喪失する3分
杜侍音
喪失する3分
私はある変わった病気を持っている。
それは、一日の最後の3分間で何を話し、何の行動をしていたのか、何も思い出せないということ。毎日23時57分から24時の決まって3分間の記憶が、一つとして記憶にないのだ。
ただ、この3分間だけが決まって記憶にないことは分かっているから、困ることは特にはない。
せいぜい困ったことがあるとすれば、この間にカップラーメンを作っていたことがあり、気付いた時には机の上にブヨブヨに伸びきった麺が放置されていたことくらいだ。
もちろん、社会生活に対しての影響がこんな微妙な症状では誰にも相談出来ないし、医者にも特に問題はないだろうと相手にもしてくれない。
対処法はないから、とにかくこの3分間は大人しくしていると決めていた。
決めていたのだが……。
何故か今、私の隣で女の子が寝ている。しかも裸で。
今の時間は日付を超えたばかり。つまり、さっきまでの行動はもう私の記憶には残っていない。
だから今の不思議な状況はこの3分の間に生み出されたことになる。
……たった3分で、この状況に?
と、とにかく私は23時56分までの記憶を辿ることにした。
今日は私は会社の後輩に誘われ、食事に行った。
けれども最後に、何故か服が破れ散り、私は家まで逃げ帰ったのだ。
この時点で不思議な経験をしているが、とりあえず置いておこう。明日、後輩を殴ってしまったことを直接謝らなければ。
家に帰って来たのは2、3時間前。
気は動転していたが、落ち着くためにお風呂に入った。
それから後輩に謝罪のメールを送り、明日のための仕事の準備もした。
一人で晩酌もしたか。お酒のつまみが欲しくてコンビニにも行った。
うん、ここまでは覚えている。
コンビニの帰り道……で私の記憶が途絶えている。お酒が少し入っていたから、3分間家で大人しくすることを忘れていた。
でも、肝心の女の子のことは分からなかった。
3分の間に、裸の女の子を連れて隣で寝かせることが出来るだろうか。
そもそもこの子は一体誰なんだろうか……。
ストーカー? 女の子が私をか?
泥棒? ……裸で?
もしかして私はデリヘルでも呼んだのだろうか。いや、私も女だぞ。そういうことに興味はない。
ならば、これは私の幻覚か? きっと仕事続きで疲れているんだ。
と、触ってみるが、しっかりと感触はあった。
いつまでも触っていたいスベスベの肌。私も10年前はこれくらいハリのあったような気がする。
けれども、もう三十路手前。
私から若さは消えていく一方だった。
「ん、んん……」
「えっ⁉︎ あ、起こしちゃった……⁉︎」
起きるまでずっと触り続けてしまっていた。
隣で眠る女の子はのそりのそりと起き上がる。
「んん〜、だれ?」
「それは私のセリフ……」
彼女は眠い目をこすって、大きくアクビをした。
「よく寝たー。あー、私の名前はユズリ。あなたは?」
「え、私?」
「うん。初めて会う人は自己紹介するのが当たり前」
彼女はマイペースに話を進めていく。
「えっと、私の名前は
「まひる。知らない人に名前は名乗らない方がいいよ」
「どっち⁉︎」
そして、彼女はヌルッと立ち上がった。
それと同時に私がずっと気になっていたことを聞いた。
「あの……服は……。それと、どこから入って来たんですか?」
「んー、その質問をまとめて話すと、私はちょっと変わった能力を持ってるの。能力というかぁ、制御出来ないから一種の病気というかぁ」
「病気……?」
「私は寝ると、ごく稀に、ごくごく稀に裸で誰かの隣にテレポートするの」
「なんて変わった……。それにその能力結構危険じゃないですか⁉︎」
「なにがぁ?」
「いや、だって男の人とか……」
「あぁーだいじょうぶだいじょうぶ〜。何度も飛んだけど、全員ちょっと不思議な病気にかかった女の子だけだから〜」
「は、はぁ……何度も……病気の?」
「まぁ、変な力持った人はこの世界にも結構いるからね〜」
どうやら私以外にも誰にも相談出来ない不思議な病気で悩んでいる人がいるようだ。
