闇夜の転校生:Rebuild
飛鋭78式改
第1話
午前二時。
東京都千代田区。
人っ子一人いない日比谷通り。
いくら午前二時とは言え、東京のど真ん中で人が全くいないと言うのはただ事ではない。ましてや、大規模移民受け入れ政策をして50年以上経っている。人口は一時減少傾向だったが、一転増加に転じ、東京はどこを切り取っても眠らない街になったはず……だった。しかしだ。人がいないのだ。
JR御茶ノ水駅の東側の出口から見える聖橋は二度目の長命化工事のため、蔦のように這う警告灯が、光を順々に前へ、前へと運んでは、また後ろから光を運んでいく。
その無粋でなんの情緒もないのに名前だけは風情はある橋を、直径3メートル位の大きな光の球が耳障りな音を立てつつ、ドップラー効果の低い音響を残して、通り過ぎていった。その光の球は通る際に辺りに紙の御札をばらまいていた。
光の球はどうやら前方と後方、2つの方向に御札をばらまいているようだった。前の方に撒く御札は『撒く』というよりは投げつけるといったほうが正しい表現で、意思を持ったかのような挙動を取る球が前方に御札を投げつけると、その御札は空中に張り付き、結界を作りだし、人除けをしているように見え、日比谷通りを光の球の方へ歩いていた人は踵を返し、通り道にあるコンビニさえも閉店してしまっていた。
逆に、後方には、『撒く』という表現がぴったりで、何か、獲物を捕らえるのに、どこかに誘導するために餌をまいているかのようであった。
光の球が聖橋を渡り終え、残像を残しつつ、本郷通りへ向かうと、聖橋あたりの空気がビリビリと振動した。次に空気だけでなく、地面も振動した。
文字通りの逢魔が時、得体のしれないものが、先程の光の球が撒いた御札をなぞって日比谷通りを北上してきたのである。
それは例えるなら体長が五メートルくらいはある巨大なカマドウマである。そして、胴体は充血した目玉のようであり、ギョロギョロとあたりを見回しているのである。それが六本の長い足を車輪のように回転させて前方に移動しては時々止まり、うねうねとその足を動かしている。
そして、その周りに数十匹のミニチュア版の目玉カマドウマが耳障りな鳴き声を上げてついてきている。ミニチュアと言っても、体長は一メートルばかりはあろうか。
それらの蟲の群れが、触角を回転させ、目玉をギョロギョロさせながら先程の光の球が撒いた御札の跡をドスドスヒタヒタとついてきている。やたら長い足と触角、そしてヒクついた胴体。なんという気味の悪さだろう。
その異形の者たちは、光の球の撒いた御札の道を通り、日比谷通りを北上し、聖橋を通過し、本郷通りに突き当たり右に曲がり、神田明神へと続く鳥居をくぐっていったのである。
神田明神の門を親玉の目玉カマドウマが通れるわけがなく、一番大きなカマドウマは門を飛び越え、小さい奴らは門をゾロゾロとくぐっていった。するとそこで御札の道筋は止まっていた。そして、そこに光の球がふわふわと浮かんでいた。
光の球をよく見ると中に人影が見える。どうやらそれは12,3歳くらいの少女で、髪の毛は茶色で短く、その髪の毛も重力に逆らいふわふわと浮かんでいる。肌は雪のように白く、唇は紅を引いているわけでもないのに南天の実のように赤い。目は閉じられており、両手は何か握っているかのように合わせられていて、そこから強い光が放たれていてそれがその少女を光の球とならしむほどの強い光だったのだ。首には翡翠でできた、勾玉などの様々なモチーフの首飾りをしている。木綿の薄手の白い和装は初夏とは言え、夜ともなれば寒そうであったが、動きやすさはちょうどよいのかもしれない。
少女はゆっくりと地上に降り立つ。その周りにはいつの間にか小型の目玉カマドウマが取り囲んでいた。そして奥にデカブツの目玉カマドウマが控えていた。
少女は目をカッ! と見開いた。その赤く光る大きな目には、多くの人を魅了する魅力と、威圧する圧力があった。
「may come out the divine fence !」
彼女は古の言葉で呪文を詠唱すると、四方八方に御札を投げ付けた。すると神田明神を包む赤いドーム状の結界が現れた。結界には幾つものルーン文字が刻まれ、それがブラウン運動をしているかのようにランダムに赤い半透明のドーム上を動いていた。そして、神田明神にいたカラスや小動物たちが一斉にその結界の外へ出ていってしまった。
