トイレのカミ
押見五六三
全1話
今日も流れなかった。
他の物は流れたのに……
まぁ、いいや。
そのうち流れる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
今日も流れなかった。
まぁ、いいや。
臭いも無いし。
バレないだろう。
身は流れたし、後はカミだけだ……
私はトイレを出ると、血まみれの手を風呂場で洗った。
排水口付近に薄紅色の水溜りができる。
水の流れが悪い。
詰まってるのかな?……
再びトイレに戻り、流れなかったカミをゴム手袋をした手でつまみ上げ、まとめてビニール袋に入れて便器の横に置いといた。
明日流そう。
これは全部、浮気したあの人が悪い。
浮気したあの人が悪いんだ……
あの人が悪い……
私は滅入る気を取り直し、台所で料理の続きをする。
久しぶりのご馳走だ。
本来なら今日は彼との結婚6周年の記念日……
彼は居ないが……
私は料理を作る。
血の付いた包丁片手に……
『ピンポーン♪』
呼び鈴が鳴った。
まさか……
私は包丁を置き、玄関のドアをチェーンロックはしたまま恐る恐る開けた。
「あっ!奥さん!ごめんなさい!こんな時間に。お夕飯の支度されてたかしら?」
良かった……
同じマンションに住む山田さんだ。
私の取り越し苦労だった。
「あっ、はい……どうかされました?」
「いえ、お知らせの紙をね……」
そう言って山田さんは管理人から預かった用紙を手渡してくれた。
「何かマンションの排水管が詰まったらしくって、工事の為に明日のお昼は断水するらしいのよ。ほんと、困ったわね」
「そうなんですか……」
排水管が詰まった……
まさか……
「あっ!そういえば最近、お宅の旦那さん見掛けないわね。火曜日はゴミ出しの時に何時も挨拶してたのに。何か有りました?」
「……出張なんです」
「出張?どちらに?」
「遠くに……」
「遠く?」
「北海道なんです……」
「あら、そう!いつ帰られるんです?」
「しばらくは帰って来ないかと……」
「それは大変ね。旦那さん単身赴任でいいの?若いんだし、奥さんも寂しいでしょ?」
「大丈夫です……あっ、料理の途中なのでこれで……」
「あら!ごめんなさい!」
私は預かった紙を眺めながら台所に戻った。
詰まったのか……
まあ、いいわ……
カミは燃えるゴミの日に出そう。
『ピンポーン♪』
今度は誰?
まさか……
私は再び玄関のドアをチェーンロックはしたまま恐る恐る開けた。
「ようっ!」
「あなた!」
北海道に居るはずの彼だ。
どうして?
「仕事が一段落してな。結婚記念日だから帰って来た」
「そうなんだ……ビックリさせようとして連絡しなかったのね」
「悪い、悪い!ハイ、これ祝いのケーキ」
私はチェーンを外し、彼を中に入れた。
仕方ない……
もういいか……
「あれ?刺し身か?」
「ええ、お隣に釣ったばかりの魚を頂いたの。今、捌いてたとこよ……残りは冷凍するつもりだったんだけど、ちょうど良かったわ」
「おおっ!急だったから晩飯は用意してないと思ってたのに!ラッキーだったよ」
私は捌いた魚の姿造りをテーブルの上に置いた。
彼は綺麗に盛り付けた其れを見て、目を大きく見開きながら感心している。
「しかし……免許持ってるとはいえ、相変わらず器用だな。魚や鳥を捌けるなんて。都会育ちの俺には絶対こんなの無理だよ」
「ごめんなさい、田舎者で……私、シカやイノシシも捌いた事有るわよ」
「そういえばお前、皮剥用とか頭おとし用とか、解体専用のナイフセット持ってたな」
「ええ……包丁とナイフの二刀流よ。ふふっ……」
「一度お前の実家でジビエ料理いただいた事が有ったよな。美味かったなぁ。調理するとこは怖くて見れなかったけどよお……俺、解体した時の血とか内蔵とか見たら卒倒する自信あるから」
「そう……それは良かったわ」
私はテーブルの上に作っておいた料理を並べる。
サラダ……
焼き物……
煮物……
揚げ物……
臓物……
汁物……
お酒……
デザート……
「ええぇぇぇ!豪勢だなぁ!お前、1人でコレをぜんぶ食べる気だったのか?」
「最後の晩餐だから……」
「ん?」
『プルルルル♪プルルルル♪――』
彼のスマホが鳴った。
「あっ、ごめん。会社からだ」
彼はスマホで会社の人と会話を始めた。
その間に料理を全て並び終えた私は、テーブルを挟んだ彼の向かい側に座り、とっておきの赤ワインを開けた。
グラスに注ぐと『コッコッコッコッ』という音と共に、アロマの香りが微かに広がる。
「――えっ?!中村さんが?あっ!は、はい!……いえ、実は自分もこの2日間メールや電話をしてたんですが、一向に返事が返って来ませんでした……はい……」
彼は神妙な面持ちで通話を切った。
私はグラスを手に取り、中のワインを揺らしてスワリングする。
揺れる赤い液体の向こうに彼が映る……
「どうかしたの?青い顔して……」
「……いや、経理の中村さんが、3日前から行方不明なんだ。家に帰ってないらしくって……」
「あらっ!中村さんなら、うちに居るわよ……」
「えっ?!」
「トイレの中に……もうカミしか残ってないけど……」
〈おしまい〉
トイレのカミ 押見五六三 @563
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