「ま、とりあえずここにしばらく住むね〜」
「は、はぁ……はっ⁉︎ いや、それは困ります!」
「ん? 同棲してる人とかいるのー?」
「いえ、そういった方は……」
「家族は?」
「地元です。私だけ一人暮らしで」
「じゃ、いいじゃーん。もしかしてこのまま全裸の女の子を外に放置する気だったの〜? それは危険だよー。服貸して〜」
と、勝手に私のクローゼットを漁り出す。
「うわ、スーツしかない」
「別に仕事しかしてませんし、それだけあれば充分です」
「ありゃー、こりゃ大変だー。あ、スウェットあるからこれにしよー」
と、下着も着けずに直でスウェットに着替える。
「えっと、あの……」
「私は疲れてるまひるのオアシスになろう。じゃ、これからよろしく〜」
◇ ◇ ◇
それから数日が経った。
私は仕事をして、突如現れたユズリのためにお金を稼ぐ。貯蓄もあるから生活は出来ている。
彼女は家事も何もしないが、癒しだけは与えてくれるという。
癒し……確かに私は常に気を張っている。
仕事先では私は上司としての威厳を保つために、後輩の前では仮面を被り、先輩の前でも女として舐められないよう堂々と胸を張っている。
しかし、威勢を被るのは疲れた。誰も本当の自分など見てくれはしない。
けれど、ユズリは違った。
会って間もないくせに、私が帰ってくると子供のように玄関にやって来る。
「おかえり〜、ご飯まだ〜」
「帰ってきたばかりだから、これから作るの」
「そっか〜」
と言って、ユズリはギュッと私を抱きしめる。
「まひる頑張ったね〜。お疲れさまぁー」
「ありがとう──さっ、ご飯にするよ」
「やったぁ〜!」
と、これが毎日の恒例となったのだった。
どんな時でも付いてくるし、布団もユズリの分を用意したのに、わざわざ私の布団に入って来る。
家ではずっと一緒の生活も、いつのまにか慣れてしまった。
そして、私はこの生活がずっと続けばいいのにと願い始めるようになる。
けれどある日、その願いを打ち消すかのように、ユズリは消えてしまった。
それもまた3分間の記憶がない間に消えてしまった。
今日も私の隣で寝ていたはずのユズリ。さっきまでそこにいたのに──
私は初めてこの病気を心の底から嫌いになった。
「ユズリ……。どこに行っちゃったの……、ねぇ」
呼びかけてすぐ、チャイムが鳴った。
急いで玄関へと走り出し、扉を開ける。
「ユズリ……!」
けれども、そこには誰もいなかった。
代わりにいたのは一匹の猫。
「ニャーン」
そして、猫はのそりのそりと部屋に入って来た。
私がゆっくり扉を閉めると、猫は人間の姿へと変化した。
「……っ⁉︎ ユズリ……⁉︎」
「いやー、まさか飛ばされるとはね〜。このアパートの大家さんの隣で寝てたよ〜」
「ユズリ、あなたは猫だったの……⁉︎」
「えー、覚えてないの? 最初に会った時は猫の時だったよ」
「ゴメン、きっと私の記憶にはないや……」
「まー、私も覚えてないんだよね。ホントの正体が何か。猫が化けて人になったのか。それとも人が猫に変身出来るのか。分からないんだよねー。って、何?」
私は気付いたらユズリに抱きついていた。
「帰って来たらいつもこうしてるでしょ」
「おー、たしかに〜。じゃあ私も抱きしめないと」
ユズリも私のことをしっかりと抱きしめる。
「ここが居心地いいからね。私はどこにも行かないよ。どっかに飛んじゃっても、必ず帰ってくるよ」
「……うん。さ、中に入って。またユズリ裸じゃない、寒くなかった?」
「まー、猫だったからそんなにだけど。猫になれるの3分だけなんだけどねー」
そして、ユズリはまた私の家に住みつき出した。
疲れ切った私の元に訪れたユズリとの生活。渇いた心が満たされていく。
私は初めて、記憶がない状態の私を褒めてあげたい気分になった。
喪失する3分 杜侍音 @nekousagi
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