しかし、ちび目玉カマドウマが神田明神の外に出ようとすると、足が赤い結界にあたり、電撃が走り、行く手を拒んだ。ちび目玉カマドウマはキーッ! と鳴き声を上げて後ずさりした。
すっかり目玉カマドウマたちに囲まれた少女であったが、なんの恐怖感も抱いていない様子で、音も立てずに後ろ向き宙返りをして、目玉カマドウマの群れを飛び越え、神田明神の本殿の賽銭箱に飛び乗った。
すると、神田明神の門の方から足音が聞こえてきた。その足音は決して足取りの良い感じのものではなかった。片足を引きずるような……そして杖を突くような音のする……明らかに片足の不自由な者の足音であった。
しばらくすると、門をくぐる人影が見えてきた。身の丈は190cm以上あり、肩は骨ばっている……どうやら男のようだ。麻でできた灰色のローブを着ており、フードをかぶっているが、ところどころ返り血なのか赤黒く染まっている。ローブはあちこちにどこの国とも時代ともつかぬような不思議な文様、或いは文字が記されていた、あまりにも不可思議でどこからどこまでが文様で、どこからどこまでが文字なのかがさっぱり分からない。フードから覗き見える顎には白い無精髭が生えているが、決して年老いているようには見えず、むしろ若さが感じられる肌をしている。左足を引きずり、右手にカフグリップ付きの杖を突いているのだが、この杖が身長に合わせてあるのか、異常にデカイ。高身長、巨大な杖、血で汚れた不思議な文様のローブ、白い無精髭といった要素が異様なオーラを放っていた。
この男が神田明神の境内に入ってくると、男の持っている異様なオーラに警戒してなのか、目玉カマドウマたちは、ぞわわっと、次々に身を退き、この男に道を譲った。真ん中まで来て、親玉の巨大目玉カマドウマと対峙したところでカフグリップから手を離し、杖に寄りかかりながら両手でフードを取った。すると真っ白の髪の毛の、涼し気な眼差しの男の顔が現れた。髪型はウェーブがかったマッシュルームヘアでチャラチャラしている感じなのだが、涼し気な眼差しがともすれば攻撃的とも取られかねないようだった。
「あんや! 遅いよ!」
先程の少女が目玉カマドウマの群れ越しにその男に話しかけた。
その男こそS級霊能エージェント、月島闇夜(つきしまあんや)であった。
「悪いな、スケキヨ。足がこれなもんでな。それにヒーローってのは遅れて登場するもんだろ?」
闇夜(あんや)は自分の左足を指差しながらその少女に答えた。
その少女は、月島闇夜が最も頼りにしている識神(しきがみ)、青沼(あおぬま)スケキヨであった。
闇夜は大きな目玉カマドウマを見上げて言った。
「それにしてもなんだぁ? この気味の悪いのは? 『呪い』の顕現ってのは呪いを行った人が最も気持ち悪いと思っているものを形作る、ってぇ言われてるが……よほど病んでるやつだな」
「大変だったんだからね! これを幽門(ゲート)から呼び出してここに連れてきて、それでこの神田明神に閉じ込めるのに」
スケキヨは頬を膨らませて腕を組んで、昔の漫画みたいにわかりやすい怒り方をしていた。
「あー、そうだな。こういう神社のような神聖な場所じゃないと呪いの瘴気でこっちが持たないからな。そいつは感謝したいところだが……」
闇夜は巨大目玉カマドウマを見上げた。その時、そこにいる目玉カマドウマが一斉に昆虫で言うところの気門から呼気を出した。あまりのひどい匂いに闇夜は咳き込んだ。
「オエッッッ! 何だこのひでぇ匂いは!? ケホンケホン……! これ、毒ガスじゃないだろうな!?」
「ケホンケホン……! これは単なる二酸化炭素に少し硫化水素が混じったものだと思うけど……あんや、僕涙が出てきたよ」
「聞いてねえぞ、藤原のおやっさんから……まあいい、スケキヨ、ちゃっちゃとやっちまうぞ」
「わ……わかった! 行くよ!」
「Let there be light !」
スケキヨは再び古の言葉で呪文を詠唱し、肩からかけていた布製の鞄から取り出した朝顔の生花を十個ばかり取り出し、闇夜に向けて投げ付けた。すると朝顔の花は、光を放ちながら、闇夜の周りを回り始めた。すると、闇夜は左足の不具から開放され、まっすぐに地面に立った。
