齢なのであるが、もともと学業に関しては最下位になったりして目立たぬように訓練は受けているため、高2だろうが、高3だろうが彼にとっては授業を聞いてなくても余裕なのである。もちろんテストでトップクラスを取って目立つようなこともしない、あくまで、コントロールして平均点近くを取るのがミッションなのである。

 とりあえずホームルームが終わり、授業中に授業を受けるフリをして教室の隅から他の生徒を見てみたが、目立って不審な生徒は見つからなかった。まあ、この時点で見つかるわけはないと、闇夜も高をくくっていたし、期待はしていなかった。これはやはり、生徒一人ひとりに聞かないとだめだな、と闇夜は思った。

 昼休みになり、闇夜は隣の東雲裕子の話し相手になった。なるべく友達にならないように気をつけて。

「東雲さん。さっき学校に来るときに小耳に挟んだのですが、生徒が何人か消えてるって本当ですか?」

 裕子は闇夜の方から話しかけられたのがよほど嬉しかったのか、文字通り大きな胸を弾ませてこちらを見て答え、闇夜は思わずその胸に目を向けてしまった。

「そうそうそう! こわいよー。この数ヶ月で5人も消えてるんだよー。あー、いいよ、いいよ、敬語なんて使わなくて」

 裕子はオーバーアクションで、身振り手振りを交えながら答えた。

 闇夜が使う敬語は何も『敬って使う言葉』ではなくて、壁を作るための言葉なのである。だから、その敬語は意地でも外すわけにもいかなかった。

「いや、ははは……因みにどういう方が消えてらっしゃるかご存知ですか?」

 裕子は敬語をやめてもらえなくて少し残念そうな顔をした。

「なに? 月島くん、探偵ごっこでもやろうっていうの?」

 闇夜は『ごっこ』と言われたのがちょっとムカついたがそれを顔に出すことはしなかった。

「いやあ、単なる野次馬根性ってやつですよ。まあ場合によっては動くかもしれませんが……」

 裕子は目を爛々と輝かせていった。

「なになになに? 探偵するの? だったらあたしにも手伝わせてよ」

 闇夜はあくまで仕事で探偵をするわけであって、『ごっこ』に付き合わされるのはたまったもんじゃないと思っていた。それ以前に、闇夜の仕事を邪魔されては困るし、闇夜が学校の生徒と深く関わるのはご法度だという自分で決めたルールがあった。

 闇夜は、ここは一つビシっと言ってやらないと後々面倒なことになると思った。

 闇夜は顔を険しくさせて言った。

「東雲殿。いいですか? あたしはですね……」

「今朝のバンダナ族だけどさ……」


「だからね、あれはあたしじゃありません!」


「「あ」」


 一瞬の沈黙の後、闇夜は、ハッと我に返った。

 裕子は目を細めて、闇夜に迫り、闇夜の顎をクイッと上げて言った。

「『あれはあたしじゃありません』の『あれ』って何さ?」

 闇夜は一生の不覚を取ってしまった。まさに『クッ、殺せ』という状況だった。

「な、何が望みだ?」

「なんですって? きこえないわ」

「オレにどうしろっていうんだ!?」

 闇夜は吐き捨てるように言った。拳を膝の上に置きうなだれて椅子に座っている闇夜の周りをSっ気たっぷりに裕子がゆっくりと歩いている。なんだ? さっきまでの裕子と全く人格が違う様子である。なにかスウィッチでも入ったのか? と闇夜は不審に思った。

「そうね、あなたのやろうとしていることはなんだか面白そうだからあたしも仲間に入れてちょうだい」

「それはできない。なぜならとても危険だからだ」

「ならばあなたが不審人物であることを学校で言いふらすまでのこと」

「クッ……」

 闇夜は思った。正体を知られるのはまずい。しかしそれがもとで任務を果たせないのはもっとまずいと。

「じゃあこうしましょう。あなたの正体については聞かない。だけどその事件の調査の仲間には入れてちょうだい。あたしはこの学校については詳しい方よ。この学校に情報提供者のような協力者がいることはあなたにとってはプラスになるはずよ? さあどうする?」

 闇夜はしばし思案した。彼女が言っていること、つまり闇夜の正体について根掘り葉掘り聞いてこないかについては眉唾ものだと思った。

もっとも、どの学校で仕事をする時でも必ず必要になるのが情報提供者である。しかし、殆どの場合そのような情報提供者は分散しており、情報の一貫性は少なく、信憑性に乏しい。

それに対して、今回のように情報提供者が一人の場合、情報の整合性が取れており、信憑性も高くなる。

これは事件解決のために非常に効率的なことである。最悪の場合、『最後の手段』もあるわけだし……


 色々と問題はあるし、過去に例がないことだったが、闇夜は取引に応じることにした。

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