それと同時にスケキヨの体には紫色のヒビのような文様が現れ、光りだした。
「スケキヨ、どれくらいもちそうだ?」
「そうだね、神田明神は平将門を祀っているだけあって、『呪い』の汚染を抑える力が強いよ。おおよそ15分ってところかな?」
「10分で終わらせるぞ」
闇夜は片手で手印を結んだ。
「ノウマク・サンマンダバザラタ・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン!」
闇夜が真言(マントラ)を唱え、カフグリップ付きの杖を横にして目の前に掲げると、2つに分かれ、黒光りする二丁の自動拳銃となった。
闇夜は試しに、体長一メートルの目玉カマドウマに向けて拳銃を撃ってみた。
しかし、一発あてただけでは緑色の体液を出してよろけるだけだった。これでも口径は大きい拳銃を顕現させたつもりだったがこのカマドウマには対して大きなダメージを与えることができないようだ。そこで両方の拳銃で連打してみると十発ほどぶち込んでようやく一匹撃退することができた。
しかし、ここで露骨に敵意を向けたことによって目玉カマドウマたちが気門から蒸気を上げつつ、唾液を垂らしながら強靭な顎を開け、闇夜のところににじり寄って威嚇してきた。そして一番前にいたちびカマドウマのキーッ! という鳴き声とともに一斉に襲い掛かってきた。
「じょ、冗談だろ!?」
闇夜はほうほうの体で逃げ惑い、神社の境内を後ろ向きに縦横無尽に行ったり来たりした。移動は、闇夜の周囲を回っている朝顔の花のお陰で、まるで月の上を歩いているかのように素早く、大きく動くことができた。しかしながら拳銃を何発叩き込んだところで焼け石に水と言った具合であったし、一番巨大な5メートル級のカマドウマに至ってはちょうど目玉の角膜にあたる部分が防弾ガラスのように強力で、拳銃の弾を弾き返してしまうほどだった。闇夜とスケキヨは神田明神の本殿の屋根の上にのぼってやり過ごすことにした。そうしても、一メートル級のちびカマドウマはお互いの体に乗っかれば屋根まで届くのは時間の問題だし、5メートル級のものは、ちびカマドウマをかき分けてこちらに来ればアウトである。
「こいつはちょっと想定外だった。オレとしたことが……こいつはまずいことになった……なんてな!!」
闇夜はこの危機的状況でも余裕綽々であった。
彼は二丁の自動拳銃をローブの背中のポケットに収め、とんぼ返りして親玉目玉カマドウマの上に片足で着地し、両手で印を結んだ。
「オンキリキリバサラウンハッタ!」
闇夜が再び真言(マントラ)を唱えると、先程の拳銃がショットガンに変形した。闇夜は手を交差させ右手で左の、左手で右のポケットに入っているショットガンを引き抜いて腕を広げた。闇夜は宙返りしながら親玉目玉カマドウマの上から降り立った。正面には巨大目玉カマドウマがいて、周りにちびカマドウマがいるという配置だ。
闇夜は右に歩みを進め、ショットガンをぶっ放した。すると先程の拳銃とは破壊力が段違いで、一メートル級のカマドウマが一度に5匹ほど、陶器が割れるがごとく破裂し、闇夜は緑色の体液をもろにかぶった。
闇夜は歩みを進め、奥にいるカマドウマをもう片方のショットガンで殲滅する。
そして闇夜は両方のショットガンをクルッと回し次弾を装填した。巨大カマドウマの回りにいるちびカマドウマを次々とショットガンで殲滅していった。
一メートル級がいなくなったことを確認し、残ったデカブツと対峙することになった闇夜であったが、やはりいざとなると及び腰にならざるを得なくなる。
「スケキヨ! あと残り時間は?」
「さ、三分位だよ!」
「クソ! 思ったより時間がかかりやがる」
『呪い』で汚染された土壌の上で闇夜のような霊能エージェントが『呪い』そのものと戦うには、その土壌汚染を洗浄しながら戦わなければ、あっという間にその呪いに侵されて戦闘不能になってしまう。しかし、その汚染はどこかに流すことができず、誰か―今回の場合スケキヨなのだが―の体内に溜め込むしかできないので、戦う時間が限られてしまうのである。
スケキヨの体に浮かび上がっていた紫色のヒビは、どんどんスケキヨの体を蝕んでいて、紫色の部分が大きくなっていた。
「スケキヨ! オレの霊力をブーストする方法はないか?」
「ちょ、ちょっとまって」
スケキヨは布鞄から百合の花を取り出した。
「Let there be more light !」
スケキヨはそう唱える、百合の花を五メートル級の目玉カマドウマに投げ付けた。するとその花は輪になってカマドウマの真上を回りだした。
「スケキヨ、あれはなんだ?」
「あれは電磁パルス発生装置だよ。あのでっかい虫にとにかくたくさんショットガンを打ち込んで! あの虫の体に入ったショットガンの弾に反応して電磁パルスが発生してダメージを与えるから!」
「よし!」
闇夜は巨大目玉カマドウマに至近距離まで近づいて両手にもったショットガンを同時に発射した。カマドウマの硬い殻にたくさんの穴が空き、目玉を覆う硬いガラス状の殻には穴が空きヒビが入った。カマドウマはギーッ、という叫び声をあげた。そして闇夜は、目玉カマドウマの周囲をグルグル回りながら両手のショットガンを撃ち込んではクルッと回し弾を装填することを繰り返した。
「あんたにはこれっぽっちも恨みはないんだがね」
クルッ、ダン!
「呪いを邪魔された奴が」
クルッ、ダン!
「どうなるかは」
クルッ、ダン!
「知ったこっちゃないんだけど」
クルッ、ダン!
「まあこれが俺達の仕事だからな」
クルッ。ダン!
「でも、それはな」
クルッ。ダン!
「因果!」
クルッ。ダン!
「応報!」
クルッ。ダン!
「天罰!」
クルッ。ダン!
「覿面!」
クルッ。ダン!
「しかたが!」
クルッ。ダン!
「ないわけで!」
ダン!
「後悔」
ダン!
「あと」
ダン!
「先!」
ダン!
「立たず!」
ダン!
「あの世で!」
ダン!
「悔いな!」
ダン! ダン! ダン!
ダダダダダダン!!
「アスタラヴィスタ、ベイビー」
ダン!!
「今だ、あんや、離れて!」
スケキヨが叫ぶと闇夜は大きくバックステップを踏んだ。
その瞬間、上空の百合の花の輪から青い雷撃が目玉カマドウマに降り注いだ。すると、足や目玉や頭など、様々な部位が小規模な爆発を起こし、最後には全体的に爆発を起こし、あれだけ大きかったものが木っ端微塵に吹っ飛んだ。
これで闇夜の仕事は終わりではなく、この体内から呪いを引き起こしていたトリガーを探さなくてはまたこいつはいくらでも復活してしまう。
「うわっ、なんつーか……派手だねどうも……何がなんだかさっぱり……わかっちゃいたが、ヒデェ匂いだ」
すると不意に闇夜の後ろから、まだ生きていた一メートル級の目玉カマドウマが飛びかかってきた。
「危ない!」
スケキヨが思わず叫んだ。
しかし闇夜は全く臆することなくこれに一瞥もせずショットガン一発で仕留めた。「あ、これだこれだ!!」
闇夜が緑色の体液と赤い血液が混じったドドメ色のカマドウマの残骸のなかで見つけたのは、黒く分厚い紙に金箔で逆さ十字の模様に色を抜いたものであった。
「フッ、やっぱり低俗な黒魔術だったか」
闇夜はそう独り言を言うとその紙をビリビリと破り息を吹きかけて風に乗せて飛ばした。そしてその紙の破片は自然発火し、灰も残さず消えていった。すると、神田明神の境内にあった目玉カマドウマ達の残骸や、闇夜やスケキヨの体についたカマドウマの体液がすうっと消えていった。そしてスケキヨの体に溜まった『呪い』の汚染が、幾つもの光の粒子となって上空へと舞い上がっていき、スケキヨの体に現れていた紫色の模様が消えていった。
そして、闇夜の持っていたショットガンが一本のカフグリップ付きの杖に戻り、左足の不具が再び元に戻ってしまった。闇夜の周りを回っていた朝顔の花も真っ黒に黒ずんで白煙を上げながら地面にポタッと落ちてしまった。
闇夜は今までの緊張感から開放され、思わず座り込んでしまった。
「ふー、これで一件落着ってとこか。早くシャワー浴びてーから帰ろうぜ」
「まだダメだよう。藤原のおじちゃんにこの事件の報告しないと……」
「いいんだよ明日で。どうせ夜中で寝てんだから。俺らみたいなブラックロードーシャが夜中に働いているのにお偉いさんはグースカ寝てんだからよ」
「でも……」
と、スケキヨは上目遣いで泣きそうな顔をして闇夜に言った。年端もいかない少女にそんな顔をされて言うことを聞けない男子がこの世にどのくらいいるのか、それは片手で数えられるくらいではないだろうか?
「わーったよ、ったく」
闇夜は杖をついて立ち上がると、ポケットから通信デバイスを取り出し、立体画面をスクロールさせ、年齢は四十代前半くらいだが、無精髭を生やして髪を後ろで束ね、見る人が見れば素敵なおじさまっぽくもなきにしもあらずと言った感じの男の写真のところで止めてクリックした。名前の欄には『おやっさん』と書かれている。呼び出し音が10回鳴ったところで通信デバイスにアクセス許可が下りた。
「うるせーー! なんだ!? こんな夜中にこのやろう!」
不機嫌指数100%で出たこの男は、闇夜たちの直属の上司であり、闇夜の育ての親でもある、藤原権兵衛(ふじわらごんのひょうえ)である。
「お? おやっさん、こんな遅くまで起きてたの? 仕事熱心だねえ」
闇夜はスケキヨに向かって(だから言ったじゃないか!)と声に出さず、口パクで抗議した。スケキヨは腹を抱えて笑っていた。
「バカヤロー! お前に起こされたんだ! それに『おやっさん』はヤメロ。公私混同するんじゃない! オレは文部科学省中等教育局特務課別室室長の藤原権兵衛(ふじわらごんのひょうえ)だ! 少なくとも室長と呼べ!」
「あんたは、友情努力正義でおなじみのマンガ雑誌で昔連載されてたどっかの塾長か? あんたはどっからどう見ても『おやっさん』って感じじゃないか! それに『おやっさん』ってキャラクター、オレは好きだぜ? それよりもよ、小石川学園で起こってた呪殺事件の犯人の割り出しと、『呪い』の大元を断ち切ってやったぜ。ありゃ、マリーザ・小林って三年生の女の仕業だな。裏も取ってある。『呪い』大元断ち切って呪い返しに遭っちまうけどオレ知らねえぞ? それがよー、『呪い』の顕現がやばかったぜ。すんげえでけえ目ン玉が胴体のカマドウマが出てきやがって。ありゃ夢に出てきそうだぜ。報酬ははずんでもらうぜ。あと休暇! 休暇くれよ! 内偵が大変だったんだからよー……っておい! 聞いてんのかよ?」
闇夜の声は切実である。
通信デバイスのモニターに写っている藤原はいつの間にか髪の毛をオールバックに整え、タバコに火をつけていた。
「あ? 報酬な。これはいつもの三倍だそう。おう。しかしな……実はな、もう次の案件がしっかりと来とるわけよ。これがまた。ナハハ……場所は杉並区の東高円寺の蚕糸の森学園高校。なんでも、ここ数ヶ月で生徒が五人行方不明になっとるらしいぞ。んで、その事件究明及び解決にあたってほしい、と上からのお達しがあってな……いや、おらぁは反対したんだよ? お前らが働き詰めだから少し休ませたほうがいいんじゃないかと……いやおらぁは、反対したんだぜ? しかし、人手不足は如何ともしがたいものがあるらしくて……それにお前らじゃないとダメだと、その腕を見込まれてだな……都民の皆様、ひいては全国民の皆様のためにとだな、上の連中がだな……と、とにかく、もう転校の手続きと引っ越しの用意は済ませてあるから直行で現場の宿泊先に行ってくれ。言っとくけどもう今までの家は既に引き払ってるから。住所はすぐに転送する。まあ、ナルハヤでシクヨロってことで。んじゃね、バイビー」
藤原の通信が一方的に切られ、ホワイトノイズが流れる通信デバイスを握っていた闇夜は、スピーカー越しに加齢臭が臭ってきそうなおっさんに前時代的な業界用語をふんだんに使われ、怒りは臨界点に達し、通信デバイスを握りつぶしそうになっていた
「クソ!」。
それにしてもひどい話だ。今夜この事件を解決することを見越して宿泊先を引き払ってたなんて。もし解決してなかったらどうするつもりだったんだ? まあそれだけ信用されてるということなのか? とにかくシビアな世界だ。
そして、藤原が言っていた通り、次の居住先の住所が転送されて来ると、闇夜は空を見上げた。東京の空は月やシリウスはかろうじて見えるものほとんど星など見えない。闇夜は自分の名前と近いからなのか、そんな東京の空が好きだった。特に今夜はもう既にシリウスも見えないし、新月だ。本当の闇夜(やみよ)だ。これは果たして偶然なのだろうか?
不意にスケキヨが闇夜のローブの袖を掴んで引っ張ってきた。スケキヨの顔を見下ろすと心配そうな顔をして闇夜の顔を伺っている。闇夜はスケキヨに「心配するな」と、目で語りかけた。するとスケキヨの顔の緊張感がほぐれた。
「あーあ、まーた転校かよー……」
結界の効果もとうに切れていたのでカラスがねぐらとしていた神田明神の境内の木々に戻り、控えめな鳴き声を上げていた。一陣の風が吹き、サーッと木の葉同士が当たる音がした。季節は初夏も終わり頃。もうすぐ夏である。
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日本が少子高齢化及び人口減少を食い止めるために大規模移民受け入れ政策を導入して五十余年。移民排斥運動、格差社会、宗教対立等、数々の問題は山積しているものの、人口は増加に転じ、日本は少子高齢化社会から脱した。そして再び東京は一時は閑散としていたものの、再び人口密集地域となった。建設ラッシュで不動産は投資対象となるなど何度目かのバブル景気を迎え、人々は浮かれ、東京は欲望渦巻く街となった。
政府は今度こそ、この「中身のある」好景気を逃すことなく、増え続ける人口の受け皿を作るべく、地下開発を促進する「東京ベイスメント計画」を実行に移した。
しかし人々は、東京の地下深くには人間のプラスマイナスを問わず、『念』と呼ばれる様々な想いが込められた要石が埋まっており、また、大地のエネルギーが流れる龍脈が走っている事を忘れ、それらを全く無視した開発を進めてしまった。その為、地下に封じられていた『念』が地上に『呪い』という形で噴出し、顕現してしまった。
移民受け入れから五十余年、更に『東京ベイスメント計画』完了から二〇余年、その『呪い』の瘴気が土地を汚染し、場合によっては人間の心までも支配するようになってしまった。そのような心を持ってしまった人間はその『呪い』のエネルギーを使って悪しきことをなそうと考えるようになった。
おりしも、コンピュータネットワークとAIの発展で、電子化されていない文献までも誰もがアクセスできてしまう、情報に鍵ができない時代になってしまったので、『呪い』の儀式のやり方も簡単に知ることができ、平安時代さながらに人を呪う行為の横行する時代となってしまった。
特に『呪い』の瘴気に心を支配されるのがほとんど、繊細で多感な時期である高校生だったことから、政府は文部科学省中等教育局に特務課別室を極秘で新設し、各方面から霊能エージェントを集め、霊障事件があると思しき疑いのある学校に転校生として送り込みこれの解決に当たったのである。そこを取り仕切っているのが先程の藤原権兵衛である。
因みに高校生より上の年齢の、成人による霊障事件は、警視庁公安部内にある機関によって処理され、一切は秘密のベールに包まれている。
月島闇夜も文部科学省中等教育局特務課別室に所属するS級霊能エージェントである。
コードネーム、『闇夜(やみよ)の転校生』
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